ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

〝破壊〟と〝再生〟

 タイトルが『〝破壊〟と〝再生〟』なので、スピ話とか占星術な話だと思って、このブログに辿り着かれてしまった方には申し訳ありませんが、そんな話ではありませんので、ご了承ください。それでも、読み進めていただけるなら、幸いです。

 

 占星術とかスピな話ではないのですが、なんというか私はそっち方面の意味を三次元の日々に置き換え考えることが趣味みたいなものなので、今回このタイトルにしたまでです。ツィッタランドの鍵っ子の中でつぶやきながら、ふと閃いたことと、本日の『今日の空』の記事を読んでいただけましたらと思いますが、2年前の今日発達支援コーチ初級の講座を受け、原始反射の土台になる〝恐怖麻痺反射〟と〝モロー反射〟を学んだことと、その講座を開発された灰谷孝氏著書の『人間脳を育てる』に纏わるようなことを残しておこうと思います。辛口な部分もあるかと思いますし、誰かを否定しているように受け取られるかもしれませんが、一つの意見として読んでもらえたらと幸いです。


 ツィッターランドでつぶやくきっかけになったのは、思春期の頃の自分を思い出したことからでした。思春期って、蝶の一生にすればサナギの時期のようなものだと、占い師の知人に教えてもらったことがありました。思春期って自分と他者の価値観の違いで揺れ動く時期でもあるし、今まで狭かった世界が少しずつ広くなっていく時期でもあると思うのです。このことは過去記事にもあることなので割愛しますが、選択肢が増えることにより、意識が混沌としてしまうと思うのです。ようは今まで白と黒しかこの世界にはないと思ってたのに、他にも色があったことを知ってしまったみたいな…。そういった状況になった時に、根底を覆されるくらいの価値観を書き換えられる衝撃を良い意味でも悪い意味でも感じてしまうとように思うのです。(私がそうだっただけなのかしら…???)そういったことが『〝破壊〟と〝再生〟』でもあるように私は思ったのです。で、思春期といえば第2次成長期。で、この1つ前の第1次成長期がイヤイヤ期といわれる2歳前後になりますよね。ということは、第一次成長期は1度目の反抗期のようなものです。自我が芽生え外側の世界を知り冒険を始める時期で、親に見守られながら自立していく時期でもありますよね。どんな自分でも許されることを確かめる時期でもあると思うのです。自分自身の身体いっぱい使い、五感もフル活用し、私は僕は許されていることを知る時期だと思うのです。〝許されている=愛されている〟ことにもなるように思うのですが、この時期に不発に終わっている人たちが多いと思うのです。その時期は原始反射でいうところの土台となる〝恐怖麻痺反射とモロー反射〟の統合期でもあるよなぁと私は思っています。

 発達支援コーチの講座や『人間脳を育てる』の中で、灰谷氏は『無駄な動き』をやり切るということを提唱されています。で、多くの人がなんか勘違いしてるなぁーと思って眺めてたのです。ここ数か月。で、あのーーーー皆さま、すみませんが、『子どもたちはまず問題がない』って灰谷氏言ってらっしゃるじゃないですか。なのに、皆さま、実のところ大事なことに気がついてませんよね??? 子どもたちには問題がないのです。じゃあ、問題がないのであれば、その『無駄な動き』をやり切らせようとすることも子どもを操作してしまうことになるじゃないの?って、数か月前に気がついたのです。それこそ、身体アプローチといいながら、子どもを変えようとしてることになるじゃんって…。

大人の私たちからみた、子どもたちの『無駄な動き』は無駄ではないと灰谷氏から学びました。ということは、子どもたちだからこそ、無意識層から湧き上がってくる動きが発達を促すための動きになっているのだろう…。そう思うのは私だけでしょうか? 新しい遊びや道具の提案はしても、本人が興味がなかったり、本人が意識をし変えたいと望んでいないのであれば、それらは今必要がないのではないともいえるんではないでしょうか? なので、大人がよかれと思ってセッションすることもなんか違うんじゃないかって思うにいたっています。ようは、命の危険がないように本人がやりたいことをやらせるだけでも、いいと思うのです。

 で、なんでこんなこというのかと申しますと、現代の家庭は忙しすぎて、お子さん1人1人に扶養している親がかまっていられないことで、親がかまってくれたり、そうすることで喜ぶから本当はしたくもないことをしてるお子さんもいると思うです。本当は、お家でだらだらとただ過ごすだけでもよかったりするし、ようはカマってちゃん時代にちゃんとかまってあげられてないご家庭多くないですか? 我家の自閉っ子は孤立型なはずですが、現在かまってチャン時代の到来となっています。無駄に『お母さん』を多用し、無駄に『お母さん』にお世話をしてほしかったり…。自分にかまって欲しいアピールをするので、余裕のある時は空いてしてますが、余裕のない時は、ちゃんと正直に『お母さんしんどいけん、今はゴメン』みたいなことで、折り合いをつけてもらっている状況です。それがパブリックな場面の練習にもなると思っていもいますので、私がかまってあげられる時と無理な時は線引きしています。。ああ、なんか話がずれるなぁあああ。

 話しを戻します。講座を受けたり著書を読んだりして、学んでもお子さんが思ったように変わってくれないと思う親御さんがおそらく多いと私はふんでいますし、親の自己満になってないかなぁ?って思う人たち増えてないか?と思っているのですが、現場の方からの実感はいかがなものでしょうか??? これは、自分への戒めで書いてもいるのですが、私たちは、1人の人を育てているんです。お人形さんじゃないの。自分の思い通りにならないのは当たり前なんです。自分の思い通りに育たない我が子や理想の子どもはあり得ないのです。それが当たり前なんです。みんな違うってことが当たり前なんです。人の成長に規格なんてありません。似てる人は存在しても。丸ごと同じではありません。たとえ血が繋がっていたとしても。で、この世に生を受けて一人の大人になっていく時に、その人の生の在り方のストーリーさえ、その人の物であって、そこの物語の主役はその人のものなのです。あなたの物語じゃないの。だからですね、『無駄な動き』をやり切るタイミングも時間もその人次第になると思うんですよ。ようは自分がより良く生き延びるには、自分が意識して変わりたいという意識が働くようにならないと負荷がかかるのだと思うのです。その積み重ねが強制終了といわれる、鬱病となってしまうのでもあると思います。でも、その鬱という身体の状態は、新しい自分へ生まれ変わるための変容のプロセスでもあって、それが『〝破壊〟と〝再生〟』でもあると思うんです。

 で、この世に生を受けて初めての第一段階の『〝破壊〟と〝再生〟』がイヤイヤ期であると思うのです。その時期に体中の神経全てをフル活ようして、何をしても許されている自分や愛されている自分と折り合う時期だと思うし、そこをやり切ることが愛情の土台を育てることにもなるのだと思うのです。でも、それが不発に終わってしまっているのが現代の子育てになってるよなぁと思っています。良い子じゃないのが、幼少期。悪魔の2歳児。その時期にどのような関わり方をするのかはとても大切なんです。しかもそれに、障害の有無は関係ありません。ただ、障害があることで自分自身の力だけでは発達できない人たちがいるという違いはあります。でも、そんな障害がある人たちの支援さえ、固定化され決めつけられてしまっています。私も息子の障害を決めつけていました。自閉症という障害を決めつけて固定化していました。でも、実際息子と暮らしみて、私が間違っていたことに気がつくことになりました。息子は息子なりに成長したがっています。その歩みが遅いだけです。そして、それを遅らせてしまったのは、私が息子を変えようとしてきたからだと証明してくれました。灰谷氏がいったことは本当でした。無駄な動きを止めていた犯人は大人である私だったと…。

 子どもたちは何も悪くない。大人がむしろやり切っていたほうが良い時期にやり切れておらず不発で終わってしまっている。『〝破壊〟と〝再生〟』のプロセスを頭の中だけで終わらせてしまうから、刺激を求めてしまうのではないのでしょうか?と新たな視点も生まれました。 そして、その要因となっている根っこに辿り着くプロセスも物語も違うはず。大きな括りは同じでも、自分だからこそ乗り越えられるし、自分が変わりたいと思うからこそ、自分は越えられるのだととそんなことを思ったりもします。そして、みんな気がついてもなかなか変われないのは、その自分が都合がいいから。いわゆる生き延びるための戦略です。本当に今の現状を突破したいのであれば、どんな自分も認めること。そして、それでも大丈夫なことを思い知ることなのだろうと思います。

ああ、なんだかまたとりとめない記事になってしまいました。とりあえず、覚書程度ってことでご了承ください。それでは。

今日の空

世界で一番熱くて長そうな夏な今年。

夏バテにはなっていませんが

身体の冷えを感じています。

明け方にカッとアツくなって起きるので

どうやら自律神経やられているのか

秋冬に向け身体の切替の時期なのかも…。

 

▼野菊

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2年前の今日は発達支援コーチ初級の講座

鹿児島の蒲生町に滞在していました。

講座の内容は決してハードではありませんでしたが

1日目が終わりホテルに帰る頃には

久しぶりにエネルギー切れを起こし

お風呂にもはいれないくらい

疲労困憊していましたが

なんとかシャワーを浴びて

ベットに倒れ込むように寝ました。

普段は目覚まし時計より早く起きるのに

この日は目覚まし時計の音で起きて

それでも、身体を起こすことがやっとでした。

久しぶりのシャットダウンだったので

正直びっくりもしました。

2日目の講座が始まっても

身体がなかなか動かなくて

皆さんが身体を動かしているのを

眺めているだけでした。

知人が話くれたら自分でもよくわからないのに

涙が溢れて泣いてしまったのです。

そんな私をみかねた知人が

金魚体操の変形バージョンをしてくださって

その後、なんか知らんけどエネルギーが回復し

2日目の講座を最後まで受講できました。

あの2日間の講座を受けたことは

私にとって人生が変わってしまうくらいの

大きな節目だったと思います。

あの日から2年、幾度も

精神的な〝破壊と再生〟を繰り返し

精神的に崩れると同時に肉体もダメージを受け

そのお陰で気がついたことがたくさんあって

私はずっと無意識に『見えない敵』と

闘っていたことを〝みないふり〟してきたけど、

それらと闘おうと思い〝覚悟〟したのが

2年前になります(苦笑)

闘い方を間違っていた自分に気がつき

自分なりに試行錯誤してきました。

自分に正直に生きるということは

時に他者を傷つけることになります。

私の荷物が軽くなっても、大きく考えると

ただ、その荷物は私の手元から無くなっただけで

移動しただけに過ぎないってことも…。

 

今日はこのへんで

今日の空

台風一過後は涼しくなるかと思いきや

なんだかもぁっと蒸し暑くて

湿度が高くないですか?

湿度に弱いワタクシ。トホホ。

 

▼写真は一昨日のサンセット(長部田海床路)

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長いお休みの後

自殺する人が多いということを知ったのは

ここ数年になりますが

いろんな事情で抜け出せないのだろうか?

と想像してみましたが

どうすれば良いのかなんて

本当わからないよなぁと思ったりします。

 

で、自分が思春期の頃のことを

思い出してみたら

まだ漠然とした迷いや悩みで

深く考えることをしていなかったことが

私の身を助けていたのかもしれないと思います。

悩みが深くなりそうだったり

ドツボにはまりそうになったら

考えたくなかったので

寝ることで解消させていました(苦笑)

それに、私、その頃は他人軸だったからこそ

生き延びられていたのかもしれないとも

そんな風にも思うのです。

それに、今の私と違って

人を疑うことはほとんどなかったし

言われたことは大抵

真に受け信じていましたしねwww

そして、あまり深く追求することを

その当時はしていませんでした(笑)

追求しないということが

その当時の私自身を守る戦略だったのだろう

そんなことを思ったりもします。

それに、今わからないことは

大人になればわかるだろうと思って

保留にする癖をつけたことで

その場しのぎの救済処置でもあったと思います。

で、大人になっていろんなことがあって

その場をしのぐための対処療法では

通用しなくなった時に強制終了がきました(笑)

で、その強制終了が起きてから

今年で9年目です。

死にたくてたまらなかった時もあったし

逆に死ぬのが怖いと思った時もあったし

死んだように生きてる時もあったし

生きる意味がないと思って絶望した時もあったし

死にたいくせに死ねない理由を探して

死にたいけど死ねない…なんてことでの葛藤に

さいなまれていた時期もありました。

本当に本当に苦しかった。

私の場合には、思春期の頃の私は

メンタルが弱かったことや

恐がりだったことで

最終的には逃げていたにすぎませんでした。

でも、いつか解決する日はくると思って

それだけは信じて生きていたようにも思うし

決して苦しいことばかりでもなかったですし…。

やっと、いろんなことを経験して

人は簡単に死んでしまうし

簡単に死なない人も実際いるし

私の場合には死にたいという気持ちは

〝生きたい〟という気持ちを知るための

複雑な心理状態になっていたように思うので

やっと、絡まった糸がほどけて…。

というか、ぶった切って

新しい糸を紡ぎはじめたばかりです(笑)

人生はやり直すことはできるけれど

三次元の世界だからこそ、

時間だけはどうしても取り戻す事ができないから

あと5年早かったらなぁーと思ったのですが

多分、5年前に今の自分になれていても

後、〇年早かったらなぁーと

思うのかもしれませんが…(笑)

 

あっまた話がずれたなぁ。。。

8月が終わってしまうと自殺者が増えるということで

noteの企画「#8月31日の夜に」を投稿しているので

お暇な方は読んでいただけたら嬉しいです。

 

『中年のおばさんから10代の君へ』

 

きょうはこのへんで

 

 

 

 

 

今日の空

今回の20号の台風の影響で

風が強いですが晴れています。

八月も後5日で終わってしまいます。

何度もブログでつぶやいてますが

本当に今年は時間が過ぎるのが早い。。。

時間は解決してくれるけれど

もし、解決できるなら

早いことにこしたことがない。

そんなことをしみじみ思う

今日この頃です。

 

▼最近のお面は凄いんですね。

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昨日、宇土の地蔵祭りに息子を連れて

初めて行きました。

屋台のならぶ場所へ歩いて移動したのですが

目の前に浴衣姿のカップルが歩いていて

なんだか、ほんわかとなりました。

カップル二人とも浴衣姿だったのが

なんだか素敵だなぁーと思いました。

自分が若い時は浴衣とか着たことなかったので。

そういった経験なかったので

40過ぎてから自分のために

はじめて浴衣を買って着たものなので。

お祭りもあんまり好きじゃないので

大きなお祭りにはほとんど行ったこともなくて

私、本当に損してたのかもなぁーと

昔の自分を振り返りながら

しんみりした気持ちになりました。

それもこれも、私が怖がりだったことや

自分自身に向き合ってこなかったからですけど…。

だから、若い人たちには

若いうちにしかできないことはあるので

そういうことやりきって欲しいなあと

そう思うのです。

年齢は関係ないっていわれてますが

その年齢や時間は取り戻せないし

巻き戻せないからです。

だから、失敗したり恥をかいたとしても

やってみたいと思ったことには

チャレンジしたほうがいいと思うのです。

その時期だからこそ

湧き上がってくる感情や感覚は違うし、

経験が積みあがった事でも

同じ感覚ではなかったりするので…。

若いからこそ、勢いで飛び込めたり

今なら怖くてできないことも

躊躇せずにチャレンジできることも

あるように思います。

人其々にタイミングは違いますが

自分が喜ぶことで、

無理せずチャレンジできるなら

やってみたが絶対いいです。

私は他人軸で生きていたからこそ

したくてもしないという選択をして

自分を抑制していました。

でも、私、そうやって抑制してたから

本当に欲しいと思った時に

無理やり手にいれようとしたがった自分を

コントロールできずに自爆したんだと

そんなことを思うにいたっています。

 

そうそう、昨日ゲーセンに浴衣姿の人たちが

列をなしていたので何事かと思ったら

浴衣姿だけにプリクラを撮るための

列だったみたいでしたビックリしました。

 

きょうはこのへんで。

 

 

 

 

 

今日の空

台風19号の影響はほとんどなく

今日の朝日もお日様が金色でした。

今度はさすがに、次に控えている

台風20号の影響をうけそうな気もしますが

とにかく被害がなく過ぎ去ってくれることを

祈るほかありません。

 

▼昨日の空の様子。久しぶりの虹???なのか?

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昨日は、ふと何気なく思い立って

出掛けた先で虹のサプライズがありました(笑)

今まで封印したいたことを散々しゃべり倒した後

目的地にたどり着いたら目の前にみえる

山と雲の間がうっすら虹色になっていて

虹色のカーテンのようでした。

そうしたら、だんだん広がっていき

おそらく雨が降っているところが

虹色になっていたのだろうと思います。

初めてみました。あんな帯状の虹なんて。

喋り倒した内容が内容だっただけに

ご褒美なんじゃないかと思ったくらいです。

こんなこと本当にあるんだなぁーと

思うにいたりました。

イヤハヤ、お金では買えない。。。

まさにプライスレスでございました(苦笑)

これが、現金化されたらどんだけの金額になるんでしょうねw

 

きょうはこのへんで

今日の空

二日ほど頭痛にみまわれていましたが

今日はなんか大丈夫です。

朝から「義母と娘のブルース」をみて

毎回泣かされて、笑わかしてもらってます。

泣き笑いしながら〝ほんわか〟な気持ちになった

水曜日の朝です。

なんだか、いつの間にか12時になってるーーー

▼昨日の空

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就活しようと決めたら即動いておりますが

なんさん、条件が狭すぎてありません。

なので、ひとり親の就労支援相談などを

利用してみましたが、想定通りでございました。

ただ、また新しい制度を知ることになり

この世がRPGの世界だったことを

思いだすこととなりました。

私はゲームはあまりしないのですが

※パチンコパチスロは広告の制作をしていただけではなく、遊んでいたこともありますけどね。(汗)

ゲームの中でもRPGにあまり魅力を感じなくて

ドラクエとかFFとかしたことありません。

唯一、聖剣伝説だったかな?ってゲームを

最後までやったことがありますが

攻略本がないと絶対終われなかったと思います。

で、ですね、RPGの世界って

得意じゃない人からすれば

無駄な動きばっかりしなきゃいけないじゃないですかー。

で、しかも、一回質問したことのある町の人とかに

再度、もう一回質問したら

なんかアイテムとかヒントとかもらえたり

一回聞いた時はうんともすんともいわなかった町の人が

何かをクリアした後で、メッチャ話始めて

その内容がものすごいヒントだったり

金貨だとか剣だとかすんごいアイテムもらえたり…。

そういう感じだから、なんかよくわからんけど

とにかく知らなきゃ無駄って思えるような動きを

しなきゃいけないことが多いですよね???

(あれれ、私だけかしら??)

で、この世はRPGの世界と同じだよって話を

自己啓発系とかスピ系な人たちが

説明してくださったりした話を

何度か耳にしたことがあったけれども

イマイチ〝ピン〟ときたことはなかったのです。

で、昨日、ひとり親家庭への就労相談を受けて

想定通り、希望する仕事はなく不発に終わりましたが

「生活困窮者自立支援」という制度を知りました。

目から鱗の制度でした。

生活保護の話を聞きにいったことがある時に

もしかしたらその制度も

教えていただいたのかもしれません。

ただその時、就労する気がサラサラなかったので

対象外(就労することが前提)だと思われて

あまり詳しい説明をされなかっただけかもしれません。

てか、あの時はいろいろ疲れ果ててたし

話しは聞いていても頭に残っていなかったのかも。

とりあえず、なんかまた新しい制度の情報と

在宅の仕事に関して情報取得のために

熊本市の相談センターを教えていただきました。

本日、そちらへ電話してみると

ホームページをみて希望のところがあれば

紹介しますということで

すぐ、ホームページで検索し

めぼしい所があったので再度電話で

紹介をしてもらおうとしたら

その事業所は季節限定かも…的な話。

なので、直接電話してみたくださいとのことで

直接電話をしてみると、個人情報の絡みで

現在は外注はやってない。とのこと。。。

(=_=)(=_=)(=_=)

まぁ、行政のお仕事あっせんなんて

私の身の上のような特殊な人には通用しないという

そんなことを身を持って体験しました。

私はこれまでに、いろんな制度を使ったり

制度を使うにあたって申請するために

書類を集めたり、行政へ質問したり…。

いろんなことをしてきました。

いのちの電話」を利用したこともあります。

でも、正直いって、行政のやってることで

私の現状を一発で打開してくれたことは

実は一つもありません。

制度を知るにも、利用するにも

心身共に元気だからできることだったりします。

昨日も、相談員の人へいわれたことが

「求められなければ介入できない」といわれました。

で、実際こうして求めても

現状を打破できるような情報は

行政は持っていないし中途半端です。

というか、中途半端にもいたっていません。

心身が弱っていたり、困窮しているからこそ

自ら頼ることができなければ

いくつもの機関に出向いたり、相談したり

そんなことをしなければ、現状を打破できないなら

誰も相談しなくなるのは当たり前だし

機能しないのは当たり前だよなぁーと思います。

使ったことがない人たちには

わからない話ですけれどもね…。

制度はあっても使えないなら、

生産性のないことと同じだと思うのですけど

違うのでしょうか…?

 

追記RPGの世界みたいに

この世にも様々な攻略本があるし

誰かに聞いたりすることで

何かしらヒントはもらえたり

お金やアイテムをもらえたりしますけど

何が違うかというと

ゲームの世界は限られているけど

この世の世界は本当に無限で

攻略本には書かれてない法則や奇跡が

起きてしまうからこそ

人はまた生まれ変わりたいと

そんなことを思うのかもなんて

そんなことがでてきましたが

私はやっぱり生まれ変わりたくないです。

 

きょうはこのへんで。。。

今日の空

おはようございます。

今日の朝の空は金色の太陽です。

台風が来る前だからか

空が澄んでいて綺麗なので

黄昏時の空の色が楽しみです。

 

▼帰省中に撮った朝日

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さて、他愛もない夏休みの思ひ出を

覚書程度に残しておきたくて

シリーズ化して連続投稿していますので

お暇な方はどーぞ。

 

夏休みの思ひ出2018①

夏休みの思ひ出2018②

夏休みの思ひ出2018③

夏休みの思ひ出2018④

夏休みの思ひ出2018⑤

夏休みの思ひ出2018⑥

 

まだ夏休みはあと10日程ありますが

2学期に向けて、日々の疲れも解消しつつ

この夏の暑さの疲れもとれるように

ゆるっと養生したいなぁと思います。

私も息子も冬場は冬眠体質になりますし

今年の梅雨から夏にかけてのこの気候。

秋から冬に移り変わる時の揺り戻しは

あるだろうと思いますし

案外身体が乾いている気もするので

そろそろスープとか鍋食べ始めようかなぁ~と

そんなことも思っています。

 

今、毎日漢方薬を飲むようにしており

とても効果を感じています。

息子も自ら飲みたい時は要求をするので

要求があった時は飲んでいるという感じです。

そんな息子は重度判定の自閉っ子です。

息子と過ごす毎日は私の想像通りで

私の愛着のヌケを埋めてくれたり

息子の発達を促すことにもなっているし

 

日々一緒にいるとふとした時に

息子一人でできていることがあったり

簡単な声掛けをすれば

自分で気をつけて行動できるようにもなっています。

私の感覚からすると、

爬虫類の時期と哺乳類の時期をいったりきたりして

哺乳類の時期のようにも感じています。

ゴリラが胸をどんどん叩く仕草をすることもあるので

それって名残なのかしら?なんて

そんなことを思っています。

赤ちゃん時代のやり直しとしては

口腔内感覚のヌケを埋めているようで

赤ちゃん時代にはなんでも口にいれる子ではなく

今になってなんでも口にいれてみたいようなので

注意をして、口にいれたらどうなるかを説明したり

固いものを噛んだりしたいみたいなので

かわりに〝こんぶ〟や〝いりこ〟を与えてみたら

〝いりこ〟は好きなようなので

おやつがわりに食べさせるようにしています。

咀嚼するのも下手なので

咀嚼の練習にもなるかもしれないと思いますし。

そうそう、最近はドライブ中

道路の看板を指さして

読み方を確認するようになりました。

本当に良く観察しているようで

息子は看板をみつけて指さしをするのですが

私は運転中なので見過ごしてしまうことも多く

なんだったのか答られないこともあって

私がそれらに答られた時は

息子の顔がにこっと笑顔になって

復唱するといったことになっています。

灰谷さんがいってたことはホントだなぁーと

そんなことを思う日々をすごしています。

自分のことも息子のことも

私にとっては全部繋がっているし

息子を産んだ日から母親にはなったけど

子どもがおぎゃーと生まれた時点で

母親になったわけではなく

親というものも、成長の過程があって

親になっていくものであって

親の役目に終わりはあっても

子どもにとって親は死んでも親のままなのだから

〝過程〟なのだとそんなことを思いました。

なので、立派なお母さんになれなくても

息子にとって私はちゃんとお母さんと

認めてもらえてるのだから

何も焦ることはないってことも…。

 

きょうはこのへんで。