ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

今日の空

今日は晴れたら高森町にドライブに行くことを

息子と約束していたので

朝から出掛けていました。

早いもので東日本大震災から7年目

天災が全く起きないということはないわけですから

たとえ起きても最小限でおさまり

また同じことが繰り返されないことを

祈るばかりです。

 

去年の3月12日の記事『揺さぶられたことでの変化』

を読んでいただけましたらと思いますが

7年前の大震災が起こったことで

私の価値観は加速度を増して

変わっていくことになりました。

今の自分を生きていることも

私の傍にいる人も、黒歴史さえも

書き換えられることになるなんて

あの頃は想像もしていませんでした。

大きな時代の変化の流れに流され

飲み込まれることのないように

毎日を精一杯暮していくことが

自分にできる唯一のことだと思って

今日ここまできました。

あの頃に思い描いていた未来とは

全く別次元の道を歩いています。

私からするとそんな感覚です。

そして自分自身も被災を経験し

揺さぶられたことで

どんな状況になろうとも

揺るがない自分でたっていられる

そんな人にはなれているように思います。

自信はないけれど…(苦笑)

閉じたFacebookの過去記事に

熊本地震後にアップしていた記事があります。

熊本地震は4月ですが

なんとなく今日この記事に

添えて掲載しようと思います。

最後まで読んでいただけましたらと思います。

 

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2016年4月30日 10:23 UTC+09
読みたくない人はスルーでお願いしますm(__)m

昨日小国へ息子を迎えに行った。震源地の益城町は酷い場所は本当に凄まじくて 、写真やテレビで目にするのとはまた違って リアルで目にすると胸に何かが突き抜けるようでした。ミルクロードを走り、いつも写真を撮っていた場所や、人気のスポットはどこも立ち入り禁止だったので、いつもとは違う場所から阿蘇五岳を眺めた時に気がついた。震災後SNSではいろんな情報がシェアされ、良い情報も悪い情報も流れている。私はどっちも大切な情報だと思いながらも、ジャッジしている自分に気がついた。火事場泥棒や性犯罪、詐欺など…。震災になると多くなるという事で、『皆さん気をつけましょう』といった記事があり、自分も改めて気をつけようと思いながら、何故か違和感がずっとあった。それは何かというと、震災だから増えるという事もあるかもしれないが、本来ずっと私たちの周囲では起こっていた事だと思うのだ。それが被災した事で浮き彫りになったように感じる。震災ではなくても起きてきた事を、見て見ぬふりをしたり、死んだふりをしてみなかった事にしてなかっただろうか? 目の前にいる人が悪い事をしていたり、そういう怪しい行動をしている人をみても、みないふりをしたりしてこなかっただろうか? ひとりぼっちで行動してる子どもを見て、見ぬふりしてこなかっただろうか? 自分の家族とちゃんと向き合ってこれていただろうか? 見ないふり見えないふり 自分が我慢すれば…としらないふりしてこなかっただろうか? 自分の身の守り方にさえ口を出し見張って、自ら考え行動する事にイチイチケチをつけ、相手の人の成長を奪うようなサポートをしてこなかっただろうか?

「愛」の対義語は「無関心」

反応があるという事はいい意味でも悪い意味でも関心があるという事。この震災で気がつく事があまりにもあたりまえにあった物事を再確認させられた事が多く、本来の人と人の繋がりをもう一度考えなおそうと思う今日この頃。今までとは違う場所から眺める阿蘇五岳はいつもと同じ場所にあるけれど、人気のスポットから見る景色とは違うけれど、阿蘇はそのままそこにあって同じだ。見えている視点が違えば、美しいままであったり、ちょっと違う見え方になる。私たちのあり方や考え方もまた視点を変えれば、立場を変えれば、いろんな想いを感じられるのだと、阿蘇の景色が教えてくれた。

ありがとうございますm(__)m

 

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最後まで読んでくださりありがとうございます。