ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

“あまちゃん”と“私”

暦の上ではJANUARYな今日、あと数日で、2月になりますね。なんだか時間の流れ方が早すぎる気がしているのは私だけでしょうか? 

久しぶりに『あまちゃん』のことを思い出したので、今日はそのことを記事にしたいと思います。

 

NHKの朝の連続テレビ小説を週6日、欠かさず見続けられる人たちのことを実はすごいと思っている。なぜなら、私にはそれが難しいからだ。いろんな作品を時々みれば、面白いとは思うのだが、『録画してでも欠かさずみたい!』と思った作品は、実はあまりなかった。私自身の興味関心がマックスにならないと週1放送されるドラマでも、見続けることは難しいくらいだったりもするからだ。

そんな朝ドラの中でも、録画しながらでも一度も欠かさず観た朝ドラがある。それは2013年に放送された『あまちゃん』だ。面白すぎた時は、録画しておいたのを2~3回見ていた。北三陸の出身でもないのに『じぇじぇじぇ!』という台詞を日常で使ったりもした。多分あの当時観ていた人たちはみんな言ってっただろう。TwiiterのTLでよくみかけていたし…。『ズンダズンダ』とかも(笑)それと、海女のおばさまたちの井戸端会議には毎日笑わせてもらった。駅の隣にある喫茶店が夕方5時になると、スナック変わるこんな場所が現在住んでいる場所にもあったらなぁーと憧れた。それに、しれっと仕込まれた笑いの伏線をみつける事が毎回楽しみでしかたなかったし、間違い探しをするかのように細かい演出をみつけることが楽しかった。だから最終回を迎えた時には、朝ドラになかなかはまらないこんな私でも『あまロス』になったくらいだった。

あれからもう5年になる。それでも随分昔のように感じてしまうのは、この5年の間に私の人生が激変してしまったからだろうと思う。私の『これまで』ことは、このブログを読んでいただけたらわかると思うので割愛させてもらうが、このドラマが放送されていた当時の私は、まだ福祉就労をしていた時だった。震災後でもあったし、社会復帰したいけれども将来への不安を少なからずも抱えていた時期だった。自分を取り戻そうとし始めたばかりの頃だったからか、ドラマの中で、母と娘の関係や自分の夢、ド田舎への嫌悪感と大都会への憧れとか…。いろんな話がかなり響いた。ドラマの中で印象深いところはいくつもあるのだが、さすがに忘れてしまっている。それでも、私の何かをくすぐったのは、春子が言った台詞がとどまることとなった。

春子は地元が嫌で嫌でたまらず、夢をおいかけて大都会の東京へ家出をしてまで上京した。それでも夢にやぶれてしまう。台詞はうる覚えなので申し訳ないのだが、春子は過去を振り返りながら『都会に行けば自分は変われると思っていた。でも都会で暮らしてみてわかったのは、結局自分が変わらなければ田舎だろうが都会だろうがどっちも同じなんだ。』といったような台詞だったように思う。(ちがったらすみません。…汗)私にも身に覚えのあることだったから、春子の気持ちにひどく共感したことは覚えている。

私は人並みよりも多く転職した。なぜ一つの会社に長く勤められないのかも自分でさえよくわからなかった。それは、私が発達障害だからだけではなく、主体性がなかったことが一番の原因だったと今なら思える。春子が行ったように、場所を変えれば自分は変われるのではないか?と何度も思ったことはある。私を理解してくれる人がいないから、私は生きづらいのだとも勘違いしていたこともあった。それでも、仕事には恵まれきたのに、私の不甲斐なさもあって、結果強制終了となってしまった。

それでも、それは自分の身に起きていることをちゃんと治すための足掛かりにはなったと今なら思える。この5年の年月で、幼い頃から強制終了になるまでに抱えていた数々の問題といわれることのほとんどことが紐解け『なりたい自分』をみつけることもできた。嫌、『なりたい自分』というより、自分を取り戻せば良いだけだった。もし、思春期時代に今の私へ辿り着いていたら、誰に遠慮することもなく、誰かの支配下で媚びることなく、どんな場所でも生きていられたかもしれない。そういう自分なら間違うことはなく多少の波はあっても凪の人生でいられたのかもしれない。それでも、これまでの経験が今の私の糧となり、そのおかげで、お金にはかえられないものを得られたようにも思う。だったらジェットコースターな人生も全然悪くなかったと思える。不思議だけれど。

『人はなかなか変われない』という人もいるが、私は自分が望めば変われると思う。ただ変わるためには努力も必要だったりする。嫌な経験もしなくてはいけない場合もある。今の場所で地団太踏んだままの生き方でもいいと思う。ただ、私は地団太踏むくらいなら、未知の世界をみてみたいギャンブラー体質だったから、次のステージを目指したのだ。そんな性分だからしかたがない。そして、その扉の向こうがどんな世界だろうと、進んでみなければわからないことは、何故だか知っていた。それに、たった一度の人生なのだからこそ、チャレンジしたいと思った好奇心を大切にしただけだ。とりあえず、死ぬかと思ったこともあったけれど…。生かされたことに感謝して、これからは波が来ても楽しめるようになれたらいいなと思っている

 

今日はこのへんで。