ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

幽霊より怖いのは人類~2015年11月14日facebookより~

閉じたfacebookの記事になります。

『幽霊より怖いのは人類』って言葉に自分で書いてて吹きました(笑)なんか、面白いので本日はこの記事を落としときます。

 __________________

 

2015年11月14日 20:35 UTC+09


私は閉鎖病棟入院歴があり、保護室が大好きっ子でした。でも、一度入院しただけで、再入院した事はありませんがでも病んでた事には変わりありません。今なおお薬に頼っています。大分減ったし、多分精神科に通院してる人の中では少ない方。私はお薬を飲みながら、社会の中で息子と2人暮らし、自分の闇(病み)を抱えて暮らしながら、暮らした一年は私にとって黒歴史です(^^;; 自分の本当の闇に向き合わず、その闇をただただ肯定してもらうためだったのかもしれません。“自分は悪くない” 、“みんなが私を虐める”って思ってたのは確か。そして、その闇のもっと底には、人間という生き物も動物なのだという事。自分の黒歴史が酷くなった当時は、スピリチュアルにめり込んでいた時でした。熊本で出会った人から、福岡の方へ足を延ばしたのです。でもそれはそれで、自分の中で素敵な思い出もありました。たくさん救っていただいたし、たくさん暖かいことばをいただきました。ただ、私は病んでた事もあったからか、自分がプライベートで抱えていた事で、スピリチュアル関係で繋がった人と、会社にもスピがすきな人がおりなんだか、知り合いの知り合いっていう経験をしてしまった事で、自分が動く事での起きる弊害を、その知り合いのスピリチュアルの人たちに助けてもらいながらも、なんだか疎外されてる感とか、見張られてる感満載で過ごし、ある会社でその会社の人が、私の知っているスピ系の人と繋がっており、しかも昔会社で働いていた人の先輩だった事も自分の病んだ脳みそが、ものすごい考えつかない、壮大なドラマをつくりあげたあげく私が壊れてしまいました(^^;; その当時は、本当にその当時に関わっていた人を恨みながらも自分が悪いって自分を責めたものです(^^;; “なんで私を苦しめるの?” “私が何をしたの?”って、ずっとずーっと思っていました。でも、そんだけ自己啓発の世界も スピリチュアルの世界も狭いんだなぁと私は感じていた事もあったからだと思います。でも身体が元気になると、“こんな凡人をわざわざなんか意地悪するって相当暇人だわ。”って思うようになりました。 でも、その事があってから人を信じれない私は、ますます信じる事ができなくなり、より1人を好むようになりました(^^;; その前からお一人様を練習していたので助かりましたが…(^^;; そんな訳でもう一匹オオカミでいようと思ったのです(^^;; 

自分たちの居心地のいい世界に、少しでも問いかける人は、みんなで無意識に潰す。それが「イジメ」とか疎外するって事だと私は感じています。それはその人たちにとって 自己防衛なのかもしれません。自分の鎧を脱がされないための…。みんな違ってみんないいと言いながら、自分たちと違う事をしてる人を疎外する。もしそれが人としての本能でやってる事ならやっぱり私は 「幽霊より怖いのは人類」 だなぁと思うのです。人としてこの地球で共存していく上での最低限のルールやモラルやマナーっていうのは、必要だと私は思うのです。だからってみんなを好きになれって事でも、受け入れなさいって事でもないのです。自分の中にある“物申す”を、他者と分かちあって増幅して、1人の人に向けんなよって話。怠慢はりなよって話。みんな死んだふりすんです。ぶつからない。何故なら、それが美しい事だと、教育されてきたから。『ありのまま』っていう前提がみんなばらばらだから。苦しんでいて繊細で少しの事に気がつけるたり、矛盾を感じる人には、生きにくい社会だなぁと私は思うのです。そして、私が出会った尊敬する人たちがくれた言葉は 『人は強くもないけど弱くもない』 『友達100人いなくても大丈夫』 『天を信じる』 『みんな自分勝手』 『死んだふりは消化試合』 など…。

どんな人にも黒歴史はあって、社会的には見た目には体裁を装っていても、言葉文字で綺麗な事言ってっても、バレてますから(ー ー;)ね わかる人には…。