ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

揺さぶられたことでの変化

東日本大震災が起きた翌日、九州新幹線が開通しました。開通記念のCMは幻のCMといわれ、そのCMの制作をしたのは、あの電通でした。

新幹線が開通したことで、鹿児島や福岡がぐっと近くに感じられるようになり、現地で過ごす時間が長くなったという嬉しさの反面、特急電車で車窓から見える風景を楽しむ時間が少なくなったのは、少し寂しく思います。
東日本大震災が起きる前から、価値観が変わってはいたのですが、加速度を増すきっかけになったのは云うまでもありません。

当時の私は、治療をしながら福祉就労をしていた時でした。ボランティアや募金もできない、何にも役に立てない無力な自分を思い知り悲しくなったことが思い出されます。

たくさんの人たちがボランティアにいったり、寄付なさる姿をネットやテレビだけでなく、リアルな生活の中でも見聞きする度、何にもできない自分が責められているように感じたり、何もできない自分に苛立ちや歯がゆさ、憤りを感じていました。健康であることがどれだけ大切なことかを思い知り、自分を責めたりもしました。そんな時、ある方のブログで、

 

現地に行かずとも、募金ができなくても
障害の有無やお金の有る無し関係なく
できることがある。
それは、自分が今いる場所で働くこと。
働いたお金で税金を納めたり、
お金を使って回すこと。
それも立派な社会貢献になる

 

というようなことが書かれていました。
無力な自分でもできることがある事を教えていただいて未来に希望を与えていただいたように思います。だから、あの時、早く元気になりたいと思ったし、社会復帰して、働いてどんどんお金を使おう。それなら私にもできることだし、すでにできている。あとは継続していくだけ。少しでも多くお金を使って回せるようになろうと思ってきました。だから、頑張って病気療養に励みながら働いたし、それが立派な社会貢献になるなら、社会的弱者といわれる私や子どもができることでその時にできるだけ精一杯やればいい。あたりまえだけど、すっかり抜け落ちてしまうことだから、そのことは今でも心にとどめていることの一つです。

あれから、日本全国で災害があり、地球レベルで様々な天災が起きています。支援していた人たちが被災し、当事者になった人もいると思います。体験をしてはじめてわかることは、支援する側から支援されるという反対側の立場にたった時、その場しのぎの支援ほど、当事者を傲慢にしたり、自力で生きる力を奪うものはないなと感じました。だから、支えられる側になった時、本当にその支援が必要がどうかを選べる力や断れる自分でいることも大切なことだと思ったし、支援が必要な時は我慢せず助けを求めることも大切なことだと身に沁みました。

『自力を支えるのが他力』

それが人を支援するということなのではないかと思う今日この頃です

(偉そうですみませんm(._.)m)

 

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