ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

発達援助と自助努力のマリアージュ⑥

高校生の頃から長期の休みの時はバイトをしていましたし、卒業してから人生の強制終了が起こるまでに何度も転職をしたことで、一般的な人よりも携わったことある仕事は多いと思いますし、仕事のためだったり、個人的に興味があって習い事をしたこともありましたので、それぞれのスキルは高くはありませんが、経験値は高いと思います。

まず、習い事になりますが、ピアノ、秋元康氏の作詞塾(これは途中で断念)、グラフィックデザインの塾、陶芸、デザイン書道、TCカラーセラピーボイストレーニング…etc、趣味程度にテディベアを造ったり、小物を造ったりしたこともあります。幼い頃から絵を描くことが好きでしたので、幼い頃から地域の文化祭で、かきかた・書・絵で賞をいただくことが多く、高校生の頃は、全国の高校生を主体とした作詞作曲コンクルールで奨励賞をいただいたこともありますし、絵を描くことは好きでしたが、抽象画を描くことが苦手だったし、デザインも独学みたいなものに等しかったことから、グラフィックデザインの塾に数年通いました。そのお陰もあり、大人になってからは地元と倉敷のコンクールで上位に入賞したこともあります。ただ、子どもが生まれてから落書きでも絵を描けなくなってしまって、やっと最近また少しずつ描けるようにはなっています。絵を描くことも私の言語活動のようなものだと思っているので、趣味程度にまた描きたいなぁと思っているところです。

家事や手伝い以外で経験したことある仕事は、おおまかにいうと、製造業、運送業、看板屋、水道設備の事務、Macオペレーター、販売業、一般事務…になりますが、事務所を転々としたものの、Macオペレーターだった時期が一番長いです。今ではブラインドタッチは普通にできますが、デザインのことも習ったこともありませんでしたし、PCの操作も中学や高校で少しだけ学校のパソコンを触ったことがあるくらいでした。Illustorator3.0から5.0へ移行する時期ぐらいからアドビ製品とは付き合いがあります(笑)ので、仕事上、数種類のアプリケーションを操作してきましたが、illustoratorとPhotoshopの操作が一番慣れていると思います。まだApple製品が全盛期になりはじめるくらいからMac使いでした。今のPCは、電源を入れるとすぐ立ち上がりすぐ仕事ができますが、あの当時は電源を入れてもなかなか立ち上がらないので、立ち上がるまでに掃除をしたり、コーヒーを淹れたり、新聞を読んだり…そんな微妙な時間が出勤してから仕事をする気持ちの切替にもなっていたようにも思います。今現在なら、仕事をする前にお客様からのメールチェックとかで、やる気スイッチをオンにする切替えにするかもしれません。

習い事やこまぎれながらもそれまでの経験から得た知識は、閉鎖病棟へ入院した時の活動やデイサービス、福祉就労の場でとても役に立ちました。そしてそれらは、私にとっての余暇にもなりました。福祉就労した時の話は、また別枠を設けて詳細の記事にしようと思っていますので、ご了承ください。

一度社会からドロップアウトし、久しぶりに社会復帰した先の早朝パートは、それまでに経験したことのある仕事の集大成となり、もう一度、社会の中で働ける自信をいただける機会に恵まれました。その機会を与えてくださった職場には、発達障害のことは話していませんでしたが、鬱病のことだけは上司にだけは話していました。おそらく職場のみなさんが知ってはいたと思いますが、皆さんそんな話は一切口にださずに、私に普通に接してくださっていましたし、私も初めの頃は職場の皆さんと距離をとり、仕事に穴を空けないことに集中することに徹していました。

1人で仕事をすることが長かったり、過集中すると周囲のことに気がつけず、気がきかないことも多かったしデスクワークでしたので、腰痛持ちだったこともあり、ぎっくり腰にならないように身体の使い方も気をつけるようにしていました。入力事務が主な仕事でしたので、一通りの作業を早く覚えて、少しでも早く現場に貢献できるようになるために、メモをとり、とにかくわからない時は聞きまくりました(笑)それと、時間が勝負の職場だったので一つ一つの作業の意味を知ることよりも、やっつけ仕事だと思い、効率よく早く入力作業をすませることを優先していました。私が入社して1年くらいは、人事異動だけでなく、会社全体の転換期でもあったからか、一度覚えた仕事が数か月で変わることが続きました。そういった状況でしたし、私は早朝パートでしたので、入力事務以外のことで役割ができました。その役割を担ったことが以外にもそれまでの経験と私が元々持っていたであろう資質を開花させてくれることになりました。

会社宛てに流れてきた受注表を担当事に分ける役割を担っていました。一見ありきたりな作業のように感じますが、実際には土台になる仕事でしたので、ここでしくじると後々担当の方だけでなく、お客様や会社全体に迷惑をかけることになってしまうことになりうるような仕事でした。毎日朝から気を引き締めてかからないと、ただでさえドジで気がきかない私だから、とにかく迷惑をおかけしても最小限に食い止められうように努めていました。相当な嫌味をいわれたこともありますし、脅しのようなことをいわれたこともあります。でも、そういわれても仕方がないと思い、割り切るようにしていました。まだ慣れない時期は、人一倍努力しないと人並みにおいつけないので、少しでも早く会社に着くようと思っていましたが、そういったことも自分のことしか考えていないということも気がつくこととなりました。“与えられた時間内でいかに効率よく仕事を行い仕事を切り上げるのか”ということが仕事が好物な私にとって、長い間の課題となりました。沢山失敗もしたし、会社から帰る車の中で悔しくて泣きながら帰ったこともあります(苦笑)それでも、休むこともできないくらい忙しい職場だったことが、失敗しても気持ちを切り替えられたと思うし、救われていました。あっまたずれた。

その担当事に受注表をわける作業を担うことになる前から、その作業の効率の悪さを感じていたので、私が担当になった時に作業の効率をあげるためにこれまでのやり方を変えてもいいかどうかをリーダーに聞き了解を得て変えました。皆さんはそのやり方でも間違わないのかもしれないけれど、私はそれまでのやり方だと、確実に間違ってしまうし、覚えられないと思ったからです。時間との闘いのような仕事だったので、最初の5分でも10分でも時間が短縮されると、後々全体の仕事の効率へ影響することとなってしまうことになることにも気がつくことにもなりましたし、少しでもその作業が誰にでもわかりやすく早くできる方法を考えることも私の一つの楽しみでもありました。
入社当初は、職場の人たちに話しかけないでオーラを醸し出し距離をとって働いていました(苦笑)なので、職場の飲み会などへも参加しないように自粛していましたが、私が話しかけないオーラを醸し出していることが皆さんへ伝わってしまうのだということもにも気がついたこともあったことと、私の役割を全うするためには、仕事をするだけではだめなんだということも気がつかされることにもなったので、会社の飲み会へ誘われた時は行くようにしました。とにかく仕事人間だったので、現場のスタッフの人たちと仕事のことで話が円滑にできるようにするために飲み会も利用をしていました(苦笑)私にとっては、どんなことも仕事が円滑に最小限のトラブルでおさえられることしか考えていなかったので、今思うと本当に自分勝手だなーと思ったりもします(苦笑)

で、その受注表を分ける作業が、なぜ私の資質を開花させることになったのかといいますと、会社既存のオーダーシート以外に手書きの受注表が届くことがあり、その手書きの受注表に時々お客様の店舗名が書いてない場合があり、そのお客様がどの店舗なのかを調べることがやりがいにもなりました。私は記憶力に自信はなかったのですが人並み以上にはよかったようで、店舗名がなくても文字の形や受注内容でわかるまでになりました。後、高校を卒業後に入社した会社が運送業でしたので、短期間でしたが熊本市内の配送の仕事をしていたことがあり、私の担当のルートが繁華街も通るルートでした。繁華街は細い道路が碁盤の目のようになっていて、しかも一方通行や行き止まりになる道路が多かったので、それらを一つずつ覚えるのは私にはできないと思って、ゼンリン地図を広げた状態で大まかに丸覚えし、実際に配達しながら感覚として身体におとしていました。それと、地元ローカル紙の編集記事を担当させていただくこともあったので、イラストマップなど地図制作を行う事も多く、店舗紹介の編集記事に携わったことも多かったことが記憶に残っていたようで、受注先の店舗を覚えることは、私にとってそんなに苦痛でもなくムシロ楽しくてしかたなかったからでもあったと思います。それでも、受注先が地図と実際の場所と照らし合わせた時に覚えていた感覚と差異があることが多かったので、熊本県内の道路を通る時などは、知っている店舗の看板があると嬉しくて、店舗名と実際の場所を脳内マッチングするのも楽しみでした(笑)商品コードはさすがに忘れてしまいましたが、お客様は忘れられていないみたいです(苦笑)出かけた先で聞いたことがある店舗名だと、「あっここだったのか!」と今だに嬉しくなるくらいですので…(^_^;) 私の記憶力は使える時もあるけれども、ある意味個人情報を知りうることになり、その時の体験によってはそれらを忘れることができない場合もあることで私自身苦しくなってしまうこともあります。覚えようとしなくてもインプットされてしまうこともあるので、法律違反になるからとかそういったことだけではなく、守秘義務というものは一個人だろうが企業だろうが、アウティングになるのだということを気をつけないといけないということは私にとって課題でもありました(苦笑)

 

 

⑦につづく