ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

今日の空

猛暑続きな日々も

少し落ち着くのでしょうか?

台風8号はこちらへは上陸することなく

通り過ぎようとしています。

それでも日中外を歩くと

汗だくになりますけど…

 

▼ヘアドネーションで寄付した髪が届いた模様。早速手帳に貼りました!

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〝NOTE〟や先日の〝今日の空〟で「死生観」をテーマにした記事を掲載したのですが、そういえば、「死」を意識するようになったきっかけってなんだったかなぁと考えてみたら、中学生時代に理科の先生がビッグバンの話を授業中に話してくださった時、その日の夜は怖くて怖くてなかなか眠れなかったことを思い出しました。

 それがきっかけになったことから中学生時代に「死」に対する恐怖心を打ち消そうとしたり、怖がりな自分がかっこ悪くてというか、そういうことを誰に聞けばいいのかもわからず、保留案件にしていました。

 その当時の私は、自分の頭で理解し解決できないことは一旦〝捨て置く〟ことが、私なりの戦略でもあったからです。

 ただ近しい「身内の死」は全くなかったワケではないのですが、高校生の時、部活の顧問の先生が自死で亡くなったり、中学時代の同級生がバイクの事故で亡くなったり…。で、その当時の私は、ファッション誌よりも占いのほうに興味があったので、その当時買っていた雑誌は占いの雑誌だったんですね。

 で、その雑誌の付録がタロットカードだったので、興味本位でタロットをやってたら死神のカードがでちゃって、そのすぐ後くらいに同級生の子がバイクで事故死をしてしまったのがトラウマのようになってしまって、タロットカードはしなくなりました。ルーン占いとかもやってたんですけど、あれ、捨てちゃったかなぁ。

 まぁ、とにかく私はものすごく怖がりだったんです。今の私はお化けは全く怖くなくなりましたが、30代までは、お化け関連の映画なんてみれなかったし、興味本位でみていた「世にも奇妙な物語」でさえ、背中がなくなるくらい怖くて毛布にくるまりながら背中を壁につけたりしないと観れなかったくらい怖がりでしたし、遊園地のお化け屋敷なんて、怖くてガタガタブルブルしていたくらいです。

 ただ、30代後半に閉鎖病棟へ入院することになったのは、プライベートでもパブリックな場面でも人の中で上手く立ち回ることができなかったことから

『お化けより人間のほうがよっぽど怖い』

って思うようになり、現在は全くといっていいほど幽霊案件は怖くなくなりました。お陰様で、お化けが視える界隈で噂の「ちっさいおじさん」ってやつを視ることができました。2度ほどですが。本当に隙間にはいってらっしゃるものなのですね(笑)

 あっまたズレたので話を戻しますデスです。

 高校時代に美術部の顧問の先生の自死と同級生が事故死したことの後にも、親族以外の割と近しい人の突然な死をみなきゃいけないことがあって、当時仲のよかった友だちのパートナーが事故死するというようなことも傍でみてきたわけです。

 大きな喪失感を抱えながら生きていた人たちを支えるなんてことは、自分にはその当時できませんでした。

 そんな矢先、自分の身内の祖母が癌で亡くなりました。幸いといっていいのかはわかりませんが、癌が発覚した時には末期だったので余命が半年もなくて、母が祖父母宅で看取りました。祖母が亡くなったのは阪神・淡路大震災が起きた二日後でした。

 亡くなる2週間前は私も祖父母宅で寝泊まりしていたので、祖母の状態を少しだけ覚えていて、魂が肉体から離れているのだろうなぁということを身をもって体験しました。まだ、その当時は怖がりだったので、その場に直面した時は((((;゚Д゚))))ガクガクブルブルものだったのですケド…。

 その後も、また友だちのパートナーが亡くなったり、昔付き合っていた元カレが新聞に載るくらいの大きな事故を起こしたけど命はとりとめた…とか。高校の同級生も社会人になり、まだ二十歳を迎えてもいない頃に、事故死したり半身不随になり車いす生活になった人たちもいましたし、地元の後輩の子で、自損事故を起こし、下半身不随になった子のお見舞いにいったら、案外元気だったけれど、「リハビリはしたくない」という始末。

 そういったことがあるたびに、私の中で「生と死」の問題は、脈を打つように年々じわじわと大きくなっていったのでした。

 そんなこんなで私も結婚をし息子が産まれたころにはその問題は薄れというか、考えないようにしていたような気もします。お金に困っていたわけでもないし、仕事ができてなかったわけでもなく、パートナーもいて、今の私と真逆な状態だったのに、不足感(満たされない気持ち)がどこかあったんですが、あの当時の私より、持ってないもののほうが多いのに、それなりに満たされている自分もこれまた滑稽だなぁと思う今日この頃です。

 ああ、またずれた。で、再度「生と死」についてしっかり向き合わなきゃって思ったのが、閉鎖病棟へ入院し元気になっていくにつれ、自己啓発やスピリチュアルなことを改めて調べたりするなか、西洋星占術の著書を読むようになって、自分探しに活用させようと、そちら方面でも調べていた時に、その当時友だちだった子の太陽星座が「さそり座」だったんですね。で、その友だちとあまりにも気が合うし、仲がよかったので、その子との関係性などを調べる中で、「さそり座」という星座のキーワードが「生と死」ということに気がついて、それからは自分のテーマにもなった経緯があります。

 で、自分の運命があまりにも奇妙だし、不思議すぎるので意味付けとかしたくって、リアルな友だちやこれまでに縁のあったキーパーソン的な人たちの星座を調べてみたんですね。

 中学時代の同級生で私にトラウマの種を植え付けた人や苦手なというか嫌いな人が「さそり座」で、中学時代から大人になっても仲が良かった子や大人になって友だちになった人も「さそり座」だったんですね(笑) 

 キーワードが「生と死」。で、私の場合には、「仲が良い友だちか合わない人」か。ようは、白か黒かの真逆な関係性だったことに気がついたわけですね。それに気がついた時は本当に可笑しくて、お腹を抱えて笑ったくらいです。ええ。

 そして、今年になって、ベランダから夜空を眺めた時、目の前に見えていたオリオン座がさそり座に変わっていて、ハッとしました。それと同時に私の中で何かが剥がれ落ちていくように、大きなことに気がついちゃって久しぶりに胸がざわついてちょっと大変です(笑) 

※なんだか覚書程度なので、イミフな文章でもいいか。。。

 

きょうはこのへんで