ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

LD体質な私の身体感覚について⑨-原始反射と愛着障害-

ああなんだか脱線しすぎて収集付かない事態になっていますが、仕方がない。これが私ですし…。
さて、原始反射の講座を受講したことで、2次障害に関して新たな疑問となり野口整体操体法や活元運動などを知ったことから、世間一般では2次障害と扱われている〝うつ病〟は問題でもなんでもなく、身体の働きが著しく滞ったものを吐き出す作業のようなものだと考え方が変わったことで、私なりの〝うつ病〟との付き合い方のようなものは日々整えていけば良いだけだと確信のようなものを得ることとなりました。身体のことに気をつけはじめる前は、寒くなると朝目が覚めてから身体を自在に動かせるようになるまでに1時間以上かかってしまう体質でした。それは〝うつ病〟が起因しているというより、発達障害があるからくる身体の不具合だと思ってもいました。ですので、冬場は目が覚めたら部屋を暖め、温かいのみものを飲んだりして、身体を暖めると脳が覚醒するし、覚醒させるためにコーヒーを飲んだりしていました。脳が覚醒しないと身体が思ったように動かせないことから車をアイドリングするのと同じように寒い日や目が覚めない日はその時の状態に合わせた私なりのアイドリングを行っていました。入院がきっかけとなり身体を大切にしはじめたのが約9年前になります。身体アプローチで日々身体を整えるということを行いはじめたのが5年前になるかと思います。3年くらい前からは、facebookのTLにあがってくる野口氏の記事を読んだりしたことを参考にし、寒暖の差を感じることを気をつけはじめました。そのお陰もあるのか、約1年後には、朝起きてすぐにお布団の中で過ごす時間が短くなったり、寒くてもそれなりに身体が動かせるようになっていきました。それでも少し疲れを溜めてしまったり、無理をしたり、整えることを怠ると朝から目覚めが悪い時もあります。そんな時は、温タオルで目を暖めたり、首の後ろを暖めたり、お腹を暖めたり…。など行うことなどするとアイドリングする時間が短縮されるように感じています。それでも身体が動かせない日はとりあえず急な用事以外は全部キャンセルしたりして、寝込むことにしています。昨年、活元運動を少しだけ教えていただいたりしましたが、私は毎日行っていません。何故かっていうとその枠を設けて自分1人でやろうとするのは、私はどうしてもできなくなってしまうのです。なので、朝目が覚めて身体を動かしたいと思った部分を楽になるような動きを行っているだけです。肩甲骨辺りがなんだか重く感じた入り肩の力を抜きたいと思ったら、その部分へのアプローチを行ったり、腰が重いなぁと思ったら腰の弾力をとり戻す運動だったり…。春から夏になるからか、太ももの裏を伸ばしたい気持ちになったので、バランスボールに座って伸ばしてみたり…本当に適当に動かしたいと思った部分にアプローチしていています。そうじゃないと私の場合には、続けられないのです。それに、やり方を思い出しながらやっても私の場合には、その動きを引っ張り出そうとすることに集中してしまうので、動かしたいと思ったら、気持ちよかった時の動きが脳内の引き出しからそれらの動きが自然にでてくる状態で、身体を動してみるということを大切にしています。そういった適当さが私にはぴったりなようです(笑)元々は型にはまるのが好きなのだけど、型にはおさまらないタイプなので、その型を活かすには、どの場面で自然に引っ張り出されるのかを大切にすると上手くいくようですし、クォリティってやつが上がるような気がします(笑)ああ、また話が脱線しているしずれてしまっていますね。トホホ。。。

話を戻します。原始反射の講座を受ける数か月前に〝熊本地震〟で被災しました。講座を受講した後、その当時のことを振返ってみたことがありました。私の場合には恐怖麻痺反射の残存率は高いわけでなく、標準装備なんだと思うにいたりました。といいますのも、数千回続いた余震が起きていた時、震度1レベルの地震でも夜中に察知してしまうくらいでしたので、残存率が高すぎなのだとばかり思っていました。ただ、私は一応母親です。母親だからこそ、子どもを守るための安全装置みたいなものが恐怖麻痺反射のなせる技なのではないか?と思ったんですね。そして、息子には障害があることで、どうしても敏感にならざるを得ないような気もするのです。なので、息子が発達し2者関係を卒業したら、今のようには働かなくなってしまうのではないのだろうか? そのように思っています。こればかりは時間がすぎてみないとわからないことですから、2者関係の卒業後、何かわかることがあるのかもしれません。原始反射をご存じな方たちがどのように恐怖麻痺反射のことを受け取っていらっしゃるのかわかりませんが、私は言葉の受け取り方が下手なので、恐怖麻痺反射を知った当時は『無くなるもの』だと勘違いしていました。それと、胎児期は羊水の中に浮かんでいるので、水中の中にいるのと同じなのに、出産後と環境は違うと思うんだけど…。と思い、原始反射が残存するっていうことの意味があまりしっくりきていませんでした。その後しばらくしてから何かがきっかけになったかは忘れてしまいましたが、恐怖麻痺反射が統合した場合には、備わったままで眠っている状態となっているだけなんだなと受け止め方が変わりました。何故なら恐怖麻痺反射があるからこそ、心身がなんらかのショックを受けた時に急死しないシステムらしいのです。私はジェットコースターが苦手ですが、一度だけ付き合いで乗ったことがあります。怖い時に『怖い!』と声を出せる人たちは、そんなに怖くはないのだろうと思います。私の場合には、心底怖すぎて声すらでなくなり、その場から動けずに固まってしまいます。乗ったら終わるまで降りることができないジェットコースターですから、どうにもできない状態ですよね。だからこそ、急死しない前に身を固めて縮こまって省エネ体制になるんだろうなぁ。死なないように…。そんなことを思いました。ただ地震の時の場合には確かに怖かったけど、声は出せたのです。それに身体も動かすことができました。とにかく早く外に出なきゃとか、まだ家の中にははいらないほうがいいとか。そういったことができたのです。なので、その場から動くことができず逃げることもできないのが残存率が高いということになるのではないのだろうか?とすれば、私の恐怖麻痺反射は残存率が高いというよりむしろ統合されていて、現在の状態が〝標準装備〟なんだと思うことになりました。
そのようなことから、過去の自分を振り返ってみた時の残存率が高かっただろう時代のエピソードは沢山思い出すことができます。例えば、お化けが怖かったし、以前住んでいた家は煙突がないから、サンタクロースがトイレから来るって冗談を真に受けて怖くてトイレに入れなかったり、中学の時ビックバンの話を聞いた日は怖すぎて眠れなかったし、お化けがでるような映画やドラマをみると、怖いのをやわらげるために背中を壁につけたり毛布で体を覆ったりしていました。恐がりだったからこそ、やってみればよかったこともチャレンジできずに大人になってしまったこともありました。この恐怖麻痺反射が残存していることで、人との関係性にも影響を与えているだろうことに辿り着き、残存率が高い人たちだったから〝忖度〟していただけで、それらが生き延びるための手段だったのだろうといったことに結びつくことになり、幼い頃から感じていた人間関係の違和感が払拭されました。異物を弾くというような〝いじめ〟は仕方がなかったことだったとそう思いました。それと、私自身も自分が意図しない人から好かれるということに恐怖を感じてしまう自分にも気がついたことがありました。そういったことに気がついたことで、子どもの頃から人を嫌いになってしまうと自分の世界にその人が存在しないようにしていたことが何故そうなっていたのかも紐解けることになりました。

恐怖麻痺反射はそんなに大きな意味で扱われてなかったようですが、それこそ、みえないものは〝ない〟けど〝ある〟反射になるのでしょうし、しかも土台になる部分になりますよね。どれだけ私たちは人の発達の過程を上側の部分だけでしか捉えてなかったのかを思い知りましたが、これも今後また何か時代と共に新たな発見があるのかもしれませんよね。ああ、まだ終わらない。。。トホホ

 

LD体質な私の身体感覚について⑩-原始反射と愛着障害-へ続く