ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

発達援助と自助努力のマリアージュ①

ブログタイトルがなんだかものすごいタイトルっぽいですが、多分内容はいたってふつーだと思われます(個人的見解)ただ、先日、お蕎麦屋さんのメニューをみて、『マリアージュ』という言葉を使ってみたかっただけです。はい。すみません。はてさて、閉じたFacebookの過去記事を織り込みながら、発達援助のことや自助努力のことについての記事を数回にわけてしばらく書いていきたいと思います。ひとまず、下記の記事をごらんください。(※心屋仁之助さんの弟子でもないのに、お名前を出しております。心屋さまをはじめ関係者各位の皆さま申し訳ございません。)

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2016年4月6日 11:44 UTC+09


読みたくない方はスルーでお願いします。 みっともないと思いますが自分の事つづります。 妖怪可哀想全開でかきます。 お見苦しいですので、 読みたくない方はスルーでお願いします。

私は障害を持つ息子がおり自分自身も診断をうけていいます。 9年前AD/HD(注意欠陥多動性障害)ADD優勢という診断をうけました。9年前2種類の検査をうけ、WISC-Ⅲ では動作性優位で点数は●/●くらいだったと思います。 動作性と言語性の開きがあまりなかったのですが、数学に関してのみ境界域でした。でもグレーゾーンなのでASDにははいらないという診断をうけました。 別の病院で田中ビネーでは言語での聞き取りをしての回答で点数が●点でした。なので、言語の受け取り方に隔たりがあるようです。なので、今の主治医は広いの意味でとらえる方なので 自閉症スペクトラムアスペルガー)があるだろう といわれたこともありますが確定診断はうけていません。 発達障害自閉症スペクトラム、AD/HD、学習障害、知的障害、ダウン症など、発達に遅れがみられる人達のことを総称して発達障害といわれるようになりました。ほんの10数年前からです。ですので、発達障害という診断名はありません。

 

私はずっと困って生きていました。 人にいえない黒歴史がたくさんあります。 幸い私の周囲に私の黒歴史を笑ってくれる人がいた事が救いになっています。 人と同じようにできない、考えられない苦しみをずっと抱えて生きてきました。 空気が読めないことでの他者への気遣いができない、当たり前の気遣いはサバイバルスキルで補ってきました。

中学の頃、障害のある人と普通の人がいるけど、私はどちらでもないという想いをずっと抱えて誰にも話せずに大人になりました。10年前はまだ心屋仁之助さんもいない時代だったので診断をうけることが自分探しの方法でしか自分にはみあたりませんでした。 今なら「前者にあこがれた後者」 という事で片付いたことかもしれませんが、私が診断を受けた時はそんなことに触れる機会もなければ、自分自身がそういう風に受け入れられる人間でもなかったし、開き直ることもできないくらい傷ついてきました。

自分が少しでも生きやすくなるために人になるべく迷惑をかけなくてすむように、これまでいろんな事を試行錯誤してできるようになりました。忘れ物や遅刻、うっかりすることを想定しての事前準備、バックはなるだけ変えない、家のカギや車のカギをなくさないようにする工夫、出かける時は前日の夜に着替えや持ち物を揃えておく、慢性疲労症候群的になりやすいのでオンオフの切替、集団の中にはなるべくはいらない、友だちは増やさない、プライベートとパブリックは切り離す、schedule管理は詰め込まない…etc 本当にいろいろやってきての今があります。 そしてコミュニケーションにおいてもいろんな物事においても、こだわりや人への執着が強いから仲良くなりたくても距離感をとるように心がけています。 これでもまだまだできてないことがおおいのですが…。

自他の区別がつきづらいことで、相手の感情を一緒に感じてしまうこともありました。相手の人に投げかけた言葉で、相手の人が傷ついてしまうことを後でしって、自分を責め続けていたこともあります。たくさんの人を私の無意識の悪で、傷つけてしまう事もあります。 それでも自分を肯定し自分を保っていくためには、誰かにきちんと注意をしてもらって、自分を律していくしかこの社会の仕組みの中では、生きていけないんだと思うと自分が自分じゃなくなってしまうという感情と、自分は自分らしく生きたいという感情が交差してしまって、生きている意味を見出せなくなってしまうこともあります。心屋教を知って、人にただいな迷惑をおかけすること以外の事は、もう工夫をすることをやめています。 でも、それをやめたとたん生活が困難になってきていることも確かです。 『頑張らない』、『人にあわせなくても大丈夫』、『いいっぱなし、気にしない。』、『なんとかなる』、『嫌われてもいい 損してもいい』。。。 たくさんたくさん呪文のように毎日繰り返して、毎日が1人問答な日々です(笑)それだけで随分楽になりました。解ってもらえない事も解ってくれなくてもいいのです。ただ、知っておいてもらえば、そういう人もいるんだよって、知っておいてもらえたら私はそれだけでいいのです。

 

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この記事を書くことにしたのは、この当時知人だった方で、ご自身でAD/HDを疑っていらっしゃっていて、『障害は個性』だといった内容の記事を書いていらっしゃったことから、私はその人の記事に “カチン” ときてしまい

「障害は個性と思っている人ばかりではありませんので、そういう人がいることも知ってください」

と、コメントしたことからトラブルになったことがありました(苦笑)その時、相手の方は長々と説明してくださったのですが、コメント欄で公開私刑のような形になってしまい悔しい思いをしたことがありました。その私たちのやりとりをみた共通の知人の方が、

『千晴さん、障害を個性だと思わない人もいるんですね。知りませんでした。大切なことに気がつかせてくださってありがとう。Mさん、私たちは神様ではないのだから、全てのことを理解できなくてあたりまえだから…』

といった内容のことをコメントしてくださった方がいらっしゃって、私はその方の言葉で救われたことがありました。その方とはたった数回しか面識はありませんでしたが、その時の私にはずっと何かつかえていたものがとれたみたいで、その日一日涙がとまらなかったこととがありました。その時に、そんな自分のことを誰かにわかってもらいたかったのだなぁーと思うことになりました。

その相手の方はAD/HDと診断を受けた私からみても、AD/HDの特性のある人のようにみえました。私は個性としては片づけられないくらい自分でも困っていたし、人に迷惑をかけていた自分がすごく嫌でたまらなかったから受診をし診断を受けました。なんでかって、それだけ困っていたし、少しでもよくなりたかったからです。今の私なら障害があってもなくても、自分次第で習慣化された癖を治すことはできると思えますが、その当時の私には、その考えにいたるまでには及びませんでした。なので、自分の気持ちを収めるためだったり、この当時の共通の知人への言い訳をしたかったのだと思います。いや、理解はしてもらえないことはこちらとしては重々承知ではありました。ただそういったことを知ってもらいたかっただけではなく、自己診断で発達障害だという自称当事者の人や障害を個性と思ってもらいたい当事者の人のせいで、真面目に頑張って社会の中で生きようとしている人たちの足をひっぱることになっていたこともあったからでした。

今思うと、私自身も誰かのせいにして、自分を保ちたかったんだろうと思うので、偏っている考え方だったなぁと思います。それだけ、私自身が自分のやっていることを誰かに認めてもらいたいといった思いが強かったのだろうと思います。口では “誰にも理解してもらえなくてもいいんだ、知っていてもらえるだけで…。” と強がっていても、本心は、認めてもらいたかったんだなぁと思います。ただ、それだけだったんだなぁって…。今の私は、みえないところから猫パンチ行動療法的な発達援助(ブ)で、なんというか振り切れたというかどこかの一線を突き抜けてしまったようなので、こんな風に思えるようになりましたが、その最中の時は、今のように俯瞰したような大きな気持ちで考えることはできなかったし、苦しんでいたんだろうなぁーということは覚えています。が、しかし、これってそういえば2年前のイベント前だったなぁー(遠い目)

 

②に続く