ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

明日かもしれません

記事の中に『トライ&エラー』とありますが、みえない所からの猫パンチ療法で正しいと思われる正式名称を教えていただきました!ありがとうございます! 感謝です(ぶ)正式名称は『トライアル&エラー』だそうです。でも、そのままで行きます!語呂合わせ!

※っていうか、この記事はよ出せってことだったのか?それとも隠してるのに、みえてますよ攻撃なのか?。。ほんまにめんどくさい人たち

さて、私は以前、ソーシャルソトーリーズ™の講座を学んだことがあります。様々な場面を想定しどのようなに自閉症の人たちに言語化して未来に対する予告というか心構えのようなことを伝えていくかの例を講座を通し知りました。未来の自分の在り方や心境を肯定的にアファメーションのような日記を書いていくように私は捉えていますが、今現在はなにかしら変わっているのかもしれません。今はほとんど書いていませんが、望ましい行動を肯定的に伝えるということは確かにすごく役にたちました。

息子は、あまりおしゃべりしないタイプの子でした。単語を伝えることは時々ありましたが、今よりは全く少なく、ほぼおしゃべりしない時期もありました。なるだけ否定語を使わない言い回しで伝える様にしていたからか、彼は肯定的な言葉を使うことが多いです。これは私も驚いています。もちろん、“ダメ”とか“危ない”といったネガティブな言葉も知っていますし、否定的な単語も知ってはいますが、うちはどちらかといえば肯定的な言葉で息子自身が自分でいいきかせている時もみうけられます。

例えば、自分の要求が通らず今日は願いが叶わない時は

「明日かもしれません。」

と心の声を出しながら自分にいいきかせていることもあります。こんな時は、思わず可愛らしくて、親心がくすぐられ、今日そのお願いを叶えてあげたくなる時もありますが、すぐ叶えられる願いと待つことも彼にとっては必要なことだと思って、くすぐられた親心をぐっと我慢することもあります(笑) 

私は、どちらかというと否定的に育てられてきたこともあったこと、本人へ注意する時や説明する時に望ましい行動を肯定的に伝えられるようになりたかったこと、私自身言語体力をつけるためだったり、言語化しそれらを文章化することが苦手だったことがあったので、ソーシャルストーリーズを学ぶことにしました、結果的にはそれらを学んだことから、肯定的に息子に伝えることを学んだことが彼が言語の発達をしていく時にポジティブな言い回しをできる子になったのかもしれないと思うにいたっていますし、息子だけではなく、私自身こうしてブログや溢れてくる内省言語を文章化することに役つことになりました。それと、言葉の言い回しによって、1人1人伝わり方も違うことがあるので、人によって言い回しや語彙を変えるなどすることで、自分以外の人にも伝えられるようになったような気もしています。私にとって、学ぶということは自分自身の自己成長に結びつくことが多かったので、講座でいわれた一生モノといわれたのは、確かにそうだなぁーと思っています。

ソーシャルストーリーズやSSTは、スケジュールでは伝えられない情報を伝えるためにうちの場合には利用していました。ようは怖がりで用心深い慎重な人の場合には、安心して新しい活動にもチャレンジしてもらえるように情報を伝えるためでもあると思います。うちの場合には、一度体験した過去の情報が残ったままになっていることから、2度目の経験の時に一度目の体験の状況と同じことを好みます。その情報を一旦書き換えてあげる作用もみこめるのがソーシャルストーリーズやSSTになるのではないかと私は思っています。

で、私たちの時代の当時は最初の体験が大事と口酸っぱくいわれてきました。なぜなら、自閉症スペクトラムの人たちは一度目の体験を書き換えられない又は書き換えるのに時間がかかってしまう。といわれていたからです。私も長い間そう思っていました。でも、私は息子の状態がよくなっていくのをみていて、情報提供の提示次第では書き換えが可能なことを実感しました。いわゆる、スケジュールや手順書に限らずソーシャルストーリーズもSSTも、書き換えるための提示ができていないことから、書き換えられない事態になっているだけだったと気がついたからです。それには、体験を積み重ねるしかないんだなぁとそう思いました。終わりの概念が本人の中で腑におちるかどうかはかなり重要な気もします。お子さんによっては、終われるお子さんもいらっしゃいますが、その体験が好きなものであればあるほど終わることが難しくなる場合がおおいんですよね。それって、好きすぎるから、あきらめられないからです。そして、それらの感情が過ぎてしまうと、自分でも切替えることが難しいから拗れていくだけなのです(苦笑)そして、大抵見守り切れずに大人は火に油を注ぎ大パニックにしてしまうことになっていると思います。そういうことを防ぐためのソーシャルであったと思っていたのですが、支援者によってはその人の主体性を奪う形の情報提供になっている場合もあるようで、創始者の方たちからすれば残念だろうなぁと思ったりもします。

うちの息子はまだうまく会話のやりとりができません。でもこの1年で随分やりとりが上手くなってきているように思います。まだまだ本人の中で勘違いをしてプンスカ怒ったりしてしまうこともありますが、彼が理解できているかどうかわからなくても、説明はしてあげていますし、学校の先生やデイサービスのスタッフの方へも、わからないと思わずに伝えるようにしてほしいとお願いしていて、どうにかやりとりしてくださっているようです。ですから、ちぐはぐな会話ややりとりでも、ちゃんと面と向かって本人と会話をしたり、ホワイトボードやIPADのメモ機能を使い視覚化したりすることで、コミュニケーションは十分にとれるということもわかりました。そして、PECSで習ったことになりますが『3秒ルール』というのがあって、絵カードで要求した後に『3秒以内』で応えることが望ましい。と教えていただいたのですね。それは、ご褒美システムも同じです。ですから、LINEは見える形で会話できますし、互いの時間が許せれば、その『3秒ルール』も可能であると思うので、そういったアプリを活用するなどで、コミュニケーションをはかることも良いのかなーと思いますし、LINEをする時のマナーや相手への気遣いなども、教えられるように思うのです。

自己啓発などの世界では『トライ&エラー』ということを良く見聞きしますが、いわゆる生活の中で積み重ねていくことがコミュニケーションかつ社会性を学ぶ機会になるわけですし、コミュニケーションや社会性というものは、子どもたちにとって、家庭から離れた初めての集団行動の場です。家庭の中で『トライ&エラー』を繰り返し、家庭生活以外の場所でその学んだことを試すのが社会になると思うのです。ですから、家庭生活では許されるマナーやルールでも学校生活や会社では通らないマナーやルールがあるということを体験を通して自分のものにしていき自分の主体性を摘むことなく自分で折り合える領域や場所をみつけていけばいいのだと思うのです。

ただ、健常の人ならといいたいところですが、今は健常とか障害とかないのかもしれませんが、いわれなくても空気を読んだりして暗黙の了解をわかったり、失敗している他者をみたり、自分が行動した時に危ない経験をしたことから、自分の中でマナーやルールを守っていくのでしょうけれども、発達障害の人たちの中には、言われないとわからなかったり、他者の体験をみたり聞いたりなどして、自分の行動に活かせない人たちが多いと思われるので、本人が暗黙の了解がわかってないと思うなら、口酸っぱく教えたり、失敗をしたとしても体験をしてもらうしかないように思うのです。

ですから、失敗を避けるためのソーシャルなら、本人は楽かもしれませんが、本人のためにはならない、お呪いのようになるだけのように思ったりします。それに、そのソーシャルやSSTを誰に教えてもらえるのかって、一番大切な事であったりすると思うのですよね。誰に教えてもらうかって拗ねている人たちだからこそ、重要案件なので、信頼関係のない状況下でよかれと思ったソーシャルであれば、さらにその『拗ね』は増幅され、いうこと聞けなくて、反発するだけなのです。そして、その反発が、自分に向いてしまうか他者に向いてしまうのかの違いとした問題となってしまうのだと思います。

うちの息子へソーシャルを教える場合には以前コミック会話をよくつくっていました。でも今はほとんど使っていません。今は文字だけでも理解できるようです。そして、コミック会話の最後の締めくくりの言葉は本人の感情をいれることもありましたが、これ、必要なかったなーと思ったりします。なぜなら、自分で自分にソーシャルを書いたりしてみましたが、人の感情なんて想定できないということを私自身が思い知ったからです(苦笑)なので、最近は事実だけを教えることにしていますが、ほぼ口頭で教えることの方が多くなりました。

本日のタイトルの『明日かもしれません』という言葉は施設に入所していた時によく聞かれていた言葉です。最近聞く事がなくなりました。おそらく、学校や施設でいろんな要求をしていた時に彼を嗜めてくださっていたポジティブなお呪いだったのかもしれませんね。その言葉を信じていた息子だからこそ、嘘をつかず期待をさせないように気をつける日々です。

 

今日はこのへんで。