ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

LD体質な私の身体感覚について⑦-原始反射と愛着障害-

LD体質な私の身体感覚について⑦はそろそろ〝まとめ〟にしようと思っていましたが、長くなってしまったことですっかり忘れていた事柄を思い出しました。すみません。なので、あと少しだけ続きます。毎回長くなってしまいますね。とりあえず、これは私の覚書でもあるので、興味がある方だけ読んでいただけましたら、幸いです。で、忘れていた事柄というのが〝某有名支援者へのリベンジ的なこと〟と〝なぜ偽物扱いされるのか?〟についてになるのですが、これらに関しましては〝原始反射〟と〝愛着障害〟の不具合が絡んでいると個人的な見解にはなりますがそんなことを思っていますので、身体感覚から少し話しにずれがあるとは思います。〝原始反射〟や〝愛着障害〟に関してご存じのない人には、私の記事を読んでもあまりピンとこない方もいらっしゃるかもしれません。逆にそれらをご存じの方には、なんとなくわかっていただけるように思います。もし私の解釈が間違っているようであれば、ご指摘いただくなりしてくださると助かります。 私自身本当に理解できているのかもわかりませんし…。ただ、私にとっては〝原始反射〟と〝愛着障害〟これらのことが私の内面を大きく変えるきっかけとなり、現在に至ります。身体感覚という枠にはいるのかはわかりませんが、付随することになると思いましたので、今回このシリーズの記事として残すことにしようと思います。

私はそもそも自分という人間を知るために自分探しをしていた時、息子の障害発覚を通じて、発達障害の世界を知る事となりました。それとは別にスピリチュアル界隈ではレインボーチルドレンやインディゴチルドレン、心理学界隈では、アダルトチルドレンやギフテッド又はエンパスや、共感覚などの特性を持つ人たち等が診断を受けると〝発達障害〟と診断を受けることが多いということを自分探しをしている時に辿りつきました。そして、そういった人たちが公的な支援とは別に、自己啓発やスピリチュアル又は占いなどの講座のジプシーとなっている人たちがいることを間のあたりにしたことが、沼の中からでるキッカケになったように思います。
最近世間を騒がしているTOKIOの山口さんの件で、他のメンバー4人の記者会見をみました。その記者会見で松岡くんが「崖っぷちではなく崖から落ちている」と涙を流しながら発言されていた一言が私にはとても響きました。というのも、この記者会見をみる時まで、私は崖っぷちで耐えていただけだと思っていたからです(苦笑)「ああ、そうだ。私もあの時は崖っぷちで耐えてると思ってたけど、崖っぷちじゃなかったわ。崖の底に落ちて、海に沈んでたわ…(苦笑)」今更にはなりますが、そんなことを思いました。それと似たようなことを言われたことはあったのですが、その時は、確かにまだ崖っぷちの時でしたし、もっと落ちるといわれました。で見事に落ちました(苦笑)でも、落ちてしまった後も私は崖っぷちだと思ってたのです。記者会見で松岡君のあの言葉を聞くまで(苦笑) 今、私は立ち直っているからこそ、こうやって笑っていますが、今の山口君には傷に塩を塗るくらいの言葉だとしても、その言葉に込められた意味が何をいわんとするのかを理解できるくらいに良くなるといいなぁと思います。どん底にいる時は、どんな言葉も届かないので。聞こえていても見えていても、その時は届かないけれど、少しずつ良くなってくると、必ず届く時はくると思います。ただ、私は思うのです。それくらいやらかさないと、自分自身をこの世界に留めることはできなかったのかもしれないって。だから、もう一人の自分が、起こした行為でもあると私は思ったりします。私がそうだったように…。ああ、話しがずれてしまいました。すみません。話しを元にもどします…。

療育関係の講座で息子へのために学んだことだけでは、私が本当に困っていたことは全く紐解くことはできなかったことから、成人支援を受けることにしました。その時、某有名支援者の方のセッションを数回受けましたが、私は私の感覚を否定されてしまうことになり、それからその先生にそれ以上心を開くことはやめよう。そう思ったことから。一度全部開示しようと思った事柄をその先生へ相談することはやめ、相談する内容は選ぶようになりました。なので、思春期からずっと悩み続け保留にしていたことを解決させたくて受けたはずの支援は、あっけなく数度目で私は改めて開けようと思った扉を閉じることとなったのでした。この時、その先生へ別の当事者の方の〝孤独〟と似ていると思うといった内容の話をした時にその先生が
「あなたの〝孤独〟と〇〇さんの〝孤独〟は違うと思う」
ということをいわれたことや
発達障害なら感覚過敏や身体的な不具合の感じ方は大抵の人が違うという人が多いのに、あなたは共感している。」
といったことをいわれたことがありました。で、この時、私はその先生の質問に対して反論することができませんでした。そして、実は酷く傷つきました。今思うと、先生は私を責めたつもりはなかったと思います。おそらく、どのようなことが似ているのかとか、私なりの見解を聞きたかっただけかもしれないなとも思います。ただ、その当時の私には、先生に否定をされたようにしか思えなかったのです。ただ、発達障害だから100人いれば100通りでも同じような感覚な人がいても全くおかしくないよなぁと思うのですね。それを違うと言い切ったように私は受け取ってしまったことが、先生に対して不信感を抱くきっかけになったように思います。ASDの人たちは特に、〝感覚に関して他者と共感しない人が多い〟といった言い方をされたことは私の中でモヤモヤしたまま10数年過ごしました。そして、そのことが新たな保留事項となったのはいうまでもありません。ただ、セッション以外ではとても優しくて別人のように優しい先生でした。

それとはまた別件で、発達障害がある当事者でもあり保護者の立場の方が、お子さんが発達障害とわかった時にその先生へ〝TEACCHの手法を家庭でも取り組んだほうがいいのか?〟といったことを相談した時、〝やらなくても良い〟とアドバイスを受けたとその保護者の方から伺ったことがありました。そんな話を伺ったのもあり、その先生への不信感がつのっていくこととなりました。これも、今思うと、私たちはTEACCHが良いと思っていたのだから、特におかしな話でもなかったよなぁとは思えますが、その当時はなんともいえない不信感を感じることとなり、本来解決させたかった心理的なことよりも生活支援の相談のほうを重点的に行うようになったことが更に私自身の首を絞めることになりました(苦笑)
あれから10年以上経過する途中で、閉鎖病棟への入院を機に、新たにちゃんと自分と向き合う中でそれなりに解決できたこともありました。そして、私はどんどん元気になっていくたびに、自分の価値観がおかしいことに気がつくことにもなり、以前は価値観が同じだった周囲の人たちとも、どんどん違和感を感じてしまうようになりました。そんな矢先に自分自身がまだちゃんと治っていないことに気がつくことになりました。そんな時期に知ったのが〝原始反射〟と〝愛着障害〟でした。それらを知ったことから、私の人生は大きく変化することとなります。大げさにはなりますが、それからの2年間は、私にとってゲシュタルトの崩壊からの再構築が起きたといっても良いくらいでした。分裂していただろう私は、統合をし、私は私をとり戻すことができたのです。それと同時に、どんなことにもブレない〝主体性〟を手にいれることができました。正に私が見たい景色を見ることができたのです。なので、これまでに少しずつ変った価値観が更に大きく一遍することになりました。正直いって自分でも本当にびっくりしています。その時にある程度の〝想定〟はしていて、その〝想定〟は見事に当たりましたが、こんなにまで変わってしまうのか。。。と思うくらいに価値観が変わってしました(笑)ただ、私は今の私のほうが好きです。それに、ダメ人間だった頃の私や黒歴史に関しても含めて超えるということがどのようなことかも語れるくらいになれていると思っています。本当に変わってしまったので、周囲の人たちは扱いづらいようですが…。だからこそ、心理的なアプローチは本人だけを治療するだけでなく、その人を含めた周囲の人たちもひっくるめた治療を行っていく必要があるのだなぁと思うにいたっています。


LD体質な私の身体感覚について⑧-原始反射と愛着障害-へ続く