ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

LD体質な私の身体感覚について⑮-原始反射と愛着障害-

私は思春期の頃からどうにかしたかったいくつかの難癖を克服するにはどうしたらいいのかを考えあぐねて大人になりました。ここ数年の学びから長年どうにかしたかった難癖の正体に辿りつくことになったのが『原始反射と愛着障害』を知ったことから、大人の私でもヌケを埋めることはできることを知り、そして、どちらも障害の有無に限らずどんな人もヌケがあり、障害や病気とはいわないまでも心身に不具合を抱えている人たちが世の中にはたくさんいるのだろうという考えにいたりました。

その中で、障害や病気の認定をうけていない人と認定や診断を受けた私との違いもそんなには変わらないグラデーションであることにも気がつくことにもなりましたし、あの当時から有名当事者といわれる人たちが偽物扱いされたり、藤家さんの場合には二次障害を克服したことで、いつの頃からか、ASDではなかったといったこともいわれるようになっていました。昔から、成人当事者同士でも、あの人は発達障害じゃなくて精神障害だといった噂話のようなものはありましたが、支援者や医療関係者の方たちまでも、偽物扱いするようになったという話を知った時には『えーーーーあんだけ講演会でもてはやしていたじゃーん。』と思ったのはいうまでもありません。あの当時、ニキさんはADHDとASDを併存しているタイプで、藤家さんは純粋なASDの受動型といわれていました。そして、〝受動型の場合には二次障害になりやすい〟とまで語られていたくらいです。だから解離性人格障害になったのだと講座で学んだ気がするのです。あれれ、私の記憶違いでしょうか? それとも嘘だったということになるのでしょうか? それと、彼女の場合には、解離性人格障害などの二次障害を克服した後に、アスペルガー症候群だと診断をされたと思いますが、私、なんだか勘違いしていますか? もし、それが誤診だったとするなら、本人不在の状況で支援者やドクターがなんらかの方法で調査をし〝統合失調症〟だったといえる判断ができるような情報を握っているということにもなると邪推してしまうのですが…? 一度はアスペルガー症候群だったことを皮切りに講演会などでもてはやしていたわけですから、エビデンスの国なのだから、その根拠とやらを説明しない限り、一度ASDの旗を掲げ登壇させていただろう支援者の皆さんはご自身たちのことに疑問を感じないのですか? あの、私かなりお金払って講座を聞いていたので、その旗を勝手に書き換えて掲げることが特性上納得できないので、どなたか説明してほしいくらいです。それとも、支援者やドクターがよかれと思って彼女を守るために統合失調症にしておきたいだけなのかも。なんて邪推もできます。なぜなら、アスペルガー症候群だけでは、精神の手帳も年金も該当されないからということから、あえて悪者になってアスペルガーじゃなかった。といった支援者やドクターの『愛』だとでもいうのでしょうか? あっ。いけないいけない。他人事でしたね。すみません。お節介BBAなのでついつい余計なことを…。

ま、私の邪推は別としましても、もし仮に本人不在でなにがしかが行われており、誤診だったとするなら、個人情報だから発表できないのでしょうか? 本人不在で判断できるような根拠を一部の支援者やドクターは知っているということになれば、それはそれで別問題が浮上することになると思うのですが、いかがでしょうか?(苦笑)とりあえず、業界も支援者もドクターもなんだかどこかのクラスタもその時に一部分の情報を切り取り問題にした後は、自己都合でうやむやにしてしまうこと山の如しだった数年間をよーく知っているので、私にとっては疑問が膨らんでいくだけです。それには事情があるのかもしれませんが、それってなんだか、恋愛の駆け引きとかで行われている試し行動と同じだと思うのですが…。それって、愛着のヌケがある人たちの典型的なパターンでしたよね(ぶ)
私の場合には、彼女が治るきっかけとなった体験談を知ったことから、長年苦しんでいた(うーん特段苦しんではいなかったのですが、めんどくさかったし、それは普通といえる状態ではないと思ってはいました。)自分の身の上に起きていた人格障害のような症状が何かを拍子に表出し、治ったと思ったのになかなか抜け切れなかったのが何故だったのか確信を得たわけです。彼女の場合にはアスペルガー症候群が原因というよりも、発達のヌケや愛着のヌケが起因となって解離が引き起こされたのではないのだろうか? ということを考えるようになったことから、解離も統合しつつ、自分の難癖も一気に引っこ抜けることになるんじゃないかといった仮説をたてたのでした。だから、腹をくくって治そうと思ったワケです。そして、私以外の定型発達の人たちでもその発達や愛着のヌケはあることから、障害のない人たちに表出している様々な不具合や問題行動(不倫や浮気、軽犯罪など…)はそれらが起因しているのではないのだろうか? だから、似ているように感じるのだろうと思うようになりました。
それに、13年前には、二次障害をとりのぞかないと一次障害の診断はできないと習ったように思うのです。昨今の診断基準がどうなっているのかはわかりませんが、発達障害という知識が世間に広まっていなかった頃は、幼児期のお子さんたちと違って、成人の場合には、二次障害があることから病院へ診察に行き、実は発達障害だった。ということになっていたと思うのですね。おそらく現在は先に一次障害を疑って診断を仰いでるんじゃないの?っていうふうになっている気もするのですが、それの何が問題かというと、二次障害があることで一次障害に誤診されることもあるんじゃないのだろうか?と思うのです。特に知的な遅れを伴っていない発達障害がある人たちの場合だからこそです。だから診断をするのに大人の場合には長くかかると当時いわれていました。私のようなタイプの場合には、一次障害の特性なのか二次障害からくる不具合なのかは、診たてるドクターによってかなり変わると思うのです。私自身、一次障害を疑ってみたものの、本当に自分は障害といえるのだろうか?と疑う気持ちが年々膨らむようになったのは、未診断の人たちだけじゃなく、世の中には病院にいったほうがいいのでは?というような変人はたくさんいることを目の当たりにしたからです。だからこそ、最近の診断は少し乱暴になってないのだろうか?とも思えます。病院を受診している人たちのほうが実はまともなのではないかな?と思ったりするくらいです…。過去ブログの中でも一度触れたことがあると思いますが、某有名支援者の講座で2002年?以前までに統合失調症と診断された人たちは誤診であることが多いので、改めて診断をし直してもらったがいいとまで、当時は断言されてましたし、その後の講演会などでは、杉山敏郎先生の著書で〝子どもの虐待という第四の発達障害〟という著書があり、虐待を受け育った子どもの場合には脳の障害が生じ、発達障害の子どもたちと似たような症状や問題行動に苦しむ子どもたちがいるといったことも、講座の中で触れられたことがありました。なので、当時のほうが、診断は慎重に行われていたように思うのですが…。
今、かなり診断が荒くなってませんか? そういえば、知人支援の現場で働いている子から久しぶりに現場の話を聞きました。知人の話では、支援者からみて、発達の遅れが心配なお子さんの保護者ほど全く気にしておらず、発達の遅れはさほど気にならないのに、保護者が子どもの発達を枠にはめすぎて気にしすぎてるケースもあるらしく、子どもより、どちらのケースも保護者に問題があることのほうが多いんだといった話を聞きました。ああ、やっぱりそんなことになってるだろうなぁと予想していたことがあたっていたので、思わず苦笑いしてしまいましたが、これらが一体全体どうことを物語っているのかは、今一度立ち止まって考えてみる時期にきていると思う今日この頃です。
あっなんか、やっと終われそうな気がします。。


LD体質な私の身体感覚について⑯-原始反射と愛着障害-続く