ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

今日の空

暦の上ではノーベンバーなハズですが

とても11月とはいえない。アツい。。。

 

▼ある日の黄昏時 in 長部田海床路

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我が家の息子は行動障害があって

一時期おさまっていたものの

まだ完全には治っていないなーと

感じていたのもあったし

施設から卒業して

またもう一度自宅で一緒に暮らすことを

神田橋先生へ相談した時

私にしか息子のことは理解できない。

といったようなことを

言ってくださったことがありました。

昨日、母と電話で口論になって

「誰に相談なく私が1人で勝手に決めたでしょ!」

とかいわれたのですが

母もなんかてんぱってるみたいだし

流石に歳をとったからでしょうか

新しい記憶はぶっとんだんでしょう。

勝手に私が決めたわけじゃなくて

息子に高校を選ばせてみたら

本人が今の高校に行きたいといったし

自宅に戻りたいといったからです。

息子には何度か説明をした上で

家に戻りたいといったのです。

私の想定では、

おそらく施設に戻りたいというだろうと

そんなことも思ってましたが

『自分で大きな選択をする』ということを

知ってもらういい機会だとも思ったので

決行したまででした。

息子にもまだある愛着のヌケも

治したかったというのもありました。

で、著しく体調不良になった時

母と元相方と3人で鹿児島に行き

先生へ上記の内容を相談し

「息子のことをわかるのは

 この人しかいないでしょ?」

といってくださったのでした。

とても嬉しかったです。

先生には自身の身の上に起きてる

摩訶不思議なことを

相談できる唯一の先生です。

その中でも、私の生きづらさの源と

なっていた共感能力

最近巷でよく聞かれるようになってきた

HSPHighly sensitive person※ハイパーセンシティブパーソン

が私だけではなく息子にもあるようだったので

私はそれをなんとかしたいとも思っていました。

だとしたら、施設入所したままだと

一緒に先生のところへ受診をし

先生がお元気なうちに

様々な対処法を教えてもらいたかったのです。

それにHSPがあることで行動障害が

息子の場合起きているかもしれないと

思うふしもあったからです。

だから、もう一度一緒に住んで

再度施設に入所することになる頃までに

なんとかしたかったのです。

きっと、私が息子のお金を目的に

手元に戻そうとしてると思われてたんだろう

そう疑われているのではないかと

思われているだろうなぁと思いながら

息子が後退しながらも成長していく姿をみれば

そんな風に思ってた人たちも

私が何をしようとしてるのか

いつの日かわかってくださる時も

くるだろうと思ったし

たとえ、誰に理解されなくても

やるほかないって思ったから

やったまでのことですが、、、

イヤハヤ、息子の行動障害が

集結を迎えた頃、行動障害関係の著書が

発売されたとのこと。

いやー。失敗した。遅かった。

特段行動障害のことを学んだわけでも

著書を読み漁ったわけでもないのに

私はそれをなんとかしてしまったのです。

えっへん。

って、いうか息子の行動障害は

私じゃなきゃ治せないって思ったし

私が立ち向かったから治っただけです。

方法とかやり方じゃない。

ただ、互いに傷つかず怪我もなく

〝言葉や態度でのぶつかり稽古〟があるなら

それを知っておくことは

いろんなことに使えると思います。

我が家の場合のは使えません(笑)

だって、特殊なお呪いもあるので…(笑)

 

きょうはこのへんで