ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

LD体質な私の身体感覚について⑯-原始反射と愛着障害-

私が診断を受けた当時と今現在の診断基準が変わってしまったのか、私が成長したことにより発達障害の捉え方が変わってしまったからか、はたまた診断が雑になってしまっているのか、本当に発達障害の人たちが増えているのか…。それは、多分研究者の間ではもう答えのようなものはでているのかもしれませんが、わかってるならはよー発表してくださいって思います(懇願)
『原始反射と愛着障害』のことを知ってからは、発達障害といわれる人たちの中には誤診だろう人はいるだろうなぁといった思いが強くなりました。それは何故かといいますと、私は自分自身が治療に積極的ではありながらも、本当の意味では治療ができていませんでした。なぜなら、自分に都合が悪い事を主治医に話さずにいた時期のほうが長かったからです。先生にとって良い患者さんで在りたかったことが、私をそうさせていたのだと思います。だからこそ、ちゃんと本当の症状や困っていること、本当に治したい難癖も言えずじまいでした。そして、治療中の様々な体験から、妄想がひどく私が主治医の患者であることで、主治医が院内の先生たちに悪くおもわれているのではないか…。そんな風に思って先生を守らなきゃと思い、謎に必死に耐えていたこともありました(苦笑)本当に謎ですよね。今となっては笑い話になりまが…。そういった勘違いがあったことで、私の場合には治療に積極的でもある一定のレベルどまりだったのだろうと思います。向精神薬でも随分落ち着いた時期があっても、何かのきっかけで急性期の状況に陥ることも多々あり、怒りのボルテージがあがりすぎるとODを行うことで、自分を急停止していました。そうすることが他者に迷惑をかけずにすむし、自己防衛にもなったからです。そんなことを数回繰り返した時に過去ブログの『あとがき』にもあるように私が治ってしまうことで周囲の人たちから嫌われてしまうんじゃないかといったこともあり、治ることが怖かっただけなことにやっと気がついたのです。そういえば、以前神田橋先生への受診をした際にアドバイスをいただいた麻のみナッツを食べて間もなくした時、一般就労をしていたパート先で仕事をしている時、社員の人たちの雑談が聴こえても意味がわからなかったことが多かったのですが、麻のみナッツを食べ始めて間もなくした時に雑談の意味がわかるようになってしまったことがあったことから、仕事中ブレてしまって仕事にならない事態になりかけたのでで、これはいけないと思い麻のみナッツを途中やめたことがありました。麻のみナッツがよかったのか、たまたまだったのかはわかりませんが、とにもかくにも、状態が良くなることで弊害を感じることから、元のままの状態のほうが楽だということから状態が良くなることを拒んでしまったように思います。それくらい怖がりでもあったのでしょう。

確かに怖がりだった時代には、幽霊さんだって恐かったし、ガソリンスタンドでガソリンをセルフで入れることも怖かった時期もありました。ジェットコースターや高い場所は別に怖くても生活に支障はないのですが、ちょっとした未知の経験に対しては怖くてできてないことが多々あったもののそれらはほとんどクリアしました。なんのタイミングなのか、震災後、すぐ恐怖反射麻痺を知ることとなり現在に至りますが、最近思うのは、恐怖麻痺反射があることで自分の身の丈にあわなそうな経験からは逃れられるけれども、ここぞという時の未知の領域を知る体験をする時は、モロー反射の恩恵が未知の世界へと誘ってくれているのかもしれななぁと思うのです。ただ、恐怖麻痺反射もモロー反射も統合できているかいないかでは、大きな違いがでてしまうのだなぁと思うにいたっています。その二つの土台となる反射が、私たちにとて行動する時のブレーキとアクセルでもあるのだろうと思うのです。ただ、そのバランス感覚や距離感に不具合があることで、道なき道をゆくことになったり、近道を無理やり突っ走ろうとしたり、衝動性にまかせて、踏み込んでみたり…。そういう意味でいろんな体験を通して感覚というものは研ぎ澄まされてもいくのだろうし、鈍感にもなっていくのだろうなぁと思ったりします。

自分自身だけじゃなく、息子はおそらくまだ土台の反射の残存率は高いままだろうとは思っていますが。ただ、以前は車酔いしなかったのに、車酔いをするようになり、そしてまた車酔いをしなくなりました。それに、高い所や危ない場所でも、怖がることはあまりなかったのですが、最近は怖がる様子がみられます。苦手な注射は、本人はちゃんとわかっていて、協力はしてくれますが、注射をしなければいけないとは思っていても、身体が逃げてしまいます。そうやって、一度発達したと思われても、何かをきっかけに後戻りし、より良い発達をしていくのだなぁと思うし、それがいわゆる〝含めて越える〟ということでもあるのではないのだろうか…とも思います。個人的見解ですが…。

息子の場合には状況によっては、まだ行動障害がでてしまうこともあります。それは、どうすれば何が起きても他害をしないようになるのかは、正直わかりません。ただ、随分良くなっています。他害がではじめた頃、まだ身体が小さかったけれども、すごい力でした。あの時にもし、ちゃんと気がついてあげられていたら、もっと早い段階で行動障害をさせずにすんだかもしれないなぁと思いますが、大人しいと思っていた息子の中に、自己をコントロールできず人を襲ってしまうような感情もあるのだということを知ったことは、ある意味よかったのかもしれないなと思ったりします。なぜなら、どんな人でもその時のその人の立場にならないと、なぜそうするに至ってしまったのかなんて、本人にさえわからないもどかしさがあるから、行き場のない思いを断ち切るために自分に見えるカタチで行動を起こしてしまうのかもしれないなぁなんて、思ったりもします。息子の行動障害の話は正直言って一番悲しい思い出です。ただ、その思い出が同じ立場の人たちや医療や福祉の現場の方たちへのなんらかのヒントになるとするなら、いつかその話を記事にできればいいなぁと思っています。

最後になりますが、どんな経験をしたとしても、しなくても良い経験というのは確かにあって、私の場合には、この二つの反射が大きくかかわっていたのだと思い知った時に、これらのことを世間に知ってもらえることで、病院受診を考えたり、とどまることにもなるように思うのです。現場が混乱しているのは、ドクターや支援者が足らないからだけではないと思うのです。何がどう自分をそんな風にさせているのかが紐解けるだけで、今まで生きづらさを感じていた人たちは病院の門をたたくことなく、生きづらさから解放されるんじゃないかと思います。ロールモデルは必要かもしれないし、それなりのメソッドも必要な人もいるかもしれません。でも、自分自身だからこそ、自分が一番の理解者であり味方でいられるようになると、何者かになろうとしなくても、世界の見え方は確実に変わります。ですから、きっかけも方法もなんだっていいと思うのです。ようは楽にこの世界を見渡せるようになることが生きづらさから解放され、自分自身をとり戻せたということにもなるように思いますし、私自身をとり戻すまでの治っていく過程には必要不可欠なものだったのだというのが現在の着地点です。

長くなりましたが、この回でこのシリーズはこれで終わります。なんだかグダグダになってしまいましたが、最後まで読んでくださった皆さま、ありがとうございました。

一人でも多くの方が何かしらのお呪いから解放されますように…。合掌