ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

私は『治った』といえるのか?

『治す覚悟』を決めた日から早いもので約2年がたつ。あの日から本当にたくさんの出来事があった。私の想定していた過程は当たったが、その過程のストーリーは想定外のものだった。これは、その道を通った人にしかわからない“苦しみ”になるのだと思う。本当に苦しくて苦しくて、胸が張り裂けるという言葉でさえ置き換えられないくらい、言語化できない苦しみの津波に何度もさらわれ負けそうになった。だから、泣いて泣いて泣き叫んで怒りと悲しみとどうしようもできない想いを泣きさけぶことでしか解消できなかった。本当に今、何度か味わったあの日を思い出しても胸が痛くて苦しくなる。覚悟はしていたけど、こんなに苦しみは深くなるものなのだと、そしてそれは、幼い頃から溜め込んできた、どこにも矛先をむけられなかった怒りと悲しみでもあったのだとそう思ったりもする。

今思うのは、私が安定したと思われる時に、よくわからない理不尽なトラブルが何度も起きた。しかもそれは、家族を疑うしかないような仕組みでまるで起こる人狼ゲームのようだった。その度に私はどこにも向けることができない新たに生み出された『怒り』を爆発することとなる。その後痙攣や体調不良となっていた。抑制しすぎた時には、筋線維症にもなった。それは、自分は悪くないとわかっていても誰も責めてはいけないというストレスが私の身体を蝕むことになったのだと思うにいたっている。

それがわかってからは、他者を責める自分を許すことにした。そして、更に自分で自分を守ることだけにフォーカスすることに努めた。それからは、起きた問題に対して私なりの解消の仕方がわかり、アドラー心理学でいわれる『相手の課題』ということが完全に腑に落ちることとなった。お陰で、私の発言で他者を傷つけることになっても罪悪感を全く感じることがなくなった。精神的な負担はどんどん軽くなっていったことで筋線維症の症状もほとんどなくなっていった。そして、ビタミンB6のおかげなのか、はたまた、遠まわしな認知行動療法(支援者はしんだふり療法ともいふ)のおかげなのか定かではないが、多少のトラブルが起きても、そのトラブルを解消するために必要な倍返し以上の言語体力が培われたようで、計算力はあがってないが、40過ぎた今、今更だが言語体力が発達しているようだ。感謝感謝である(棒)

そして、年頭から、相方とトラブルになった。それでも、私はなんとなく相方と別れる予感は半年以上前からわかっていた。だから、そんな日が来てもいいように相方にはそれなりに自分の精一杯で関わってきた。それでも、私の至らなさもあり、別れることにはなった。それさえも、私にとっては単なるお試しなのだと思っているのだが…。ただ、相方と別れたことで、私にはハッキリとわかったことがある。どうやら、私は自分が治したいと思っていた癖は治っているようなのだ。

なんでそういえるのかというと、相方とはこれまで何度もすったもんだがあった。その度に別れる別れないといった騒動もあった。その度に荒れ狂ってきた。そんな自分自身も嫌だった。なんで私はそこまで執着するんだろうか…。そんなみっともない自分も嫌で嫌で仕方がなかった。それを『好き』だと勘違いもしていたような気もする。でも、私のどこかでそういった感情はただ、誰かに奪われたくないという感覚のほうが近いような気もしていた。そして、そんな自分の感覚は異常だと思っていた原因が愛着の不具合だとわかったことで、私は愛着の不具合を治したかったのだ。その不具合を治せば、たとえ大好きな人と別れてもしがみつくことなくスッキリと別れられるような気がしていた。確かに今回のお別れはそんなにズルズルねちねちとはしてはいない。ただ、何かちょっとでも怪しい雰囲気を感じ刺激をうけると負の感情は湧いてくる。あんなに頑張って愛着の不具合を片づけたつもりだったけど、ダメだったのかーとガッカリしたこともあった。ただ、その時その時に溢れてくる負の感情を抑制せず、相手に更に嫌われることになっても、相手に伝えたり衝動にまかせた行動も抑制することなく、そんな自分を許し行動にうつした。感情がブレた時には、自分の親を頼ることなんてほとんどしたことなかったけれど、そういったことも母に頼るようにしたこともよかったのかもしれない。今までできなかったことを全部やっていることも私の中にあったブロックが外れた後の癒しになったからか、相方に対する執着はかなり落ち着いている。

そして、また最近別件でトラブルがあった。以前ならかなり動揺をしブレていただろう。怒りにまかせた行動を起こしたりもしたと思う。どんな状況にみまわれても、私自身だけで感情を抑制することなく、きちんと吐き出さなければいけない場所に、感情論で話をするだけでなく、建設的に訴えることができるようになってきている。そういうことが起きても、悔し涙を流すくらいで、日常生活を淡々とこなせることができているのは、成長できているように思う。さすがにこの日は軽い痙攣もあったが、本当に軽かった。それも一度だけ。それに、怒りにまかせた行動を起こす心理状態がどのようなことかも自分なりに紐解けた。

これまでにも散々経験してきたのだが、世の中どうすることもできないことはある。そして、それらを越えるには自分自身の中で折り合える地点を知るほかないこともわかった。そして、それが何故か折り合えるようになっている自分にも驚いている。悲しいけれど、悲しみに飲みこまれてはいない。そして、このブログを綴っていて気がついたことがある。私はどうやら自分の思い通りにならないと癇癪を起す人間だと思われていたんだろう。ただ、考えてみてもらいたい。確かにそんな時期もあった。それは自覚している。ただ、そういう風に私を捉えたとして、わざわざそういった壁を経験させることに何の意味があるのですか? 私が波風をたてるならまだわかる。なぜ私の周りに波をたたせ、私がその波をどうやってクリアするのかをみて何か意味があるのだろうか? 自分たちの今後の備えの為に? もし、そういうことなら、たとえ私の波の越え方が上手くクリアできてそのマニュアルがあっても、私以外の人が同じようにできるとはかぎらないのに。そして、そういった波風をたてる人たち自身にも、『思い通りにならないと歯がゆい』といった悪癖が少なからずあるということなのだと思う。だから今一度思い当たることがないか、ご自身も我が身を振り返ってみてもらいたい。

お陰様で、今の私は、陰極まり陽に転じることとなり、私なりの中庸を知るステージへ移行した模様です! それでも観察されているのは、治ってないと思われているということですね! わかりました! 闘いません! 楽しみます(笑)

 

現場からは以上です。