ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

資質がないことが身を助くことにもなる

私はLDではない。聞いた数字や計算を頭の中だけで計算をすることだけが苦手だ。一次的に利用できるクリップボード的なもの、例えばメモ帳やテストの答案用紙の裏など、書くことができれば、テストの点数にさほど問題はなく健常域になると思う。ただ、ほかの教科に比べると算数や数学は必死で頑張らないといけなかったし、私の言葉の汲み取り方の特性や、担任の先生の指導次第で成績が違った。

算数が苦手だったのは、頭が悪いからだとばかり思っていた。それは両親や周囲の大人が頭のいい弟と私を比べられたからだ。あまり深く考えない真に受けるタイプだったことで自分は頭が悪いのだと思うこととなっていた。が、小学生になりテストの点数や通知表でどうやら自分は頭が悪くはなさそうだということに気がつくことになった。それでも、算数だけは苦手ではあったので、母に教えてもらうほうがわかりやすかった。母曰く、小学校1年生の頃の担任の先生の算数の指導が5進法だったことがより苦手な算数を解りづらくさせたんじゃないんだろうかといっている。ただ、私は全く覚えていない。あの頃、自分がつまづいていたという感覚はあまりなかった。ただ、指は使っていたような気がするので時間はかかっていたような気がする。それでも、九九は普通に覚えられた。自分で覚えがあるのは、文章問題から計算式を導き出しそれに答えることが難しかったなぁということは覚えている。

算数が難しいと自覚が出始めたのはおそらく高学年になってからだと思う。これまた、この時の担任の指導で私は更にわからなくなってしまった。こんな経験があるからか、小学校でも担任が全教科指導にあたるのではなくて、国数ぐらいは教科ごとに担任以外の専門の先生が指導にあたったり、クラス分けをして指導するなどそういったことが行われていると、読み書きの土台である時期をもっとより良く学べるようになるのではないのだろうか? と大人になった今そう思うことがある。何故そう思うのかというと、算数が苦手で仕方がなく、中学になり数学になるのだから、更に難しくなるだろうと思い、正直、不安で仕方なかった。ただ、中学になると教科ごとに指導の先生が変わったおかげで、3年間数学の先生がわかりやすい指導だったこともあり、算数でわからなかったことが逆に数学の授業を受けたことでわかるようになったことはあった。なんだ!そういうことだったのか!と思い算数時代の不足を取り戻したことがあった。こういった経験があるから、教師の指導不足が生徒の資質をつぶしてしまうことにもなったり、やる気をなくさせてしまうことにもなってしまうことは、教育現場の方たちに知っておいてもらえたらいいなと思う。

思春期になり周囲の同級生との違いを感じながら、自分の不得意な部分を異質だと思うだけではなく、なんで、これができるのに、これがわからないのだろう。。。そんな風に思いながら学生生活を送っていた。大人になって、勉強ができていたら今はもっと違った人生だったかもしれない。そう思ったこともある。ただ、自分という人間を深く知ることになった今は、頭が良くなくてよかったなーと思うにいたっている。何故なら、もし、数字に強く計算も得意で関数などバリバリできて、英語もわかったりすれば、私は間違いなくハッカーになっていたような気がしてならないからだ。計算が得意だったりすれば、お金に纏わる商業系の経理がバリバリできたりしたら、会社のお金をちょろまかすような姑息なことでお金を稼ぐことを覚えていたかもしれない。『紙の月』のように、好きな人に貢ために自分の資質を悪い事に使ったかもしれない。だから、私は逆にそういった資質に恵まれなかったことが、私自身の身を犯罪から守ることにもなっているなーと思うこともある。だって、したくてもできる技術をしっていても、完璧にできないだろうから、絶対ばれるから捕まる確率は高いのだ。悪い事が出来る人たちは捕まることは計算していないと思う。あくまで、捕まらない前提で犯罪を犯しているにすぎない。それと、私は人より頭も回るようで、人とは違った視点で物事を捉えられる資質が育まれたように思う。ただ、そうなると、法律ギリギリのところをかいくぐり、お金を稼いだり、絶対ばれないような完全犯罪を思いつくことにもなる気もする。ただ、私はそういった資質が自分にあるとするなら、絶対にそういったことにその資質は使いたくないなと思う。たとえどんなことがあろうとも、自分にできる技術があったとしても、それらが法に触れる触れないに関係なく、誰かを死に追いやるようなことになるなら、私はしない選択を選んでいきたいと思う。何故なら、私にとって人を陥れてまで名誉や権力や地位が欲しいとは思わないし、それよりももっと大切なことに気がつけたからだ。だから、たとえどんな苦境にたっても、私にできる資質があってもしない選択を選び、何か別の方法がないかどうかを考えられる人でありたいと思うし、様々な常識をぶっ壊せるくらい頭が柔らかい人でいられたらいいなぁーと思っている。一度は大切だった人たちを苦しみの沼に引きずり込むようなことをしたことがあるからこそ、もうそういうことはしたくないと思っているから…。