今日の空(最終回)
年が明け、昨日は成人の日
そして、今日は「鏡開き」の日
7日過ぎた時に
鏡餅は降ろしていたのですが
昨日が鏡開きだと思い込んでいて
うっかり、昨日食べてしまいました…
無念。しかも、磯部餅にしてしまった…無念
▼写真は、年末出かけた先で空
ブログを含め言語活動をお休みして早4カ月が経っており、年末のご挨拶も年始の挨拶ブログもアップすることなく、久しぶりにブログを綴っております。
お久し生です ^^) _旦
さてさて、今日は、1月11日〝1並びの日〟。
そんな、ボーナス確定な日…(あっいかんいかん。)が、天赦日に加え申子が重なる一粒万倍日なすんごい〝良き日〟なことは事前に知っていたのですが、〝春財布〟は買っておりません。ええ。
そして、10日えびすなる3日間の最終日でもあったのですが、別に行きたい場所がありまして、時間が足らないと思い、本日は、半年くらい前から気になっていた神社へ参拝してきました。いやはや、予定通りの時間に家に着いたので満足です。
ということもあり、昨年の9月のブログにも書いていたと思いますが、今まで使用していたSNSなどの利用の仕方を変えるべく一人自問自答しつつ、今日のこの日を迎えるにあたって、ほそぼそと年末から少しずつ動いておりました。
言語活動をお休みしている間に、とある講座を受講し今後はささやかながらボランティア活動に参加させていただこうと思っているので、手を広げ過ぎてしまっているSNSの利用の仕方を変えることにしました。
私もあと少しでアラフィフに突入するのもあるのと、自分が思ってるよりも、精神的な面で強くなったように思ってはいたのですが、溜まりすぎるのとその反動で〝てんかん〟の発作が起き、とんでもないことになる事態が起きているのもあるのと、昨今はなんでもパスワードが必要になってしまったことで、昔みたいに記憶することができず、メモをしていても、なかなか大変なことになったのも理由の1つです。
どんなに頑張っても老いにはかてません。。。脳みそを少しでも楽にさせるためには、覚えて置かないこと(クリップボードは常にからっぽな状態)も大切な事だと、シミジミと体感している次第です。しくしく(:_;)
ということで、今後は、このブログ「今日の空」は、日々のことや過去のことを思い出したりしたときに、覚書程度に綴っているブログでした。
自分では、外側に向けて発信しているつもりでもありましたが、独りよがりだったように思ったりもするだけではなく、写真を撮るのも好きだし(とはいっても携帯のカメラですが…)手軽に写真がアップできたり文字が綴れる【インスタグラム】のほうが、日々の徒然な想いを発信していく場所が適しているように思うので、今後はブログという形態ではなく、出掛けた場所の風景写真やその時々の想いは〝インスタ〟で発信していこうと思います。
なので、はてなブログでの発信は今日このブログが最終回とさせていただこうと思います。ただ、過去の記事はこのまま掲載したままでにしておきます。
で、言語活動(詩やエッセイ、ショートストーリー等)はやめるつもりはなく、それらについては、NOTEに掲載していこうと思っています。
NOTEへの掲載に関しては、これまですべて〝無料〟で閲覧できるようにしていましたが、全てとはいいませんが、今後は、完全無料ということではなく、お金をいただくことにしようと思っていますので、準備が整い次第お知らせしたいと思います。
基本的には【Twitter】で日々リアタイで、わけのわからないことをぶつくさとつぶいておりますので、そちらをご覧くださると幸いです。ただ、ブラックトーク満載な時もありますが、それでもご興味がありましたら、リストにいれていただくなり、フォローしてくださると嬉しいです。
今後は、NOTEの記事をアップした際には【Twitter】と【instergram】で紹介していくつもりです。Facebookに関しては、インスタがあるので、アカウントを完全に閉じることになるかと思います。
Facebookに関しては、ほぼ親しい人たちと繋がっていない今のうち完全に撤退したいと思っているので、とりま、少しずつ整理しながら、言語活動を再開させていくつもりです。今後ともよろしくお願いします。
後、ご挨拶が遅くなりましたが
昨年同様本年もよろしくお願いいたします。
ささやかながらでも
自分に〝できること〟を〝できるしこ〟最善を尽くしたいと思います。
そして、この記事が最後の記事です。
読んでくださっていた皆様、影ながら支えていてくれたねぇさん
感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました!
令和4年1月11日 sorahitoumiこと千晴
今日の空
台風の影響で3連休は
天気が崩れると思っていたら
3日間とも気持ちがいいくらいの
いいお天気に恵まれて
体調不良で沈みがちだった心が
一掃されるような空の青さを
息子と2人で一緒にみれたので
感無量な連休を過ごせました。
今日は、満月が重なる『中秋の名月』
どうか、みれますように…
▼2年前の春、天気が悪くて見れなかった景色を息子と2人で見てきました。予想以上に素敵な景色で感無量でございました。博多駅のビルの屋上からの眺め
いつ頃からだったか、ふと、産まれた順番が遅くなれば遅くなるほど、新しい作品を産み出すのは、いろんな意味で大変だよなぁと思うようになりました。
著書(漫画を含む)や音楽、映画などに関しては、好きな分野だから特にそう感じてしまいます。
RADWINPSさんのどの曲だったか忘れてしまったのですが〝数多のモノはでつくした〟的な歌詞がある曲があったんですけど、そんなことを思っていた時に、この曲を知って『んだんだ』って心の中で首を縦にふり、大きく頷いたことがあります。
なので、今現代で自ら新しいモノを産み出す、又は創作する際、著作権などを頭にいれて産み出していく必要があるわけです。
私が、こうしたブログを書いているのも、きっと、今同じように感じている人も存在しているだろうし、何らかの違ったカタチで表現されてらっしゃる人も存在するのだろうと思っている次第ですが、もしかしたら、時代の節目節目にこういったことをどこかの誰かが書にしたり、語り継いだりしてきたのだろうなぁと思うんです。
生活保護世帯なので、自分が満足するくらい著書を購入することもできないし、動画配信やネットの情報の方が早く、適切だと思うことが多いので、テレビを観る時は気になる番組だけみている今日この頃です。
なので、自宅にいる時は、ほぼラジオを聴いている状況なんですけれども、多分、何度目かのカバーブームが起きてて、これまた、そのカバーのされ方に驚くだけじゃなく、年代が70年代~90年代で、私にとっては、ど真ん中な時代なこともあり、懐かしさだけじゃなくて、アレンジする人が変わるだけで、知ってはいても、違って聞こえたり、鮮度の高さを感じてしまう不思議を感じている今日この頃です。
音楽に関することに長けてる人たちや、携わっていらっしゃる人たちの評価はわからないのですが、私があまり音楽を知らないから、新鮮に感じてしまうだけなのかなぁなんて思ったりもします。
ああ、また前置きが長くなってしまっている…。
とにもかくにも、知らないで作っても、盗作っぽく感じるような曲になってしまったり、好きすぎるあまり、あのフレーズのあの感じを自分の表現技法で表せたら…。なんて、インスパイアされた作品もあるのは仕方ないんじゃないのかなぁなんて思ったりもするんですよね。
なので、なんていうか、時代は変わっても何度も巡るものだと思うと、似て非なる作品が出て、引っ込んで…。と、そんな風に、今現在も言葉や表現方法や媒体を変えたりして、私たち一般の人へ届いているモノもあるのだろうなぁ…なんて思うようになったのが、今から5年くらい前でした。
それらを至極、強く感じるようになったのは、いくつか原因がありますが、それは私の想像でしかないので、ここでの発言は控えようと思います。
古くから伝えられてきた作品は現代まで、誰かが残してきたり引き継がれてきたからこそでもあると思っているのですが、人っていうものは愚かな生き物なのか、過去の過ちが二度と繰り返されないようにといった願いも込められて、未来に託したはずの作品が、いつの間にか、違ったことで悪用されたり、独り歩きして、同じ過ちを別なカタチで繰り返し続けているんだなぁと思う今日この頃です。
私自身もそうなのですけれども…(苦笑)
過去ブログにも1度残していることですが、この世に輪廻があるとしたら、また違った自分に生まれ変わるために、人は今世でやり残し繰り返すという〝永遠〟を選ぶんだなぁと思うと、私は腑に落ちました。
だとするならば、運命の人と結ばれないことが、来世でやり直しができるという永遠を選んだということなのかもね…なんていうことに気がついた時、私はもう2度と人間に生まれ変わりたくないと思っているので、今世で思いを残すことなく、いつの日かこの世を去りたいなぁと思い、日々を暮らしています。
2年前から今だ続いているコロナ禍を過ごしたことや生活保護を受給していることで、有難いことに、諦めることが苦ではなくなりました。
悔しい思いをかみしめることもあるし、虚しく、悲しいこともあるけれども、私はなんとか、自分の辿り着きたかった自分に戻れたことで、来世に引き継ぐことなく、人間界をされそうです。あっ天国にいけるかはわからないけれど…(笑)
ということで、きょうはこのへんで…
今日の空
前日の頗るよかった天気から一転し
温帯低気圧に変わると思っていた台風が
勢力が落ちた状態での台風一過
多少雨風が強かった程度で済み
我が家は停電することもなく
夜が明けました。
週明けには彼岸入り。
翌日は十五夜
中秋の名月がみれるといいなぁ。
▼台風一過前日の一粒万倍日な大安だったらしい日の空
最近、ツィッターやリアルでも言いたいこといいまくっていて、心がやさぐれている感否めないので、今日は、短めで写真いっぱいどーでもいい記録を残しときます((笑))
息子が支援学校高等部に在籍していた時(今から2年前)に、学校内での実習だったのでお弁当を持たせないといけない時がありまして…。
いつもは、毎日給食だったし、離れてくらしていた時期は施設入所していた時だったのと、体育祭のお弁当は母に手伝ってもらうことが多く、その実習の時に、9日間ほど久しぶりにお弁当を作りました。一応、仕事しながらだったので大変でした。
小学生くらいまでは偏食がひどく、まだ診断がついてなかった時期までは、白ごはんとのりたまとこんにゃくゼリーくらいしか食べなくて…。一般的に子どもが好む、唐揚げも卵焼きもマヨネーズもケチャップも苦手でした。
施設入所をしたこともあり、小学校時代には偏食指導みたいなこともされていた時期もあったので、その時は、学校の先生に偏食指導はしないでくださいといったお願いをしました。
そのうち、食べられるようになって、下記のお弁当の内容ならば完食するまでに成長しました。重度のお子さんでも、偏ることはあっても、成長によっては食べられるものは自然に増えます。なので、案ずるでない…とか、大丈夫と断言したいところですが、断言はしません。
ただ、食べてくれる工夫はしてはいました。でも、どちらかといえば〝なぜ、食べられないのか〟〝食べようとしないのか〟ということに着目するようにしていました。そして、食べられない時は、息子のことも自分のことも責めないように努めていました。
出されたものは無理してでも食べてしまうようになったことで、咀嚼をせず鵜呑みするようになったことで、今度は嘔吐もするようになってしまうことになりました。その件に関してはいずれ…。
※話が長くなってしまうので、飲食に関することは、別の時にでも記事にしたいと思います。
さて、我が家は息子1人なのですが、お子さんが多いご家庭で仕事もしていらっしゃるご家庭は、何年もお弁当作りをしていらっしゃるんだよねぇーと思うと、もう、なんだか、頭が下がる思いでいっぱいになりました。
どんな偉い人よりも、毎日お弁当をかかさず作ってらっしゃる方たちは、本当凄いなぁと思う次第です。本当お疲れ様です。
後、こんなふうに頑張ってる人を褒めると、毎日お弁当が作れない人を責めているように思われがちですが、それができない人がいるのも承知しております。
現に私は、病気な時はお弁当を購入してもらうなどしています。なので、気分を害されるとしたら、なんだかスミマセン。
ということで、2年前に作ったお弁当を公開します。デデーン。
※写真の日付をみたら、ちょうど今頃でした。ビックリ
一応、前日の残りのオカズや常備菜、スーパーのお惣菜や冷食なども使用しています。卵アレルギーですが、加熱処理しているものは大丈夫なので、なるだけ量は調整して、毎日続かないようにはしていました。
これは限定された日数だったので、できたまでです。
こんなの毎日は私に…りーむーです( ;∀;)
ということで、きょうはこのへんで…
今日の空
あっと言う間に夏が過ぎ
空を見上げるとすっかり秋模様
先月末から雨の日が多くて
散歩するタイミングがつかめなかったので
久しぶりに公園に散歩に出かけた途中に
彼岸花が咲いていました。
都会なのにオニヤンマも飛んでいたり…
それなりに、発見の毎日です。
ワクチン接種も無事完了しましたが
今後も予防対策は続けながら
楽しめることは
楽しんでいけたらいいなと思います。
▼彼岸花だけじゃなく、ススキの穂もみつけたのでパチリ
アメリカ同時多発テロ事件から今年で20年。早いモノですねぇ。
亡くなられた皆様のご冥福をお祈りいたしますと共に、当時、自己に巻き込まれてしまった皆様、未だ尚、癒えない傷を抱えていらっしゃる皆様にもお見舞い申し上げます。
そういえば、その年は、7月にジブリ映画『千と千尋の神隠し』が上映された年でもありました。
当時、自分が何をしていたのか振り返ってみると、その当時、息子がお腹の中にいて約半年を迎えたくらいの時でした。
その日は、親戚の姉が出産したと連絡を受けたので、仕事が終わってから姉が入院している病院へかけつけ、病院のテレビでテロが起きた時の映像をみたことを思い出しました。
なんていうか、自分の小さな世界では、喜ばしいことが起きているのに、遠い海の向こうでは、悲しい出来事が起きてしまって…。なんともいえない気持ちでいっぱいになりましたが、姉の子どもがとりあえず何事もなく元気いっぱいに生まれてきたので、よかったなぁと思ったのでした。その半年後、私も帝王切開で出産をしました。
我が子は早生まれになりますが、来年は成人式。支援学校の卒業間際から、コロナ禍によって外出自粛要請によって、休校となってしまい、制限のある中で卒業式は開催されたけれども、先生やクラスの友だちと中途半端な状況でのお別れとなってしまったので、来年の成人式は、なんとか、先生方や同級生の子どもたちと会うことができるといいなぁと思います。
世界情勢にあわせ、自分自身のことも少しずつ前に進んでいることを感じてはいます。とにかく、このままなんとか収束からの終息に向かうことを願うばかりです。
今日の空
なんとか無事に台風一過して
胸をなでおろしていたら…
季節外れ…というより秋雨前線到来?
昨日から強い雨が 降ったりやんだりしています。
これからが台風シーズン本番
台風が過ぎ去っただけでなく
陽の入りも少しずつ早くなり
色温度も変わっています。
それでも残暑は続いているので
熱中症に気をつけながら
コロナ対策も気をつけねば…。
▼アブラゼミで残暑感を…
過去のブログを読んでいただけば、何度か記事にしているのでわかると思うことなのですが、あえて、触れずにいたことを、今日は記事にしようと思います。
本当は、このブログの記事に名前を出したくはないのですが…。
2016年から始めたブログの頃からすると、私自身のメンタルだけにとどまらず、現在の居住地も身の上も随分変わってしまったし、現在、NOTEのほうで【自分史】を綴っていることもあり、こちらのブログへリンクしている記事を読んでいただく中で、誤解を与えてはいけないと思う記事もあるからです。
この【はてなブログ『わたしの暮らしの忘備録』】に綴っていたことは、実際にリアルタイムで綴っていた記事になるので、現在の私にたどり着くまでの〝伏線〟だと思ってもらえるように、当時のリアルタイムの記事をそのまま掲載させてきました。
ただ、その記事の中には、読んでいる人に誤解を与えてしまうような部分や〝著書〟も掲載しているので、一度、その件について、今の自身の想いを明確に綴っておこうと思います。
長年読んでくださっている方や私のことを昔から個人的に知っている方たちは、ご存知かと思いますが、私は以前「花風社」から出版されていた本を愛読していた読者で、反「花風社」な人たちからすれば、私は元信者でクラスタでした。
2016年の12月までは、確かに出版されていた著書を愛読していたし〝著書〟を読んだことで、私自身に限らず息子も発達又は改善していきました。一時期それを【治る】という言葉を使っていた時期があるのも事実です。
現に一時期は、私も息子も【寛解】といえる状態にまでになったこともありました。ただ、感覚過敏は『治った』というより『マシなった』くらいです。クラスタの方の中でも、感覚過敏が『治った』といったり、発達障害が治ったと公言又は断言なさっている方もいらっしゃるようですが、自身のが経験したり、発達障害が重度域の息子と過ごしている中で感じている『治ったと思う部分』は全く別物だと思ってもらえたらと思います。
なぜなら、人は死ぬまで〝発達〟しながらも、老いていくモノだからです。
確かに私や息子の身に起きていた身体的な不具合や行動障害は一時的におさまり【寛解】と思える状態まで落ち着いた時期はありました。ただ、それは、あくまで、私や息子にとって、一時的に〝安心〟で〝安全〟な環境下で生活ができていたからこそのことで、それらの生活がままならなくなれば、私も息子も再度、心身の不具合が起きてしまう状態になってしまいました。
息子のほうは、投薬治療のお陰もあり、なぜ行動障害が起きていたのかを紐解くことができたことで、再度、落ち着きを取り戻したのですが〝軽い〟と思われていた私のほうが、実際は根が深く治療に長い期間を要する自覚をすることになりました。それでも、なんとか、今、落ち着いて生活をし、一進一退しながら日々を過ごせています。
今回のブログ以外にも、何度か「花風社」と縁が切れたような記事を書いていますので、関連の記事をこのブログに掲載しておきます。併せて読んでいただけましたら幸いです。
あれから3年目の暦の上ではNovember
https://sorahitoumi.hatenablog.com/entry/20191109/1573257808
心の声
https://sorahitoumi.hatenablog.com/entry/2018/03/20/183840
自主企画を卒業したワケ①
https://sorahitoumi.hatenablog.com/entry/2018/01/18/130844
自主企画を卒業したワケ②
https://sorahitoumi.hatenablog.com/entry/2018/01/18/130854
今日の空は晴天だけどなんだかブラックな私のココロ
https://sorahitoumi.hatenablog.com/entry/2018/01/18/160943
2016年までに出版された著書を、私はほとんど読み、自身の中で実践してきました。当時までは、反花風社の人たちに対して、私も悪口をいったこともあります。ネット上で、今考えると馬鹿なやりとりを行ったこともあります。
『その時の自分が無知で馬鹿だったから…』といったことで、すべてをなかったことにするのは、なんか自分の性には合わないし、その当時の自分は、本当にそう思ってたからこそ、悪口も反発もしていたのは紛れもない事実なので、その時の自分が間違っていたとするならば、この場をおかりし〝謝罪〟をしたいと思います。 私の言葉で傷つけてしまった方たちがいらっしゃるとするならば、大変申し訳ございませんでした。
そして、5年前までに読んでいた著書や自主企画などの件に関しての記事に関しましては、現在、否定も肯定もしません。あくまで、個人的な感想として読んでいただけましたら幸いです。
著書の題名や帯などに関しては、あくまで一般の人たちに目を引くようなタイトルでなければ、いけない側面も持っているのが出版などの世界だと私は感じています。
ただ、1つだけいえるのは「花風社」の著書の内容は、一応〝薬事法〟などにひっかからないような内容で記載されていたと記憶しています。
法に違反している内容の場合、処罰を受けることになるだけでは済まされないからです。ですが〝著書〟とは違い、SNS上での花風社の社長のツブヤキは、明らかに間違っていると思われることもあり、反社会的な発言も多く、時には読者間の不仲を煽ったり、1人の読者や著者を貶めるようなことが行われていた時期もありました。
ツィッター上では、炎上からの呼び込みと思われるようなことが行われているのかな?と思うようなことも感じながらも、その当時はまさか、そんなことをしてまで、読者を増やす人(花風社社長や取り巻きの一部の方たち)ではないと信じておりました。
それとは別件で、Facebookでは、一部公開の場所でコメント欄で〝私刑〟のようなことが繰り広げられていたこともありました。 当時の私は、とても、弱かったので、うまく立ち回ることができず〝疑心暗鬼〟な気持ちになり体調不良なってしまうことになったことで、全ての方と縁を切ることにしました。
縁を切った後、誰一人、声をかけていらっしゃる人はおらず、エアリプでの回答に驚くばかりでした。一時期は鍵をかけてつぶやいていたり、誰もみるはずがない場所で書き連ねていることを、不思議と、私の周囲の人と繋がりがあり、あたかも知っているかのように、エアリプで感想を述べてくださっていたりすることもあり…(苦笑)※いや、みなきゃいいことはわかっているのです。ツィッターは観察しておりますが ※いや、だから観察しなくてもいいのに…自分
観察することで〝エアリプ〟とのみえない戦い方の作戦を練るためには〝観察(見張る)〟するほかなかったので、そのための監視をしております。要するに、みえない所からの援護射撃という名の〝行動統制〟の倍返しを行っているでござんす。
とりあえず、私は自身の中から沸々と沸いてくる、違和感がどういうことなのかがわからないことがものすごく気持ち悪く、それが怒りのポイントとして溜まってしまうことが多いからです。それらはどういうことかというと、自分が実際、公の場に出していない独り言みたいな記事や、特定の人だけにしか言ってないことを、知らないはずの人たちがなぜか知っていたり、私の実生活での行動をあたかも知っているような内容に対するツブヤキやブログなどでのコソコソ話のようなことをみることもあったし、同社又は関連の方のブログの中に登場している人たちの名前が私の身近にいる人たちの苗字と同じ苗字の人の名前だったりすることもあり、ブログや著書のネタになっているような匂わせ芸のようなことも感じたことが1度ではなく、何度か続いたからでした。
おそらく、それは、そういったことで、私から言いがかりをつけるためのテクニックで、もし私がそこで、言いがかりのようなことを言ったとしたら、相手からすれば『シメシメ』案件だと思われ、そうだとするならば、返ってくる言葉まで浮かんでしまい、別の言葉ですり替えられるだろうことは想像ができたので、ものすごーく腹だたしくて〝怒り〟がマックスになったことがありました。
それらが、私の被害妄想といわれればそれで〝終わり〟なのですが(すべては証拠が必要なので…)そういった状態に陥いると、もう腹が立つわけです。で、その時に私が行ったことは、自分のことは、誰も、監視されていないハズ。だから、絶対見えてないはず。だったら、相手にはわからないのだから…と思い、手持ちにあった〝著書〟全部を、手で破き、地域のゴミ袋にいれて燃えるゴミの日にだして処分しました。それでも〝怒り〟はおさまりませんでしたが…(苦笑)
著書を破くことは一般的にはいけないことかもしれませんが、購入後は私が〝所有権〟を持っていることになるので〝問題はないはず〟と思ってのことでした。高い飛行機代や道具にお金を使い脅したり、殺害するような問題行動を起こすより、経済的だし罪にも問われませんし…。
で、なぜ、私が〝著書を破く〟ということを思いついたのかというと、自閉症スペクトラムの人への〝アンガーコーントロール〟のための方法として教えていただいたことを元に、自分なりにやってみた〝怒り〟の回避の方法でした(棒)それでも〝怒り〟は半分くらいに減ったくらいでしたが…。
アンガーコントロールってですね〝親指を数秒押せばおさまるとか〟〝●●すれば、おさまる〟的なことが巷でいわれておりますが〝怒り〟の臨界点を越える体験をした人からすれば、コントロールできる〝怒り〟は、正直言って〝鼻くそ程度の怒り〟なんですよ…実のところ(遠い目)
それからは、同社社長のブログや関連のブログも読んでおりません。
なので、私の書いてることが万が一同社のブログや2016年以降に出版された著書の中でシンクロしていることがあると仮定して、シンクロしている部分があるならば、私がなんだか〝スゴイ人〟になります。が、私、ただのオバサンです。
なので、他に考えられるとするならば…とはいっても、一般的には考えられない手法なのですが…。実は、私の監視人の1人とゆかいな仲間たちだと思うと気が遠くなりそうな案件だなぁと思う今日この頃です。はい。ただの妄想です。駄々洩れ、すみません。
考えてみると、花風社の風向きが変わったと同時期に、私は閉鎖病棟に入院することとなり、退院をし、社会復帰をするにあたり、日々を生活していました。それと並行するように、花風社を思い出し、花風社もまた、身体アプローチの方向へ切り替わっている時だったので、SNS上で繋がったことで、私はすっかりのめり込んでしまったのでした。
2016年までに読んでいた一部の著書は、野口整体やブレインジム、ビジョントレーニング、白井式レイキなどの身体アプローチを学んでいる人たちはご存知かと思いますが、すでにある情報をそれなりの資格を持った人が著者となり、あまり、それらに馴染みのない人たちにもわかりやすいように、言葉を変えて、説明してあるといった感じです。野口整体の本を読めば「なーんだ」と思う人もいらっしゃるように思います。
現に私は、野口晴哉氏の著書を数冊よみ「なーんだ」と思ったのです。恥ずかしながら…。ただ、現在、医療の主流となっているのは『西洋医学』が標準医療となっています。そういった意味で、野口整体の場合には『薬事法』などで違法な部分も見受けられるし、整体師の一部の方の中には〝いきすぎた指導〟をなさる方もいらっしゃることでの不具合も起きているのです。
標準医療から離れてしまうということは、一般的な『倫理観』とは違う世界線の中に身を置くということだと私は思っています。それが一個人だけの中で済めばよいのですが、家族がいる場合や他の人を巻き込んでしまった場合には、個人1人の問題では済まなくなることが多いのはご存知な人も多いかと思います。
同じ知識を持っていたり、価値観の方向性は同じでも、人だからこそ、その人の持つ個体差に違いがあるだけでなく、違いが大きいからです。そして、現代は〝潜在意識〟の域まで語られる世の中になりました。だからこそ、標準医療から離れて生活をするということが一体どういうことなのかということを一度立ち止まり、改めて考える必要があると思うのです。
入口が優しいからこそ、奥深くまでのめり込む人の場合には、抜け出せない沼へ自ら落ちるようなものです。だからこそ、自身を律し、時代に合わせた〝意識改革〟は必要だし、何をどう残し互いの良いところまで〝殺しあう〟ことなく、活かしていけばいいのかということも含めて考えていただきながら、私のブログは読んでいただけたらと思います。
ただ、花風社の著書を通じて、神田橋先生と出会うこともでき、野口整体などを学んだ栗本氏との出会いが、自己改革するまえの序章になったのは事実だと思うし、そういった面では感謝しています。実際、助けていただいたこともありましたのも事実です。
その後、野口整体に辿り着くことになりましたが、そことのご縁も切れてしまいました。このご縁が切れてしまったことは、とても残念に思っています。
それでも、今現在の私には、野口整体とのご縁さえ〝必要〟がなくなったということもわかりました。何故なら、私自身の感覚は元々持っていたモノだったので、それらに気がつけばよかっただけだったからです。
後、現花風社の各地域の自主企画といわれる講座が広がることになった原因は、私が原因です。花風社社長は、うまくいくはずないと思ってらっしゃたご様子でしたが、なんかうまくいっちゃったのです。最近は枕詞がついた方が自主企画の担当を担ってらっしゃるようですね。私が自主企画を辞めた理由の一つとしては、まず自分の治療を優先させてことと以外に『災害が多くなることも見据えて』難しくなるだろうと思ってたのですが、早く辞めておいてよかったなぁと思う次第です。ハイ。
手短とはいいながらも、長々とした言い訳めいた記事になっておりますが、最後の締めくくりにもう一度、短く声高に締めくくっておきます。
★花風社と愉快な仲間たちご一同様とのご縁は切れ
誰一人繋がっておりません
★2016年以後に出版された著書や関連のブログは
一切読んで読んでおりません
★手持ちの著書は全部処分しました!!!
★社会資源(療育・標準医療)は必要派
ということで、きょうはこのへんで…
今日の空
今日が一番暑い日になるとの予報
福岡の予測だと最高37℃らしいです
38℃とか39℃の地域もあるそう…
気温の1℃の違いでも暑そうー!
と思ったりはしますが
人の体温だと1℃あがるだけで
高熱になってしまう…
さて、本日の最高温度は
一体何度になるのでしょうか…
▼昨日散歩に出かけた際久しぶりに虹をみました
今年は夏らしい入道雲とか棚雲とかをみることができているだけでなく、福岡在住なので、熊本に住んでいた頃より、空の写真を撮るのに気軽にパチリとできなかったりします。
案外公園などいっぱいありますが、ちょっと大きな通りにでればビル群だし、住宅街には公団などの箱モノな建物や電柱があることで、空だけの写真を撮ることが以前に比べると難しくなっています。というか、私には難しく感じるだけなのかも。
空の写真を撮る時、昔は電線がはいったり建物がはいることもなんか嫌でした。それは、私が田舎で生まれ育ったことが大きいからかもしれません。とくに、電線は『邪魔だなぁー』と思ったりしていました。
でも、数年前から空を遮ったり昔は邪魔に感じていた電柱や電線などが入った写真も積極的に撮るようになりました。
それは〝エヴァンゲリオン〟や〝天気の子〟などのアニメのお陰です。むしろ、無機質な直線ばかりのビル群の上に広がっている様々な空との対比が、むしろカッコよくみえるようになったからだけでなく、曇空の日でも素敵にみえるようになりました。不思議です。
特に陽が沈んだ後は、すべての物体が〝影絵〟のようになるのがたまりません。今の時期は夕立や天気雨が降れば、虹がみえやすいですし、積乱雲が発達しどんどん大きくなってきたら〝ラピュタの龍の巣みたいだー〟なんて心が躍ってしまいます。
そんな私は只今48歳。後2年後はアラフィフ。もし、万が一トトロに会うことができたら、メイちゃんの真似っこしてお腹で寝ようと思っているし、ネコバスが本当にいて欲しいくらい思ってます。
公園の森の中を歩く時は、シシ神の森に帰ってきた「シシ神」が歩いた場所の植物の命が吸い取られて死んでしまうシーンがフラッシュバックしたりするくらいお花畑な脳みそです。BBAだけど(笑)
小学生時代に〝ガリバー旅行記〟や〝ファーブル昆虫記〟を読んだことを大人になって思い出した時、森の中を散歩していた時に、小さな虫たちをみたり、肉眼ではわかりづらいけれど、土の上や中にはたくさんの虫や微生物がいるんだよなぁーと思ったら、一瞬動けなくなったことがあったんですよね。
その時
「うわー、私、今の今までなんで気がつかなったんだって!」
草だって踏みつぶしていたことに罪悪感を感じてしまったことを(とは言っても数秒でしたが…)最近、公園を散歩しながら思い出したのです。で、森の中に限らず、日常に私が踏み出している1歩で、私が知らず知らずのうちに、沢山の生き物や植物を踏みつぶしているのが〝シシ神〟が歩いた後に草が枯れていく…あの映像を思い出すことになりました。
私は〝シシ神〟ではありませんが〝シシ神〟が命を吸いとるって意味は、人間界の私たちの世界の場合、知らず知らずに様々な意味で〝踏みつぶし〟殺生していることはたくさんあるなぁと思う今日この頃です。
昨年から始まったコロナ禍の中で『風の谷のナウシカ』や『劇場版シンエヴァンゲリオン』と『竜とそばかすの姫』を映画館で観ることができたことは、私にとって忘れられない年になるだろうなぁと思います。
なぜかというと、映画館でみる醍醐味を思い知ることになったからです。映画ってやっぱり映画館で観てなんぼだなぁとシミジミ思います。
それに気がつくことになったのは『風の谷のナウシカ』を映画館で観ることができたことがキッカケになったように思います。『ナウシカ』は、地上波やDVDなどで、何度も観たのですが、昨年、映画館で上映されたので、障害のある息子にも映画館で観せて欲しいと思ったことから、一緒に観ることができました。この時、なんとか息子は観ることができましたが、まだ、まだ一般の人たちの中で観ることは難しいなぁと思いましたが、良い経験になりました。興味がでれば、また付き合ってくれる日が来るかもしれないので、期待しないで待っていようと思います。
考えてみると、私は幼い頃から、親と一緒に映画館で映画を観ることがあったんですね。そういう経験があるからか、映画館で観るようになって思うのは、やっぱり大画面で観ることや音響が良いことで、作品の細かい部分の音まで聞こえることが、私にとってとても大切なことだと感じ、それが映画館で観る醍醐味だと思うにいたっています。他にも観たい作品がいっぱいありますが、お財布事情で抜粋して観ている次第です。
さて、新型コロナの感染者が増えています。福岡も〝まん延防止〟⇒〝外出自粛要請〟へ変わるようです。デルタ株の罹患率もあがっています。罹患しないように努めたいとは思ってはおりますが〝正しく怖がる〟ということも心に留めながら、気をひきしめたいとおもってます。
っていうか、もうコロナの話はお腹いっぱいだよぉおおおお( ;∀;)
今日の空
雨の日が少なかった福岡
夏の大祓いの日からまとまった雨というより
突然激しく降るスコールみたいな雨と
時々起こる稲光…
なんとか災害が起こることなく
打ち水のようなことになっており
雨上がりにはトンボが飛び
色温度が変わっているのを感じる
今日この頃です
残暑キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!な
季節到来
▼おそらく、こういう空が一般的な〝完璧な空〟になるんでしょうか?
福岡は私からすれば涼しい。。。まだマシ。さすがに日中にアスファルトの上を歩けば
暑いのですが、市街地は地下道なるものがあり、田舎と違って様々なビル群があるので
ワタシからすれば夏なのに寒いww。おそらく、冬は逆パターン着る物が難しい。。。
そして、熊本市や周辺の地域は、実は実家のある天草より暑いんですYONE。
☆タブン、熊本の人たちはわかるよね? SO-DAYONE???違ったてたらすんまそん。
流行っていた当時のCMソングで知ってはいたけど、今の今までカラオケで歌おうと思ったことがなく、去年あたりからヒトカラで時々歌うようになった「A Parfect Sky」。歌ってみるたびに、完璧じゃない仕上がりに毎回項垂れております。ハイ(苦笑)
その曲の歌詞の中の一節に「あなたとみたい完璧な空をー♪」という歌詞を歌いながら、ふと閃いたのでブログに綴っとこうと思いいたりました。
ワタシが空の写真を撮るようになったのは、7年くらい前あたりからなんですが、正直言って、空って365日どんな空も完璧なんですよね。
でも、完璧だと思えないのって、結局〝主観(自分)〟なんだよねって思ったんです。
思い通りにならない心境を映す鏡みたいなもので、自分の行動に応じて空がそうであって欲しい。つまり〝晴れて欲しい時は晴れてくれていない〟とか〝雨が降って欲しいのに雨が降らない〟とか〝曇り空は中途半端だから完璧な空じゃない〟とか…
でも、空って地球全体の状態が部分的に表れている状況で、その部分的に私たちの頭上に現れているだけなので、本来常に完璧なはずなんですよね。
そんな簡単なことにも気がつけていなかった自分に笑ってしまう今日この頃です。完璧に感じられなかった頃の私には、一般的にいわれる〝完璧な空〟でさえ決して「美しい」とは思えなかった時期があるので、そう思うだけなのかもしれませんが…
その件に関しては過去ブログを合わせて読んでいただけましたら幸いです。
きょうはこのへんで…