ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

今日の空

梅雨明けしてから数日間の夏空が

毎日溜息がでるくらい綺麗で

現在公開中の映画「天気の子」の映像が

リアルに再現されてるんじゃなかろうか…と

思うくらいです。

早くみたいよーーーー!

 

▼何気に鳥モモをつかって炊飯器でつくってみたカオマンガイ
 ソースはごま油がなかったテケトーソースでしたが。
 美味しかった。

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昨今は夢をみることのほうが少なくなり

今日、久しぶりに夢をみて

目が覚める数分前からの内容と映像を

笑っちゃうくらい鮮明に覚えてて

しかも最後のオチから

目が覚めてすぐ、何時か確認するために

テレビをみたらシンクロすることが

起きました。

一体これは何を意味するのかわかりませんが

とりあえず、あまりにも鮮明に覚えているので

簡単に此処に残しておこうと思います。

 

 夢の中の私は、昔よくきた海辺の町へ遊びに出かけていたようです。(ただ、夢の中では何度か行ったことのある町ですが、実際には知らない海辺のある田舎町です。)

 目が覚めるまでに見て記憶がある数分間は、おそらく夢の途中からだと思われ、なぜその町へ遊びに行くことになったのかわかりません。ただ、感情としては久しぶりに来たーといった感覚でした。

 岩と砂浜が入り混じった海岸で、潮が干きはじめていたので、友だちと海岸に降りて、潮だまりや波打ち際の生き物を眺めていました。

 小さな小魚などが結構たくさんいて、それを眺めていたら偶々アワビがいたので、迷わず獲って、そしたら今度はタコもいたので、素手で確保(笑)

 タコは逃げてしまうので、頭の部分をひっくりかえし、逃げられないような処理をしまして、私たちはなんらかの理由で一旦その場を離れました。

 そしたら、今度は場面が切り替わり、田園風景の中にある住宅街にいました。誰かを探していたのか、誰かのお家を探していたのかはわかりませんが、その時一緒に探していた人がなななんと、俳優の米倉涼子さん。どうやら刑事事件ものな夢だったようでした。夢の中での自分の役どころが何だったのかは不明です。何故なら自分が夢に登場している時はリアルな時と同じで自身の姿はみえないのです。なので、もしかしたら所轄の新人刑事さん役だったのかもしれません。で、犯人らしき人をみつけたと思ったら、私たちの目の前で犯人が誰かのお腹を切っている映像に切り替わり、そして、いつの間にか逮捕。そして、米倉さんは颯爽と田畑の中を歩いて帰っていくのを茫然とみているところで目が覚めました。

 目が覚めてすぐに時間を知りたくてテレビをみたら、米倉さんのドアップなCM。思わず爆笑しました。。し、シンクロかよ。。。

 このようなへんてこな(それでも、まだまとも)夢を365日中360日くらいみていたんですよね。私、物心ついたころからですので約30年あまり。3年前から第2次脳内革命が起きたようなので、時々夢をみる程度になったのですが、そりゃー寝ても寝ても眠かったはずだし、疲れがとれないはずだわぁなんて思うことになっています。睡眠の質の向上はやっぱり大切だなーと思いますが、夢の内容のヘンテコさは更に倍増された気しかしません。

 

今日はこのへんで

 

今日の空

例年にない遅い梅雨入りからの

空梅雨とおもわせぶりな

降る時は雨が降という

ある意味裏切られまくりなお天気模様は

まるで昨今の私の人生

そのまんまじゃんよーって思うような

そんな気持ちになり

どんよりな気持ちになっていますが

キッとこれは睡眠不足のせい。。。

 

▼はめをはずしすぎて明け方前の
 某所で撮ったボケボケの写メ

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私は今日この日まで

大概の壁をそれなりに越えて

死なずにすんで今現在に至ります。

こんなふうにかくと

結構大変なことを経験したのだろう…

と思われてしまうと思いますが

人によっては大したことでもないし

人によっては死ぬくらい

苦しい案件でもあると思います。

よーするに、簡単にいうと

人並みよりは経験が多い

ただそれだけなのです。

それをイチイチ勘違いしたり

取り越し苦労で終わってたり…

価値観が偏っていたことで

自分責めしすぎて墓穴をほったり…

そんなことに陥り

負のループから抜け出せずにいました。

考え方によっては

まだ私は〝負の沼〟に

足をとられているようですが

考え方によっては

これが〝地球〟という次元だと思えば

当り前なのかも…なんて思うと

沼が沼でなくなっていくという

現実に変わっていくし

それを味わう日々を送っていますが

無力な自分こそが

〝虚〟でもあり

それを昇華することで

〝空〟になるのかも…と

思ったりもしますが

私は今〝虚〟でも〝空〟でもない

もっと別な意味の

〝からっぽな状態〟になっていて

ああ、もしかして

これって燃え尽き症候群かもねって

それに気がついたのでとりあえず寝ます 笑

おやすみなさい。

 

きょうはこのへんで

今日の空

梅雨だけれど

雨が降り続いているわけではなく

降る時は短い時間でドドドーッと降ったり

静かに大量の雨が降ったりしており

天気予報とにらめっこしてても

予測があてにならない今日のこの頃

洗濯物の渇きがすこぶる悪いので

扇風機が常に回っております。

 

回る回るよ~時代は回る~♪

 

▼ディスいずさといもの葉っぱですが?
 時折キツネのお顔にみえる
 不思議なオバサンですが何か問題でも…

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朝からすこぶるグズグズしている息子を

学校に送り届けた後

雨に降られながら出社している途中

信号待ちで舞っていたら

花屋さんの店先に「ほうずき」が並んでいて

「ほうずき」って下側からオレンジ色に

色が変わっていんだぁーと思いながら

雨が降ってて少し薄暗いからか

引き寄せられるように見入ってしまうくらい

鮮やかなオレンジ色の「ほうずき」は

鑑賞用と食用があるらしいのですが

まだ私は食べてみたことがないんですよね

どんな味なのだろう…。

 

生活保護になったことで

一人でドライブができなくなったので

どこそこの景色を眺めることができず

少々ストレスが溜まっています。

今の私だからこそどこそこの景色を見て

感じることができると思うし

言葉にならないだろうことも

言語化できるかもしれず…。

ちょっとジレンマな日々です。

なので、半年前からは

もっと身近な風景の中にある

綺麗だなぁと思える景色を探さすことなく

偶然みつけることを

今は楽しみにしています。

以前にくらべてみつかる頻度は下がりましたが

全くないわけでもなく

案外みつかるものです。

それだけ近くの物をみてなかった自分に

気がつくことになったので

それはそれでよかったのかも…なんて

そんなことを思います。

 

きょうはこのへんで

 

 

 

 

今日の空

怒涛のように雨が降ったのが

嘘のようです。

数年前から七月上旬は

雨に降られることが多くて

七夕の夜空を楽しめず

災害のニュースを

目にすることが多かったなと

そんなことを思います。

本日は七夕。ドリカムの日!!!

こちらは今日晴れています。

天の川みられるといいなぁ。

 

 

▼ドジってコーヒーこぼしちゃったけどなんかハートっぽかったからパチリ

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昨日、仕事をしてる中で

身体が思うように動かせない

認知症の人たちをみたことから

即身仏』のことを思い出しました。

即身仏』に関して

私は詳しいことはわからないので

説明は割愛させていただきますが

なんていうか、認知症の方って

即身仏』みたいだなぁって

そんなことを思いました。

もしかしたら、失礼極まりないことを

申し上げてるのかもしれませんが…。

 

私が高校生の頃

遠い親戚にあたる叔父が

風邪のウィルスが原因で意識不明になり

数か月ほど生死を

さまよっていたことがありました。

私も一度お見舞いに行きました。

でもその頃の私はとっても怖がりで

病室にはいるのに少し躊躇しながら

なんとか入れたことが思い出されます。

ああ、そういえば…

今息子がお世話になっている病院だったなぁ…

 

その叔父は子どもが好きだったので

身内や親戚は子ども連れで

お見舞いに行ってたのです。

その中の、1人のお子さんが

病室にはいることができないままで

帰り際に

「おっちゃん!!!」

と叫んだことがきっかけとなって

その後、しばらくして意識が回復し

命をとりとめたことがありました。

それでも、高次脳機能障害となって

元々が切れやすく難しい人だったこともあり

家族にとっては、心配でもあっただろうし

大変だったろうと思います。

それでも10年以上は生きました。

〝奇跡〟ってやつが起きたのです

 

仕事柄、認知症の方にお会いすることが多く

中には、ただ目を閉じ息をして

眠っているだけのような人もいらっしゃいますし

身体も十分に動かすことができず

おしゃべりもままならない方もいらっしゃいます。

叔父のことがあるので

骨になるまではその人は生きているのだから

たとえ返答がなくても

挨拶をしたり声をかけたりすることは

できるだけしようと心がけています。

どんな身体になろうとも

その人には感情もあるだろう

そう思うのです。

それは、言葉をたくさん知ってても

普段の生活の中でそれをうまく使えない

息子をみていて気づかされることです。

認知が落ちている又は認知の力が弱い

それでも、その人の裡から

溢れているだろうことを

『ない』ものにしていいのか。

というか、ないがしろにしていたなって

日々感じています。

障害の有無に限らず、

自身一人では生活していくことが難しい人は

誰かがかわりに

その人の願いを叶えるほかありません。

その〝願い〟は大なり小なり

日々の生活の中で溢れこぼれ落ちているけれど

みんな、そういったことを

後回しにしてるなって思うのです。

小さくてどうでもいいことだから

次の日でもいい。後少し我慢。

でも、私は思うのです。

タイミングって相対的じゃなく

今この瞬間にその人にとって

願いが叶うことが本当の最高レベルなんだと。

それを素直に表せるのが

子ども時代なんじゃないかなって。

そんなことを考えさせられています。

 

〝待つ〟ということや

〝すべてはタイミング〟という定義が

いつの頃からはき違えられてしまったなぁと思うのです

何かのゴールに向けて〝待つ〟という作業は

待たなければならないことに

理由が必要な場合もあります。

自分1人の願いを他者と分かち合う時

その当事者よりどうしても周囲の人の

〝最高〟とか〝感動〟を盛りがちです。

私はもういい大人だからそれらは理解できます。

でも、息子のようなタイプの人には

相対的なタイミングや理由を教えることは

正直無理があります。

だから、幼い頃から周囲の人に

協力をしてもらう必要がある。

だから、療育や教育の中で互いに

その人を支える隙間がないように

あるいは隙間がすくなるように

その子の特性を理解してもらうことが

大切なことだと思うのです。

ある一面、ある一場面だけで

その人の状態象を決めつけた支え方だから

うまくいくはずのことも

うまく循環していないだけかもしれません。

私は思うのです。

継ぎ目のない支援って

隙間を埋めるというより

つぎはぎでもいいから、

重なる部分があることなんじゃないかと

そういったことが

その人を360℃の視点から

みれることにもなるのではないかと思うのです。

一人の人間では完璧にできないから

他の人たちと知恵をだしあって

その場を切り抜けるしかない時もあります。

でも、そこにコントロールは必要ない。

その場を盛る必要もない。

だって、私たちはドラマや映画の中の

役者ではないからです。

自分という人間を生きている。

ただそれだけなのに

なぜ、そこに誰かの理想や思惑を

盛る必要があるのでしょうか?

そんな憤りを息子と一緒に感じながら

日々を暮しています。

 

あー、なんか『即身仏』からずれてる。。。

すみません。

 

何がいいたいかって

魂という概念がこの世には存在しているなら

身体から離れた場所で

その人の魂は彷徨っていることになりますよね。

でもですね、科学的な根拠はないっていわれています。

あっ。亡くなった後には

体重が3g減ってるらしく

その3gが魂の重さだっていう

話しをどこかで目にしましたが

それを科学的な根拠みたいになってますけど

体液漏れたりするから

魂の重さじゃないかもよって

思ってしまう私。。。

そんなことと同時に

魂は存在していてなくならない

引き継がれるってことも

なんていうか素敵な窘め方だなぁと思うのですが

私は結構現実的なタイプなので

魂が生き続けるっていうことは

その人記憶の欠片が

他者の中で生き続けることや

語り継がれていくことが『魂』という言葉に

集約されているんじゃないかって

そんなことを考えると

私という個体を丸ごと覚えていてもらうことより

その一瞬のワンシーンが記憶に残ってるほうが

私は嬉しいなぁって思ったのです。

 

ワタシの魂が生き続けるって

ワタシという記憶の欠片が

誰かの中で生き続けたり

語りづがれていくこと。

 

仕事中の10分程度で

そんなことを私は考えています。

 

きょうはこのへんで

今日の空

遅い梅雨入りからの

災害が起きそうなレベルの雨です。

一応現在の地域の避難レベルは3です。

とりあえず、何らかのために

避難時に必要そうなものを最低限そろえて

いつでも持ち出せるように用意し

ハザードマップで避難場所や

危険な場所を確認しました。

どうか大きな災害が起きないことを

祈るばかりです。

※我が家は一応無事です。念のために水とオムツは前もって購入したとです!

 

▼食べて貢献!山形産サクランボ。

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今日は新月皆既日食な日ですし

七夕前なので久しぶりに

願い事でも考えようと思っています。

災害が身近に迫る度に

熊本地震以後は

それ以外の災害のことも

思い出すことが多くなりました。

他人事のように考えていられる

そんな余裕は私にはないです。

正直言って自分1人の身ではなく

今現在は息子も一緒に住んでいるので。

うちの息子は身体に障害がありませんが

知的障害があることで

避難するといっても

安易に非難できる状況でもなく

命の危険が迫っている時は

最悪非難することになるって思って

避難所をいくつか確認しました。

私1人なら避難所でもいいのですが

たくさんの人の中で非難することって

我が家の場合には

そんなに簡単なことでもないのです。

水害や土砂災害のような時は

車中泊ということも難しくなりましね。。。

こればかりは、経験がないので

どうすればいいのかは考えさせられます。

 

きょうはこのへんで

今日の空

今日は7月1日。

2019年も半分が終わってしまいました。

やっと梅雨にはいったと思ったら

お天気に恵まれ

お天気に恵まれたと思ったら

怒涛のように降り続いた雨・雨・雨。

河川が氾濫したり

床下浸水となった地域もあったようで

それでも、まだ我が地域は

入梅雨したばかり。。。

どうか大きな災害となりませんように…

 

▼写真は神社参拝の時みつけた銀杏の葉

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ブログを毎日は更新していませんが

いろいろと言葉は降ってきているので

とりあえず、メモってはいます。

この間、カラオケの帰りの帰宅中

坂道を歩いていたら

なんていうか画像の一コマが降ってきたので

それをネタに妄想が膨らみ

それを言語化しようとして

診察の待ち時間に綴りはじめて

それから出来上がった詩のような

エッセイのようなものができたので

期間限定でこちらで紹介しようと思います。

今週の6日には下記の部分は削除します。

それでは、きょうはこのへんで…

 

______________________

 

※『過去と未来を繋ぎ紡ぐ現代の人たちへ』は

本日を持ちまして削除しました。

 

今日の空

今日も雨に降られることもなく

よいお天気でした。

空梅雨すぎますので

そろそろ梅雨突入しますように…

 

▼紫陽花をお皿に盛ってみますた

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空気が読めたりすれば

〝暗黙の了解〟なことも

素直に受け取れるようになるんじゃないか…

なんてそんなことを思ってたけれど

本来の自分をとり戻したことが

実は私はそういうことが

受け入れがたいタイプの人間で

自分が真面目なのだということに

気がついたのが最近だったりします。

遅刻とかもしていたし

授業もさぼったりしていたし

宿題も提出できない時もあったし…

ただ、ボスきゃらな同級生の子に

私は真面目だから

カラオケと縁遠い人だと思われて

内心驚愕したことがあって

そのことがずっとひっかかっていたことを

今眺めることになってるのですが

そうなんですよね。

で、私にとって

そのボスキャラな同級生の子に

意地悪をされていたと

当時は思っていて

なんで、目の敵のように

思われているんだろう…って思ったのですが

最近気がついたのは

良い子の私のことが

ただ気にいらなくて目ざわりだったのかもって

そんなことを思ったら

超絶過去のことがどうでも良くなりました 笑

もしかしたらその子は

性善説を否定していた人だったのかもって

思ったんですよね。。。

だとすると、あの当時の私は

彼女にとって

ざわつかせるだけだったろうなぁと

そう思ったのです。

彼女のお母さんが私のことを

〝素直ないい子〟くらいに

感じていらしたようでしたし…。

だから尚更、彼女にとって私は

〝悪魔〟にみえたんだろうなぁと

そんなことを思います。

でも、自分はいい子ちゃんに徹してましたけれど

自分ではそんな自分が嫌だったし

彼女に真面目って思われるほど

真面目ではないと思っていました。

でも、今更ですが

生保になったことで気づかされたのです。

私は真面目だからこそ

暗黙の了解で目をつぶって

もらえることだろうことも

規則ならば守りたい。

なぜなら、そういうことが自己矛盾となって

罪悪感を感じていたことに

気がついたからです。

むしろ、そういうことを

臨機応変に罪悪感なくうけいれられる

そんな私になれるといいなと思って

それが一般的な普通という枠なのだと

努力してたのですが

自分はそれができない性分だった。

ただそれだけなのです。

で、自分ができたとしても

それを他者に求めようとも思わないから

ムシロ、私にもそうなればいいと思っても

私が断固として拒否してることに対して

バカだなーとか思ったり

それが〝生きづらさ〟だと思われてるだろうけれど

それは違います。

むしろ、罪悪感をかんじちゃうほうが

私にとっては〝生きづらさ〟や

〝苦しみの種〟になるのです。

それは私にとって自己矛盾ほかならないし

自分に嘘をつくことにもなります。

というよりも、何かが起きた時

最終的に規則を守っていれば

それがリスクマネージメントになり

後後、結果オーライだったことを

気がつくことが多い人生だったからです。

そして、誤魔化してきたからこそ

今現在この地点だとも

捉えているからでもあります。

こんな私だもの、

そりゃあ、嫌われるはずですわ。

わはは(V)o¥o(V)

 

きょうはこのへんで