ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

通り雨に降られて

ビー玉みたいな雨が

 

向こう側から

 

こちらへ向かって

 

近づいてくる

 

雨が降るよといわれて

 

傘を持ってでたのに

 

わざと雨に濡れて

 

大好きな長靴で

 

ばちゃばちゃと音をたて

 

水たまりにはいってたっけ。

 

長靴なのに

 

靴の中はびちょびちょになるくらい

 

はしゃいで帰った

 

学校の帰り道

 

帰ってもお母さんはいないから

 

雨に濡れて帰っても

 

怒られることはないからと思って

 

わざと雨に濡れたなぁ。

 

白い半そでのシャツが

 

びちゃびちゃなって

 

気持ち悪いけど

 

雨に濡れた後のお風呂は

 

少し暖かくて

 

ホッとしてた。

 

あの頃の私は

 

とっても自分に正直で

 

怒られてばかりだったけれど

 

自分がやってみたいと思うことは

 

チャレンジしてたなって思う

 

大人になったら

 

恥ずかしくて

 

思いきりできなくなったことが

 

たくさんありすぎて

 

窓の外にみえる

 

どしゃぶりの中を

 

走り抜ける子どもたちをみて

 

羨ましいなと思う

 

雨の日曜

 

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私が大切にしていること④

『私が大切にしていること③』からしばらくあいてしまいました。ネタはあるはずなのに、出てこない時は書かない主義なのであらかじめご了承ください。

はてさて、最近様々な方のブログなどを読むことで自分をみつめる作業になっているのですが、ありがたいなーと思う反面、過去の自分の子育てというか療育に対する懺悔のようなものもジワジワと湧き上がってくることにもなることはあります。時々はその当時のいたらなかった自分を振り返って、涙が溢れてきて自分責めをしそうになりますが、私という人間は完璧なワタシで生まれてきたわけでもなく、完璧な人間になるために生きているわけでもないわけですから、過ぎてしまったことに対して、あの時感じられなかった痛みを昇華し、あの当時に感じることのできなかった喜びを今手にしていることで、一つずつ楽になっています。で、本日は過去の失敗体験をふまえて『魔法の手になっていませんか?』ということを思い出したのでそれを記事にしたいと思います。毎度ながら乱文ですが、読んでいただけましたら幸いです。

 

『魔法の手になっていませんか?』

 

療育施設の勉強会で学んだことの中に『魔法の手になっていませんか?』ということをいわれました。私は思い当たる事がたくさんあったので、気をつけてはいるのですが、これが中々できずに苦戦していました。今でも苦戦しています。

旧ブログを読んでいただけましたら事情はわかると思いますが、聴覚障害のある伯母と一緒に住んでいたことがあり、息子に障害があるとわかるまでの子育てで困ったことはほとんどありませんでした。とてもよく寝る大人しい赤ちゃんでした。夜泣きなんてしたことはほとんどありませんでした。昼間に散歩している時にいつもなら外遊びをさせるところを何かの理由でさせてあげられなかった日の夜中に、激しくなかなか泣き止まない夜泣きをしたことが一度だけありました。その時は元旦那が出張する度に実家に帰省していた時だったので、母たちもびっくりしていて、熱がでているわけでもおしっこでも便でもなく、何だったのかを母と二人で考えた時に昼間に彼の動きを汲み取れたのにさせてあげなかったことが夜泣きの原因だろうとなって、それからは、本人がしたいことはできるだけさせてあげたり、ストレスを感じないように手をかけていました。

息子に障害がわかり療育をはじめてから、子どもの成長を妨げているのは親の場合もあるということに気がつくきっかけになったのが、本日のタイトルである『魔法の手になっていませんか?』ということでした。

私や母は息子の気持ちを汲み取りすぎて、ついつい息子にとって便利な人になっていることに気がつくことになりました。言語の発達が遅れていたので、コミュニケーションボードを使って、絵カードで要求するように当時は行っていましたが、それでも私たちは彼が何を要求しているのかも彼がカードで要求する前に気がついてしまうこともあったし、人差し指やクレーン動作、視線や顔の表情だけで彼の気持ちに気がついてしまうことになってしまっていたり、幼児園の時から周囲のお友だちが彼のお手伝いをしてくれることが、彼が自分のことは自主的にしなくてもよい環境に自然になってしまったりしていたので、自宅ではなるだけ私たちが気がついても我慢して、本人から要求するまで見守ったりしていましたし、幼児園や学校生活の中でお友だちが自主的に彼のお手伝いをしてくれることはとても有り難いとは思っていましたが、そのことが息子にとって、自主的に行動することができなくなったり、誰かに手伝ってもらうと要求することや言語の発達に関しても、発達の妨げになってしまうこともありました。

うちの子はめんどくさがりだったりするので、「手伝ってください」の要求はとても上手です。ただ、自分でできることもあるのにしない環境をつくっていたのは、私自身もですし、学校生活でもそうなりやすく、授業参観やデイサービス先などで、息子をサポートしてくれるような場面をみかける度に、先生へは、自分でできることも周囲の子が手伝うことが彼の成長の妨げにもなってしまうので、お友だちには敬意をはらいながらも、手をださない方向で先生方へはその都度伝えてきました。

最近は、自主性も出てきているので、誰かがよかれと思って注意をしてくれたり、サポートしてくれることも彼のストレスになっていたようでした。正直言って、まだ完璧にこなせているとはいえません。例えばお風呂はしっかり髪や身体を洗ったり、身体を拭いたりすることもきちんとできてはいません。だからといって、私たちがそれをサポートしようとすると、本人が嫌がるようになっているので、私たちは一切手をださないことにしています。時々確認するために、相方に一緒にお風呂にはいってもらったりして、身体や髪の洗い方をみてもらったりすることはあります。そういう状況になっているし、学校生活やデイサービス先でも、自分でできることをサポートされたり、自分のペースが乱されるようなことがあると、憤慨したり、行きたくなくなったりするようなのです。ですから、自宅では本人がしたがることは見守りながらさせるようにしていますし、洋服はまだ私が買う事が多いですが、持ち物などは自分で選ばせるようにしています。

息子が何を考えどう感じているのかなんて、なんとなく想像はできますが、確実にあたっているのかどうかなんてわかりません。ただ、障害がある子だろうとプライドはしっかり持っているということはわかります。彼が出来ないことを周囲が手伝えばそれが一番早いし間違いはないとは思います。親の私でも、時間がない時は私がやったほうが早いと思いますし、実際時間がない時は私がやってしまっていることもあります。だから、彼自身のやる気がある時は、完璧にできなくても彼の意志を尊重してあげて、やらせることにしてあげます。それが自主性も育てることになると思うからです。それに、彼がもしかしたら上手くできなくても『やってみたい』という気持ちがあるのに、周囲がやらせてくれなかったり、お友だちがお手伝いすることがいい事だと思っている先生や保護者の方もいたりするので、正直いって、そういったことが障害のある子どもたちの成長の機会を奪ってしまうことになっていることに気がついて欲しいなとも思うこともあります。なので、私はそういった場面をみかける度に、先生やスタッフの方にはその都度伝えてきました。そして、言語が発達しない場合には、保護者の方の声掛けの仕方の不具合だけではなくて、言葉で要求しなくても様々な願いが叶ってしまう状況をつくっていないかどうかでも言葉をださなくなる原因になる場合もありますし、逆もしかりで、本人は本人の言葉で伝えているのに、言っても伝わらないと思うと、子どもって伝えなくなってしまうと思うのです。大人でもそういったことあると思うのですが、いかがでしょうか?

子どもの発達は自分自身の力だけで発達するだけでなく、環境にとても左右されるなということを身をもって痛感しています。こんな立派なこといってますが、本当に危なっかしくてみてられないこともありますので、肝を冷やしてばかりの怖がりな私の恐怖反射麻痺の統合に役だっているのかもしれないと思ったりもします(笑)

 

恋愛カフェラテ

ひと昔前の私の恋愛は

泥水をカフェラテと思って

飲んでいたようなものだった。

コーヒーは苦手だから

ミルクやお砂糖で甘くなった

カフェラテなら

私もコーヒーを楽しめる

そう単純に思って…

出会った人で

1番好きだった彼が

私にくれた愛は

甘くてほろ苦い

カフェラテのようだと

そう思いこんでいた。

あの頃までは…

私はただ

自分の内側から溢れてくる

切なさや愛しさに似た

よくわからない感情を

彼に投影していたんだ

私の奥深く眠る

どこかいつも寂しく

ひとりぼっちのような

黒い感情が

呼び覚まされる錯覚を

誤魔化すかのように

甘くてほろ苦い恋に

すり変えたあの頃は

私にとって

たまにしか飲まない

ちょっと特別な

カフェラテみたいなものだった

だけど…

通り過ぎた恋の行方は

果てしない泥沼の中に

飲み込まれてしまい

あの頃の恋が

本当はカフェラテのような

甘くてほろ苦い恋ではなく

泥水をカフェラテと思いこみ

飲んでいたのだと気がついた

彼への想いが

それは〝愛〟とは違う

別の物だと思い知った時

本当の意味で

あの頃の恋の幕はおり

恋のおまじないがかかった

泥水の味を

思いだすかのように

今、私は本物のカフェラテを

飲んでいる

 

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越えられないと思うその根拠はどこからくるのか?

「人間脳を育てる」の著書である灰谷氏の説得力ある説明は、講座を受講した時にとても感動しました。本当にわかりやすいのです。わかりやすく言語化して話せる方に共通しているのは、ご自身の中で噛み砕いて説明できるように言語化しているというところにつきるのではないか?と思ったりします。ただ、気をつけないといけないのは、心身どちらにもいえることですが、エビデンスはあてにならない場合もあるということはどこか頭の片隅に置いておかないといけないよなーと思います。なぜなら、大人は思い込みや刷り込みに支配されている生き物だからです。

その灰谷氏が顔本でペンギンの写真と共に、発達に関する記事を時々アップされるのを、個人的には楽しみにしているのですが、時々私は「?」となることがあります。ただ、コメントをみると、ビックリするくらい共感の嵐で、疑いを持ってるようなコメントをする方がいないのはいつも不思議に思っています。顔本の場合にはそれが普通なのかもしれませんが、批判ではなくて、疑問をぶつけるっていうことがないのは、なんだかアレレ?とジャッジマンの私は不思議に思うわけです。(私ジャッジマン(ー_ー)!!)みんな本当に不思議に思う事ないの?って。共感する内容のこともあるし、ああ、そうだなぁーと腑に落ちることもあるのですけどね、個人的になんでもかんでも共感したり腑に落ちたりしているわけでは私の場合にはないで、皆さん灰谷さんの感覚を信じていて、大好きなのだなって思ったりします。(超個人的な意見ですみません。)その灰谷氏が以前ブログか何かの記事の中にあったことで、最近自分なりにまとまったことがあります。

「親の発達以上に子どもは発達しない」

だったかな? それですね、その時は私も『ああそうかもー』と思ったわけです。でも、何かモヤモヤとするものは残っていたのですね。で、今年の春から息子と暮らし始めて毎日彼の成長を観ていて思うのは、氏がおっしゃるように、確かに親が発達しなければ子どもは発達できないなーと思う場面はたくさんあります。親次第で子どもはいくらでも発達していくものだと毎日毎日痛感しています。そして、親次第で子どもの成長は阻まれてしまうことも身をもって感じます。よその家の子育てを見聞きしてもそう思います。で、実際『親の発達=子どもの発達』なのか?というと、答えは『NO(等しくない)』と思うようになりました。

お子さんがどんどん発達いくご家庭の親御さんの場合、親御さんがお子さんの可能性の枠を決めたり、コントロールしたり、潰してないなと思うようになりました。そういうご家庭のお子さんは伸びしろがだだっ広いんですよね。制限がない。保護者の方に制限がないから、お子さんもどこまでも飛躍する。そんな気がしています。あくまで個人的な意見にすぎませんが。ですから、障害や持病があろうとなかろうと、本人の意思を尊重し、それらに付随する知恵を親が援助したり、助言したり、本人が自主的にやろうとしていることに口を挟まないことかな?と思うのですね。犯罪に繋がるようなことは、それはどうにか別のカタチで考えないといけないとは思うのですが、例え、我が子が万が一間違いを犯したとしても、それを受け入れられるぐらいのどんと構えた肝っ玉の大きな親であるかどうかは大切なことだなーって思うのです。

子どもたちにとって一番の味方でいてあげられることは、大切なことなのではないかと思うのです。時々、学校の先生や周囲の顔色を伺いながら、お子さんの問題を他人事のように問題視する親御さんもいたりして、その問題を自分の頭で考えて解決しようとしない保護者の方多くないですか? 毎日一緒にいるはずのお子さんのこと、なんで他人のほうがよくわかってると思うのだろう? なんで、他人事なんだろう? そんな風に思うこともあります。 

思春期になる頃は、親の価値観の枠から自分の価値観の枠に切り替わる時です。お子さんそれぞれに親離れの時期は違いますが、大抵の親御さんが“愛する”あまり心配しすぎて、お子さんにみえない鎖をつけて間違わないような生き方を選ぶように仕向けてるご家庭多いなぁーと私は感じることがよくあります。それじゃあ、これから自分で選んで生きていくために選べなくて当然だと思うのです。

子どもには子どもの人生がある。どんな生き方をしようが、親の物語ではなく子どもの物語がです。だから、傍からみたら、そのお子さんの物語の主役を親がはってるようなことをしているということです。私たち親は子どもたちの物語の中で、わき役なハズです。どの役にあてはまるのかさえ、子どもが決めるものだと思うのですね。そういう親御さんは自分の物語を生きていないので、某界隈でいわれる『生まれているのに生まれてない!』ってことになるので、恐怖麻痺反射残存率高し!ということになるのだと思います。それと、子どもを使って主役になろうとする親御さんもいる。自分の経歴に子どもの経歴を入れる親もいる。それって承認要求なんですけど。。。って思ったりもします。

私自身、そういう承認要求がなかったわけでなないので、自分の価値を埋めるために子どもを利用していた時もありました。だから、親の在り方だけでなく生き様の見せ方は大切なのかもなーと思ったりしています。で、私は、できているのか?といったらできてはいないのかもしれません。ただ、私が大切にしているのは、何でも一度はチャレンジして楽しんでいる姿をみせることかなーと思っています。私が息子にできることって、親であること以外、それ以上でそれ以下もなくって、ただ、この世に生まれて〇年先輩なだけで、この世にちょっと詳しいからナビゲートするくらいだなーと思っているし、彼から離れていくのは喜びたいと思うし、今からでも私を越えていいよって思っているし、私よりも賢くなってもいいよーって思っているし、そういった、子どもをライバル視しないことも大切なことだなーと思う昨今です。

あっ。何書いてるか意味不になってる。まっいっか。

ということで、『親次第で子どもが発達する可能性はそれ以上にもなればそれ以下に阻まれる』ということが私の今の着地点です。

 

あっ、灰谷さんの悪口ではないのです。推定〇万人?の灰谷さんファンを敵に回してしまっていたら、すみません。文句あるなら、コメントどーぞ。

今日の空

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明日は秋分の日ですね。

しかも後3か月弱で今年が終ってしまう

そんな時期になりましたね。

今年は去年に比べると肌寒い気がします。

私と息子は夏の疲れがでているのか

季節の変わり目でなのかもありますし

身体を切り替える準備を

身体がはじめているような気がします。

睡眠が乱れているので

この乱れを徐々に冬時間の眠りに

変えていけたらいいなーと思います。

 

はてさて、ブログの記事がなかなか

アップできないのは

ネタはあってもそれを文章化するのが

難しいことがあるので

そういう時はブログの記事は

アップせずにいました。

今日やっとPCにむかっているというワケです。

多分、疲れているのと

脳みそが整理している感じです。←個人的見解

グルグルしてるっていうのではなく

停滞しているという感じです。

私は元々何かを考えながら生活するのが

当たり前の年月を長年続けていました。

が、どうやら今に集中できる感覚を

掴めてきたような気がしています。

(まだ、そんな“気”がしているだけですが…)

そんな只今脳みそ絶賛停滞中な時は

身体を動かしてみようと思い

畳の上で身体を動かすのもおっくうなので

昨日はプールに行きました。

実の所、お魚時代の頃を思い出してみようと

思った深くもなく浅ーい理由があるからです。

先日鹿児島の受診の時に

神田橋先生から栗本啓司さんの著書

「人間脳の根っこを育てる」という著書を読み

ヒントを得て新しい体操を考えたということで

『進化の体操』なるものを教えていただきました。

(そのうち著書がでるらしいので、お買い求めください。)

診察室のベットの上でご指導いただき

身体を動かしたのですが

元々身体を動かすのが得意ではないので

とても苦労しました。

で、その体操をやってる途中で

すでに私は車酔いの状態になってしまい

その日の夜までそれは続きました。

車に乗ってなくても車酔いの状態になると

臭覚過敏が増すんですね。私の場合。

で、この状態になるときって

胸椎だか背骨だかの4番目か5番目あたりが

圧迫されたり、動いたときに

車酔いの状態に私はなるようなんです。

バランスボールにうつ伏せになって

胸に圧がかかるようにのると

車酔いの状態になるのです。

なので、その部分が圧迫されないように

バランスボールにうつ伏せでのると

車酔いの状態ではなくなる不思議体験を

私はしているのですが、

これ、私だけなんでしょうか?

で、その状態と同じ感覚になったのが

“進化の体操”の時でした。

時代が変わるごとに動きが変わるのですが

爬虫類の時代には尻尾が欲しくなりました(笑)

尻尾あると、なんかうまく動ける感じがするのです。

『尻尾ほしーっ!』て。そんな感情がでてきました。

で、その時代になって

私は車酔いの状態になったワケです。

頭あげれないし。

で、進化の体操の一番はじめから躓いたので

お魚時代に戻ってふりかえってみようと思ったので

プールで泳ぐことにしました。

陸で身体を動かすのは下手なのですが、

泳ぐのは得意なのです。

で、久しぶりに真面目に泳いだら

感覚を覚えているようだし、

重力もかからない状態だから

関節が弛んだ状態で動かせることに気がつきました。

床などで動く時は、意識しても出来ない動きがあるのですが

水の中だと、考えながら身体を動かすことが

容易にできるみたいなのですね。

多分、水の中にはいっているから

ボディーイメージがつかみやすいからというのも

あるのかもしれませんし

お水の中にいると安心する体質だから

身体が弛みやすいっていうのもあるみたいです。

それに、自分がどこに力をいれているのかも

掴み易いことに気がつきました。

これまで、こんなこと気がつかなかったのですけど

どんな所を意識するのかとか

自分のどんな意識のどの部分に焦点をあてるのか

で、自分の身体のことに気がつけないんだと

思い知ることになりました。

(これ、恥ずかしいですね。)

自分もそうなんですが

思考停止している人というのは

権威のある人や凄いっていわれる指導者の感覚に

忠実になりすぎていたり

それが正しい人の動きや感覚なのだと思っていて

自分の感覚を大切にしていない人が

多いなーと思うんです。

私自身も昔はそうだったのですが

栗本さんの著書を読んだり

講座や個人指導などでご指導いただいたりして

栗本さんには、常にいわれてました。

「それ本当?(その感覚本当に感じてる?)」

だから、私も自分の感じた感覚は

感じたままの感覚を大切にしながら

自分の感覚を疑うということも

大切なことだと思って自分の感覚も疑うことは

心がけていたのです。

だって、人間だし生まれ育った環境は違うのですし

生活環境が違えば身体の感覚器官の発達は

かなり差がでますし。

だから、みんなと同じ動きができなかったり

そういった感覚にならない自分が

おかしいと思うのはなんか違うよなーと

私は思うのですね。

感覚が違うけど辿る方向性や過程は同じ。

ようするに、発達の台本の目次は同じでも

その物語の中は1人1人違って当たり前なわけです。

だから、同じ感覚になることはないはずなのに

そこに捉われてしまってて

指導者の感覚が正しいと思ってしまうのは

ちょっと危ない価値観だなーと思ったわけです。

それは、去年受けた某講座の時からずっと思っていました。

人との感覚の違いは当たり前だし

それを否定されてきたのが私たちであるのだから

こんな不具合をいっぱい抱えてしまっている

それが、発達障害という障害になっているケースもある。

世間一般でいわれている『障害とは?』

本来どこにあるのかを改めて問われているのではないか?

そう思う今日この頃です。

あっ。また話がずれた。

で、お魚時代は快適です!

が、泳いでいる時に

息をはいても息がはいってこなくて

呼吸が浅い状態の時に似てて

ああ、私やっぱり、

呼吸下手なんだなーと思いました。

無意識が凸凹ってなんだかなー(*_*)

トホホ(+_+)

今日の空

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台風一過後だったからか

朝外は肌寒く

相方も息子もまだ寝ていたので

1人てくてくと散歩に出ました。

雨も降った後だからか

道沿いの雑草には

小さなカタツムリがたくさんいました。

台風の風で飛ばされただろう

柿の実に群がっていた

ちびっ子カタツムリさんたちをみて

柿も食べるんかーとびっくりしました。

 

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先日、旧暦の七夕の日にアップした記事に

40を越えあらためて

自分の『夢』について考えることになった

“きっかけ”ってなんだったかなーと思い

その時思い出せなかったのですが

その事が気になっていたようで

ふと、最近思い出しました。

私はTCカラーセラピーという

認定のセラピストの資格を持っています。

それで食べていこうと思い

資格をとったわけではなく

自分の心身を癒したりするために

学ぶことが私のセラピーになると思ったからです。

何事にもやってみることが大切ですので

知人のイベントに参加させてもらって

カラーセラピーを数回やったことがあります。

現在はイベントなどで出店はしておりません。

ただ、個人セッションはご依頼があれば

正規料金になりますがセッションいたします。

詳細はこちらでどうぞ⇒

そのイベントで高校生の男の子を連れた

お母様と二人会場へいらっしゃいました。

お母様をはじめにセッションし

その後その男の子も

私のセッションを受けてくれました。

大人しくあまり自分のことは話しをしなさそうな

お子さんでした。

セッションの話の流れで学校での話になり

「みんな夢があるのに自分は夢がない

 それが悩みです」

といったことを話してくれましたので

それについて、彼に自分自身で

気がついてもらえるように

お話をすすめましたら

いろいろ答えてくれました。

本来、ここでアドバイスのようなことは

いわないことになっているのですが

おせっかい人間の私はついつい

「あのね、本当はアドバイスとかしたらいけないので

これはおばちゃんはこう思うよということで

聞いてもらいたいんだけど、いいかな?」

彼はうなずきます。

「 みんなどんなことが夢だといってるの?

そのみんなの夢は本当にその人の夢なのかな?

案外、親のこととかみんなと似たようなこと

夢にしてる人が多いと思うよ。

それにね、まだ君は高校生でしょ?

あのね、夢はつくろうとするものではなくて

自然にできるものだと思うのよ。

だから、その夢を叶えるためには資格が必要だったり

大学進学までしないとその夢を叶えられないこともあるのね。

だからさ、とにかく今は学校を卒業して

大学に行くのか働くのかしながら

あなたが興味のあることや好きなことやってたら

いつの日か夢はできるのかもしれないよ。

みんなと同じでなくてもいいのよ。

と、おばちゃんは思うよ!」

というと、彼は少し微笑んでうなずいてくれました。

その後、その子のお母様とお話することがあって

「心理学の本を買って読むようになりました。」

と教えてくださいました。

その彼も今高校卒業したくらいだと思います

何か夢なり、将来の歩いていきたい方向性が

みつかって暮らしているといいなぁと思います。

その彼を通して、私は自分自身の夢について

改めて振り返ることになりました。

先日のブログで更に振り返ったことで

私にとっての夢は、“夢は叶う”ということが

私にとって“価値がある”ことだったのだと気がつき

“夢が叶ったら幸せになれるはず”といった

承認欲求的なことが私を満たしてくれる

魔法のようなものだと思ってたのかもしれません。

今は夢はあってもなくてもいいと思うし

それが叶う事がなくてもいいと思える

私になっているし

私実はいい事も悪い事も全部叶ってる人だと

気がついて驚愕している昨今です。

やっと自分がパラレルワールド

どの地点にいるのかが

なんとなくわかるようになったので

私はこれからもやっぱり

幸せになるための方程式などを考えたり

それらを用いて生きるより

『今この瞬間自分はどう在りたいのか』を

大切にしたいと思います。

「来世の自分が損することになってもいいしー!

 YEAH!」

(私は生まれ変わりたくないからいいのだー)

 

“するする” と言って、スル―する人

博多弁ではひらがなの『と』だけを使い

イントネーションを変え

 

「こん席とっとーと?」

(この席とってますか?)

 

「とっとーと」

(とってます)

 

という受け答えする方言がありますが

わが県でも『ス』を使って

 

「すーすーするー」

(涼しいとか肌寒いとか寒いなど…)

 

という方言があります。

私の実家の隣のそのまた隣の地区には

更なる面白い方言があり

 

「パンぷー?」

「パンはぱーん」

「飯ならぷー」

 

という食べるという言葉を

食べない=食わない=ぱん 

食べる=食う=ぷー

 

という方言があるそうです。

これは、文字で読むより

実際に聞いたほうが面白いのですが

日本全国には様々な方言がありますよね。

それって、大昔敵国に自国の秘密がばれないように

暗号化された言葉が方言だということを

聞いたことがあります。

(定かではありません)

あとは、気候などの違いで

寒い地方は寒さで顔がこわばったりもしますし

口を大きく開けて

話すことができないのだろうなーとも

おもったりします。(個人的見解)

あなたの街の面白い方言は

どんな方言がありますか?

 

前置きが長くなりました…(-"-)

今日のブログのタイトルから

方言のことを思い出したので

ただ記事にいれこんだだけです。

すみません(-"-)

くだらなさマックスバリューなので

最後までお付き合いくださらなくても

勿論『オッケーd(^_^o)』でございます。

 

さてさて

来週でも今週でもなく先週のサザエさん

「マスオさんが“やるやる”といってしてくれない」

サザエさんがフネさんに愚痴をこぼしているシーンを

偶々みました。

あら、磯野家にも

“やるやるといってしない人”がいるのね(笑)

と思ってチャンネルはそのままでみていました。

日曜日のお休みはサザエさんをみないと

日曜日が終った気がしないという

アラフィフを越えたばかりの殿方が

我が家にもいるので

仕事先でサザエさんみてればいいのにーと

相方に思いをはせました(笑)

サザエさんとしては“やるやるといってしない星人”な

マスオさんにモヤモヤしていることがわかり

サザエさんよりもお姉さんになってしまった私も

『なんだかわかるー』と共感しながらみました。

我が家にもマスオさんと同じように

“やるやる”というか

“するする”と言って見事にしない人が

弱冠2名程います(苦笑)

1人は私です(恥)私の場合は忘れたり

やる気の問題もあって

“しなかったり”、“出来なかったり”になりますが

相方の場合完全スル―なのです(爆)

ですから、我が家の相方の場合には

『“するする” と言って、スル―する人』

がふさわしいのです。

まぁ、私がスル―されるのを期待してるから

スル―されてしまうのでしょうけどもね (ー_ー)!!

あと、隠語っぽいんですけど

世の中には『行く行くーーーー!』といい

行かない人もいるそうですね(笑)

世もすえよのう…と思う

台風一過後の火の国熊本から

なま中継でお送りしました。

 

おしまい。