ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

全てが私になる不思議

自分に正直に生きることが

 

ずっと怖かった

 

自分に素直になることで

 

私以外の誰かが傷つくなら

 

自分に嘘をつく生き方のほうが

 

これまでの私には生きやすいと

 

そう思ってたから

 

みんなと同じようになりたくて

 

必死で頑張ってきたの

 

でも、本当の私は

 

自分にも自分以外の誰かにも

 

嘘をついているようで

 

それが一番嫌だった

 

誰かのためだけに

 

自分が取り繕うことが

 

喜びだった

 

そんな日々とお別れして

 

丸裸になった私だけど

 

なぜか、全てが

 

私の一部になった不思議

 

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今日の空

雨が降って欲しいと思っていたけど

さすがに数日続くと

洗濯物やお布団が外に干せないし

窓開けっ放しにしていたら

お家の中はジメジメしちゃうから

開けっ放しにもできず…

なんだかちょっとだけ

私の心もじめじめしちゃったりしています。

 

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朝、息子を学校に送るべく

玄関を開け、鍵をかけようとしたら

カマキリさんと目があいました。

うちにはカマキリさんの好きそうな

そんなものはないので

自然の中へお帰りいただきました。

 

久しぶりにブログの記事を綴っておりますが

なんといいますか

全く何にも浮かばない日が続く

こんな時が私には時々やってきます。

言葉が降ってくるように

おっこちまくり続ける日もあれば

思考停止というか

ぐるぐるする日々というか

うーんそれとも違って

本当に何にも浮かばないし

読みたくて買った本の内容さえ

文字を読んでいるのに

インプットされない状態になるので

もうそういう時は観念して

PCに向かうことも

メモ帳に残すこともしません。

そんな時があってもいいかなーって

思っていたら

なんだか3日以上も空いてしまってて

重い腰をあげて

今日はPCに向かったというわけです(=_=)

 

息子が調子が悪いというか

退行しているのか

順調にいってると思うと

後戻りなことが起こります。

人の成長って

一歩一歩積み重ねることが

一番の近道だとわかっていても

子どもだからこそ

急ぎ足でぐっと前にすすんで

でも、あれれ?なんだか疲れちゃったーとか

あれれ?やっぱりあれ大切だったから

やり直ししたいーっていう

無意識の領域からの

問いかけみたいなことがあるのか

そんなことに自分が振り回されてしまって

自分で自分を責めたりすることになったり

もう、何がなんだかな時間を過ごしていました。

最近は息子がラジオを良く聞くので

私も一緒に聞いていたらば

クロマニヨンズの「どん底」という歌詞の中に

 

『力を抜き 手は抜かない 色々と』

 

という一節をラジオのパーソナリティの方が

“好きなんだ”みたいなこといわれてて

それ聞いて私も

 

「それそれそれだー! 私の目指してるやつー!」

 

と思い、とてもシックリきたので

これからの私の生き方の一つにしようと

おもったのでした。

 

あーーーーーーーでもでもー

力を抜くのに力が入るLD体質な私

トホホ(^_^;)

 

 

 

 

はやる気持ちを抑えて

あなたはあなたのままで

 

今を精一杯生きて

 

私は私のままで

 

日々を淡々と暮らしていれば

 

私やあなたが何もしなくても

 

互いの人生のどこかで

 

交わるキッカケはあるのかもしれない

 

ただ今は確信できない未来のために

 

はやる気持ちそのまんまで

 

急いで宛てのない列車に

 

飛び乗っても

 

私たちはまだ互いに気がつかず

 

すれ違うだけなのかもしれない。

 

急いで飛び乗ったところで

 

同じ列車かどうかさえ

 

わからないのだし…

 

だから、偶然会えたその時が

 

2人にとっての

 

タイミングになるんだと

 

今はそう思ってる

 

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選んだ結果

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たまたまなのか必然なのか

それはどちらかはわからないけど

身体を壊したことで

私は必然的に身体面のケアと

心理面のケアを大切にすることになりました

急性期の頃に入院生活で得た

規則正しい生活を行ったことが

心身が安定するのだということと

睡眠の質が自分のメンタルを

おかしくさせてしまうことなど

そういったことに気がついて

自分なりの生活パターンにしたことが

今の自分の土台となっているし

息子を通しても知ることになりました。

基本的生活習慣を整えるということは

◎時に起きて〇時に寝るという

理想はあるようです。

ただ、人によって環境的に

難しい場合もあると思います。

ただ、科学的根拠(EBM)でいわれているのは

睡眠に関する脳内の物質が一日の中で

一番出ている時間帯というものはわかっていたり

視覚的に光を浴びた数時間後に

入眠をサポートする物質がでやすくなるとか…

入浴の時間やスマートフォンやテレビなどの光が

入眠を悪くしたりするなど

そういったエビデンスはわかっているわけです。

ただ、脳内の物質だけで

睡眠を調整しているわけではないと

私は思っていて

やはり、そこは身体を休めた時に

身体が弛まるということがとても大切だし

身体が弛まることで脳内の物質が

放出しやすくなるのかもしれませんし

何がどうかといった詳しい説明は

私にはできませんが

脳内物質だけの問題ではないし

身体だけの又は心理面だけともいえないのではないか

と最近は特に思うようになりました。

うちは、相方は発達障害ではありませんが

どちらかといえばグレーゾーンのような気もします。

というか、発達のヌケはどんな人も

何かしらあると思っているので

グレーゾーンというよりも

彼の場合には発達のヌケがあり

中医学などでいわれる“腎”と“肝”が

弱いタイプのような気がしています。

そんな相方に加え、私や息子は発達障害があり

原始反射のヌケが凸凹すぎるので

身体面の土台づくりがとても大切だから

そこがまず基本だと考えているので

一般の人たちよりも気をつけているという感じです。

神田橋先生のどの著書だったかは忘れましたが

「自分にとって“気持ちいい”と思うことが大切」

といったことがあったことから

それからは、自分にとっての

“気持ちいい”ことや“心地いい”と思う事を

選ぶような生活になりました。

始めは身体面の“気持ちいい”や“心地いい”を

大切にしていましたが

メンタルのケアも行っていましたので

それと同時に心理面も自ずと

“気持ちいい”や“心地いい”を選ぶことになり

愛着のヌケ問題がなくなったおかげもあり

人間関係が一層されました(苦笑)

ただ、遠い昔、孤独で仕方なく

友だちがいない自分を恥じていましたが

今、全くそんなことがなくて

自分でもびっくりするくらいです。

本当に驚いています。

基本的生活習慣が整い数年後たってからは

宇宙のリズムや月のリズム

日本の四季や旧暦にあわせる生活を

なんとなく始めたところ

私には見事にあっていたようで

睡眠は夏時間と冬時間で違うようにしているし

食事も一日2食が基本で

食べたい時に食べるといった生活になり

今も時々はありますが

食べ過ぎるということがほとんどなくなりました。

(食べる時はハンバーガー3個食べてました(苦笑)

お腹が軽く空いてるくらいのほうが

体調がいいし心地よく感じるんです。私の場合

後、お金のセミナーへいった時に

衣食住も大切なのだということで

その一つに、朝から窓をあけて

空気を入れかえることが

部屋の中の気を整えることになると

教えていただいたのです。

眠っている間に

私たちの身体からいろんなものがでており

寝ている間に部屋の中が二酸化炭素

いっぱいになっているので

必ず朝から窓を開けて空気の入れ替えをすること

そういうことも穢れを払うということなのだと

教えてくださったのがすごく腑に落ちて

それからどんな寒い日でも

家の空気を入れ替えるということが

あたりまえの生活になりました。

始めた当初は忘れることもありましたが

“気持ちいい”って身体で覚えると

それらをせずにはいられなくなりました。

お布団干しもなかなかしない時もあったけど

お布団干した後に掃除機かけたら

滅茶苦茶気持ちいいことに気がついたりして

そうすると案外できるようになるものなのだなーと

思うようになりました。

それとは別に、身体が動かない時や

やる気のない時に日課にしていることを

サボることも大切にしています。

無理やりやるのは窓を開けることと

お風呂にはいることぐらいです。

後のことは自分がやりたい時にやる

それくらい力を抜いてやっているので

自分を自分でしばりつけることもなく

自己否定することなく生活できています。

自分自身に負担がかからず

どんな状況下でも私にできることから

“気持ちいい”と思うことや

“心地いい”と思う事を選んでいたら

様々なことが豊かになっていきました。

もちろん失敗する時もあります。

でも、失敗したことで

自分には出来ないことや

誰かを頼るという事も気がつきました。

そうやって私にとって必要なこと

必要ではなかったことも

迷わず選べるようにもなりました。

ですので、私にとって

“気持ちいい”と思うことや

“心地いい”と思う事を選んだ結果

それが“自分を信じる”ということにもなって

私は私を取り戻し

本来の自分に還ったのです。

If

もし、今度あの人に会った時

「あの時本当はすごく悲しかった」

と、ちゃんと謝罪を求めよう。

 

もし、今度あの人に会ったら

「友だちになってくれますか?」と

ちゃんとそう伝えよう。

 

もし、いつかまたあの人に会えたら

「ずっと応援してました。」と

笑顔でハイタッチしちゃおう

 

もし、今度彼と喧嘩したら

「いつも我儘言ってごめんなさい。」と

拗ねずに素直に謝ろう。

 

もし、今度お父さんに会ったら

「お母さんを大切にしてよね」と

ちょっと怒ってみよう。

 

もし、今度お母さんに会ったら

「生んでくれてありがとう」と

照れ臭くても言ってみよう

 

もし、また子どもが

学校に行けなくなったら

「休みたいだけ休んでいいよ」

そう言ってみよう。

 

止めどなく溢れてやまない

たくさんの「もし…」は

私以外の人への言葉だけでなく

 

この世に生まれてから

今日この日までの

私にとっての労いの言葉

 

だから、ふと溢れてきたら

ちゃんと伝えてみよう

短くても長くても

 

とりとめのない言葉だとしても

それはいつの日かの私への

感謝や謝罪でもあるのだろうから…

 

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本当にENJOYしてたら疲れない件

楽しいと疲れないのですよね。

 

正直言って。

 

肉体的には疲れても

 

よく寝てちゃんと休めた次の日に

 

筋肉痛になっても

 

ちゃんと動けるのですよ。

 

だから、次の日体調崩したり

 

疲れが中々とれない時は

 

多分本当はやりたかったことでも

 

そこに行きたかったわけでもないって

 

気がつけばいいだけだと思います。

 

いや、マジ楽しいなら

 

次の日、気持ちは晴れ晴れなのですよー。

 

個人的見解ですがー。

 

 

_________________

 

 

2016年5月16日 18:54 UTC+09


なんだか今「行動する」が

流行ってきとるけど

まず、自分が行動した後に

翌日疲れが残ってる人は「休む」です

行動できる身体である事が前提での

「行動する」だと思うとです

だけん、動けん人は

動かなくっていいって思うとです

だってね楽しくないから

疲れが吹っ飛ばないんじゃないかなぁー

これは個人的主観ですが…

モヤモヤがどこか心の奥に溜まってるから

疲れが溜まるんだよなぁ私の場合

そういう時、こころの酸欠状態になっとる

だから、私はそんなときこそ、

温泉!お風呂!に入る

ぽけーーーーーーっと自然の音きいて

ぽけーっとしながら

お口開けて、空を見上げて、温泉につかって

埴輪の顔になってると

瞑想状態っぽくなっちゃってるんだなぁー

息ができない場所で

ずっと生きてたから

今やっとこさ息ができる場所に

辿りつけた事だけで

感謝しかない日々を 送っています

ありがとうございますm(_ _)m

今日の空

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すっかり秋になったと思っていましたし

 

天気予報では雨模様だったのに

 

何故だかお天気良くて

 

しかも夏の日差し。。。

 

私は自律神経やられてるっぽく

 

なんでだろーと思ってましたら

 

単なる冷えと気の停滞だったかもです(苦笑)

 

 

9月から10月にかけては

運動会シーズンですね。

息子がはじめて運動会に

参加させてもらった時

保育園の先生に抱かれたまま

眠ってしまったことがあります。

一年間だけ通った

体育英語幼児園の運動会の時は

自閉症の診断が下りていたし

療育もはじめた頃でしたので

カームダウンの部屋を用意してもらい

その場所から息子の出番の時だけ

参加するということをお願いし

その希望に沿っていただきました。

練習の時には泣いているだけだったけど

運動会の当日

保護者と一緒に参加する競技で

泣かずに上手くできて

みんなをビックリさせたことがあって

その頃から本番に強い子なんだと思ってきました。

一番荒れていた時は椅子に座っていたり

競技に参加するのもやっとな時期がありました。

小6の時小学部最後の運動会では

いつも歩いていた徒競走が走れるようになり

最後の閉会の挨拶を行うことになり

始めは先生がそばに着いている状態で

挨拶を行うことになっていましたが

運動会当日一人で行うことができました。

その後中学部になり

落ち着つきはじめてからは

私たち家族だけでなく

息子がアレアレの頃をしっていた

先生や施設のスタッフの皆さんも

ビックリするくらい成長していて

最初から最後まで参加をし

苦手だったダンスも踊れるようになっていき

いつも歩いてマイペースにゴールしていた

徒競走では一人で走って

ゴールするまでになりました。

自閉症だからって

運動会が嫌いというわけでは

なかったりするようにおもいます。

運動会は晴れ舞台だと思って

先生方も一生懸命に指導されると思います

が、その一生懸命な指導が

子どもたちに負担がかかってしまうことになったり

失敗をしてはいけないということに捉われ

楽しいはずの運動会が

楽しくない運動会になっている

そんな気もします。

支援学校の運動会で

始めの頃に感じていたことは

運動会のためのダンスや

競技を行うということが

当たり前で行われていました。

私と母はそんな運動会を見る度に

『ちょっと難しすぎるよね』と

そんな話をしたこともありました。

運動会って常日頃の成果をみせる

発表の場のように思うのです。

一般の学校ならまだしも

支援学校なんです。

個別な指導がままならないのだからこそ

普段の指導以上の成果を

短い期間で求めるのは

どこ目線なのだろうと思うことが

しばしばみうけられます。

それは先生方や支援者の指導のスキルも

問われることになると思うのですが

普段以上のことをご自身たちが

やれることも含めてのことなのですよね?

と正直思うこともあります。

先生方ご自身でハードルあげてること

気がついていらっしゃるのかなぁ?

楽しいハズの運動会を

楽しめているのは先生たちだけじゃないのかなぁ?

そんなことになってないといいなぁーと

おもったりしています。