ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

自主企画を卒業したワケ①

4年前から年に一度、地元で「からだ指導室 あんじん」の栗本啓司氏をお招きして身体アプローチの講座を自主企画で行っていました。たかが主婦でお金もない私が企画するのは正直ためらったのですが、それには理由がありました。
身体のことを大切にしはじめても、うちの息子は運動すること自体嫌がる子どもでした。ですから、体操がいいとか散歩がいいとか身体に良いとか体力づくりのためになるからといった一般的な運動はうちの子に好きになってもらうのにはとても難しいことだなと思っていました。そんな時に、栗本啓司氏の著書「自閉っ子の心身をラクにしよう!」という著書が発売され、著書を読んでみて『これならうちの子にも私でも出来そう!』そう思いました。ただ、関東の方で講座があるということでしたが、その当時、他害があり多動の息子を鬱持ちの私が連れて出向くには体力もお金もなかったので、著書を読み自分でなんとかやってみるしかありませんでした。しかも息子は施設に入所したまにしか自宅へは戻らないので、息子へ私がアプローチできるのはせいぜいひと月に一度か二度程度でした。それでも、帰省した時やどのようなことで心身に不具合が起きてしまうのか、施設や学校でもできることはないだろうかと思い、試行錯誤しながら私や自宅でできることを行っていました。それに、元々身体の動かし方が下手な私ですし、どういったことを観察すればいいのか、著書から汲み取るのは難しいと思いました。身体のことだからこそ、実体験することが大切だと思い、とにかく息子や自分を治したいと思っていて、どうしたらいいのか考えあぐねていた時、出張してくださるといった話をネット上で読み、『出張してくださるなら、なんとかなるかもしれない。』そう思って、栗本氏に依頼したことから、個人的に来ていただくことなり、少人数でのグループ指導を行うつもりでしたが、他の方にアドバイスをいただき、皆さんにもシェアをするカタチとなりました。
初回の講座は個人指導と無料のグループ指導の講座をお願いすることにしました。私は無名のただの主婦なので、集客に自身はありませんでしたが、著書の出版先である花風社社長のブログ等で紹介してくださり、九州各地からご家族で参加していただりしたので両講座ともに満員御礼で終りました。それから2回目3回目と回を重ねる年月の中で、途中栗本氏に相談したり、ネット上でのやりとり、神田橋先生の治療、他の著書や自己改革のために読んでいた著書や学んでいたセラピーなどを通して、私自身の心身の状態に変化が表れ始めると息子も同様に発達し、息子の他害はみるみるうちに軽くなり、学校生活も楽しんで参加できるようになりました。それと同時に、初回にはじめた頃の私の気持ちはだんだんと変わっていくこととなりました。
2回目の講座を行う頃は、一年目に教えていただいたことを踏まえ、子どもよりもまずは支援者や保護者の身体の状態を良くすることが望ましいのだという考え方に変わりました。それはなぜかと申しますと、著書などにも記載されていたように思いますが、私自身の心身の状態ブれると同時に息子も不機嫌になったり、身体を触らせてくれないことを体感し実感することがあったからでした。
そのようなことから、子どもを整えることも大切ですが、それよりまずは、コンディショニングを行う支援者や保護者にご自身のコンディショニングの状態を良くしてもらうことを大切にしてもらいたいと思い、2回目の開催の時は、支援者や保護者の方へ参加してもらいたいと思って、すごく苦手でしたが、地元の大学や支援学校などへ数件メールなどで呼びかけをしました。ですが、私自身が無名ですし、知られた人ではなかったというのもあり、呼びかけたメールに対してお返事がこなかったところもありましたし、興味を持ってくださったのは支援者でも非常勤の方だったりしました。それでも、一回目に参加してくださった方が知人の方に呼びかけてくださるなどしてくださったりして、私の希望通りお子さんよりも保護者や支援者の方が参加してくださいました。2回目も初回とは違った意味でとても有意義な時間を過ごすことができました。
主催をして3度目の一昨年は、私が主催者となった最後の年となりました。ここに書いてもしょうもない下らないことが散々あったことや、自分自身を取り戻していく中で3度目のイベントで一旦私は自分の治療に専念しようと思うようになりました。それに、病んでいる自分がお子さんたちと関わることがイベントへ参加してくださる方たちを不安にさせてはいけないということもあったからです。ですから、その後は他の方にお願いすることを考えていました。同年の夏、受講した発達支援コーチ初級の学んだことで、3年目のイベントは、今までの集大成だと思って、午前は基礎講座、午後は季節のアプローチといったことを行うことにしました。最後と思っていたし、主催者なので、息子の世話をしながら講座に参加することはできないと思って、そのイベントには息子は参加させませんでした。それよりも、その時はよその家のお子さんたちを観察することと自分がしっかり受講したいという思いもあったからでした。

②へつづく