ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

今日の空は晴天だけどなんだかブラックな私のココロ

昨日今日と暖かく春の陽気ですね。

この日を暗示するかのように

前日の雨の降りの日は

顔や身体が痒くなってしまって

こういった気候の時は

私と息子はなぜかカユカユになるので

なんなんだろうと思っていたら

今日の朝の目覚める一瞬にみた夢が

両腕ともに蕁麻疹が

たくさんできている一コマをみて

びっくりして起きたら

現実には何も起きておらず

ほっとしました。

 

さて、本日この記事とは別に2本アップしています。なんか長文です。支離滅裂かもしれません。ただ、吐き出すために一回ここに出して起きます。

自主企画を卒業したワケ①

自主企画を卒業したワケ②

ご興味のある方は読んでいただけましたら幸いです。その当時は、主催は卒業しても、身体アプローチを卒業するつもりは全くありませんでした。ただ、いろいろありすぎて、何がどうなってこんなことになってしまったのかは、私よりも、関わった方たちが一番おわかりだと思います。

それでも、私自身が悪いこともあれば関わってくださった方たちの良かれと思った対応が私にとっては悪い方にしか受け取れなかったということなので、私が発達障害でコミュニケーションが下手だからとかそういったことだけで片づけられるほどのことではなかったと、今の私は思っています。きっと、歯がゆい思いをなさっている方もいらっしゃると思いますが、しらばっくれた連絡はあっても、誰一人、それらを追求するための連絡もありませんので、私が全部悪かったのだと思うことにしています。が、当の本人の私は全く悪気はなかったのですがね…。だからどっちもどっちだと思います。

はてさて、2本の記事の中に『エンパス』という言葉が出てきます。(理解不能な方はぐぐってください。)私は今から10年前くらいから、自分以外の他者と一緒にいたり、人ごみの中にいくとエネルギー漏れを起こすようなことや、突然の体調不良がおこることが起きていました。それらは当時スピリチュアル界隈でいわれるエネルギーヴァンパイヤということで、終わったいました。ただ、私はそのエネルギーヴァンパイヤっていうことはわからないまでもないのですが、そのいわんとする内容があまり好きではなかったのです。なんていうか、エネルギーを奪うつもりはなくても、他者からエネルギーを奪われたり奪ったりしてるなんて、人のせいにばかりするのもなんだか嫌だなーと思っていました。ですから、強制終了した後に、それらの症状は私が鬱だったからだと一時期は思って過ごしてきました。でも、鬱の症状が緩和されていく中で、それだけではないようなこともあったので、ネットなどでいろいろ調べてみると、私の心身の状態は鬱からくるだけでなく共感能力が働く体質らしいということがわかり、体調が悪い人の身体の状態をもらってしまうことを確信したのが今から4年くらい時でした。

私の身の上に起きていた症状が一体どういったことかといいますと、同じ部屋に1人でも体調の悪い人がいると私は影響を受けてしまうことがあって、その場にいられないくらい体調が悪くなることもあります。しかも、私自身が影響を受けすぎてしまう場合には最悪の場合寝込むことになったり経済的なことが困窮し、行けなくなってしまう摩訶不思議な現象が起きてしまうことにも気がつくことになりました。ですので、心身の状態に不具合がある人やご自身に自覚はなくても心身に癖のある人と同じ場所で過ごすだけで影響をうけてしまうことがあったり、下手すると私の無意識に閉じ込めたこととリンクし、憑依現象のようなことが起きてしまうこともありました。トラウマが酷い人の場合には胸が苦しくて息ができないくらいになったり、天然石をしている人で邪気がたまっている人の場合には、私の両腕またはどちらか片方の手首がちぎれるくらい痛くなることもあります。常に頭がグルグルしている人の場合には頭痛がすることもあったりするのでなんていうか普通に暮らしていく上では、とても不便で仕方がなかったのです。

それは、向精神薬を飲んでいようが飲んでまいが私の場合には変わることはありませんでした。その当時はそれらが何を意味するのかもわからない時期だったし調整することもままならず、また、術も持ちませんでした。ましてや、息子もどうやらエンパスが働くらしく、親子共々、他者の心身の状態に影響されやすい状態を、ただ、なんとかしたかっただけなのです。自分たちで自己調整できるような身体になるしかないという思いと、私たちのような体質の人たちと関わる人達にそういった体質の人たちがいるということも知ってもらいたらなぁという思いもあり講座を行っていました。

自宅だけではなく、学校生活や施設などの生活で、おそらく何が原因かわからない不具合をおこしている人もいると思うのです。現に私や息子は一般的には理解しがたい現象が実際起きてしまっていますので、それらを社会へ理解してくださいといったところで受け入れてくれる人たちは少ないだろうと思うのです。社会へ理解してくださいというより、私自身から変わったほうが、絶対早いし、私が変わることで息子も変わっていくだろう…。そのように思いました。それに、息子は私とは違い、知的な遅れを伴う自閉っ子ですから、自分自身の感じる不具合を自己調整することも、それらが本当に自分自身だけの不具合なのかわからないのは、将来的にも本人の生きづらさになるだろうから、それらを失くしてあげられたら、日常生活が豊かになるのではないのだろうか?という思いで、身体を整えるということを大切に考えてきました。
以前、会社に勤めていた時、突然の体調不良に見舞われることが多々ありました。私の場合、自分自身の体調不良よりも、社内の誰かの体調の悪さやなにか問題が起きることで、不調になる体質だということを日々の生活の中で気がつくことになりました。それは、エンパスが働くということだけではなく、恐怖麻痺反射の働きが強くでているのかもしれないということにいたったのは、灰谷氏著書の「人間脳を育てる」や発達支援コーチの講座を受講したことで気がつくことになりました。詳細は割愛しますが、それらがあることで、私は健康なはずなのに、なぜだか心身の状態が悪くなることに見舞われ不思議で仕方がありませんでした。精神的な病があるからだと自分を疑っていたけれども、日々の生活などを自分なりに検証した中で、確信していくしかなく、実はそれらが私自身の生きづらさの正体の1つであったのだということにも気がつくことになりました。それに、そういった現象はエビデンスのないことですし、私の気のせいにされたらそれまでです。それに、そういった摩訶不思議なことが起きていることは、家族には言わずにいました。そんなことを言っても信じてくれるのは、同じ体質の人たちか神田橋先生くらいだったからです。それに加え、うちの息子と私はまだ2者関係の段階ですので、2人で1人の状態だからなのか、息子自身もエンパスが働いているということなのかはまだ定かではありませんが、2者関係から自立の方向へ移行すれば、息子のエンパスは軽減されるかもしれないなと思っていたりもしているので、だから、離れて暮らしていた息子とまた一緒に暮らして、息子にあるだろう愛着のヌケや発達のヌケを取り戻すには、施設や学校ではできないと思ったからこそ、もう一度一緒に暮らすことにしたのです。家庭生活や親子の関係の中でしか、育めないこともあります。親じゃなくても愛着のヌケはとりもどせると思いますが、うちの場合には、私が元気になったのだから、それを自分でなんとかしたいし、私しか息子のいわんとすることを汲み取れる人はいないだろうということもあったからです。だから、生活環境が変わりおそらく後退することもありえるだろうと思いましたが、普通の生活の中で取り戻せることは私が元気な時にやっておきたいと思ったのですが、それらを見守ることもせず壁ばかりこしらえてくださる方たちに恵まれて、本当にムカついています。本当に様々なことが起こり、私を不具合にさせたいのかなんなのか、試されているのかよくわからない刺激がたくさんありました。そうなったことで、息子も崩れ、相方とも別れることになりました。すべては私の問題にすり替えられてるように感じることもありましたが、絶対私だけの問題ではないと思っています。証明することはできませんが…。

話がずれちゃうなぁーまっいっか。。。

とにもかくにも、身体アプローチの講座を卒業したことと、自分の心身の状態が一時悪くなってしまったことで、折にふれて神田橋先生へ受診をしている中で、野口整体法の創始者である野口晴哉氏の著書をすすめてくださったのですが、すでにネットなどの記事で読んでいて、すごく面白いと思って参考にしていました。こんな人が日本にいたのかとおもって感動を覚えたくらいです。整骨院に数年通っていたけど、野口整体の野の字もでてこなかったし、私自身心身の不具合は専門家に治してもらうのが一番だと思っていた時期だったので、調べる事も自分で不調を治そうともしなかった思考停止な時期の私からすると、自分で考え行動できるようになったのは、見えない所からの認知行動療法の賜物なのかもしれませんね(ぶ) 野口晴哉氏のお話は講座などで教えていただいたことの意味をより深めることに役立ちましたし、これまでに私の中に漠然としていたモヤモヤしていたことを、明確にしてくださるようなお話が書いてあることが多くて、自分の身体の状態がよくなったら、講座を受けに行こうと思っていました。そうしたら九州管内で講座が行われているということを知り、講座に2度ほど参加させていただくなどして、身体アプローチの講座で教えていただいたこととはまた違った不具合の解消の方法を学びました。早く習いにくればよかった。とそんな風に思ったくらいでした。でも、おそらく時期が早ければ、私は過ぎる人なのでまた別の方向へ向いてドツボにはまってしまったのかもしれないと思うと、今頃でよかったのかもとも思いました。

息子に関しては以前神田橋先生に教えていただいた足裏マッサージ、五本指いい子(ゆほびか2月号掲載されています)や野口整体で教えていただいた喩気などを行ったり、息子が受け入れてくれることだけをゆるっと行い整えることでなんとか調整できるようになっています。うちの子はとてもユニークな子なので、神田橋先生に声掛けしていただくと、足を自ら差し出すくらいなのです。そのような子を一般の診療で理解し治せる先生って稀だし、どこにでもいらっしゃいません。ましてや、病院へ行くまでもない不具合を自宅で行い解消されることで、病院受診の混雑が緩和されたり、1人1人の患者さんとの治療もゆとりがもてたりするだろうし、本当に必要な人たちへ医療や福祉の支援が行き届くようになる近道なのじゃないかと私は思うのです。だからこそ、自分たちでできることを自分たちで解消できたらと思ったのです。それでも、病院へいくことで不安がとりのぞかれ、その人自身が豊かに暮らしていけるなら、それはそれでいいとも思います。ですが、私たち親子は一般的には理解されない生きづらさがあることでの、社会生活が困難になっているからこそ、それらを治すための行動をありとあらゆる方面から行動統制されるようなことされているのであれば、そんなことするから、問題は芋づる式に大きくなっていくのを誰も気がついていないということに、私は何か問題が起こる度に怒りを覚えることとなっています。

私は問題が好きではありません。私の行動を問題視している人たちが問題にしてることにとっとと気がついて欲しいと思います。だから、私はワザワザ問題にすることにしています。私や息子に見えない形で行う行動統制は、人を変えることにならないと思ってらっしゃいませんか? 共感覚を持っているからこそ、見えないことも、なんかしらんけど感じるし、気持ちがわるいのです。だって、そういったことが邪気でもあるのだから…。そして、こんな一般の主婦の言動にイチイチ一喜一憂している人たちは、どんだけ怖がりなのだと思う今日この頃です。

はーすっきりしたー。