ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

今日の空

新年あけましておめでとうございます。

旧年中までお世話になった皆様

大変お世話になりました。

今年からお世話になるだろう皆様

又は、これからご縁が繋がるだろう方

メンドクサイ人間ですが

今後ともよろしくお願いいたします。

 

▼▼いつもとは違う路線で帰省してみたら〝ハイヤ大橋〟が〝レインボーハイヤブリッジ〟になっておりました(感動)

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はてさて、実はこの度、熊本から脱出し

引っ越しちゃいました!!!
( *´艸`)うふっ

 

生活保護になったことで

本当は前アパートから家賃の関係で

引っ越さなければならなかったのですが

息子に障害があることもあり

役場には理由を伝えて

引っ越しすることを

先延ばしにしておりました。

熊本地震で、

老朽化していたこともあり

一部損壊の状況であったので

一応、罹災証明をとったりもして

管理会社に一度報告もしましたが

結果的に修理されることもなかったし

いつか出るからと思って

私も一度伝えたからと思い

修理の依頼をしないままでいたら

引っ越しで空っぽになった部屋をみて

ビックリするくらい

歪がすすんでいたので

もう済むのは限界だったなぁーと

思った程でした。

 

本当は息子が支援学校を卒業するのと同時に

熊本から離れ、新天地で

また一から生活を立て直すつもりでした。

生活保護になったことで

てんかん〟と診断を受けるまでは

車を限定的に使える状況で生活していましたが

その時でさえも、大変でした。

 

てんかん〟の診断がおりてから

一年程、車を使わず公共交通機関を使い

病院受診や外出などをしてみましたが

限定的に車が使えただけでも良かったなぁと

思うことになりました。

そして、これからのことを考えると

田舎で暮らすことは

〝絶対無理〟なことを痛感した一年でもありました。

田舎で暮らすということは

〝自分〟も〝家族〟も『健康』で

車を所有し運転できるからできること。

 

息子と改めて暮らすことにしたのは

様々な理由があったからですが

自分が健康でなく

両親が70を越え、それなりに生活できてはいても

からしたら、あぶなかっしいこともあって

しかも、父は肺がんで抗がん剤治療中の身

近くに小さい頃からお世話になっていた親戚も

大病をしていたらしく…

去年1年は、頼りたくても支援機関でさえ

頼れない1年を過ごしていました。

だからこそ、自分たちのような身の上の核家族

どんなに田舎があっていても

暮らしていくのは無理だということが

身に染みた一年を過ごしました。

 

息子が支援学校を卒業するにあたり

進路相談などで相談機関や役場又は学校へも

移住を考えた話をしておりましたが

誰も良い案を考えてくださらず

そんな中のコロナ禍が起きたことで

先延ばしになっていたままでした。

 

夏が過ぎ秋を迎えた頃に

このままコロナ禍が治まる気配を

感じられなかったので

自分で行動を起こしてみることにして

2カ月足らずで全てが動き

熊本から離れることが決まり

昨年末、無事引っ越しを終えました。

 

とにもかくにも、

10年程の中で、知り得た情報や

羞恥心が薄いことを活かして

新天地先で辿りついた支援先でしたが…

実は、身近な支援者の人たちが

数名繋がっていたのに

誰も何も教えてくださらなくて

結果的に自身が動いたことで

繋がっていたことが発覚しました (笑)

 

こういう時に個人情報保護法という罠で

当事者に有益かもしれない情報が

伝えらないことになる現実を

思い知ることになりました。

 

が、こういう時に私の底力なのか

なんなのか…

実は、息子が今現在ヘビロテしている

オウム返ししている、某企業のキャッチコピー

「辿りつかない場所はない」

という言葉が、まるでお告げだったのかも…

と思えるくらい、紆余曲折ありながらも

なんだか、新天地へ辿りついてしまいました(笑)

ワハハ。やったね!( *´艸`)

 

ということで、はてなブログに留まらず

全ての言語活動をお休みし

引っ越し作業に勤しむ日々を送っておりました。

昨日でなんとか荷解きを終え

完璧に片付いたとはいえませんが

なんとか、生活できるくらいには

片付けました。

 

っていうか、8割がた1人で荷造りをし

役場や引っ越し業者の方たちも

社交辞令的な言葉を私にかけてくださいましたが

そんな言葉は一切期待していなかったので

荷造りの作業などは、誰も頼まずに

不要なものは両親に持って帰って処分してもらったり

なんどか荷物をとりに来てもらったけれど

それ以外はほぼ一人でやり切りましたYO

っていうか、できないと思ってたけど

なんかできちゃいました。てへぺろ

 

手続き関係も不備はありながらもなんとか終え

新天地先の転入手続きに〝6時間〟かかり

転出に対しての説明不足と

その説明で私の汲み取り方があいまって、

転入手続きで、やっぱりなことが起き

結果的に前に住んでいた役場に行く羽目に…

なるという二度手間がやってきましたが

結果オーライなことになりました。(*´艸`*)

 

コロナ禍が著しく悪くなっている状況だったので

地元に帰省することに対して

躊躇うこともありましたが

現在、父が肺がんの治療中の身で

母も最近健康診断にひっかかり

ポリープを切除したばかり。


そして、引っ越したので

これまで息子が受けてきた支援が

受けられないこともあるのと

私は【てんかん】持ちで発作が起きることもあり

しかも、いちおう徐脈(脈が60きってるんですよぉう)

※とりあえず、心電図では異常なしらしいですけど…

 

新天地では、私も訪問介護を受けようと思ってますが

現在は申請中なために受けられない始末…

様々な事情が重なるので

「外出自粛要請」が発令されておりましたが

年末年始は実家に帰省しておりました。

 

実家に帰省する前に引っ越しをし

少し一人の時間をとれたり

実家でゆっくりできたので

ここひと月余りのドタバタな時期を

なんとか、やりとげることができましたが…

 

なんさん、今回の寒波襲来のごとく

降り積もる

ネタネタ

またネタになるよぉー

的な事柄が私の心の裡側に

降り積もっておりますので

檻にならないうちに

開放したいと思いますdeath('◇')ゞ

 

年末の寒波襲来は自宅に帰省してる時
天草市町の訃報が…
★実は天草市町は私と同郷で大先輩にあたる方なんです
ツィッターより先に、市長の訃報を知りました。
昨年に著名人の方の訃報のニュースに
何度も驚きましたが
年末の〆に声が出たくらい驚いた訃報でした。
とりあえず、私も息子も元気です。
天草市長のご冥福をお祈り申し上げます。

 

きょうはこのへんで…
追伸…「奇跡」は待っていても行動しなければそれは起きないというより起こせないZEYO
っていうか、寒いぞ! 新居!!!