ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

行動障害と向き合う①

はじめに

今現在の息子は、だいぶ落ち着きをとり戻し一時期酷かった他害や破壊行動がどんな時に起こるのかも、なんとなくわかるようにもなりました。今でも、何かの拍子に私に他害をすることはありますので、その度にその行動を受け入れつつも肯定はしないように努めています。負の行動が起きてしまっている時には、どんなに口でいっても伝わりませんので、息子が落ち着きを取り戻した時に、他害をうけた後の傷をみせながら痛かったことや傷になってしまうことを伝えています。やはり、青痣になったり切り傷になって血がでたりしているのをみると、痛いことや自分がしたことで怪我をしてしまったことはわかっているようで、自分から『ごめんなさい』といい、『痛い、バンテリン』といいながら、バツの悪そうな顔をします。まだまだ完璧に他害は治ってはいませんが、一時期酷かった時からするとかなりよくなっています。あの当時よりは私も心身ともに強くなりましたので(笑) 痛みや悲しくて泣いたりすることもありますが、なんとか息子に少しずつ伝わっているように思います。さて、今回はそんな他害や破壊行動がはじまった日から今までのことを一度振り返って文章化したことがあったので、それを数回にわけてブログの記事にしたいとおもいます。

 

______________



息子が10歳の壁といわれる頃〝それ〟は突然やってきた。

 その当時の私には、息子のことが何もわからず、前兆のようなものは感じてはいたものの、ちゃんと彼の状態を理解しようとせず、幼児期の反抗期が今頃出ているのだろう…。そんなふうに簡単に考えていた。
年末年始は実家に帰省するのでその日までは何事もなくいつも通りの休日を過ごしていた。大晦日だったと思う、夕食を済ませた後、息子は別の部屋で1人で遊んでおり、来客があったので、私は両親と母の友だちと居間で話をしていた。ドタドタと足音が聞こえたかと思ったと同時に『ガシャーン』と何かが食器棚にぶつかり割れる音と同時に振り向くと、辺り一面にガラスが飛び散り、片手で持つと案外重いガラスの灰皿が割れて床に転がっていた。
 息子が怪我をしないように非難をさせ、みなで一斉にガラスを拾ったり処理をしながら、私や母は息子に少々イラつきながら声をかけた。物を投げたら壊れること、ガラスの場合には割れて怪我をしてしまうこと。自分も怪我をしたり、他の人も怪我をすること。そして、物を投げてはいけないこと。その時浮かんでくる言葉をその時はただ息子に伝えていただけだったと思う。その時はそれだけで済んだのだが、それから帰省する度に、息子の破壊行動や他害いわゆる行動障害はどんどん酷くなっていき、学校でも先生や施設の職員だけではにおさまらず、他のお子さんへ向くこともあるということだった。トラブルを最小限に抑えるため、当時の主治医に相談し向精神薬を服用するようになった。ただ、息子の場合には、向精神薬を飲んでもそれらは治まることにはならず、逆に薬が増えていった。そして行動障害は酷くなっていくばかりだった。
さっきまでご機嫌だと思っていたのに、突然私の髪を掴んで髪を抜こうとしたり、腕に噛みついたり爪立てやつねるようになっていたので、帰省する車内で行動障害が起きた時、私一人では息子に対処できないし危険だと思い、両親のどちらかと息子の送り迎えをしていた。五年生のGWの時、息子が落ち着きをとり戻していたからか、両親が用事でつきそえないからだったかどちらかは忘れたのだが、久しぶりに息子と二人で過ごすことになった。少しでも神経が高ぶると物を投げようとしたり、噛みつこうとしたりするので、それらをさせないように刺激をしないような対応をし努めていた。だからこの当時は飲食店へ行くこともショッピングセンターへ行くことも控えていたし、公共交通機関を使って移動することもできるだけ控えるようにしていたし、家族といる時は車でドライブすることさえままならなかった。なので、本人の要求があっても人があまりこない資料館や公園へ行くことくらいしかしていなかった。

 そんな状況でのゴールデンウィークをなんとか何事もなく過ごせたと思い、施設に送る予定にしていた前日、息子が公園へ行きたいという要求に応えるために車に乗ってでかけたことが誤算となった。目的地へ行く途中、突然イライラがはじまった。これはヤバイと思った時には、運転中の私の髪を掴んで放さないので、車を路肩へ一時停車した。息子が落ち着くまでその場にいようと思ったのだが、車内は密室なため、私は逃げる間もなく息子は車内で私に噛みつこうとしてきて、つかみ合いになった。まだその当時の息子は身体が小さかったのだが、そんな小さな身体でも大人の私が抑えきれないくらい力強く襲いかかってくる。そして、腕の肉が引きちぎられるのではないかと思うくらいめい一杯何か所も噛まれ続けた。今だに手の甲に三日月のカタチで傷が残ってしまっているくらいだ。車からでて非難しようにも一苦労で、なんとか外に避難できた時には両腕が真っ青になるくらい息子に噛みつかれてしまっており、痛みと悲しみで胸がいっぱいになった。泣きながら運転する私の隣では、普段通りの穏やかな笑顔をうかべてはいるもの、どこか張りつめているような緊張感は保たれたまま息子は何事もなかったかのように助手席に座っていた。

 この日の出来事で、私はさすがに打ちのめされてしまうことになった。息子にこんなことをさせてしまったのは、私の落ち度でしかないと思った。こんなに苦しんでいたのかと。何がそんなに苦しいんだろう。歯がゆいんだろう。何を私はわかってあげられてないんだろう。様々な感情が涙と共に溢れてくる。と同時に、我が子なのに〝怖い〟と思った自分が正直情けなかった。だから、ただただ悲しかったことが今でも思い出される。祖母である私の母も何度か噛まれてしまったこともあったが、この酷い怪我をすることになったのが、第3者の人ではなく母親の私だったことだけは救われた気がした。

 

行動障害と向き合う②へ続く