ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

感覚過敏とお薬①ーはじめてのパキシル編―

最近ふと、向精神薬を飲み始めた当初のことを思い出したので、記録がわりに記事に残しておくことにする。

 

私が向精神薬を飲み始めたのは10年以上前になる。鬱のような症状を感じ、その当時の主治医に相談すると、少量だが朝晩2回パキシルを服用することになった。(はっきりと覚えてはいないけど…。)その当時は、AD/HDの特性だけでなく、うつ病もあったからか、忘れ物と不注意がとても酷かった。忘れ物と不注意は幼い頃からだったが、大人になって更に酷くなり、不注意も忘れない日々もあたりまえだった。その当時はまだ30代前半だったし、育児をしながら在宅で仕事もしていた。うつ病に関することも全く知らない状態だったし、基本的な生活習慣や食生活も怠っていた時期だったので、渡されたお薬を飲んでおきさえすれば治ると思っていた。そんな状態で薬物治療を行っていたのだから、そりゃぁ少量で良くなっただろう “うつ病” も良くならなかったのは今ならわかる。無知がどれだけ自分自身の心身を蝕むのかということもこの当時はまだ気がついていなかった。

パキシルを飲み始め間もなくした頃だっただろうか、息子を園に送り迎えする車のカーステレオから聞こえる音がなんだか今まで聞いていた音との違うように感じた。音が低く少しゆったり聞こえるのだ。すごく不思議だった。だから、飲んでいた薬を一時飲まずにいたか、ただ服用を忘れたかした時、服用がはじまるまでの音の聞こえ方に戻ったことに気がつき、パキシルを服用すると、カーステレオから聞こえる音が少し低くなり速度も少しゆっくり聞こえることに気がついた時、自分自身の気が逸っていたり、あせっているのだろうと思ったし、それだけ日々、時間に余裕もなく脳内と身体との動きの乖離があったのかもしれない。日常に聞こえる音の速度や音階の変化の違いは、今でもたまに感じることはあるが、あの当時からくらべると全然マシだ。あの頃は自分自身でビックリするぐらい音の聞こえ方の違いを感じたくらいだったから…。

その後、音の聞こえ方くらいは違いを感じたが不注意や忘れ物に関してはそんなに変化を感じないまま、少しずつお薬が増えその後はパキシルリスパダール、バブプロ酸ナトリウムを処方され、季節に応じてパキシルで調整を行っていた。それでも薬物治療している人たちからすると服用した量は少なかったし、睡眠薬を使ったことはなかった。私の場合眠れないのではなく、息子の療育のグッズづくりや在宅で行っていた仕事で睡眠時間を削っていたし、その当時は不規則な生活でもなんとか大丈夫だったからだ。今の私からすると、本当に突っ込みどころ満載すぎて、笑うに笑えない(苦笑)感覚過敏があったことでの心身の不調や未病でもあっただろうし、産後うつを引きずってもいただろうと思う。子どもを出産したことで生活習慣をみなおすチャンスでもあったのに、あの頃は全く気がつけなかった。母には、何度も基本的生活習慣が子どもの発達には大切なことだとアドバイスをしてくれていたけれど、私は聞く耳をもてなかった。

なぜかというと、息子は自閉症だから眠れなくてあたりまえ。だから基本的な生活習慣が乱れることはあたりまえなのだからと私は勘違いしていたからだ。本当にあの当時の私はどうしようもないおバカさんだった。あれくらいの状態だったら、薬は必要なかったと思える。その変わり基本的な生活習慣と良質な睡眠そして食養生だけでも治せていたかもしれないし、たとえ、お薬を飲むことになっても、基本的な生活習慣や良質な睡眠、定時に薬を服用し血中濃度のことなどを大切に考えられていたら何か違っていたのかもしれない。

 

→感覚過敏とお薬②-薬が浮き輪がわりだった頃-へつづく