ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

感覚過敏とお薬②-薬が浮き輪がわりだった頃-

強制終了をした2009年5月までの数年はただ処方されたお薬を飲み、定期通院しながらその時々の身体の状態を主治医には話していたとは思う。検査のことはよく覚えているが、診察の時のことは、実は都合よくほとんど覚えていない。きっと私にとって都合の悪いことだから忘れているだけなのかもしれない…(苦笑)私は幼い頃から五感全てに感覚過敏があり、大人になってだいぶ薄れてマシになっていた。それでも、一般の人よりは感覚的には敏感なままだった。リスパダールやバブプロ酸ナトリウムをパキシルにあわせて服用をはじめた時、身体の状態は音に対する感覚の違いだけはそれなりに感じていたが、あの当時、身体の状態ときちんと向き合っていなかったので覚えていないに等しい。ただ、向精神薬を飲んだからといって、感覚過敏がほどよく治ったのか?というと正直あまり変わらなかったように思う。私の場合には、覚えてもいないといってもいいと思うし、だからといって副作用が起きていたとも感じていなかった。副作用よりも不安が和らいだり、身体が動かしやすくなり薬を飲んでいない時よりも楽だといった感覚は感じられてはいたように思う。

初診の時から約2年ぐらいまでに一日に飲む薬の種類はずっと同じ内容だったが、強制終了後、閉鎖病棟へ入院したことにより薬の種類や量も必然的に増え、それまでに飲んだことのなかった、眠剤も2種類ほど試したこともある。眠剤の使用については、退院後なるだけ使わないようにしていた。入院治療をしたことで、生活習慣が変わり薬の飲み忘れは多少あっても、以前よりはマシになったことで急性期の頃からすると退院後、大分状態は安定した。ただ、過敏でありながら鈍磨もあることからくるお薬との付き合い方は、向精神薬を飲み始め断薬するまで本当に難しかった。日照時間や季節に応じて薬の量を調整しないとたった一粒又は半粒違うだけで、朝の目覚めが悪かったり身体が動かしずらくなる事態に見舞われていたからだ。それに、心身どちらにもちょっとしたストレスを感じることが続いたり、休むことを怠ったとたんに動けなくなってしまうこともあり、あの頃は本当によく寝込んでいた。

それに、あの当時、心身の状態がよくなっていく過程は、状態がよくなった後には必ず後退するといった治り方だった。階段を上ったり降りたり小康状態の時期もあるといった過程を辿りながらその時々のベストな状態となっていた。そして、心身の状態が少しずつよくなっていくと同時に、気にもとめていなかった身体の感覚を自然に気に止められている生活に変わっていくこととなった。ただまだあの当時は、本当に自分の心身についてよくわかっていなかったことも多く、気にもとめていなかったからこそお薬だけが頼りとはなっていたし、安心グッズかしていた。精神医療の現場でよく向精神薬の例えを『浮き輪』に例えられることがあったが、正にあの当時の私にとって薬は『浮き輪』がわりとなっていた。

入院をしたことから薬は増えることとなり、毎食後+寝る前以外に頓服を処方してもらっていたのだが、不安が強くなったり頭痛時によく使っていた薬がセデコパンだった。私はもともと頭痛が起こることは稀だった。ただ、この頃からPMSの症状なのだろうと感じはじめたことや、それ以外の頭痛にもパターンがあり、単なる偏頭痛なのか精神的なことでの頭痛なのかで、もらった頓服を使うのか、市販の頭痛薬を使うのかといった使い分けをしていた。私の場合には、考えすぎることや解離しそうな感覚になると頭痛にみまわれることもあったので、そういった時はセデコパンだけでない薬もあわせて飲むことで調整していた。

セデコパンは日中、急に不安になるとよく服用していたのだが、服用後確実に落ち着く経験をしたことから、私にとってのお守り代わりとなり常時持っていた。セデコパン以外の向精神薬で効果を感じたことがあるのは、急性期の頃に数回飲んだことのある液状のリスパダール眠剤だ。眠剤は入眠をよくするためのものと、長時間深く眠れるタイプのものと2種類ほどを状態にあわせて飲んだことがあるが、どちらの眠剤も確かにそれぞれの効果を感じたし、グルグルしている脳みそをシャットダウンしてくれるようなことには役立つことはあった。ただ、飲んだ後のなんともいえない怠くて重い状態はあまり心地よいと思ったことはなかった。

その他の向精神薬が私の状態をどのように楽にしてくれていたのか、毎日飲んでいた当時は正直あまりわからなかったのだが、少しずつ断薬をしはじめた時、ちょっとしたことでイライラしてしまう状態になって大変な思いをしたことがあったり、定期通院を忘れたり、めんどくさくて薬をとりにいかず飲まずにいたら、息ができなくなる事態に見舞われたこともあった。そういった経験から断薬する時は、必ずドクターに相談したほうが賢明なことを思い知ることとなった。それでも、あの当時は確かに薬のお陰で、本当はその場に立っているだけでも大変だった時期、救われていたのは確かだ。そして、その薬を使い、なにかトラブルがあり抱えきれなくなると、オーバードーズをおこなってしまったこともある。OD後、身の上に起きた断薬症状の摩訶不思議な経験が2度あるが、薬が完全に抜けるまでの約2週間の間、脳内で起きていた現象はほとんど同じような過程で映像の違いはあれど似ていた(苦笑)あれがスピリチュアル界隈で俗にいわれる霊的体験ということなのだろうか?そんな経験をしたからこそ、薬は『浮き輪』にもなれば『毒』にもなりうるのだということは忘れないでいたいと思っている。

 

感覚過敏とお薬③-ジェネリックの罠-へつづく