ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

今日の空

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久しぶりに朝からハロがでています。

今年は秋が早くやってきたように感じます。

ひと雨ごとに気温が

下がっていくのだろうなぁと

部屋の窓を開け

外の空気を入れ替えながら

思いました。

 

三年前に初めて自分が主催者になり

年一回身体アプローチの講座を

開催していました。

この時期には皆さんにご案内をしたり

ブログなどで紹介していただいたりし

メールのやりとりで頭が忙しい時期でした。

2年目の時に九州各地で

講座を開催できたらいいねと

参加者の数名の方と話していたことを

昨年実現することができました。

思いのほかたくさんの方が

九州各地から参加してくださり

大盛況の上終えることができました。

なぜ、私がこの熊本で身体アプローチの講座を

主催しようと思ったのかというと

自分がしなければ

熊本で開催してくれそうな人がいないと

ただ単純にそう思ったからです。

待っていたら20年後とかになってしまう。

ただ待てませんでした。

私の感覚としてにはなりますが

福祉関係だけでなく地方はシガラミや

人づきあいに偏りがあり

上下関係もありますし

権力のある方などと付き合いがあるかないかは

とても左右されます。

ただの一個人が企画したものを

行政に持ちかけ掛け合っても

おそらく相手にもしてもらえないだろう

そう思いました。←現にそうなんです

講師の方の講座の内容より

ネームバリューや流やりなどを

大切にする方が多いなと感じているし

しかも、その当時は一部の方にしか

名の知られていない講師の方を

お招きしての講座になりますから

日本でも名の知れた方であったり

有名支援者やドクターなどであることを

大切に思っている人が多い我が県の

行政や支援者の方又は保護者には

絶対相手にされないと思いました。

それに、その当時

息子が多動で他害をすることもあったし

鬱で体調を崩しやすい私1人で

遠方へ息子を連れて行けるわけもなく

出張していただくことも

できるということだったので

個人的に自腹を切って講座を

開催することにしました。

続けられるかどうかはわからないけど

とにかく、私や息子のような

運動がそんなに好きではないタイプの人にも

自宅で道具も必要なく0円でできる

身体アプローチが私たちのような親子には

とても必要だと思ったからでした。

元々私は整骨院に10年近く通院したり

息子もみていただいたこともありましたが

そちらの先生の考え方と

私は価値観が違うこともあったし

著書を読んでも体感しないと

身体の動かし方がわからない体質

ということもあったので

とにかく一度だけでも開催してみようと思い

最初は私と息子だけのためでしたが

せっかく遠方に来ていただけるので

他の方にもシェアしてみては?という

アドバイスもいただき

熊本でコンディショニング講座を

開催していました。

 

が、三年目の去年、講座以外のSNS上や

受講者の方又は関係者の方々と

様々なことがあり

当事者で二次障害も完全に治せてない私が

講座を開講することは受講者の方に

悪いなと思ったのもありますし

自分が主催者であることが

いろんな意味で皆さんを

不安にさせてはいけないとも思いました。

それと、三年目の講座で

自分にしか視えていないことがあり

とても苦しくなってしまったからでもあります。

子どもたちは何にも悪くなくて

問題視している大人が原因だと

気がついたからです。

それに、どーやら皆さんに

ご迷惑をおかけしていたようでしたので

空気を読んで私は今後一切

関わらないことにしました。

私が講座を開催せずとも

他の地域で年2回ほど開催されていますし

熊本でも多分他の方が開催してくれるはず?

だと思いますので

ご興味のある方はご自身で情報収集をして

参加してみてください。

身体の動きは動かしてナンボです

ご自身で動いてみて

どんな動きの時に自分が

『気持ちいい』と感じるのかという

感覚を思いだすことが

とても大切なことだと思いました。

あとは、察することが

一体どういうことなのかを

三年目にして気がつきました。

だからこそ『自分は辞めよう』と思ったのです

なんていうかいい人のふりして

遠回りに意地悪みたいな接待を散々

されたと私は思ったから

昨年まで関わってくださっていた方たちから

一方的に私から縁を切りました。

皆さんからすれば意味不かもしれないのですが

私はイジメられたようなものだとしか

受け取れませんでしたので

例えお世話になり助けていただいたとしても

不快でしかなかったということは

ご理解ください。

おかげさまで毒出しはできました。

途中で気がついたので

2代目にならずにすみました(^^;)

まーかっこ悪い終わり方になりましたが

今後も続いていくことを祈っていますし

私はどの地域にも参加することも

講師の方に子どもさえみていただくことも

ありませんので関係者の皆様

ご安心くださいませ。

各地での講座がご盛況でありますよう

お祈りしております。

予定はないが『あとがき』は〝ある〟件

ラスボス発見からのラスボス退治【前篇】と ラスボス発見からのラスボス退治【後編】の記事に追記として今日は記事に掲載しようと思いましたが、以前のブログ記事の中にある『治す覚悟を決めた日』というタイトルの記事の『あとがき』として残した全部の文章を掲載しようと思います。なぜかっていうとそれを読んでもらうと大まかにわかるし、手っ取り早いからです(笑)それに、私は著書をだすつもりもなく、オファーもありませんし、ここは私のブログだから掲載したところでなんの支障もありませんので。(最初から全部掲載すればよかったなぁーバカだなー私(笑)

その記事の前に私の身に起きていた霊障のようなことが精神障害かもしれないと気がつき、それを治した人がいたことを知ったことが自分探しの第一段階の終着点になると思います。私の身に起きていることが何なのか知りたかったことや治せるなら治したいと思ったきっかけは、アスペルガー症候群の当事者である藤家寛子さんの存在があったからです。去年別のサイトでブログの記事にしていますので、詳細は割愛させてもらいますが、彼女以外にも人格障害を克服なさった方はいらっしゃるかとは思います。ただ、私がはじめて知ることになったが彼女でした。藤家さんの特集が地方のテレビ局の特集があったことと彼女の著書である『他の誰かになりたかった』がきっかけとなりました。彼女が治った1例を著書にしてくれていたことが私の治るに繋がりました。そして、昨年の秋に長崎で開催された講座で、著書の中にはない治療中のエピソードを聞かせていただいたことで、私は確信を得たようにおもいました。だからこそ、分裂したままの私の心を統合させるためには、通らなければ治らないのだとも思い知ったのです。だからこそ彼女は彼女のペースで治っていったのだとそう思ったのです。それから数か月間は、本当に大変でした。相方に愚痴をいったり、友だちに愚痴をいうくらいではありませんでした。母や相方のアイデンティティを崩してしまうくらいの言葉もぶつけましたし、相方には暴言も履き、暴力も振るいました。理不尽な態度でこみあげてくる怒りを涙ながらにぶつけ、相方との喧嘩を息子にもみせることにもなりました。そんな自分が情けなくて、泣きじゃくりながら息子に「こんなお母さんでごめん」と大泣きし崩れ落ちた私を息子は、ただだまってぎゅっとハグをしてくれました。これだけではありません。本当によくここまで家族が耐えてくれたなぁとしか思えないことが何度かありました。ですから、何ももたない私には、ただ治ることだけが相方や母、そして家族に移行するまでに支えてくださった方たちへの恩返しだと思ってここまできました。想定外のことにはなりましたが、胎児性の愛着の不具合はなくなったみたいです。時折まだ拗ねる時もありますが、拗ねた時は『拗ねてるんだーぷんすか \<`ヘ´>/』と言葉で言えるようになりました。おかげさまで主体性をとりもどしましたが、副作用もあり(笑)別の問題が出てしまいました。ただ、これは私の問題ではなく、私を問題視している人たちが原因をつくってくださっているので、スル―したり、怒りの感情もちゃんと言語化できるようになって冷静に対処できるようにもなってきています。(こうやって書くと理不尽な意味不な問題を起こしお試しされるので、書きたくないんですけどね(棒))

と、また前置きが長くなってしまいましたが、なんのオファーもなく著書が出る予定もない『あとがき』(笑)をどうぞご覧ください。

※藤家寛子さんの治療中にあったご家族とのエピソードは、愛甲修子さん著書『愛着障害は治りますか?』に掲載されていますので、ご興味のある方は本書をお読みください。藤家さんのエピソードだけでなく、その著書は自分で愛着のヌケがあるかないか、愛着の形成のピラミッドなど、自分でできるセルフケアなども紹介されていますので、読んでみられることをおススメします。私はその著書を読んだ後、脳みそがシャットダウンしました(苦笑)

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『治す覚悟を決めた日』     千晴

 

私が自分自身発達障害じゃないかと思い佐賀にある肥前精神医療センターで受診を受けたのは約10年前だ。問診とWISC/Rの検査を受けた後AD/HD注意欠陥多動性障害という診断を受けた。当時は、やっと自分の着地点が見つかったと思ってほっとしたのを覚えている。診断後の診察で併せて二次障害もあることがわかり薬の服用が始まった。1年半くらいすぎた頃だっただろうか、肥前精神医療センターに通うのは大変だったし、当時の友だちに勧められ、その後は地元の病院に通院することにした。病院に通院しながら自分なりに講座や著書ネットで情報を集めるなどをしながら自助努力の方法を模索しつつ、成人当事者の支援も受けた事もある。でも発達障害の世界を知り、自分に照らし合わせ自分らしさを見つけていく中で歯車がくるっていった。
私は当時紛れもなく発達障害や二次障害を印籠代わりに使っていた。何かにつけてできない事等を言い訳にしていた。そして、自分の衝動性を間違った行動力にすり変えてはネガティブな事で大切な人たちを巻き込み多大な迷惑をかけてきた。私の黒歴史は正直、人様に自慢できる事ではない。笑い話で聴いてくれる人なんておそらく一握りだろう。自分の闇を人のせいにして自分の闇にちゃんと向き合ってこず、その闇を自分は悪くない周囲が悪いという『大変よく頑張りました』の判子が欲しくてスピリチュアルと自己啓発や占いの世界にはまってしまっていた。今思うとただ居場所が欲しかっただけだったと思う。スピリチュアルな人達だから私のやってきた黒歴史を『あなたは悪くないんだよ』っていってくれるだろうと思っていた。私は底なし沼のようにどんどんどんどん落ちていった。でも落ちている自覚はなかった。ただ、結局その世界でも自分が一人ぼっちのような気がしてスピの世界から離れようと思った矢先『強制終了』となった。
7年前の春、精神科閉鎖病棟保護室から人生のやり直しがはじまった。2ヵ月間の閉鎖病棟での入院生活はまるで映画やドラマのような日々で夢のようだった。主治医にも退院時
「ここでの生活は夢だったと思ってね」
といわれた事を今でも覚えている。その当時はどういう意味か全くわからなかったが、今振り返ると相当ヘンテコな世界だった。でも社会の縮図のようにも思えた。入院時に出会った人で治っていく人たちは一握りだったと思う。その頃から治っていく人と治らない人というのは私の中で怪奇現象に感じていた。そして自分自身にきちんと向き合っていく中で気がついた事がある。治っていく人は治したいと治りたいという気持ちが強い人が多いという事。そして自分なりの治し方に着目し実践している人や完全に開き直っている人、医者のいう事を完全に鵜呑みにしない人等治っていく人達は治らない人と違って真正面から自分の病気や障害とうまくつきあっているように思う。治らないほうがみんなが優しく腫れ物に触るように扱ってくれる…。治すことでのデメリットを感じる人、病気や障害の特性を人質に主治医を操ってる人が治らない人だと私は思っている。そして、最近感じているのは、精神障害になったら治らないという思い込みが治らない治さないに繋がっているのではないかとも思っている。
 生きなおしをはじめて7年。規則正しい生活と日中活動を充実させる等が定着した頃、神田橋先生の存在を知り、三歩進んで二歩下がるといったような感じではあったが私は元気になっていった。そして栗本啓司氏のコンディショニング講座を受け、自宅で自分でできるセルフケアを教えていただき、更に元気になっている。そして体調を崩しても振れ幅が少しずつ狭くなってきているのを実感している。身体づくりを大切にしたら、思考も変わってきており、自分の『気持ちいい』に気がつけるようになった。そうすると更にいい事は続く。心の痛みは伴うが過去のトラウマを乗り越えられるようになっていき、過去の自分を責めたとしても人を恨む気持ちは薄れていった。パートナーへの依存も過去へのトラウマの執着も防御の為に着ていた鎧がはがれおちていくようになくなりつつある。不思議と。そういう治っていく過程の中で私はある事に気がついた。それは、私は本当の意味で治す覚悟がなかった事だった。現状維持で満足していたんだと思う。正直、実は一旦落ち込んだその後大爆笑に変わった。
「ああ。私、治るのが怖かったんだ」
そういう自分の想いに気がついた時に断薬を決めた。なぜなら、自分のいろんな闇は薬では治らないものだという事を思い知った出来事もあったからだった。私の闇は私が創りだした世界。自分の在り方やこれまでの勘違いをなおしていきつつ、身体の土台づくりもできたら、どんな事にもブレない自分になれるだろうと思い、いい加減治す覚悟を決めた。
治るにも段階がある。治っていくにも過程がある。治るの向こう側にある景色は無限に無数に広がっている。誰のものでもない。私だけの治るの景色がみれる日がくるように私はただ自分と向き合う日々をこれからも大切にしていこうと思っている。

 

2016年3月

 

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はーずかーしー(笑)(*^。^*)

 

 

方向転換

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自分の人生だから
私にしかできないことは
たくさんあるのに
すっかり忘れていた
本当に馬鹿だな…私
私の人生を生きれるのは
他ならない
ワタシだけなんだし
過去を辿ることも
今を生きることも
未来に向かって歩くことも
私にしかできないんだ…
私じゃなきゃダメなんだ
私がいいから
この地に生まれたんだ
変われる人なんて
いないから
苦しいし辛い
だからちょっとした幸せで
満足できていたんだ
それでも
向かい風を選び
生きてきたのも他ならない私
だからこそ
人の何倍も努力したんだ
だからこそ
苦しくて辛いだけだったんだ
苦しみ抜いた先に
ようやく気づいたことが
私の中にはすでに〝ある〟
という現実だった
向かい風に立ち向かわず
その場でくるり
向きを変えれば
追い風になり
あの苦しみさえ
忘れるくらいの
私になれた
だからこれからは
肩の力を抜いて
ただ風の力に
任せてみようそう思う

今日の空

今日はエアコンいらずと思いきや暑い(+_+)

いい天気に恵まれましたが

母子ともども少し疲れているので

本日は自宅でゆるゆるしています。

眠いし、めずらしく頭痛い感じがします。

頭痛い人は自分の愚かさを認められていない

ただの愚かなエゴの塊人です。

己の正しさを私に降り注がないでいただきたい

自分のブレを私の責にするのは違いますよ。

ご自身の問題ですので。

あしからず。

 

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ツイッター中医学や漢方関連のツィートを

参考にしながら、日頃の生活や食養生を参考にして

2年目に突入しました。

朝から食欲がないことが多いので

そういった時は

白湯や温かいスープをのんだり

お腹が空いたらたべることをしてきました。

私はお粥が大好きだったので

お粥又はしらおじや(ご飯からお粥にしたもの)を

今、毎日食べています。

新生姜の季節になったので

以前、青空満点レストランで

生姜が名産の東陽村の回の放送の時

『新生姜のきんぴら』を作られているのをみて

ずっとしようと思ってたのに

ずっとできなかったので、

最近つくってみたらなんとも

ハマってしまいました(笑)

朝から新生姜500g弱を千切りにして

『新生姜のきんぴら』を常備菜につくりました。

のきんぴらをお粥のお共にするのが

今私のブームです。

(梅干しは梅雨の時期に食べたくなります。

私の場合。)

以前は生姜の佃煮をつくったりしましたが

佃煮は時間がかかるので

きんぴらにするほうが

味も濃すぎずあっさりしてて

生姜の味もしっかりして好きです。

昔は辛くても平気だったのに

辛い物を意識的に食べない様につとめたからか

辛すぎると舌が痛くなるようになりました(苦笑)

(感覚過敏酷くなったんですよー 自慢です(棒))

 

 

 

昨日の空

朝早くから爆竹がなっていたので

運動会シーズン到来なことに気がつきました。

幼児園の頃から今まで

いろんなことがありましたが

発達障害のあるお子さんを持つご家庭は

いろいろと大変ですね。

我が家もいろいろありましたが

運動会が嫌いでもなく

別の意味で嫌いなだけなのだと

今は私もわかるけれども

子どもが不憫だと思うなら

親にできることを考えれば

わかることだと思います。

本当に参加したくないのかどうかは

お子さんの問題だと思うので

親の単なるエゴで周りの人を巻き込むのは

単なるモンペなんですよねー。

(←過去の自分に自戒をこめて)

 

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昨日は所要で佐賀に行きました。

9年前までは何度も佐賀に足を運んでいたのに

教科書でしかみたことのない

憧れの『吉野ヶ里遺跡』を遠目にみながら

心の中で『行きたい』と思っているのに

なかなか行かなかったのは

私に主体性がなかったからだと

しみじみ思いました。

昨日は念願の『吉野ヶ里遺跡』を見学しましたが

時間が足らなかったので

また行こうと思います。

イヤハヤ、佐賀平野は平たくて緑で

市内はきっと夏は盆地だから暑いに違いない。

そんな風に思いました。

 

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私が大切にしていること③

私が大切にしていること②では『プライベートとパブリック』についてのことを記事にしましたがいかがでしたでしょうか? 昨年の夏、発達支援コーチの講座や著書などで、原始反射のことを学んだことから、自他の区別をつけることを身体面からもアプローチできることを知り、自分の自己啓示欲は発達のヌケからも関係しているのだろうと腑に落ちました。それからは自宅で、ボチボチ自分でできることを息子と二人でやってるところですが、なんせ、うちの親子は身体がLD体質なものですから、これがなかなか身体アプローチといえることを行っているといえるのかは不明です(苦笑)自宅でもできることをできる範囲で継続するということも練習になっていますので、いつの間にか発達したとか動きが変わったと思える日がくることでしょう。さて、何事も継続することは大切ですが、自閉圏の人たちにとっては『終わりの概念』を理解してもらうことも大切だといわれていました。今日は、その『終わりの概念』について記事にしたいと思います。

 

『終わりの概念』

何事にも、『始まりと終わり』があり、それらは何かしら違ったカタチで繰り返し行われています。療育施設や講座などでよくいわれていたのが『いつ始まっていつ終わるのか、そして次は何があるのか』この仕組みをワークシステムや自立課題、スケジュールなど視覚的に伝えることになるのだと思いますが、場面の切替が難しいといわれる自閉圏の人たちに『終わりの概念』を理解してもらうのは結構難しいなぁーと思うことが少なくありませんでした。自立課題などで、することがなくなったら『終わり』ということは体感的にはわかりやすいですし、スケジュールのカードを剥がして『終わり』ボックスに入れるなどして視覚的にも『終わった』ことは意識できますが、物事にはそんなに簡単に終れないことだってあるわけですから、これを自閉圏の人たちに伝えることはなかなか難しいなぁと思ったこともありました。うちの子の場合、終れない時って体調不良な時だったりする確率が高いなとは思いますし、『終わり』だとはわかっても、感情は終れないということは当たり前なことだよなぁとも思います。だからいつか、終わることは仕方のないこともあるということを自然にわかるようになってくれるといいなぁと思ったりします。

『終わり』と一言でいっても、この世の中には、様々な『終わり』があります。時間や命、物事の始まりと終わり…など、物事に応じての様々な『終わり』がありますし、その物事が本人が好きなことであれば一度限りの経験の場合には、しっかり終わることが難しいと、また同じ経験ができると本人は期待し続けることになると思います。うちの子が小学生の頃、修学旅行に行った後に「修学旅行いきたい」と何度も何度もいわれつづけ、カレンダーをめくり、次はいつ修学旅行に行けるのかと何度も何度も聞いてくるので、

「修学旅行は人生で2回~3回あります。小学部で1回、中学部で1回、高等部に進学できたら、高等部で1回です。小学部の修学旅行は〇月にいったよね。だから次は中学部でいけるよ。まだまだ先だよ。」

といったような現実を何度か教えました。

そのうち、うちの子は

「家族の旅行」

という言葉を返してくるようになったので、

「家族の旅行に行きたいんだね。家族の旅行は一年に一回行けるかなー?いける時もあるし、いけないときもある。家族の旅行に行くことがわかったらお母さんが教えます。来年いけたらいいねぇー」

ということを要求されるたびに伝えてきました。そして、できるだけ旅行に連れていってあげられるようにしてきました。カレンダーをみれるようになったことで、先の見通しを持ち、待てるようになりました。ただ、楽しみにしていることなので、あまり期待をさせないようには努めています。

一日の終わりや月の終わり、一年の終わり、時間の終わり、物事の終わり…等、様々な『終わり』があることがわかっても、一口に『終わり』といわれても納得してもらえないこともあるので、そういう時には、また次が“ある”のか、もう“ない”のかを視覚的なアプローチで教えてきました。切替が難しい場合にはタイマーなどを使い、時間内に終らせるということも行ってきました。それにあわせて、ソーシャルで言い聞かせるというか、たしなめてもきました。ただ、うちでは、ソーシャル的な言い回しは事実だけを伝えることにしています。

ソーシャルストーリーズを学んだことがありますが、あれって、今思うと、スピリチュアルや占いなどで用いられている、アファメーションみたいなものなのですよね。なりたい自分の未来像を肯定的に文章化するような感じなのです。(個人的見解)それって、自分自身で意識することが大切なのですが、ソーシャルストーリーズでは、当事者本人ではなく、保護者や支援者が書いたりして、それを添削してもらう必要があります。ですから、本人のためになるといえるかどうかといったら、私はあんまりよろしくは思いません。なんでかというと、ソーシャルストーリーズを書く親や支援者の在り方にとても左右されると思うからです。事実だけならともかく、出来事が起きた後に感じた、親の感情や自分自身の感情までも文章中に書くこともあるので、その部分は必要ないことだったなぁと今は思います。何故なら、体験後の気持ちなんて、その時の気持ちを想定できても、本当に想定通りの感情になるのかどうかなんてわからないと思うのですね。“そう感じて欲しい”とか “望ましい感じ方” は単なる保護者や支援者の“感情のおしつけ”にすぎないと思いますし、本人の気持ちを殺してしまうことにもなるように思うのです。だからこそ、添削っていわれるのでしょうけども、添削する人に言語体力や様々な人の感情の動きなどを知っているかいないかでは、とんでもなく恐ろしい『呪いの書状』のようになると思うので、文章のセンスがなかったり、言語体力ない人は習わないがいいと思います。単なる洗脳のようなものです。あっ。なんだか話がずれてる。。。長くなりそうなので、この件は次回にでも。

ただ、うちの子の場合には、『始まりと終わり』『次に何があるのか』がわかっていて、スケジュールや手順書を用いても、なかなか指示に従えないことが多かった時もありました。なぜ、なかなか従えなかったのかは、ほんの数年前に気がつきいたのですが、それまではずっと『終れてなかった』と私は思っていたのです。でもそれらが違うと思った時に、記憶のメカニズムがパラレルなのだなーと思って腑に落ちました。パラレルということは、過去も未来も現在も同一線上に記憶が存在しており、時系列で格納されていない状態なんだなと思ったわけです。だからこそ、1回前の記憶が頼りになり固執してしまうのではないか。そう思ったりしました。

自閉症というか、うちの息子の記憶力には目覚ましいものがあり(←はい。自慢です)彼は、体験した出来事の1回前の記憶をどうやら全部覚えているっぽいのです。どこまで覚えているのかは定かではないのですが、その記憶と同じ場面を好むというか(同じことで安心するのだとも思います。)また、同じ場面だと思っているようで、1回前の記憶と2回目が同じであるかないかでは、2回目の体験をする時に混乱する原因になっていたようでした。その1回前の記憶というのは、何年前とかにさかのぼってまでの1回前の体験でも覚えていたのです。それがわかってからは、1回前の記憶の塗り替えを行うようにしました。例えば、前回はAさんとBさんと3人でお祭りに行き、ゲームをしてリンゴ飴を買ったけど、今回はお母さんと2人でお祭りに行くことやゲームはしないでリンゴ飴とたこ焼きを買うことを伝え、記憶を塗り替えてあげるようにしています。スケジュールや手順書を全部みてもらって、違う所を意識してもらうなどするなどして、記憶の塗り替えをすることもありました。ですから、もし、スケジュールや手順書を導入していて、お子さんがなかなか指示に従えないという時は、前回の記憶を塗り替えをしてあげた上でスケジュールは導入すると、混乱は少なくなるような気がします。

(要するに“物事は変化するのがこの世”ってわかりやすく教えてあげられたら良いだけなんですけども。今の私の言語体力では彼に伝える術を持ちません。)

ただ、体調次第で細かいことが気にならなくなる場合もありますので、いろんな視点から考察することが本人を混乱させないことになると思うので、うちの子の場合ということで、参考までにしていただけたらと思います。

『“始まり”と“終わり”』も『“ある”と“ない”』と同じだと思うので、その概念をちゃんとわかってもらおうと思うなら、大人の私たちも見つめなおすことはあるとおもうのですがねぇーーーー(棒)

と、なんだかまたまたズレているかもしれませんが、今日はこのへんで。

私を思い出す旅

本当の自分を隠すために

 

私は自ら飛べないように

 

片方の翼を折ったの

 

折れかけた

 

心の痛みを知るために…

 

折れかけた心を

 

誰かに隠すように

 

言葉であて木をし

 

他者からの賞賛と

 

引き換えにした

 

私の内側から溢れてくる

 

本当の気持ちを

 

みないふりして

 

ありとあらゆる知識で

 

折れた心のあて木に巻き

 

保護をした。

 

私が今まで

 

誰かのために

 

降り注いでいた言葉は

 

自分のためだったなんて

 

そんなシンプルなことに

 

気がつかなかったから

 

もうこれからは

 

私だけのために

 

降ろしてみようと思うの

 

翼に痛みを伴ったことで

 

心が折れかかってたことに

 

気がつけたから

 

ただ、此処に在ることに

 

意味があったと

 

気がつけたから

 

それだけでもう十分

 

私のハートのカタチを

 

思い出した時

 

翼も共に

 

癒えるはずだから

 

その時、また、

 

好きな場所へ

 

私の行きたい所へ

 

旅をすればいいだけ

 

 

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