ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

今日の空

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昨日は蒸し暑かったですね。

そして、夕方から

天気が下り坂だということでしたが

無事綺麗な満月をみることができました。

そろそろ十五夜どんもやってきますね。

栗の季節になったから

あのケーキ屋さんのモンブラン

買いに行こうっと。

 

TEACCHの2デイの基礎講座を

初めて受講した時の講師が

メジボフ先生でした。

講座のはじめのほうで

自閉症の人たちの世界の切り取り方が

『木をみて森をみず』なのだということを

小さな懐中電灯を使い

説明してくださったことが

とても印象的でした。

講座の中で自閉症の人たちの

世界感を知った時

私が幼い頃から感じていた

違和感がわかったようで

私は少し安堵したような気もしたし

自閉症の人たちとは文化が違うんだ』

ということをいわれました。

そうだなーって思ったのです。

障害という言葉でひとくくりにされるより

『文化の違い』って言われたのは

なんだか嬉しかったのを覚えています。

障害じゃなくて、

もともと人がもっていた感覚を覚えていて

進化できていない人達なのだと

思うところもあったからです。

障害があっても同じ人間だし

日本や諸外国それぞれ文化が違うように

この世界の見え方や切り取り方は

異質ではなくてユニークなんだといったことを

講座の中でいわれた時は

息子が毎日みせてくれる変わった行動は

異質なものではなく

ユニークな行動に変わりました。

そんなお話を講座の最初に話されたことは

今でも覚えていますが、

そのTEACCHがライセンスビジネスで

忌み嫌われてしまっていたのは

TEACCHの構造化された指導が

悪いわけではなく

それらを日本へ持ち込み

広げようと思った人たちの思惑が

時を経て変わってしまったからだと

私は思います。

本当に良いものであれば

どんな人たちにも効果はあるはずです

でも、私や息子にとって一時期は

ただの苦しみの種でしかなかった時もありました。

それと、当時の私や私以外のモンペな保護者が

構造化された指導の導入を間違ったカタチで

教育現場に伝えたり、お願いしてきたことが

更なる誤解を生んでしまったと

私は思っています。

そして、そんな私を含むモンペな保護者を

増長させたのは他でもない

支援者であったとも思います。

だから、私はTEACCH事態は

悪くないと思っています。

誤解を生んでしまった原因は

私たち親又は支援者でもあることを

肝に銘じることだと思います。

どんな凄い人の講座を受けても

受講者側の受け取り方が

ねじ曲がった受け取り方をすることで

宗教と同じように、

思想の違いで全く別のものに

なってしまうと私は思います。

というか、現にもうそうなっていますよね。

おそらく…

だからこそ、今の日本は

『療育バイキング国』になっていて

選べるからこその親の主体性が問われ

そこの真ん中にいるのは

子ども又は当事者であることを

忘れてはいけないと思ったりします

 

私が大切にしていること②

『私が大切にしていること①』では構造化のアイデア以外に大切なことがあるよということを主にしました。自宅では一日のスケジュールはやっていませんが、デイサービス先や学校では時間割とは別に個別のスケジュールで一日を過ごしています。自宅では、スケジュールよりも夕食の時間と寝る時間は毎日大体同じ時間になるように、うちでは10時には家中の電気を消します。厳密にスケジューリングするとそれが決まり事になってしまい、『〇〇しなければならない』という罠にはまって抜け出せず、臨機応変に動けなくなることもあるからです。自宅での視覚支援はカレンダーぐらいで、場面に応じて手順書を使うくらいです。以前、固定で使っていた月間と週刊スケジュールと一日のスケジュールや手順書を使用していましたが、現在は、一般の日曜始まりのカレンダーを使って月間スケジュールを提示し、息子用の年間のスケジュール帳を用意し、自宅にある月間カレンダーと同じ内容のスケジュールを書き込み、持ち運びできるようにしています。いずれは自分で書きこむなり、誰かに記載してもらうなりすれば、それをみて『いつ、なにがあるのか』がわかるからです。うちの子は先のことがとても気になる子なので、中3の終わりごろから、年間のスケジュールがわかるノートを持ち運びできるようにしました。それが彼のお守りがわりにもなっています。それにあわせて、年間だけでなく、もっと先のことまで知りたい子だったので、息子が産まれてから今まで+数年分のタイムテーブルを表にしたものもそのスケジュール帳に張っていつでも確認できるようにしていますし、自宅にも同じものを用意しています。後は、家族の年間の予定が簡単にわかるカレンダーを利用して、自分のスケジュールと家族のスケジュールの区別がつくようにしています。それらが自他の区別をつけることにもつながるからです。と前書きが長くなりましたが、自他の区別といえば『プライベートとパブリック』だなぁーと思うので、今日はそのことを…

 

『プライベートとパブリック』

発達障害の人たちは自他の区別がついていないと良くいわれます。で、私も自他の区別がついていませんでした。最近頑張って自分に意識を向ける練習をやってます。なかなか難しいです。でも、最近私は思うのです。自他の区別って、発達障害の人の特性だとずっと思っていたけど、なんか違うよなーって思うようになったのです。原始反射のことを知ったことも一つのきっかけになりますが、発達のヌケってすごく大きいなぁと思ったりもします。

自他の区別がつきづらい人は『プライベートとパブリック(公私)』の場面で問題行動を起こしやすいと思いますが、これ、発達障害の人だけの話でしょうか? 確かに発達障害を持つ人たちは自他の区別がついてないことからのトラブルをおこしやすいと思いますが、正直申し上げますと、これ、私は発達障害の人だけに原因があるとは思えないのです。一般的には保護者や公的な場での大人から注意をうけたり、大人の動きをみたりしてパブリックな場面は自然に学べるものだと思うのです。ただ、発達障害を持つ人たちの場合にはその人の特性に応じてにはなりますが、大人からの指示や空気を読むことが不得意だったりすることから、自他の区別をつけられないまま大人になってしまっているケースが少なくありません。でも、社会を見渡してみると、実際には、周囲の大人が公私の場面での自他の区別をつけられていない人が多いと最近気がついたのです。だったら、我が子だけでなく他のお子さんたちにも教えることはできないですし、大人が自他の区別をつけていないお手本になっているわけですから、子どもたちが大人の姿をみて学べるわけがないんですよ! 

今思うと、療育機関や医療機関でのアドバイスって、家庭で行う子育てに対してのダメになったり、障害があってできないことを肯定してるだけのようなものだよなーと思うのです。それを子どもの前でやるわけですよね。実際、療育や教育って、個別指導といわれているけれども、パブリックな場面での常識をわかってもらうためだったり、様々な決められた時間内で行動統制を行うようなアプローチになっていると思います。将来に渡ってその子が困らないようなことを想定した常識をSSTなどで学ぶことになると思いますが、家庭や療育先で一貫性があるかないかがとても大切だと思います。結構グダグダだし、逆にプライベートとパブリックな場面を混乱させているのが実は保護者や支援者だよなって私は思うのです。家ではいいこと、学校ではいいこと、自分の家でも自室ではいい事、リビングではダメなこと。それを支援している大人が一貫した考えで教えられているか?っていったら、できてない支援者や保護者の方多いと私は思っていますが違いますか? 

以前受講していた講座などでは、『プライベートとパブリック』のお話をされていたように思います。環境調整された構造化された場所では、エリアごとで活動することが決まっていますので、自宅の場合、大きく分けると自分の部屋は“プライベートな場所”、それ以外の場所は“パブリックな場所”になるので、自分の部屋だったら“していい事”、自分の部屋以外では“してはいけない事”といったことで、公私の場面を意識してもらうことができます。自宅以外が“パブリックな場所”と思われがちですが、自宅といえども家族は一個人になり、共同生活をしている所です。自宅での共同生活で自他の区別ができているかいないかはとても大きいと思います。空気を読んだり他者をみて模倣で真似ることが不得意だからこそ、家庭生活でもしっかり『プライベートとパブリック』の場面を教えることが汎化が難しいといわれる自閉圏の人たちには、グループホームなどを利用する際にとても役に立つと思います。後、自他の区別がついてないお子さんの場合、自分の物と他者の物の区別がつくように“自分の名前”を記入するなどして、物を使って意識的に自他の区別をつけられる一番簡単な方法だと思います。我が家の場合には、息子の部屋にもテレビやビデオがあり、ポータブルのDVDも使っています。テレビやビデオは自分の所有物ですから、私は介入しません。テレビやビデオを見ていない時はスイッチを消すことを注意するくらいです。ポータブルのDVDはデイサービス先や外泊する場合に使っています。自宅のリビングのテレビは僕のテレビではなくみんなのテレビということになっているので、リビングのテレビを独占しないように取り組んできました。そういった取組が今とても役にたっています。自宅で一人っ子の場合すべての部屋が自分のテリトリーみたいになってしまうのをさけられたのはとてもよかったなと思います。

後、自他の区別をつけられないのは、自分自身のことは自分でみることができないからこそ起こってしまうことでもあると思いますし、まだ2者関係がやり切れてないということでもあると私は思います。お子さんだけでなく、親御さんの2者関係の発達にヌケがある場合には、お子さんをコントロールしていることになっていると思うので、思い当たる方はご自身にも発達のヌケがないかを知ることも結果的にはお子さんの発達に繋がることもあるように私は思います。身体的には固有受覚の不具合が関係しているともいわれていますので、詳細は感覚統合や原始反射などの見解を読んでみられるとより詳しいことがわかると思います。

ということで、ここまできて、自分でもワケワカめになってきた(^_^;) 簡単にいいますと

『大人ができてないことは子どもにできるわけがない』し

『大人ができていないことを子どもに教えられるはずもない』

ってことをいいたかっただけです(^_^;) 

ということで今日はこのへんで…

 

個人的見解ですので、あしからず。

文句のある人はコメントでどうぞ!

 

答え

毎日みている空に

 

幾度となく

 

問いかけてきた

 

私の謎かけは

 

いつの間にか

 

挨拶だけに変わった

 

淡々とすぎ

 

移ろいでいく

 

月日と共に

 

私の心も

 

うつろぎ解けていく

 

天が私の問いかけに

 

こたえてくれないのは

 

私自身がすでに

 

その答えを

 

知っていたからだなんて

 

あの時は

 

ちっとも思えなかった

 

握りしめた手を

 

そっと開いてみたら

 

よかっただけだなんて

 

私らしくて

 

笑っちゃったけど…

 

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私が大切にしていること①

息子や自分のためにと思って発達障害を学んできましたが、私はTEACCHを続けられなかった落ちこぼれです(苦笑)構造化のアイデアよりも、失敗体験から大切にしていることがいくつかあります。しばらく、それらに関することを記事にしていきたいと思います。

※TEACCHの講座は10年程前に受けたきりですので最近の情報ではありませんのであしからずー。

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『構造化のアイデアよりも大切なこと』

今のTEACCHの講座がどういった講座になっているのかわからないのですが、最近はライセンスビジネス化され、講座を受講し数年単位で再受講しなければTEACCHが導入できないといったことになっているらしいのですが、私が学んだ12年前からそれは講座でいわれていたことでした。ただ、数年単位で再受講ってのはありませんでした。PECSに関しては一度受講したら一生ものだといわれてはいましたが、どうなっているのかな? はてさて、そんなことは私にはもうどーでもいいことになっていますが、TEACCHの構造化のアイデアは素晴らしいなと思っていますし、自閉圏の人たちのアセスメントの考え方や圏の人たちの行動をどう捉えたらいいのか又療育する上での考え方や在り方が私は好きだったし、そのおかげで、私は自閉症の息子に希望を感じたのです。今は全く知らないのでなんともいえませんが、12年経った今、個別支援などの制度の影響もあるのか、構造化のアイデアは現場に用いられているような気もしていますので、全く導入してもらえなかった当時からすれば、やってもらえているほうではないのでしょうか? そんなことはどーでもよかった。さて、本題です。

構造化のアイデアや手法に関しては、ネットでぐぐったり著書に紹介されているので割愛しますが、構造化のアイデアも手法も個別化されることが前提になりますので、著書やネットに落ちているアイデアは一つの見本にすぎません。

我が子の現在の認知の仕方や状態にあわせたものを取り入れることが大切だと思うので、見本をそのまま導入したものがお子さんにあっているかどうかを見極めるのは親の務めだと私は思います。最初はそのまま取りいれたとしても、反応が薄ければ、どのようにこの世界を切り取り認知しているのかは観察する手段になります。『とりあえず導入すればいい』という保護者の方が多いので、構造化された指導がうちの子には合わないという場合には、まだ、保護者の方が取りいれる段階ではないのかもしれませんし、アセスメントが不十分かもしれません。それに、お子さんの身体が“やる気のでない身体”の状態であるなら、構造化のアイデアを変える前に、生活習慣の見直しなどをし、あわせて身体づくりもすることが望ましいと思います。あまり上手に眠れていないお子さんの場合、日中活動がよりよく過ごせていないことで、良質な支援を本人が受け取りづらくなるからです。より良い療育を受け取れる土台(身体)が一番大切なのだと息子を通じて気がつきました。

幼児期の場合だけでなく、学童期だろうが、青年期だろうが、成人期だろうがです。私たち大人だって二日酔いや寝不足の状態では仕事や家事の効率が悪いことはわかると思います。例えば、二日酔いの次の日、スケジュール帳のTO DOリストがぎっしりだったら、ガックリきませんか? 朝っぱらからすごく重要な会議でしかもメモをとらないといけないそんな状態でメモとれますか? 私は無理です。ただ眺めているだけで終ってしまいます。ですから、やる気のない身体で構造化された指導をうけると、構造化されていることでダイレクトに視覚にはいってくるので、それが逆に負担になる場合もあると思うのです。脳みそのキャパが少ないタイプの場合には、一度にたくさんの情報を提示することで混乱してしまうことにもなりかねません。安定していれば本当は理解できるかもしれないのに、本人の身体の状態が悪い事でインプットしずらくなっているとするなら、とても勿体ないと思います。

構造化された手法がお子さんの負担になって“いる”のか“いない”かを見極める目が保護者や支援者に必要だと私は思います。スケジュールや手順書の導入をやみくもにやっておきさえすればいいという安易な考えならやらない方がいいと私は思います。それは、ただの親の自己満足にすぎません。構造化された指導は、お子さんの問題行動をなくすための指導ではなく、お子さんがより良く日中活動を過ごすためのお子さんが主体の指導であると私は思っています。指示に忠実に従えるようにするためでもありません。自閉圏の子なら、ハイパー律儀な人たちですので、本人にわかる形で提示されたら、律儀にきちんと動ける人たちだといってもいいと私は思っています。そこを忘れていて指示に従えないお子さんを問題にしている保護者や支援者の方がいらっしゃるのでそういう現場をみると時々ムカつきます。


『イヤイヤイヤ、違うよ。

 構造化のアイデアがわかりづらいんだよー。』

『提示の仕方が間違ってるんだよー。』

『そのカード何見て判断したらいいのか全く意味不だしー。』

『カードでかっ。』

『スケジュール細かすぎっ。カード多すぎっ。』

『手順書いらんだろっ。

 ここルーティンでどうにかしたがいいどっ。』

『声掛けわかりづらっ』

『ああ、3秒ルールがぁー』


こんな感じで私の心の声はささやきますが実際にはいいませんよ…(苦笑)おしゃべりのできる人達の場合には、本人とのやりとりの中で構造化のアイデアも変えられますが、話し言葉のないタイプのお子さんの場合には、そのお子さんの出しているサインを察してあげることが大切だと思います。それに、重度のお子さんの場合には、スケジュールに従うことよりも、本人の身体に関する“快、不快”を察してあげることや安心で安全な環境があるということを提示することが信頼関係になる近道だと思います。とくにトイレの場合、支援者も保護者も待たせることが多いと思うのです。(トイレトレーニングに関してはまた別の時にでも…)

不快な時それを察し楽にしてあげることや、楽にできなくても共感してあげたり、かまってあげることで、要求もしてくれるようになると思いますし、この人なら何かわかってくれるかもしれないといったことで信用してもらえるようになると思うのです。

後は、手を出しすぎの保護者の方、かまいすぎでそのお子さんの成長を奪っている保護者や支援者の方もいるように思うので、適度な距離感で見張るのではなく、見守ることが大切のように思います。

上記にあげていることは、ほぼ失敗体験を元に記述していて、もっと早くに気がついていたら、息子はまだ早い段階で成長できただろうなと思ったことをあげました。それでも、発達のヌケはとりもどせることも最近わかりましたので、また新たな希望を持っています。

どんな人も無意識の中で自己成長を望んでいると私は思っているので、タイミングやいろいろな条件が重なれば、自閉圏だからこそ、ぐっと成長できる人たちだと私は信じてやまないのです。成長を著しく感じない場合、お子さんの障害だけのことに着目せず、支援者又は保護者の方の療育や障害の考え方や捉え方を今一度振り返り、みつめなおしてみるといいように私は思うのです。

(偉そうだな私(^^;;)

 

※過去の自分に自戒をこめて

2016年4月25日 facebookより

自分ができないからたしなめてる(苦笑)

______________________

2016年4月25日 6:35 UTC+09

 

私にこの熊本で何ができるだろう…と考えた時

誰かのために行動する事ではないなと思った

入院した時、自分も療養のために入院したのに

同じ病棟や同じ部屋の人のお世話をした。

もちろん、元気になるどころか疲れはて

元気になってはまた誰かのお世話をやいて…

入院したのに5キロ体重が落ちた。

「これ以上体重が落ちたら栄養剤の点滴だよ」って

言われたから 体重を落とさないようにした。

今の私は元気になったけれど

油断すればまた昔の私にあっという間に戻れる。

私が私を保ってこれからを過ごす中でできる事は

被災してても日常を意識する事

自分1人で生きていると思わない事

自分の身は自分で守る事

支援をきちんと受ける事

自分もお金を使って経済を回す事

地元のお野菜を買う事

近所のお子さんや高齢者の方、

障害者の方がいれば見守り

お手伝いできる時は お手伝いしたり

知恵を貸す事

ご近所の方たちと情報交換をし生き抜く事

誰かのために何かを続けていくには

自分が保てているかいないかでは

施しを受ける側も気を使う

見ず知らずの人に笑顔で挨拶をしたり

声を掛け合う事も

私にとってのできる事

ボランティア活動だけができる事ではない

誰かのために無料で施す事だけが

私にとってできる事ではない

復興は始まったばかり。

焦らずに 今の私がやりたい事

やってみたい事を

行動に移す事が誰かの笑顔に

繫がるかもしれないと思う

今日の空

今日は一日曇り空に時々小雨がぱらついて

エアコンいらずの秋が一気におしよせた

そんな感じがします。

 

昨日の日曜日、自宅でゆっくりしていると

遅い朝ごはんの後に、息子がごそごそと

ダイニングテーブルのところで何かしていました。

遠目でみると朝ごはん用にお茶碗よそったご飯を食べきれずに

タッパーに詰めて冷蔵庫に保存するのだと思っていたら

なんとお弁当をつくっていました(笑)

冷蔵庫の中にある前日の残りのおかずや漬物

今ブームの焼売を綺麗に並べて(笑)

それでも隙間が空いていたので

「卵焼き」といって卵を差し出されたので

卵焼きを焼いてあげると

空いていた隙間に自分でつめてお弁当は完成しました。

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※衛生面はまだまだですが

 今はこれでいいと思っています。

私が手伝ったのは卵焼きを焼いただけです。

こんなに上手につめられるなら

今度からは私はおかずをつくるだけにして

お弁当をつめるのは自分でやってもらおうかなと

思ったので息子専用のお弁当箱を

一緒に選びに行こうと思っています。

こういうことがあると自宅にいることや

スケジュールをやってない恩恵を感じたりもします。

スケジュールをやるとどうしても

時間にしばられたりすることもあるし

あらかじめ組み込まれたくくりの中で

スケジュールに沿った行動を行うことが基本になるので

こういった無駄な動きや思いつきの行動は

自分勝手な行動になってしまったり問題行動となるので

良し悪しだなと私は思うのです。

そういったことが機械的だと思われる由縁なのかもしれません。

自宅でやってた時は指示通りに息子が動いてくれない時

障害が重度だからとか、私のスケジュールの組み方が悪いとか

そういったことで息子や自分を責めていました。

でも、原始反射のことを知ったことで

スケジュールの取り組みは、

行動統制するためのものだから

無駄な動きを止めることにもなるよなとおもうのです。

うちの子に、がちがちのスケジューリングが

逆に負担になるのは当前だったのかもしれないと

今では思います。

それにあわせてやる気の出ない身体だったわけですから

二重にも三重にも負担をかけてしまっていたし

彼にとっては必要な動きを止めていたことになるワケですし。。。

ですから、仮にご飯を食べ終えた後に

こういったお弁当を自分勝手につくることなどは

問題行動になってしまうのですよね。。。

※こんなこというと、ちゃんとわかってないからだーとか

いろいろいう人いると思うけど、多分私は間違ってない。

だから今では自宅ではスケジュールはしないようにしました。

だって、自閉症だからって解放された自由な時間は

必要だと思うから自宅だし尚更です。

それにこういった成長や芽生えを

たくさんみせてくれるからです。

自宅に帰ってきてから身支度やお風呂なども

介助させてくれなくなりました。

自主性も芽生えてきているので

お風呂からあがった後には

濡れた背中さえふかせてくれません(笑)

夏休みの後半までは、ずっとリビングで川の字で寝ていましたが

最近、自分の部屋で1人で眠るようになりました。

どうやら親離れがはじまっているようです。

当たり前ですね。もう15歳ですから。

それでもまだまだできてないことは沢山あります。

イライラした時は他害をすることもありますが

それには訳があることもわかってきました。

自主的に息子がしたいと思ったことは

チャレンジさせていたことが少しずつですが

実ってきているように思います。

本当に嬉しいです。

夜に爆睡していたら息子は自分でご飯をよそって

あるもので夜ご飯をすませていてびっくりしました。

ダメなかぁちゃんですね。。。

それでも、私が体調悪い時は

息子が自分で支度して食べられるようなることも

彼にとってのスキルになると思うので

母ちゃんのドジやうっかりは

『案外、息子の発達援助になるのかもしれない!』

と自分をたしなめている今日この頃です(笑)

夢よりももっと大切なもの

私は幼い頃からいろんな夢があった。

保育園の頃は八百屋さんだったかな? 小学校の頃は山下画伯のように、日本中を旅しながら絵を描く画家。ムツゴロウ王国の犬の担当、盲導犬を育成する人、中学になってからは、漫画家、シンガーソングライター、一番現実的な物は保母さんだった。

中学の頃まで日記を書きその日記の中には詩を書いていた。どんな詩を書いていたのかは忘れてしまったけれども多分ネガティブだったような気がする。

高校になって仲良くなった人たちで交換日記を回していた。それで失敗をしてから私は日記を書かなくなってしまい酷く落ち込んだり、悩んだ時は寝る事で思考を停止させていた。

進路を決める時期になり本当は関西の美術短大に行こうと思い、両親にも承諾を得ていた。ただ、修学旅行へ東京にいった時、都会で生活することは自分にできないように思った。

山手線の満員電車、立ち並ぶ高層ビル、ディズニーランドでは普段咳きこんだりしないのに突然咳がとまらなくなってしまった。とにかく、私には怖かったのだ。都会のなにもかもが。行きたい美術短大は決まっていたのに何故か行く気持ちが失せ、他にも事情があって県内へ就職することにした。

今思うと本当に怖がりなんだなーと思う、これこそタラればになるがもし、大阪に住んでいたら恐らく阪神淡路大震災を体験していただろうけど、あの時は県内に就職していたことで被災せずに済んだけど、結局あれから20年後私は熊本地震で被災することになるのだが…(苦笑)

怖くても親から遠く離れて暮らしてみれば、また違った人生になっていたかもしれないし、もっと違った形で何かに気がつけたり違った形で「夢」は叶ったかもしれない。

それでも、私は運がよかったのか最終的には、専門学校などへ進学せずとも地元ローカル紙の紙面デザインを任されたり、絵のコンクールで賞をいただいたりもした。

画家にはなれていないが私のいくつかあった『夢』の一つは、間接的に実は叶ったといってもいいことになる。ただ、それは一時的なものにすぎず、今はただの主婦でありお母さんのやり直し中だ。

私はいつのころからか『夢』よりも“自分が何者であるのか”や“自分にはどんな使命があるのか”といった自分探しのほうが気になっていった。

様々な体験や人との出会いを通して自分という人間を思い出していく中、いつの間にか私は40歳を越えていた。何がきっかけだったのかは忘れてしまったが、私の『夢』ってなんだったのだろうとそれらを改めて掘り下げてみた時に、中学2年生の頃に受けた音楽の授業のことを思い出した。

ショパンの革命が弾ける夏目雅子さん似で美人な先生の音楽の授業では、作詞作曲の時間があった。

あれは本当に楽しかった。自宅でも帰ってオルガンでメロディを考えた。それにあわせて詩を考え、五線紙に音符を綴っていった。決して私は上手かったとはいえなかったと思う。ただ、好きなだけだった。考えるだけでも心がワクワクしたし、自分でも出来たことが本当に嬉しかった。中一の頃の音楽の先生は英語と音楽の担当の先生だった。その先生は授業の一環で「サウンドオブミュージック」をみせてくださった時は心が震えた。中3の頃の先生は若くて新人の先生だったので、私も含め先生をなめていたし、からかっていた(ごめんなさいね。先生)その先生には「Yさんの声がとても素敵だと思う。」と褒めてくださった。内心すごくうれしかった。

カラオケにいくことが好きだったけれど実は順番を待ったりしたくないし、ずっと一人で歌っていたいという気持ちがあったので、お一人様を極めるために1人カラオケをしていたことがあったが入院を期に一時中断していた。その後、久しぶりに視ていただいたスピリチュアルカウンセラーの方に守護霊が『歌唄いの宇宙人』だといわれたことから、単純な私は、それじゃあ、私の魂が喜ぶならと思い、週一回カラオケに行くことをはじめた。

後々、それは私の養生の一つにもなっているので今だにいける時は歌っている。それだけでも私には十分幸せなことだったりする。ある日、以前勤めていた会社の社員旅行の宴会の席で歌を歌うことになった。とても緊張はしたが、なんだか皆さんが盛り上がってくださって歌っていて気持ちがいいと思った。悪い気がしなかった。

その時

「ああ、私は歌手とかにならなくても、たくさんの人の前で歌えるだけで嬉しいんだな」と思った。それからは機会があればカラオケ大会などへ参加している。

去年の震災が起きる5日前の4月9日。音楽のイベントを開催した。そのイベントをすることになったのは、前日の記事にあるドリカム新幹線のことがきっかけで、私がFacebookで自分の夢を記事にしたことからだった。その記事を読み数名の方が賛同してくれたことからイベントを開催することになった。

プロの生演奏で素人が歌うドリカムソングオンリーライブのイベントに私を含む8名の方が参加してくださった。準備期間の半年間は本当に楽しかった。ことのほか順調にいっていたのだが最後の最後に問題が起きた。今思うと本当にバカらしいくてアホだなと思う事で。それでも、観にきてくださったお客様から、次はいつするの?次回は主演したい!という声もあがった。

ただ、正直いうと私はもうその時は前日までに起きていた問題でぐちゃぐちゃになっていたし、疲れや緊張や達成感などで頭が真っ白になっていた。それに、上手く歌えなかったし間違ったけれども、なんというか、すごく満たされた気持ちでいっぱいになっていた。だから、私自身はその1回で十分満足だった。その5日後、熊本地震が起きたことで最後に苦い思いをしたイベントだったが、やって良かったとそう強く思った。もし、地震の5日後が開催日だったら間違いなくイベントは中止又は延期になっていただろうから…。

大人になると、やってみたいと思っても、どうしても自分で勝手にあきらめる癖がついている。

“私になんて無理、できない。”

“上手にできないから、完璧じゃないから”

“容姿が整ってないから、恥ずかしいから…”

いろんなことで自己否定が始まる。そして、自分の中に負の感情を貯めていく。

そんなのは単なるできない自分を肯定しているだけで言い訳にすぎないと思う。

そのイベントを開催するまでに出会った人たちや、ネットで自分を生きている人たちの在り方を知っていたから私はその人たちに教えてもらったことをやってみただけだ。

自分のわからないところは調べたり、詳しい方へ教えていただいたり、自分のできる事はさせてもらったり、任せてもらった。私の苦手な部分やできないことは他の人にお願いしたりした。

そのイベントで自分を輝かせるために、お金を使うということも実際にすることになった。ようは自分で自分をプロデュースすることを結果的に行い、他者へどうみせればいいのかまで必然的にやることになった。自分ができることは時間をかけて下準備を行った。本番までのその準備期間は私にとって一番大切な時間だったなと思う。精一杯自分なりに準備して協力もしていただいて一度で終っても全く悔いは残らないと思った。

次はどんなことをするかは、次から次にアイデアはでてくる。でも、私はもう目標達成をしたという気持ちもあったし、5日後に起きた熊本地震が起きたことで『夢』よりももっと私自身大切にしたいことが、別のことだと気がつくことになった。

それは結局自分を取り戻す前の序章にすぎなかったのだと知ったのは去年の今頃だったように思う。(その話はそのうちにでも。)

私のその時の『夢』は叶わなくても実は良かったりしている。それよりもっと大切なことに気がつき、私はもうすでに、それらを手にいれられているからだ。

私の望んだ未来は見渡せばいくらでも自分の手で手に入れられる物事だったということに気がつけたことだけでもう十分なくらいだったりしているし、私の『夢』は多分、プライスレスな“おまけ”なんだと思ったりもしている。

 

 

※写真はイベントの時私がつくった手作りのエンブレムです。

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