ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

母さん、僕ここにいるよ!

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小さな男の子が

 

畳の上に転がりながら

 

お母さんの顔をじっとみて

 

手足をばたつかせたり

 

ケラケラわらいながら

 

お母さんを呼んでいる

 

始めは小さく穏やかな

 

『お母さん』という声が

 

少しずつ少しずつ大きくなり

 

しまいには

 

「おかぁさん! おかぁーさん!

 

 おかぁーーーーさーーーーん!」

 

と母親をまっすぐみて

 

真っ赤な顔で絶叫している。

 

そのお母さんは

 

何かに凍りつき

 

その場で茫然として

 

我が子の叫び声が聞こえても

 

どうすることにもできない自分と

 

そこに身体はあり

 

気持ちがそこになく

 

目の前の我が子より

 

自分自身をその場に

 

繋ぎとめておくだけで

 

精一杯のようにみえた。

 

遠巻きにその母子をみていた私には

 

そのお母さんが不憫でたまらなかった

 

まだ小さな体で

 

母親を呼び続けるあの姿が

 

未だに忘れられない。

 

目の前にいるのは

 

僕の“お母さん”のはずなのに

 

僕の“お母さん”ではなくて

 

息をしている母親の身体から

 

魂が抜けどこかへ行っている

 

 

そんな母親を呼び戻すように

____________

 

お母さん、僕ここにいるよ

お母さんどうしたの?

お母さん ! 僕をみてよ!

ねぇー!おかぁさん!

おかぁーさんてば!

おかぁーーーーさーーん!

ちゃんと僕をみてよーーーー!

 

____________

 

という悲しみがこめられた

 

母を呼ぶ心の声が聞こえた気がした

 

そして、その幼子の姿と

 

茫然とたたずむ母親の姿

 

それぞれが昔の自分と重なってみえた

 

「ああー、私も私だけを見て欲しかったぁ」

「ああー、私もSだけをみてなかったなぁ」

 

そんなことに気がついて

 

悲しくて悲しくて泣いた。

 

子育てをしているのに

 

どっちが親なんだか

 

正直わからなくなる時もある

 

それは、私だけではなく

 

きっとどんな人も体験することが

 

少なからずあると思う

 

子どもはいつも真直ぐだ

 

いつの間にか、その子がまがってしまうのは

 

観えている景色の中の

 

大人の心情を映す鏡だからなんだ

 

自分に嘘をつき

 

正直に生きれていないのだといった

 

証でもあるのかもしれない。