ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

旧ブログ2016-07-29

☆2016年6月6日から2016年11月28日まで旧ブログ「これまでイマココこれから」より

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2016-07-29 06:00:30 | ひとりごと

 

死んだふりが招いた事件

7/25日はマヤ暦でいう「時間を外した日」といわれる日でした。

そしてその翌日、マヤ暦の元旦の7/26日未明。

神奈川で殺人事件がありました。

朝起きてテレビをつけたらライブ映像に映っているのは障害者施設。

テロップには「死者10名、負傷者35名」とあり

私は愕然としながらテレビに釘付けになりました。

瞬く間にテロップの死者と負傷者人数が増えていきます。

犯人は出頭したとのことで、救助活動が行われていた時でした。

一緒にニュースをみていた相方が犯人が出頭したというのを聞き

「気がすんだんだろうから出頭したんだよ」

と言った一言がとても印象深く残っています。

ツィッター上も事件に関する様々な情報や

たくさんの人たちの思いで溢れていました。

犯人の人物像や障害者施設の情報が次々に明かされていきつつ

TLにはリツィートでたくさん人たちの憶測や

体験談を踏まえたツィートでいっぱいになっていきました。

この事件を通し感じているのは、「死んだふり」が

この事件の鍵でもあることは否めないのではないかと思いました。

病んでしまった最終段階は私からすれば

病院と警察、行方をくらます又は自死です。

自分が病んでいると気がつけてるうちに

その病んでいる根っこを自分で取り除ければ

こんな事件は起きなかったでしょうし、

病んでしまって我をなくした状態だからこその措置入院のはずです。

なのに、何故、病院は退院をさせ

しかも警察に報告しなかったのでしょうか?

ましてや、本人の家族は知っていたのでしょうか?

過ぎてしまったことに色々いうのは筋違いかと思いますが

こういう「死んだふり」対応が招いた事件でもあることを

私たちは肝に銘じておいたほうが良いのではないかと思います。


私だって被害妄想は強く、たくさん誤学習をして大人になりました。

被害妄想になると、自分でもびっくりするくらい

妄想が膨らみ、捻じ曲げられた妄想の世界の住人になります。

どこにこんな感情がしまわれていたのかというくらい溢れて止みません

一度誰かを疑い始めれば

自分の身内だけでなく世界中の人全てが私の敵になります。

大好きな人でさえ親友でさえ疑うことになります。

みんなが私を騙し、罠にはめようとしている…

本当に恥ずかしいくらい、他者へ自分の思いをぶつけたくなります。

そして、その思いが間違いであることを正してくれるのが相方だったり

友だちだったりしていました。

私と犯人の違いは、ただ、歪んだ妄想を

顕在化させたかさせてないかだけです。

そして、その自分の妄想に疑いを持てるか持てないかが

正気か正気じゃないかだと思います。

精神が病んだ人は、他者への怒りが外側に向くか自分に向くかどちらかです。

その外側へ向く怒りをぶつける矛先が人か物かだけです。

外側へ問題をすり替えるのが人は得意な生き物だから、

だから事態がややこしくなると思います。

伏線をはってしまうのが病んでいる脳みそだと私は感じています。

そして、その伏線を正してくれるのが他者だと思います。

「自分が正しい」と思いこんでる人ほど、良いことも悪いことも

他者の意見を聞き入れないのではないかと思います。

そして、犯人がどのような境遇で育ってきたのか、

どのような人たちに囲まれていたのか…

犯人の育ってきた背景を知らないと本来の人物像はわかりませんが

ただ、ここ数年は明らかに病んでいたと思います。

犯人の友人たちも犯人がおかしいことを知っていました。

注意はしたのに、彼が納得できる説得ができなかった。

ただ憤慨させてしまっただけで終わり、

怒りを増長させただけだったのではないかと個人的に感じています。

私が友だちだったら可笑しいと気が着いた時点で

病院と警察に相談したでしょう。

私が家族なら退院を引き延ばしさせてくれと言ったでしょう。

でも、そこまで突っ込んで犯人の間違った考えを止められなかったのは

どうやって彼を止めようかということより

身の危険を感じたことからでしょう。

病院は院内で事件を起こされたくなかったというのもあったでしょうし

医師が身の危険を感じたのかもしれません。

(だったら、その時点で警察に届けるのが普通じゃないのかな⁇)


障害者施設を襲おうと誘われた友だちも警察に相談していれば

防げただろうこの事件は、犯人だけの問題といえないと私は思います。

犯人の心の闇は本当に闇だったのか?なんて犯人にしかわかりませんが

今のところの私の個人的に考えているのは

生育歴の中での単なる「ほころび」を誰も気がつけず

人を介してこんな大事件になってしまったのではないかという風に捉えています。

犯人が元々反社会的な性格の持ち主だとしたら

周囲に彼が納得できる形で彼の世界感を変えてくれる人がいたら

こんな大事件にはならなかったように思います。

私の中にも反社会的に世界を切りとってしまう癖がありました。

それは父の影響もありました。

でも、母がそれを正してくれました。

正義の履き違えも正してくれたのは母でした。

そして、私の誤学習や妄想をスルーせずに、

私が間違ってるのか、他者が間違ってるのか

そもそもこの世界に正しさなんて多数派か少数派の違いで

宗教や文化や時代が変われば私の正しさは

通用しないことを教えてもらいました。

それは、全て、私に関わってくれる周囲の人です。

周囲の人の関わり方1つで、被害妄想の世界感は大きく変わります。

だからこそ「死んだふり」はしないで欲しいと私は思っています。

私自身も人様からの注意を受けた時に感じる怒りや悔しさを

別のエネルギーに変えられる人になりたいと思いました。

そのためには日々のコンディショニングを大切にしたいと思います。



この度命を落とされた被害者の方のご冥福とともに

負傷された方の一刻も早い回復をお祈りします。