ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

今日の空

一昨日から雨は降っていますが

なんだかなな前線が控えているようなので

雨の降り方をみながら

梅雨の後半?を

より良く過ごしたいものです。

 

▼ある日の朝焼けでござる

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 熱海で大災害が起き土石流が流れてくる映像をみて驚きつつ「またか…」と思うのと同時に、なぜ、最悪の状況を考えて対策がなされてこなかったのか…という思いに駆られてしまうのは、熊本地震を体験し、昨年は熊本県下で数か所大水害が起き、特に人吉球磨川流域の氾濫が記憶に新しいのもあり、胸が痛いです。

 

 熊本在住の頃「線状降水帯」や「爆弾低気圧」が通り過ぎていく時、ちょうど勤務先から、通所先の息子を迎えに行き自宅に戻る約30分程度の間に凄い勢いで道路が冠水していく様子や、ワイパー強にしても前がみえないくらいの暴風雨の中車の運転をした経験があるので、とても他人事で済ませられることでもなく『明日は我が身』という言葉が浮かんできます。

  熊本も大きな河川がありましたが、福岡は更に多いように感じているし、河川の埋め立て工事なども行われているところもあるので、ハザードマップに加え地形なども一度みておこうと思う次第です。

 今回の災害にあわれた方たちの安否確認や復旧作業なども、これからになるかと思いますが、一人でも多くの方の命が無事であることを祈るばかりです。

 

 さて、昨日、久しぶりに講演会へ参加してきました。〝やまゆり園〟関連の講演会です。 5年の月日が流れていることに驚きながらも、私の中ではあの日のことが鮮明に残っていて、鈍い〝負の感情〟をどこか握りしめたままでいる感が否めなかったのもあり、急ではありましたが参加してみました。

 とても貴重なお話を聞くことができただけではなく、様々な立場の方たちの意見が聞けるまたとない機会に恵まれたのが良かったです。改めて自身の中でくすぶっていただろう〝鈍い負の感情〟を客観的に眺められるような機会にもなりました。

 

 そうそう、私がブログを綴り始めたのが2016年の6月からなんです。今年で5年が経過していたことにも気づかされただけでなく〝やまゆり園〟の事件に関して、当時感じた自身の思いを、ブログに綴っていたこと思い出したのであげておきます。

 

ブログタイトル「死んだふりがまねいた事件」です(苦笑)

★我ながらなんていうタイトルにしてるんだか…( 一一)

 

sorahitoumi.hatenablog.com

 昨日、休み時間に新聞社の方に取材をされたのですが、取材途中で休憩時間が終了となってしまい、中途半端な回答ではあったけれど、とりあえず、一番印象深かった感想を端的には伝えたのですが、説明が必要だったかもしれなぁと思いつつ、とりえず、記事に使われたかどうかもわからないし…。

 ただ、もし、昨日取材してくださった方が、この記事に気がついてくだされば、昨日答えたことに対して繋がればいいなぁと思ったりもするので…

とりあえず『届けっー!!!』←髭男さんの〝宿命〟の時の叫びみたいな感じ


 精神障害手帳を持っている身としては、たった一部の悪いことをしてしまう、またはせざるを得ない人たちが存在することで、社会の中での〝生きづらさ〟も感じたり、誤解されるだろうことを感じているからこそ、私は自身を律して生きているつもりです。

 

 〝やまゆり園〟の事件後に、生活保護世帯に陥ったことと同時に、再就職をしたのですが約1年間だけ老人福祉施設で清掃のお仕事(パート)をしていました。

 民間の施設でしたし、病院の施設ではなかったのですが、老人介護の現場を垣間見る機会にもなっただけでなく、介護従事者や医療従事者の方たちの対応に関することや利用者さんと関わる経験をしたのですが、おそらく、私は、やまゆり園の事件を起こした犯人と、似たような体験を職場でしていただろうと思われます。

※この場合〝思われる…〟という濁したような語彙にしているのは、全く同じともいえないけれど、恐らく同じことが起こっていたような気がする…ということからです。

 

 民間の介護の職場で、しかも私は医療や介護のことは学んだわけでも免許を持っている従事者でもないのですが、職場で働く人たち同士の問題や上司との問題に限らず、利用者の方に対する介護に対するあり方や人権に対しても疑問に思うような場面に沢山直面しました。

 

 それとは別に、利用者さんの中には「はやく死にたい」といった気持ちを、看護師や介護士でもない私に、吐露される方もいらっしゃったし、雑談をする中で考えさせられることばかりでした。

 それに、言葉もだせなくなっている利用者の方や認知症が進んでしまっている方に、何気ないことで逆に救われたこともありました。

 現場の職員の処遇に対することでも、傍からみていて疑問に思うこともあったし、同じ職場同士で足の引っ張りあうような仕事のスタイルが垣間見えただけでなく、優先順位が自身の『保身』にはしる人が少なからずもいることには、ガッカリしました。だからといって職場の方全員の方がそういう方ではありませんでしたが、なぜだか、〝倫理観〟や〝精神性〟にかけてる人が少なかったことと〝人権〟の意味を理解できていない人も多いんだなぁと思うようになりました。

 【いのち】を預かる現場だからこそ、何を〝優先順位〟にするかは同じだと私は思っていましたが【いのち】というそのものの考え方や捉え方又は〝倫理観の前提の違い〟では随分方向性が変わってしまうよなぁと思うキッカケになったことはいうまでもありません。その職場は病気が発覚したことで退社することになりましたが、早いもので2年が経ちました。

 

 その後、再び自宅療養の身となったことで、全主治医が母子共々診察をしてもらうことなり短い間だったけれど、歴代主治医に伝えてこなかったことを全部先生へ話すことができました。でも、私が何故、自分自身にある心理状態や身体的な問題を包み隠さず話をしようと思うに至ったのかは、少なからず【やまゆり園】の事件が起きたことでも影響を受けています。

 それに【やまゆり園】の話は、身近な家族とも深い話にいたったことはなかったのですが、前主治医と診察の時に〝事件〟が起きたことに絡めた自身の中にある想いを聞いてくださり、私の考えを認めてくださったことは、私の中だけで終わることがなく精神科の先生へ投げかけることができたんじゃないかと思えたことが、今の私の支えの1つになっているようにも思います。私の話は長いので(苦笑) 根気よく私から溢れてくる思いを聞いてくださった先生の存在は本当に有難たかったし心強かったです。おかげで現主治医ともまるでお友達みたいにお話できるまでになりました。先生は頭を抱えてしまうこともあるみたいですけど。ごめんなさいね。先生(笑)

※神田橋先生は長話なさらないのですねぇ(笑) でも神田橋先生との雑談は面白かったですけれど(笑)

 

 あっ。こんなに長くするつもりじゃなかったのに…。ということで、

 

きょうはこのへんで