ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

今日の空

昨日からあいにくの雨。雨。雨。

乾燥するよりもいいのかも…。

 

▼雨の中の熊本城

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数日前の夕暮れ時の日の光が

いつもよりも色が濃く

稲が刈り取られた田んぼや

あぜ道にそびえたつススキの穂

いつも通る何気ない道を

車で走っていると

辺り一面がゆっくりと

オレンジ色に染まっていく時に

ラジオから流れてくる

星めぐりの歌」で

いつもみている何気ない景色が

非日常に感じられて

心がじんわりと温かくなりました。

坂本美雨さんの歌声は不思議です。

ちゃんと言葉で歌ってらっしゃるのに

なぜだか音階に聞こえました。

 

さて、オレンジ色といえば

肥薩オレンジ鉄道。

現在、鹿児島・熊本地区で

先行上映中の「かぞくいろ」

いただいたチケットで本日観てきました。

いやーーーー。なんかよかったです。

今弱っているのもあって

泣きっぱなしでした。

いろんな意味で考えさせられる作品ですが

〝ほんわかじわっ〟と

何かが刺さるって感じでしょうか。

2時間の中で、登場人物それぞれの背景を

どこまで入れ込むのかでも

見せ方は変わるのだなぁと

そんなことを思いました。

もうちょっと、ここは掘り下げてもらいたいなぁと

思ったシーンは個人的にありましたが

深く掘り下げることから起こる

重すぎてしまう内容だと

映画そのものの雰囲気まで

変わってしまうのかもなぁなんて思ったのでした。

回想シーンが素敵でございました。

幸せな頃のシーンはどうしても

涙がでちゃいいますね。いい大人なんですけど…。

※おおきな穴が空いておりますのでね。ワタクシ。しょんぼり

個人的には、教育関係者の方に

みていただきたいです。

SNSでも問題にされていた話もあったので。

それにしても、有村架純さんの鉄道運転士姿が

カッコ可愛かったのであります。

それと、肥薩オレンジ鉄道が

海岸線沿を走っている様子が

スクリーンいっぱいに映し出されたら

やっぱり、わーーーってなりました。

すごく綺麗だったし、列車に乗りたくなりました。

 

あっそうそう列車といえば…

現在熊本県立美術館では『松本零次展』が

開催中ですよー!

 

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映画はいただいたチケット。

美術館は、今まで手帳を使うことを

躊躇して使っていなかった

障害者手帳を使って

観覧させていただきました。

ありがたいです。

今日観た「かぞくいろ」は他人事ではなく

自分が直面している問題を

垣間見ているようでした。

だからこそ、私もアキラちゃん同様

『 変わりたい 』

この場合の〝変わりたい〟というのは

今までの自分から脱したたい

という意味での〝変わりたい〟です。

そして、もう一度社会復帰したいと

そう思いました。

 

きょうはこのへんで…

今日の空

昨日は朝から快晴でしたが

夕方前から曇り空に…。

夜になってシトシトの雨が降り始め

雨音がしないので

雨があがったかなぁと思ったけど

静かに地面を濡らしていました。

今年は乾燥が強いように思っているので

たまにこうやって雨が降ってくれると

なんか嬉しいです。

一雨ごとに寒くなるのかもしれませんね。

 

▼写真は昨日の空

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今日から一週間NHK

発達障害ウィークなようですね。

朝から見ようと思いましたが

わすれていました。

久しぶりに真面目にみてみようと思います。

 

昨日SNSでみて驚愕したのが

『大人の発達障害者が10人に1人』

というのを目にして

〝ホントかよ〟って思いながら

そんな確率なら

発達障害という障害は

障害域でなくなってよくないですか?

と単純に思ってしまいました。

 

それとは別に先日お葬式で

姉弟の子育ての様子を聞いたところ

発達障害を疑われているといった話を聞き

いろいろ聞いてみると

発達障害を疑っている機関の人たちは

一体何を学んでいるんだろう…。

そんなことを思い

1人プンスカしていました。

 

私の場合には出産時に仮死状態で生まれ

生後半年の頃には母のお腹に弟がいたことので

母乳をやめざるを得ず

その後はミルクで育ったそうです。

母は自分自身が親に

面倒をみてもらえなかったので

私たち姉弟が幼児期の頃までは

母がかなりお世話をしていたそうです。

父はダメ男に等しい人でしたし

母は得意なことなら同時処理も継次処理も

得意な何でもできる人だったので

子育ても家事もお仕事もできる

スーパーな母ちゃんでした。

そんな母だったのもあると思うし

元々私は生まれる前から

胎児性の愛着のヌケがあり

発達障害もあったことから

成育歴の中で埋められたかもしれない

愛着や発達のヌケを埋めることなく

刷りかえて成長したことで

主体性のない大人に成長してしまいました。

 

私は社会一般でいわれる

〝普通〟という概念の枠に

おさまりきらないタイプの人間です。

なのに、その枠におさまったほうが

社会の中で生きやすいのだろう…。

私が〝みんな〟に嫌われてしまうのは

〝みんな〟と同じように

感じたり、考えたりできないからだろう…。

そんな風に思って大人になりました。

変人でもなにも問題はなかったのに…。

ただ、数年間の治療の成果もあって

私が勘違いしていたことに気がつき

〝普通〟といった概念を捨て

〝嫌われても大丈夫〟だという世界を知り

今、とても楽ちんになりました。

 

紆余曲折あったものの

私が一番怖かったのは

〝人に嫌われる〟ことでした。

それは思春期の頃からの悩みでもありました。

そして、なぜ〝人に嫌われる〟ことが

怖いのかといった仕組みを知ったことや

『嫌われる勇気』という著書を読み

嫌われても大丈夫だとわかったものの

それでも『みんなに好かれたい』とか

『嫌いな人にも好かれたい』とか

そういった欠片が

私の内側に刺さったままでした。

自分自身の2次障害がきちんと

治っていない事に気がついた2年前から

〝どんな自分も認める〟という作業をしてきました。

それまでには、良い自分や悪い自分の

証拠集めをたくさんしていたのにもかかわらず

全くといってどちらの自分も

認められてはいなかったのです。

 

どんな自分も受け入れるという作業は

痛みを伴うこともありましたが

それは〝心の成長痛〟なんだと

年下の人に教えてもらったこともありました。

ああ、身体だって成長する時は

痛くなるよね…なんていいながら

その当時の友だちと笑いあったこともあります。

私が今の私になれたのは

後にも先にも〝自己受容〟をしたからです。

 

〝自己受容〟というのは

そんなに難しいことではありません。

ただ、どんな自分も認めるだけなのです。

認識するだけ。まずは知っておくだけです。

そして、それを望ましい行動へ

変えたい人は変えればいいし

変えたくない人は変えなくても良いのです。

ようするに、どんな自分もまず一度

受け入れてみることが

未知の自分を知る一歩になるように思います。

 

勘違いされやすいのが

〝良い自分〟や〝悪い自分〟が

世間一般の人を幸せにしたり不幸にしたり

するわけでもないのだということ。

どちらの自分がどう人に作用するのかも

世間一般に通用するのかもわからないのです。

そして、もし、今、生きづらさを感じていたり

前に進めてないように感じるなら

まず、あなたが抱えている〝問題〟は

一体誰の〝問題なのか〟を考えてみると

案外自分の問題でもなかったんだと

気がついてみればいいだけだったりします。

さぁ、あなたが〝問題〟だと思っている物事は

一体全体誰が〝問題〟だと

思って頭を抱えているでしょうか?

 

現在の主治医???は神田橋先生ですが

心理面に関しての紐解き方は

カラーセラピーを習ったりしましたが

心屋仁之助さんのブログや著書

お弟子さんたちのブログを

参考にさせてもらってきました。

決して公的な機関の専門家の先生ではありません。

世間一般の教科書や参考書で

上手く紐解けない時は

自分自身の制限を外してくれるような

紐解き方を一度知ってみることも

役に立つと気がありました。

もし、それらを読んで

『そんなやり方じゃダメ』と思ったら

自分の思ってもない制限をかけ

蓋をしてしまっているかもしれません。

 

きょうはこのへんで

 

今日の空

昨日まで暖かかったのに

今日はなんか寒いです。

インフル増えそうだから

養生に努めようと思います。

睡眠が足りてないみたいなので

この記事を書いたら

お昼寝しよう。

うん。そうしよう。

 

▼山の上からみたサンセット

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2年前の今頃、

養生しながら働いていた時に

気がついたことを顔本の記事に残していて

なんども全部消して

なかったことにしてしまおうと

思った時もありましたが

フォロワーの方を全員外して

イラナイと思った記事は削除し

自分だけしかみれないようにして

記事はそのまま残していました。

顔本に残している記事は

途中でとまっているものもありますが

とても中身が濃いです。

生まれてから43年間の

愛着のヌケの基礎となる部分への

はじまりとなる頃から

暗黒期へ突入した時で。

拗ねはじめたくらいになります。

本当に自分でもびっくりするくらい

拗ねてました(苦笑)

で、今は拗ねてません。

みんな私が変わりすぎたから

人格変わったっておもってるのかもですが

違いますよ。ムシロ治ったから

これが本当の『わ・た・し』なのです。

すみません。

本当は決していい子ではありません。

最近、毎日気づくことが多く

頭の中に落ちてくる言葉を

かきとめられないくらい

ずっと降りてくる状態なので

一つ一つ記事にすればいいと思っていますが

パソコンで入力しないと

頭に流れ込んでくる情報を留められないくらい

速度も速いので、とってもジレンマです。

寝転んで文字入力するのだと

指が間に合わなくて

泡のように文字がきえていくからです。

なので、本当はずっとヒトリゴト

録音すればいいのかもぉ。。。

あっ。今度からそうしよう。

発散させるのに最適だ。

で、それを文字にかえればいいんじゃん。

あっ自己解決。

ということで耳を休めるついでに

お昼寝します

 

きょうはこのへんで

 

 

 

今日の空

今朝目が覚めて

いつもどおり音楽を聞こうと

Youtubeを立ち上げたら

トップがQueenの『ボヘミアンラプソディ』でした

最近映画が公開されたということだったので

Queenは知っているけれど

曲名をみてもどんな曲なのかわからないので

なにげに聞いてみようと思いみると

英語の歌詞に日本語訳付きで

スクロールしていく歌詞をみながら

動画をみてたら、とめどなく涙でて

仕方がありませんでした。

映画を観に行こうと思います。

私は音楽が好きだけれど

たくさんのミュージシャンの方がいらっしゃっるのに

恥ずかしいくらい知りません。

邦楽でさえ知らないくらいです。

ましてや洋楽に関しては更に無知に等しいです。

流行った有名な曲で好きな曲しか知りませんし…

なんていうか、なんだろう

この1曲だけで感動しちゃったので

映画観に行かなくては…って思っています。

 

Open your eyes

目を見開いて

Look up to the skies and see-

空を仰ぎ見るがいい

 

ここの部分の前後の歌詞の内容が内容なので

ぐっときてしまって

そうなんだよねって思ったのです。

空を仰ぎたくなる気持ちが

わかるからです。

 

身体の使い方が下手な私でも

すごく嬉しくてダンクシュートができるくらい

飛びあがるくらい喜んでる時も

頭に角が生えたと思うくらい

怒り狂っている時も

胃が飛び出るんじゃないかってくらい

悲しくて泣き崩れた時も

たれぱんだな目元がもっと下がるくらい

楽しくてしょうがない時も

どんな時も空はいつも私の頭上にあって

青空だろうがなかろうが

お日様の下だろうがお月様の下だろうが

息が止まってしまうくらい

綺麗にみえるようになって

それだけ、私の感覚は

子どもの頃の感性を

取戻せているように思います。

今日は身内のお葬式でした。

いつか命は尽きるモノだと

わかっていてもやっぱり複雑です。

信念をもっていた人だったからこそ

敬う気持ちと残念な気持ちとが

入り混じります。

そんな日の朝のはじまりに

何気なく聞いたのもあるし

今日の空は特別に感じました。

 

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叔父さん、今までありがとう。

 

今日の空

暦の上ではノーベンバーなハズですが

とても11月とはいえない。アツい。。。

 

▼ある日の黄昏時 in 長部田海床路

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我が家の息子は行動障害があって

一時期おさまっていたものの

まだ完全には治っていないなーと

感じていたのもあったし

施設から卒業して

またもう一度自宅で一緒に暮らすことを

神田橋先生へ相談した時

私にしか息子のことは理解できない。

といったようなことを

言ってくださったことがありました。

昨日、母と電話で口論になって

「誰に相談なく私が1人で勝手に決めたでしょ!」

とかいわれたのですが

母もなんかてんぱってるみたいだし

流石に歳をとったからでしょうか

新しい記憶はぶっとんだんでしょう。

勝手に私が決めたわけじゃなくて

息子に高校を選ばせてみたら

本人が今の高校に行きたいといったし

自宅に戻りたいといったからです。

息子には何度か説明をした上で

家に戻りたいといったのです。

私の想定では、

おそらく施設に戻りたいというだろうと

そんなことも思ってましたが

『自分で大きな選択をする』ということを

知ってもらういい機会だとも思ったので

決行したまででした。

息子にもまだある愛着のヌケも

治したかったというのもありました。

で、著しく体調不良になった時

母と元相方と3人で鹿児島に行き

先生へ上記の内容を相談し

「息子のことをわかるのは

 この人しかいないでしょ?」

といってくださったのでした。

とても嬉しかったです。

先生には自身の身の上に起きてる

摩訶不思議なことを

相談できる唯一の先生です。

その中でも、私の生きづらさの源と

なっていた共感能力

最近巷でよく聞かれるようになってきた

HSPHighly sensitive person※ハイパーセンシティブパーソン

が私だけではなく息子にもあるようだったので

私はそれをなんとかしたいとも思っていました。

だとしたら、施設入所したままだと

一緒に先生のところへ受診をし

先生がお元気なうちに

様々な対処法を教えてもらいたかったのです。

それにHSPがあることで行動障害が

息子の場合起きているかもしれないと

思うふしもあったからです。

だから、もう一度一緒に住んで

再度施設に入所することになる頃までに

なんとかしたかったのです。

きっと、私が息子のお金を目的に

手元に戻そうとしてると思われてたんだろう

そう疑われているのではないかと

思われているだろうなぁと思いながら

息子が後退しながらも成長していく姿をみれば

そんな風に思ってた人たちも

私が何をしようとしてるのか

いつの日かわかってくださる時も

くるだろうと思ったし

たとえ、誰に理解されなくても

やるほかないって思ったから

やったまでのことですが、、、

イヤハヤ、息子の行動障害が

集結を迎えた頃、行動障害関係の著書が

発売されたとのこと。

いやー。失敗した。遅かった。

特段行動障害のことを学んだわけでも

著書を読み漁ったわけでもないのに

私はそれをなんとかしてしまったのです。

えっへん。

って、いうか息子の行動障害は

私じゃなきゃ治せないって思ったし

私が立ち向かったから治っただけです。

方法とかやり方じゃない。

ただ、互いに傷つかず怪我もなく

〝言葉や態度でのぶつかり稽古〟があるなら

それを知っておくことは

いろんなことに使えると思います。

我が家の場合のは使えません(笑)

だって、特殊なお呪いもあるので…(笑)

 

きょうはこのへんで

今日の空

今日は朝からシトシトな雨です。

一個人的には浄化の雨って感じ。

夜中に目が覚めて

どびゃーーーーっとまた気がついて

毛穴からも溢れた感覚になり

10年くらい前に知った

オ・ポノポノのいわんとすることが

私なりに腑に落ちました。

お呪いの順番は違ったけれど

『愛する』っていうことや

『愛される』っていうことを

勘違いしてた自分に気がついたら

とめどなく溢れてきました。

自分でもビックリしました。

**

ゴメンナサイ

ユルシテクダサイ

アリガトウゴザイマス

アイシテイマス

**

という『謝罪と感謝』の言葉が

自然にですね出てきました。

そんなキャラではないのですが…(苦笑)

 

▼昨日いった『せんだんの轟の滝』

 私の中で白い龍神

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えっと、正直言って自分のことを

ブログで赤裸々に記事にしていますが

これでも結構抑えた内容にしています。

本当はもっと知ってもらいたい事もあるのです

でも、私のことだけじゃないので

記事にできません。

ただ、今日は1つだけ

記事にしておこうと思います。

何故なら、知って欲しいなと思ったのと

皆さんに考えてもらいたいからです。

どんなことかといいますと…

我家は現在私と息子の二人暮らしです。

いろんなことが重ならなければ

息子の義理の父親になる

元相方と三人暮らしのはずでした。

でも、今年の1月に元相方と別れたので

私は再度シングルマザーに戻りました。

私と元相方の二人が別れた理由は

どちらか片方が悪いわけでもなくて

別に別れる必要もなかったなと

今なら思えるのですけれども

あの時でもそれなりに治っていたけれど

元相方とのお別れが荒治療となって

愛着障害人格障害が(診断はうけてませんが…)

統合されることとなって現在にいたります。

息子は知的障害を伴う自閉症ですが、

元相方=お義父さんとは

サヨナラしたということを伝え

もうお義父さんじゃなくなったことも

口頭で何度も伝えていました。

行事がある度に元相方もお義父さんとして

数年だけだけど参加してくれてたし

実家へも一緒に帰省したりしていたので

息子の中でちゃんと家族の一員として

カウントされていました。

元相方は私が息子を障害児だからといって

〝甘やかしているのはダメじゃないか〟とか

〝普通を知らないから普通も知った方がいい〟とか

身近な人の中でそんなことをいってくれる

唯一の貴重な人でした。

なので、息子のことを健常のお子さんたちと
変わりなく考えていて接してくれているのだろうと

そうずっと思っていました。

でも、違ったんだろうなぁと今では思います。

これまでに、息子に何度もお義父さんと

パパ(生物学上の父親)のことを訪ねられてきたので

そのことについては何度か説明してきました。

その度に、パパからは連絡がないこと

お義父さんとはお別れしたから

もうお義父さんではなくなったこと

まだ付き合ってた時に呼んでいた

『◎ちゃん』になったこと…

そして、パパやお義父さんとお別れしたのは

息子は全く悪くないこと。

お母さんが嫌いになったんだよって伝えてきました。

その時々で説明の仕方や語彙を変えて。

パパのことは、ある日を境に

言わないようになりましたが

元相方に関しては、まだ聞いてくることもあって

ちゃんとは理解できてないのか

仕事で数日家を空けることがあったので

ただ、離れ離れで暮らしているだけだと

思っているふしもあるようです。

で、昨日、来年のスケジュール帳を買ったので

そのスケジュール帳をみながら

年末実家に帰省する頃を指さし

「お義父さんは???」と聞くので

「お義父さんはサヨナラしたから行かないよ」というと

「〇ちゃんは?」と呼び方を変え私に質問するので

「〇ちゃんはお義父さんじゃなくなっただけじゃなくて

 お別れしたから天草にはこないよ。」と伝えました。

何度もいいますが、息子は知的障害を伴う自閉症です。

決して知的障害が軽度なわけではありません。

検査ではまだ幼児期くらいです。

医療や福祉界隈では、内面がないと思われていたり

重度の障害があるから難しいことは理解できないと

思われているだろうと思います。

でも、ちゃんと、言い換えるのです。

〝お義父さん〟じゃなく〝〇ちゃん〟って。

そして、私が苦い顔をして答えるからでしょうか。

聞いたらいけなかったかなぁって思うのか

気まずい雰囲気を誤魔化そうとする様子もみられます。

照れ笑いしながら、手をこちょこちょしてって。

 

私と元相方が別れた理由は些細なことでした。

あの時よりもっと酷い喧嘩をしたこともありましたし…。

ただ、私の精神障害が本当に治ったかどうかを知るためには

何か問題が起き、喪失した状態になって

初めてわかることでもあるのだろうと思うし

愛着障害が治ったら、

大切な人を失っても深く追わずに

あきらめられるようになるのかどうかも

明らかになります。

愛着障害が治れば喪失感を味わっても深く追わずにすむし、たとえ想いが残っていてもあきらめられるようになることを私は想定していました。だから、治したかったのです。

おそらく、元相方は私たちは霊能者の人に

『腐れ縁だから離れられない』といわれたことで

そう思いこんでいただろうと思うし

自信があっただろうと思います。

私も、一度はまた縁があれば戻ればいいかなぁと

おもったこともあります。

ただ、まだ息子が自宅に戻る前、

冷静な時に元相方には今後のことを話をしたことがあって

「今度別れたら、もう二度と戻らないよ」って言ったんですよね。

だからって、意地になって戻らないわけでも

拗ねてるわけでもなく、

別れてもまた戻ればいいって簡単に思ってただろうし

逃げ出すように別れたヤツの弱さだとか

もしかしたら、第3者に入れ知恵され

借金を返すためだったり

納税を安くすませるためだったり

非課税世帯になることで安くなったり

払わなきゃいけないものも払わなくてよかったり…。

シングルマザーになった時のメリットばかりを

誰かにアドバイス受けていたとして

そちらを選んだとするのであれば

 

100年の恋も

冷めて当然!!

 

って思いませんか?

私はそのシナリオが浮かんだ時に

元相方との8年間の思い出が泡に思えたし

 

『態度はデカか癖に

 肝のちいさか男ね』

 

と心の中で叫ぶだけじゃなく

思い出した時にはブツクサヒトリゴトを言って

元相方への怒りを昇華しています 笑笑

 

私がなんでここまで怒ってるのかは

私自身を大切にしてくれなかっただけじゃなく

息子が知的障害を伴う自閉症だから

大人の難しい事情は解らないだろうと

一旦別れさせるようなシナリオを

奴が受け入れたんだろうなぁと

そう思ったからです。

※ホントの所はわかりませんよ。でもそう考えると全てが紐解け繋がるのです。

ほとぼりが冷めた頃を見計らい

スピ界隈がお得意の

 

〝偶然の再開♡〟

 

とやらをしこまれて、再開し

またやり直す設定だとしたら

私が喜ぶだろうとおもってるなら

 

バカも大概にせい!

 

と思っているので

こうして記事にして

二度と戻らない宣言をしときます。

たとえ、全部がドッキリだとしても

そんなことに子どもを巻き込むんじゃねー

ばかやろーーー。ぷんすか。

はースッキリしたー。

 

きょうはこのへんで。

 

今日の空

今日は曇っていますが

なんだか暖かくて半そででいい感じです。

夕方から雨とのこと。

今年はとても乾燥しているように思うのですが

私の体質がなんか変わってしまったからかな???

やたら、渇いている気がしますです。

※いやはや、傷心だから心がカピカピですからね…(泣)

モツ鍋のキャベツとニラとちゃんぽん麺だけ

食べたいなぁ。。。

 

▼久しぶりぶりの水前寺公園

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先日の週末はとっても嬉しいことが続き

未だにその幸せを噛みしめております。

※だってだって、辛いことばかりだったのだもの…。くすん。

盆と正月が一度に来たーーーーー!っていうよりも

もっともっとミラクルでございました。

だって、ですね、私が行動できる範囲で

イベントに参加できたからです。

しかもですよ、オマケがね。。。

もうね。。。

 

3日の文化の日は2ヶ所ですが

ラジオの公開収録の巡業な日でした。

1つは地元のラジオ局の特番の生放送

もう1つは、木曜8時台に放送されている

『杏子のSpice of Life with FUKUMIMI』の

公開収録でしたのです。。

あの、さんが、ゲストだったとです。

杏子さんが宇土に降臨なさるだけでも

何事???と思うくらいなのに…

しかも、秦さんも降臨!!!

※そんなにファンではないのですが、ミーハーだからそう思うのでしょうか?

松室政哉さんという方の

ミニライブもあるということでしたので

週末のショッピングモールはかなり苦手ですが

2時間待っても御釣りがくるくらい

嫌、逆にお金を払わなくていいの???

なんて、そんなことを思うくらいでした。

もうね、ラジオだから声だけじゃないですか。

秦さんのコアなファンな人なら

あの時のあんな姿やこんな姿をおみせして

あげたいくらいでしたよ。

私はずっと爆笑してました。

個人的に幸せだった頃の遠い記憶が呼び戻され

ちょっと白目になりかけましたが…(苦笑)

公開収録なんて初参戦だったし

人が多い場所はできるだけ避ける人間なので

途中具合が悪くなるかしらねぇなんて

ちょっと不安もあったのですが

全く大丈夫。ムシロ味をシメてしまったかも

それくらい、面白かったです。

行ってよかった!

ラジオで聞いていい曲だなぁーと思っていた

松室さんの曲「くらげ」を生で聞けただけでなく

その後、あの秦さんがサプライズで

私の好きな曲2曲を生演奏ですよーーー。

そんなにファンじゃない私でさえ悶絶しました。

だって、感動しすぎて泣いちゃったくらいです。

やっぱり、音楽もナマモノだなぁ。。。

そんなことを思いました。

久しぶりに訪れた幸せを噛みしめながら

実家へ帰り、両親と一悶着ありましたが

ごり押しで翌日は天草市で行われた

甲野善紀氏の講座を受講しました。

数年前に本屋さんでみつけて

思わず手に取った本の著者が甲野氏でした。

(私が購入したのは〝「筋肉」よりも「骨」を使え!〟という本です。)

その甲野氏がまさかまさかの天草市に降臨www

こんなチャンスを逃してどうするよーって思い

息子が週末実家に帰りたがるのを言い訳にして

実家に帰り甲野氏の講座に参加しました。

サインももらっちゃった。

お金もないのに、新刊もかっちゃった。

だって、だって

大好きな『ガラスの仮面』の作者の

美内すずえ先生との対談集だったのだもの…

迷ったけど買いました。

買ってよかったです。

その道を歩いている人たちは

みえている世界が違うんだなぁって

そんなことを思いました。

私は俗世の方が長いし

そういう世界しか知らないので

まだまだ私の知らない未知の世界があるから

こりゃ、そんな簡単に死んでらんないやーって

そんなことを思いました(笑)

※単純なんです。私(笑)

とにもかくにも、先週末は充実しすぎて

今年の思い出の中で〝嬉しかったこと〟

3本指にはいるくらいの思い出ができました。

『ありがとうございます』

って言葉が心の奥から

自然に溢れてくる経験をしました。

本当に感謝です

 

きょうはこのへんで。

 

▼なんの意味もありませんが色鉛筆で描いた「くらげ」

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