ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

LD体質な私の身体感覚について-番外編-

DMS-5の改訂があり、発達障害精神障害が脳機能の障害から神経発達の障害に変わったことも影響しているのか、ここ数年で身体アプローチへ目を向ける方たちが増えているようで、身体のことを大切に考えるようにしている一個人としましては、すごく嬉しいなぁと思っています。ただ、それらを行うことで〝治った〟という人たちが現れるようになりました。私も身体アプローチをとりいれたことで、確かに不具合は治っていくのだなぁといった感覚はありました。ただ『●●体操をしたから治った』ということはあまりにも乱暴だよなぁと思うにいたっています。なぜそんなことを思うようになったのかというと、人それぞれ価値観が違うことや〝治る〟という前提の違いがあることから生まれてしまう誤解が、せっかく広がっていくだろう身体方面のセルフケアという考え方が単なるみせかけだけになってしまってないだろうか?と懸念するようになりました。昔、TEACCHブーム?が起きようとしていた時の、失敗体験がが思い出されるかのようなので…。ですから、改めて今一度、そういった発信をする時に気をつけなければいけないなぁと思うようになりました。いや、別に〝治る〟こともあるのかもしれないけど(いや、私としては医学的な〝治る〟を主張しているわけではありませんので。)サプリメントや整体等、厚生労働省が医療行為として認めていないことに関しては、薬事法だったか法律で効果・効能はうたってはいけないといった規定があったと思います。ですから、それを踏まえて発信しているかいないかは大きく違うと思われますし、最後にでも【※これは個人の感想です。】といった一言はつけといたが無難なのかもしれませんよね(苦笑)ほら〝障害は治らない〟という人たちよけのお呪いにもなるかと思いますし。

といいますか、エビデンス界隈では障害は病気とは違い根治できないといった扱いだから治らないものとなっていると以前習ったように記憶しています。医学的には治らない位置づけになっているだけなのだと思うし、診断を受けた後、本人がそれらをどのように扱うのかでも違ってくると思うのですね。世間的に認知されるのか、制度を使うためのものなのかとなると、本人だけの問題とは異なり環境を含めてに括りになるのでしょうから、本人がどうするかでどちらの生き方も選べるよってことを頭の中にいれているのといれてないのは、その後の生き方の選択肢が変わってはくるんじゃないかなぁとは思ったりします。ただ、これもよーく考えるととても曖昧です。なぜかといいますと、発達障害はグラデーションとかスペクトラムといった捉え方がなされているのに対し、診断を受ける場合にはある一定の数値の範囲に納まるか納まらないかといったことで、判定は変わりますよね。なので、診断するにあたって境界があるわけですよね? だからこそややこしくなってしまうのだろうと思ったりします。ようは、49と50と51で50が境界だとすれば49は含まれない。そうなった時、49の数値の人は生活する上でとても困っているのに対し50や51の人は何も困っていることもなく周囲とも良好な関係が築くことができている場合でも、数値的には49の人は健常域で50や51診断に該当するってことになります。まるで、スピード違反かよって話ですよね。われわれは人間なのに…。実際どれくらいまでを境界域とかグレーゾーンと判断されるのかも医師によって違うのでしょうし…。で、治らないっていう考え方であるとするなら、スペクトラムだとかグラデーションだとかいった言葉は使わないで欲しいよなぁ。考えみると。

それに、診断されたからって病院に行ったり制度の申請をしなければ、定型発達の域のままで単なる変人どまりなのですよね。他者からみれば立派な障害者にみえても。ですので、都合よくそれらを利用しているのは一体全体誰って話にもなるわけです。それと、一度診断を受けてしまった場合には、当事者がその後進む方向によって医学的な見解が必要な場合も少なからずは必要になると思うのです。例えば国家資格などを取得する場合には、病歴や障害の有無によっては、資格はとれてもその職業につけるかどうかはわからないと思うのですよね。職業に関してもそうですよね。

自衛隊や警察官などは身体に不具合があることで、本人がどんなに希望してもその職業にはつけません。はじかれてしまいます。そういえば、私も福祉就労をしている時に、就労施設の支援員候補の話がもちあがったことがありました。ただ、精神障害がある場合には支援員になれないということを聞いたこともあります。ただ、精神障害の当事者でも同じ立場の当事者をピアカウンセリングのお仕事はあるようですが、おそらく条件付きになるだろうと思ったりもします。そういったことも含めて、精神障害のある方や精神科へ通院歴があることで、その人の心身の状態によっては、一応犯罪者予備軍扱いのような位置として考えられているのだろうと私は自覚をして日々生活していました。

ですので、医学的に相対的な見解を踏まえての〝治った〟と断定できるかどうかはどうしても必要になるのだとおもったりもするのですね。だから、本人だけが〝治った〟と主張しても(たとえ治っていたとしても)、医学的には障害は治らないものという位置づけである以上、一度診断を受けたなら、それをひっくりかえすには、それなりの条件がそろってはじめて医学的な見解からも〝治った〟といわれるのだろうなぁと思ったりします。
それに、遺伝子レベルの話になれば治療はより困難になると思うのです。お金をかければ調べられるのでしょうけれども、倫理的な問題が発生するなら調べられないのかもしれませんし…。ですので、発達障害が神経だけではなく遺伝子に問題があるとするなら、遺伝子レベルから解析することになったら、一体全体どのようなことになるのでしょう? 仮に、発達障害と診断を受けた人たちが遺伝子レベルでは問題なかったといった場合には、誤診になると思うのですが、一度発達障害といった診断を受けた人で誤診だったことをよかったと思えるのでしょうか? 考え方によっては、生き方の幅は広がることになるようにも思いますが、逆に逃げ場がなくなってしまう人もいるだろうと思います。結局、自分自身と向き合うことになるわけですから、そして、どんな立場であろうと自分自身でどこで折り合いをつけるのかが鍵になるのだと思いますがいかがでしょう。
毎度ながら話が少しズレてしまいますが、昨今発達障害同様〝性のグラデーション〟や〝ダイバシティ〟といったことでLGBTQの人たちの存在も知られるようになりました。医療の歴史を振り返ると過去にはLGBTQの人たちも病気だったか障害といった扱いを受けていた時代もあったようです。現在はT=トランスジェンダーのタイプの人だけが唯一、性同一性障害となっており、その他のタイプの人の場合には性の志向の違いなだけで病気や障害という枠からはずれています。ではなぜ、トランスジェンダー性同一性障害)のタイプだけが〝障害〟といった扱いにされたのかというと、生物学上で生まれた性の不一致があることからくる違和感をなくすために、成形をし身体を変えるだけにとどまらず、戸籍を変える人もいます。ただ、身体や戸籍を変えた後に後悔する人もいるようで、トランスジェンダーと断定されるにはかなり慎重に診断が行われているのだということを知りました。認定後は性転換だけでなく、ホルモン治療やカウンセリングも行うことになるのでかなりお金がかかるようです。だから〝障害〟になることで、保険適用となりその範囲で治療ができるようになることから〝障害〟となったといった話も聞いたことがあります。要は保険料金さえ納めているなら、どんな立場の人も個人の負担が少なくなるわけですし、救済措置みたいなものになるかと思ったりもします。

それと、発達障害って、診断名ではなかったと思うのですが、最近は発達障害という診断名になったのでしょうか?なんらかの発達が遅れているまたは不具合があるグループ『 自閉症、PDD、AD/HD、LD、ダウン症、精神発達遅滞…etc  』を総称した言葉だと私はずっと思っていたのですが、総称しただけに留まらず診断名として扱われるようになったのでしょうか? ご存じの方がいらっしゃりましたらどなたか教えてください。Twitter等、140文字で何かを表現したい時は、確かに便利な言葉だなぁとは思います。文字数が端折れるわけですから、その分他のことを盛り込めますし…。ただ、常々この総称した言葉が仇になってしまった気がして否めないのです。だって、それぞれの障害の特性はあきらかに違うのに、似て非なるような捉え方をされてしまうことになっているんじゃないのだろうか?と思うのです。(そういえば、あの当時、某有名支援者が某有名医師から生み出される造語に対して講演会で怒ってらっしゃったなぁ(苦笑))ああ、またズレてる。
それで、発達障害( 自閉症、PDD、AD/HD、LD、ダウン症、精神発達遅滞…etc )これらの中でも、AD/HDに関しては障害として扱われていなかった時代もあるらしいのです。いつ頃からAD/HDが障害となったのかは知らないのですが、現在は愛着方面がブームになってて、その前は自閉症スペクトラムブームで、その前がAD/HDブームだった頃が2000年ぐらい?だったように記憶しているのですが定かではないので間違っていたらすみません。で、AD/HDもLGBTQのトランスジェンダーと同様に、発達になんらかの不具合がでている場合に保険内で治療を行うためには〝障害〟という枠になることで治療費が保険適用になるのだろうと思われるので、LGBTQ同様そんなことになったのかしら?と思ったりするわけです。ですので、医療の現場がどのように考え発達の遅れを〝障害〟と捉えていくのかがポイントなのかもしれないなぁと思ったりもします。これらは、個人的な見解になりますので、あしからず…。ああ、なんか酷くずれてしまってしまった気がしますが、すみません。

そして、案外忘れがちなのが、赤ちゃん時代だけじゃなく、学齢期までは月齢まで踏まえて発達は考えられていたように思っていたのですが、なんか私勘違いしてますか? そういった意味でも〝心身の発達遅延〟を考えて捉えないと、ただ、本人に現れている問題だけを切り取り障害別のタイプに当てはめてしまわれた診断になっていないだろうか?と思ったりもしています。なぜなら、私もそうでしたが、大抵の保護者又は当事者の人の中には、自分の都合の悪いところは話さず、自分にとって都合のいい部分だけしか他者には公言していない人が多いと思うのです。おそらく支援者や医療現場では自分にとって都合が悪くなる話はしてない人が多いと思うのです。だとすれば、診断の材料としては話が変わっていますと思うのですが、身に覚えはありませんか? そして、子どもの発達は基準がありますが、子育ては基準があるようでないようなものですよね。だから、親次第でなんとでもなると思います。親次第で障害にはならないけれど、親も子どもたちにとっては環境の一部であるということになると思うので、発達は確実に変わってくるだろうと思うのですが…。

それで、多動の場合には、AD/HD以外でも、多動の特性があるケースがあるのはご存じの方たちはいらっしゃいますでしょうか? 睡眠の質、アレルギーなど、他の要因でも多動といった症状はでますし〝忘れる〟ということも同様で、認知症、多忙であること、貧血などからも〝健忘〟という症状はでるのだそうです。他にもありますが、私も制限された生活を行ったことで、AD/HDと診断はされたけれど、かなり特性が薄まりました。ただ、私の場合には基本的な生活習慣の乱れによって、慢性疲労化したりすることから、体調不良に陥ってしまうことだけじゃなく、AD/HDの特性が顕著に現れるといった具合になります。ですので、生活習慣が乱れたり、食生活が乱れたり、十分な睡眠や休養がとれていないと、私の場合にはADHDの特性だけにとどまらず、二次障害であるうつ病までもでてしまう自体にみまわれてしまいます。それに、私は女性ですので、PMSの影響もあるようなのです。確かにその時は、忘れたり不注意になったりする確立が上がります。そして、昨今はファスティングや無理な食事制限をすることから貧血になってしまっている人も多いといった話も聞きました。貧血で〝健忘〟にもなるようですし、その貧血の起因がどこから起きているのかそういったことを調べることなく診断されていないかなぁと思ったりもします。そして、それらの症状がある一定期間続いているかどうかでも変わってくるようです。ですので、一般的な基本的生活習慣を行ってみてもそれらの特性が顕著に現れるのかどうかで診断が大きく変わってしまうと思うのですね。IQだって、体調の良し悪しで点数は大きく左右されることもあるのだそうです。ですので、AD/HDのような特性が現状でみられているのであれば、生活習慣や食生活などをある一定の期間改めてみて、それでも特性が表出するのかしないのかはポイントになるのではないかと思ったりするのです。

だからこそ、3カ月などの入院治療をするのだろうとも思うのです。一応、入院することであらゆるストレスから離れることができるし(なくなることはありませんでしたけど…。)必然的に生活習慣は改められるはずなのです。ただ、入院を単なる一時避難ととらえている患者さんの場合には、我が身を振り返ることもしないと思われ、改められることなく、避難場所となってしまうのだろうと思います。こういったことから、考えられるストレスを全てとっぱらわれたかどうかでは変わると思うのです。(こういったことは講座では教えてもらいませんでした。完全に体験を通しての個人的見解になりますので、ご了承ください)
大人でさえ自己コントロールができてないのですから、お子さんたちの場合にはどうでしょうか? 大人の生活リズムに子どもをつきあわせていませんか? それは、私自身にも身に覚えがあるからこんなことを問いかけていますが、どうでしょう? 私の体感としては、大人の生活習慣に子どもがあわせているご家庭が多いと思うのですが…。そして、幼児期のお子さんを持つ保護者の方には、厳しい言い方になるかと思いますが『〇〇をしたから治った』という保護者の方は、なぜお子さんが治ったのかを誤解しているんじゃないかと思うような人たちが多いよなぁと私は感じています。なぜかというと、これは私の推測にすぎませんが、ただ、お子さんへの手のかけ方が変わったことが大きいと思うのです。保護者で懸命にお子さんの療育を行っているからといって必ずしもお子さんへ反映されていないご家庭に数件出会いましたし、そのことについても身に覚えがあります。身体アプローチをしっかりとりいれているご家庭だとしても、お子さんの状態が悪くなっているケースも目にしました。身体アプローチをそんなにはやれてはいないけれども、お子さんの状態が年々発達していっているケースもありました。つまり、お子さん主体とはいえない関わり方からくる不具合が起こっているケースもあるということです。なぜかといいますと、親は子どもからすれば外側になるわけですから、環境に含まれると思うのですね。その親が子どものニーズやお子さんをきゅうりやなすをトマトにするような子育てをしてしまっている場合には、お子さんにとっては親も障害になりうることもあると思うのです。子どものために…と思う保護者の想いが我が子の成長の芽をつんでしまうこともあるし、本人が自立していく力を奪ってしまうこともあると思うのです。ですので、お子さんが成長したり発達していくことが身体アプローチを行ったことがきっかけとなったということの意味は『〇〇をしたから治った』と断言するのは、なんか違うと思うのです。いわゆる他に理由があると思うのですね。私は自主企画でお世話になった、栗本氏から『俺は治さない』ってハッキリいわれたことがありました(笑)それに、初回の頃からお世話になって、折をみて質問させてはいただいたりしていましたが、体感や経過を大切にするようにいったアドバイスをいただいたこともありました。そして、逆に発達支援コーチの講座を受けた後、感想を聞かれたことがあるのです。。。(私以外にも質問された方はいらっしゃるはずです。)私はその時に反射のテストが私一人だけみなさんと違ったことと、動きの四発達については不具合がでたところの1つ前の段階にアプローチするといったことだとすれば、結局土台ができてないということだと思ったので背骨になりますよねっていったら、栗本氏は『首だー』っておっしゃられてました。(あ、なんかズレてる。しかも余計なことを書いてる。いけないいけないワタシったら(汗))話を戻します。

ですので、お子さんや障害に対する視点が偏っているご家庭の場合には、保護者の関わり方やお子さんの特性の捉え方の視点を変えただけでもお子さんは発達していくと思っているので、以前のご自身と今現在のご自身のお子さんに対する関わり方などを比較してみることで何かしらわかることもあるかと思います。あくまで私の個人的な見解になりますが、おそらく、お子さん主体ではない関わり方をしていたり、お子さんのニーズにあってない関わり方だったのだと思うのですね。そして、お子さんがかまって欲しい時に声掛けができていましたか? スキンシップをとることができていますか? 今じゃなきゃ嫌なんだといったタイミングでお子さんにかまってあげられてますか? 私は我が身を振返ってみたときに、やっと気がついてあげられました。といいますのも、昨年から久しぶりに息子と暮らしはじめてみて、障害の程度が重度で思春期真っ盛りの高校生の息子でさえ、母親の私がちゃんとかまってくれないと、すごく腹をたてます。そして、他のお子さんへ優しくしたりする場面をみたり、他のお子さんへ声をかけたりするだけでもヤキモチを焼いたりするのです。息子にそんな内面があるなんて思っておらず、それがわかった時には息子にあやまりました。「〇さんにお母さんが優しくしてたのが嫌だった? 気がつかなくてごめん。でもさ、お母さんお節介だけん助けてあげたかったんだよ。でも、嫌だったんだね。ごめんね。お母さんはSが一番好きだし。特別なんだよ。」といったことを伝えたら笑顔になって息子が喜んだことがありました。そういったことがあったことから、私は猛反省したことがあるのです。ですので、話し言葉を持っている発達障害のお子さんの場合には、うちの息子とはまた違って、自分以外の誰かに優しくしていたりしている親の姿をみて、ヤキモチを焼いていてもそういった気持ちを羞恥心などから〝ない〟ことのようにふるまってしまうお子さんもいると思うし、抑制してしまう場合もあると思うのです。そういった心情を親が察っすることができてなかったり、察していてもケアができてないんじゃないんだろうかと思うのですね。だから、お子さんのニーズに応えるだけでなく、お子さんが目を向けて欲しい時にかまってあげられているかどうかはとても重要だと思うし、日常に追われた生活をしている人の場合には、案外そこはないがしろにされがちなんだよなぁとも思うのです。そして、言葉の発達もまだ未熟な幼児期の時期は、些細な身体的な快・不快だけじゃなく、心身ともに親が取り除いてあげることが大切だと思うのです。そういったことから、身体アプローチを行うことでお子さんとの身体を通したスキンシップにもなると思われますし、お子さんに目をむけているということにもなることから、お子さんが自然に喜ぶことにもなっているのではなかろうか? そして、身体アプローチ等を通して、快・不快の感覚を感じられ、それがきっかけとなり〝治る〟に繋がっていくのだろうと思うのです。だってですね、金魚体操が下手な親の場合には喜ばないはずなんですよ。だって、ちゃんと揺すれてないだろうから(苦笑)そして、背骨が育ってないからこそ金魚体操を喜ばない人も中にはいると思うのですね。うちの息子は金魚体操で弛めるには一苦労入ります。それは、私自身がLD体質でもあるからだとも思います。それに、子どもって1対1で注目されたいという時期は誰しもあると思うのです。ということは2者関係にヌケがあるのかもしれないともいえるように思うのですが…。我が家の場合には、金魚体操よりもやることがあるし、2者関係もまだ卒業できていない段階で思春期を迎えたので、主体性も大切にしていますので、本人が嫌がった時はやらないようにしています。うちの子は気持ちいいことは申し出てくるし、自分でも行う子なので、わざわざそういった時間を設けてまではやってはいません。ですので、〝〇〇をやったら治る〟といった計算式のような発信はある意味乱暴だなぁよなぁと思うようになりました。
それと、栗本氏からアドバイスを受けたことはありますが、逆に問われることも多かったのです。『その感覚は本当?』と…。私以外の方で長年講座を受けたりアドバイスを受けたことのある人たちはそんなこと言われたことはないのでしょうか? 私だけだったのかしら。そんなことはないと思うのですが…。

身体アプローチをとりいれるようになったご家庭も増えてきたことはすごく嬉しいですし、どんどん治っていく人たちが増えていくこともよかったなぁーと思っている一人ですが、方程式みたいな考え方で子育てや療育を考えているなら、ある一定の枠まで発達できるかもしれませんが、おそらく伸び悩むことになると思われるので、そこで親がこうあるべきといった考え方を捨てきれない場合には、ある程度の段階までしか治らないし治そうとしないとも思うのですね。なぜなら、子どもをコントロールできなくなってしまうからです。でも、子どもはコントロールするものではありませんよね。それって、身体アプローチに限らず、どんなことにも当てはまると思いますし、どの療育でも同じだと思います。大人にもいえることですが、まだ子どもだからこそ制限はないのです。しかもまだ親に守られた範囲内でしか生き延びる手段がありません。ですので、親の経験がダイレクトに子どもに伝わってしまうことにもなってしまうのだろうと思うのです。まだ幼いからこそ、体験しないと学べないし、そして、経験が浅いことからくるジレンマにも陥るのだと思います。だからこそ、親次第になると思うのです。長年業界で培われてしまっただろう『親のせいではありません』という御触書は、ある意味、子育ての中でできていただろう躾や社会のルールやマナーさえも、その言葉を免罪符にして都合よく扱われ、療育や学校の現場で教えて欲しいといった他人任せの子育て状態になってしまってませんか? 業界の先生たちが気づかないといけないと思うのですが?業界の方のおっしゃる親学って子どもや周囲をコントロールするようなことをお勉強で学ぶでしょうか? 確かに障害は親のせいではないと思います。ただ、遺伝学的にいえば遺伝することもあるので、なんていうかもっと他にいい言葉はみつからなかったのだろうか?と思ったりもします。親のせいで障害になるわけではないけど、環境では大きく左右されてしまっていることを本当は気がつかれているのではありませんか? 保護者の場合には、親ができることさえも支援の現場に丸投げしたり、我が子のことを支援者にたずねて歩いて回るような子育てなさってませんか? それはなんか違うんじゃないのって思われてしまうのは不思議なことじゃないと思うのです。で、こんなこというと、正しい子育てをしろっていうこと?って勘違いなさる方がいらっしゃいるかもしれませんので、一言つけくわえますと、そういうことをいいたいわけじゃなくて、子育てに基準はあっても身の丈にあったやり方で子どもを育てていけばいいんじゃないの?と思うのです。いつどこで、アンドロイドを育てるような子育てになってしまったのでしょうか。子育てのピラミッドがあるなら、土台は家庭だと私は思います。だからこそ、その土台は、保護者が自分たちで考えて整え、時に支援者や周囲の人に相談したり知恵をお借りしたりすることで、みんなで子どもの成長を見守っていくことが望ましいのではないのだろうか?と思うのですが、我が身を振り返り認めて受け入れるには、根底が覆されるくらいのダメージをうけなきゃ気がつけないものなのかもしれませんね。

LD体質な私の身体感覚について⑯-原始反射と愛着障害-

私が診断を受けた当時と今現在の診断基準が変わってしまったのか、私が成長したことにより発達障害の捉え方が変わってしまったからか、はたまた診断が雑になってしまっているのか、本当に発達障害の人たちが増えているのか…。それは、多分研究者の間ではもう答えのようなものはでているのかもしれませんが、わかってるならはよー発表してくださいって思います(懇願)
『原始反射と愛着障害』のことを知ってからは、発達障害といわれる人たちの中には誤診だろう人はいるだろうなぁといった思いが強くなりました。それは何故かといいますと、私は自分自身が治療に積極的ではありながらも、本当の意味では治療ができていませんでした。なぜなら、自分に都合が悪い事を主治医に話さずにいた時期のほうが長かったからです。先生にとって良い患者さんで在りたかったことが、私をそうさせていたのだと思います。だからこそ、ちゃんと本当の症状や困っていること、本当に治したい難癖も言えずじまいでした。そして、治療中の様々な体験から、妄想がひどく私が主治医の患者であることで、主治医が院内の先生たちに悪くおもわれているのではないか…。そんな風に思って先生を守らなきゃと思い、謎に必死に耐えていたこともありました(苦笑)本当に謎ですよね。今となっては笑い話になりまが…。そういった勘違いがあったことで、私の場合には治療に積極的でもある一定のレベルどまりだったのだろうと思います。向精神薬でも随分落ち着いた時期があっても、何かのきっかけで急性期の状況に陥ることも多々あり、怒りのボルテージがあがりすぎるとODを行うことで、自分を急停止していました。そうすることが他者に迷惑をかけずにすむし、自己防衛にもなったからです。そんなことを数回繰り返した時に過去ブログの『あとがき』にもあるように私が治ってしまうことで周囲の人たちから嫌われてしまうんじゃないかといったこともあり、治ることが怖かっただけなことにやっと気がついたのです。そういえば、以前神田橋先生への受診をした際にアドバイスをいただいた麻のみナッツを食べて間もなくした時、一般就労をしていたパート先で仕事をしている時、社員の人たちの雑談が聴こえても意味がわからなかったことが多かったのですが、麻のみナッツを食べ始めて間もなくした時に雑談の意味がわかるようになってしまったことがあったことから、仕事中ブレてしまって仕事にならない事態になりかけたのでで、これはいけないと思い麻のみナッツを途中やめたことがありました。麻のみナッツがよかったのか、たまたまだったのかはわかりませんが、とにもかくにも、状態が良くなることで弊害を感じることから、元のままの状態のほうが楽だということから状態が良くなることを拒んでしまったように思います。それくらい怖がりでもあったのでしょう。

確かに怖がりだった時代には、幽霊さんだって恐かったし、ガソリンスタンドでガソリンをセルフで入れることも怖かった時期もありました。ジェットコースターや高い場所は別に怖くても生活に支障はないのですが、ちょっとした未知の経験に対しては怖くてできてないことが多々あったもののそれらはほとんどクリアしました。なんのタイミングなのか、震災後、すぐ恐怖反射麻痺を知ることとなり現在に至りますが、最近思うのは、恐怖麻痺反射があることで自分の身の丈にあわなそうな経験からは逃れられるけれども、ここぞという時の未知の領域を知る体験をする時は、モロー反射の恩恵が未知の世界へと誘ってくれているのかもしれななぁと思うのです。ただ、恐怖麻痺反射もモロー反射も統合できているかいないかでは、大きな違いがでてしまうのだなぁと思うにいたっています。その二つの土台となる反射が、私たちにとて行動する時のブレーキとアクセルでもあるのだろうと思うのです。ただ、そのバランス感覚や距離感に不具合があることで、道なき道をゆくことになったり、近道を無理やり突っ走ろうとしたり、衝動性にまかせて、踏み込んでみたり…。そういう意味でいろんな体験を通して感覚というものは研ぎ澄まされてもいくのだろうし、鈍感にもなっていくのだろうなぁと思ったりします。

自分自身だけじゃなく、息子はおそらくまだ土台の反射の残存率は高いままだろうとは思っていますが。ただ、以前は車酔いしなかったのに、車酔いをするようになり、そしてまた車酔いをしなくなりました。それに、高い所や危ない場所でも、怖がることはあまりなかったのですが、最近は怖がる様子がみられます。苦手な注射は、本人はちゃんとわかっていて、協力はしてくれますが、注射をしなければいけないとは思っていても、身体が逃げてしまいます。そうやって、一度発達したと思われても、何かをきっかけに後戻りし、より良い発達をしていくのだなぁと思うし、それがいわゆる〝含めて越える〟ということでもあるのではないのだろうか…とも思います。個人的見解ですが…。

息子の場合には状況によっては、まだ行動障害がでてしまうこともあります。それは、どうすれば何が起きても他害をしないようになるのかは、正直わかりません。ただ、随分良くなっています。他害がではじめた頃、まだ身体が小さかったけれども、すごい力でした。あの時にもし、ちゃんと気がついてあげられていたら、もっと早い段階で行動障害をさせずにすんだかもしれないなぁと思いますが、大人しいと思っていた息子の中に、自己をコントロールできず人を襲ってしまうような感情もあるのだということを知ったことは、ある意味よかったのかもしれないなと思ったりします。なぜなら、どんな人でもその時のその人の立場にならないと、なぜそうするに至ってしまったのかなんて、本人にさえわからないもどかしさがあるから、行き場のない思いを断ち切るために自分に見えるカタチで行動を起こしてしまうのかもしれないなぁなんて、思ったりもします。息子の行動障害の話は正直言って一番悲しい思い出です。ただ、その思い出が同じ立場の人たちや医療や福祉の現場の方たちへのなんらかのヒントになるとするなら、いつかその話を記事にできればいいなぁと思っています。

最後になりますが、どんな経験をしたとしても、しなくても良い経験というのは確かにあって、私の場合には、この二つの反射が大きくかかわっていたのだと思い知った時に、これらのことを世間に知ってもらえることで、病院受診を考えたり、とどまることにもなるように思うのです。現場が混乱しているのは、ドクターや支援者が足らないからだけではないと思うのです。何がどう自分をそんな風にさせているのかが紐解けるだけで、今まで生きづらさを感じていた人たちは病院の門をたたくことなく、生きづらさから解放されるんじゃないかと思います。ロールモデルは必要かもしれないし、それなりのメソッドも必要な人もいるかもしれません。でも、自分自身だからこそ、自分が一番の理解者であり味方でいられるようになると、何者かになろうとしなくても、世界の見え方は確実に変わります。ですから、きっかけも方法もなんだっていいと思うのです。ようは楽にこの世界を見渡せるようになることが生きづらさから解放され、自分自身をとり戻せたということにもなるように思いますし、私自身をとり戻すまでの治っていく過程には必要不可欠なものだったのだというのが現在の着地点です。

長くなりましたが、この回でこのシリーズはこれで終わります。なんだかグダグダになってしまいましたが、最後まで読んでくださった皆さま、ありがとうございました。

一人でも多くの方が何かしらのお呪いから解放されますように…。合掌

 

今日の空

昨日の雨から一転しての晴れ間

本日も暑い一日になるのかと思ったら

比較的涼しかったように思います。

エアコンいらずでした。

※写真は蛇

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シリーズものが長くなりすぎてしまい

滞っていたら虐待事件や

新幹線内での殺人事件が起きて

改めて親子の間のことや

発達障害に関することを

改めて考えさせられました。

私は、自分が大分元気になってきたことや

完全に二次障害を治さなくても

息子をまた引き取り生活する中で

それが私たちにとって治療にもなると思ったし

入所先の施設で支援者の方ができることと

自宅で保護者である私ができることは

生活スタイルだけでなく関わり方がまず違うし

経験値がかなり違ってくると思ったことから

認知する力が伸びており

言葉でのやりとりする場面が増えてきていたし

息子のいわんとすることや求めることを

誰よりもわかってあげられるのは

私しかいないんじゃないかと思ったからです。

それに、息子を引き取る前に

神田橋先生へも相談しましたら

先生も息子の一番の理解者は私しかいないと

背中を押してくださいました。

この一年でいろんなことが起きつつも

その度にいろんな策を考え

何度も登校拒否になりながらも

なんとか遅刻はしてますが通学できています。

朝から、『お腹が痛い』と訴えがあるので

学校に行きたくないんでしょう?

といった話を朝からしながら

お母さんも学校行くの嫌だったことがあるよーとか

でも、卒業してよかったと思ったよーとか

お友だちだって、本当は学校に来たくないのかもよー

お友だちだって、お仕事もお勉強もしたくないのかもよー

でも、みんな、頑張って学校に通ってるんだよー。

子どものお仕事は学校にいくこと。

学校は練習する場所でもあるから間違ってもよかと

先生たちが意地悪してるように感じるかもしれないけど

それは、勘違いかもしれないよ。

なぜなら、学校の先生たちがもし生徒に意地悪してるなら

先生たちは学校を辞めなきゃいけないんだよ。

だから、先生たちが意地悪してるってことはないと思うよ。

もし、本当に先生たちが意地悪してるなら

お母さんが文句をいうよ…

さぁ、今日は夕ご飯何が食べたい?

おやつは何にする?…etc

そんなやりとりを朝から呪文を唱えるように

その時々でタイミングをみながら

息子に伝えています。

そのうちなんとか渋々動き始め

なんとか本日も登校ができました。

デイサービス先での様子も

去年と比べると変わったようです(喜)

離れ離れのままでもよかっただろうけれど

いろいろな事件をニュースで知る度に

息子を手元に引き取ってよかったなぁと

心の底から思いました。

私や息子のことを思って

心配してくださっていた人たちも

いらっしゃっただろうと思いますが

どんな偉い支援者の人たちよりも

私は息子のことをわかってあげられているし

よりそってあげられていると思います。

いろんな意味での心配り(棒)が

私をよりいっそう強くしてくださることに

なったのではないかと思います。

思考停止な人たちだから

ヒトデナシ療法みたいなことをできていることに

早く気がついてもらえたらいいなぁと思う

今日この頃です(ブ)

 

4年前の今日の空(facebookより)

 

一昨日から今年初エアコンをいれました。

まだ6月なのにこの蒸し暑さ

一体全体今年の夏はどうなるのやら…。

と思ったら雨の月曜日

雨の月曜日といえば

カーペンターズ

〝Rainy Days and Mondays〟

が思い出されます。

和訳を読んでみたら…

若い頃、雨の日と月曜日に感じていた

心境そのもので

なんだか笑っちゃいました(苦笑)

 

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はてさて、Facebookの

過去記事がいくつかあがってきた中に

2年前の今日は久しぶりに上京していて

明治神宮に参拝し、

横浜のイングリッシュガーデンへ行きました。

久しぶりの東京は

どこをみても目が痛かったことが思い出されます。

サングラスを買おうかと思ったりもしましたが

サングラスをかけることでの

不具合があったので買いませんでした。

明治神宮って原宿駅のすぐ隣だったことに

すごくびっくりしたんですよね(笑)

高校生の時修学旅行で

原宿の竹下通りに行ったはずなのですが

橋から向こう側の記憶がないのです。

駅から竹下通り側しか見てなかったみたいで…。

東京には何度か上京したことがありますが

その当時は全く神社に興味がなかったので

明治神宮に参拝したこともありませんでした。

被災したばかりでしたので

参拝に行きました。

ただ、時間が足らなくて

清正の井戸〟もみることができなくて

改めてゆっくり参拝したいなぁと思っていますが

いつか上京できる日はくるのかしら…。

それとはまた違う4年前の今日の記事が

「ああ、そうなったよー」と

その当時の私に呼びかけました。

自分や他者に対して

〝期待をする〟のは自然なことだと

思えるようになりましたが

〝期待をする〟のも〝期待をしない〟のも

どっちでもよくなる域に到達すると

また違った感覚が生まれるし

なんだ、どっちでも『アリ』じゃまいか。

そんなことを思った

雨の日と月曜日の朝です。

___________

↓下記が4年前の記事です。

 

 

2014年6月11日21:10

 

期待をするから苦しくなる。

これをいえば何かが変わるかな?

と未来に期待する。

そして相手や自分に期待する。

だから苦しくなる

はがゆくなる。

期待するということは

見返りを求めているということ。

じゃあ、自分や相手に何を求めているの?

相手が私の思い描く人に

変わってほしいから?

私自身が私の思い描く人に

なれないから?

人間だもの…(^^;)))

そんな簡単に変われるものではないよね

いろんな人からアドバイスを受け

そのアドバイスがその時には

自分におとしこめなくても

それぞれのタイミングで

雷に射たれたように

誰かの言葉やニュースや

雑誌の一節に感動したり

共感したりして

きちんと自分なりにでも

あの時あの人に言われたあの言葉が

『今』届く時がくるんだと思う。

私には過去にたくさん

いろいろな方にアドバイスを貰い

『今』少しずつだけど

一つずつ、自分自身に

おとせていけてるように感じています。

だけど、その感じ方も

年月を過ぎたり

経験を積めば変化するでしょう。

またその変化も楽しめる人で

ありたいと思います。

 

__________

 

変化を楽しみ受け入れられてる

そんな自分になれているのか

定かではありませんが…(^_^;)

 

LD体質な私の身体感覚について⑮-原始反射と愛着障害-

私は思春期の頃からどうにかしたかったいくつかの難癖を克服するにはどうしたらいいのかを考えあぐねて大人になりました。ここ数年の学びから長年どうにかしたかった難癖の正体に辿りつくことになったのが『原始反射と愛着障害』を知ったことから、大人の私でもヌケを埋めることはできることを知り、そして、どちらも障害の有無に限らずどんな人もヌケがあり、障害や病気とはいわないまでも心身に不具合を抱えている人たちが世の中にはたくさんいるのだろうという考えにいたりました。

その中で、障害や病気の認定をうけていない人と認定や診断を受けた私との違いもそんなには変わらないグラデーションであることにも気がつくことにもなりましたし、あの当時から有名当事者といわれる人たちが偽物扱いされたり、藤家さんの場合には二次障害を克服したことで、いつの頃からか、ASDではなかったといったこともいわれるようになっていました。昔から、成人当事者同士でも、あの人は発達障害じゃなくて精神障害だといった噂話のようなものはありましたが、支援者や医療関係者の方たちまでも、偽物扱いするようになったという話を知った時には『えーーーーあんだけ講演会でもてはやしていたじゃーん。』と思ったのはいうまでもありません。あの当時、ニキさんはADHDとASDを併存しているタイプで、藤家さんは純粋なASDの受動型といわれていました。そして、〝受動型の場合には二次障害になりやすい〟とまで語られていたくらいです。だから解離性人格障害になったのだと講座で学んだ気がするのです。あれれ、私の記憶違いでしょうか? それとも嘘だったということになるのでしょうか? それと、彼女の場合には、解離性人格障害などの二次障害を克服した後に、アスペルガー症候群だと診断をされたと思いますが、私、なんだか勘違いしていますか? もし、それが誤診だったとするなら、本人不在の状況で支援者やドクターがなんらかの方法で調査をし〝統合失調症〟だったといえる判断ができるような情報を握っているということにもなると邪推してしまうのですが…? 一度はアスペルガー症候群だったことを皮切りに講演会などでもてはやしていたわけですから、エビデンスの国なのだから、その根拠とやらを説明しない限り、一度ASDの旗を掲げ登壇させていただろう支援者の皆さんはご自身たちのことに疑問を感じないのですか? あの、私かなりお金払って講座を聞いていたので、その旗を勝手に書き換えて掲げることが特性上納得できないので、どなたか説明してほしいくらいです。それとも、支援者やドクターがよかれと思って彼女を守るために統合失調症にしておきたいだけなのかも。なんて邪推もできます。なぜなら、アスペルガー症候群だけでは、精神の手帳も年金も該当されないからということから、あえて悪者になってアスペルガーじゃなかった。といった支援者やドクターの『愛』だとでもいうのでしょうか? あっ。いけないいけない。他人事でしたね。すみません。お節介BBAなのでついつい余計なことを…。

ま、私の邪推は別としましても、もし仮に本人不在でなにがしかが行われており、誤診だったとするなら、個人情報だから発表できないのでしょうか? 本人不在で判断できるような根拠を一部の支援者やドクターは知っているということになれば、それはそれで別問題が浮上することになると思うのですが、いかがでしょうか?(苦笑)とりあえず、業界も支援者もドクターもなんだかどこかのクラスタもその時に一部分の情報を切り取り問題にした後は、自己都合でうやむやにしてしまうこと山の如しだった数年間をよーく知っているので、私にとっては疑問が膨らんでいくだけです。それには事情があるのかもしれませんが、それってなんだか、恋愛の駆け引きとかで行われている試し行動と同じだと思うのですが…。それって、愛着のヌケがある人たちの典型的なパターンでしたよね(ぶ)
私の場合には、彼女が治るきっかけとなった体験談を知ったことから、長年苦しんでいた(うーん特段苦しんではいなかったのですが、めんどくさかったし、それは普通といえる状態ではないと思ってはいました。)自分の身の上に起きていた人格障害のような症状が何かを拍子に表出し、治ったと思ったのになかなか抜け切れなかったのが何故だったのか確信を得たわけです。彼女の場合にはアスペルガー症候群が原因というよりも、発達のヌケや愛着のヌケが起因となって解離が引き起こされたのではないのだろうか? ということを考えるようになったことから、解離も統合しつつ、自分の難癖も一気に引っこ抜けることになるんじゃないかといった仮説をたてたのでした。だから、腹をくくって治そうと思ったワケです。そして、私以外の定型発達の人たちでもその発達や愛着のヌケはあることから、障害のない人たちに表出している様々な不具合や問題行動(不倫や浮気、軽犯罪など…)はそれらが起因しているのではないのだろうか? だから、似ているように感じるのだろうと思うようになりました。
それに、13年前には、二次障害をとりのぞかないと一次障害の診断はできないと習ったように思うのです。昨今の診断基準がどうなっているのかはわかりませんが、発達障害という知識が世間に広まっていなかった頃は、幼児期のお子さんたちと違って、成人の場合には、二次障害があることから病院へ診察に行き、実は発達障害だった。ということになっていたと思うのですね。おそらく現在は先に一次障害を疑って診断を仰いでるんじゃないの?っていうふうになっている気もするのですが、それの何が問題かというと、二次障害があることで一次障害に誤診されることもあるんじゃないのだろうか?と思うのです。特に知的な遅れを伴っていない発達障害がある人たちの場合だからこそです。だから診断をするのに大人の場合には長くかかると当時いわれていました。私のようなタイプの場合には、一次障害の特性なのか二次障害からくる不具合なのかは、診たてるドクターによってかなり変わると思うのです。私自身、一次障害を疑ってみたものの、本当に自分は障害といえるのだろうか?と疑う気持ちが年々膨らむようになったのは、未診断の人たちだけじゃなく、世の中には病院にいったほうがいいのでは?というような変人はたくさんいることを目の当たりにしたからです。だからこそ、最近の診断は少し乱暴になってないのだろうか?とも思えます。病院を受診している人たちのほうが実はまともなのではないかな?と思ったりするくらいです…。過去ブログの中でも一度触れたことがあると思いますが、某有名支援者の講座で2002年?以前までに統合失調症と診断された人たちは誤診であることが多いので、改めて診断をし直してもらったがいいとまで、当時は断言されてましたし、その後の講演会などでは、杉山敏郎先生の著書で〝子どもの虐待という第四の発達障害〟という著書があり、虐待を受け育った子どもの場合には脳の障害が生じ、発達障害の子どもたちと似たような症状や問題行動に苦しむ子どもたちがいるといったことも、講座の中で触れられたことがありました。なので、当時のほうが、診断は慎重に行われていたように思うのですが…。
今、かなり診断が荒くなってませんか? そういえば、知人支援の現場で働いている子から久しぶりに現場の話を聞きました。知人の話では、支援者からみて、発達の遅れが心配なお子さんの保護者ほど全く気にしておらず、発達の遅れはさほど気にならないのに、保護者が子どもの発達を枠にはめすぎて気にしすぎてるケースもあるらしく、子どもより、どちらのケースも保護者に問題があることのほうが多いんだといった話を聞きました。ああ、やっぱりそんなことになってるだろうなぁと予想していたことがあたっていたので、思わず苦笑いしてしまいましたが、これらが一体全体どうことを物語っているのかは、今一度立ち止まって考えてみる時期にきていると思う今日この頃です。
あっなんか、やっと終われそうな気がします。。


LD体質な私の身体感覚について⑯-原始反射と愛着障害-続く

LD体質な私の身体感覚について⑭-原始反射と愛着障害-

藤家さんの体験談から確信を得たことで、私は自分の身の上に起きている解離性の人格障害を治すべく、約2年間取り組んで今現在、治ったといえる域になっていると思われます。なぜなら、数年かかって取組んできた依存・共依存の問題までも解決されることになったからです。そして、私は人に嫌わられることがずっと嫌でしたし、人に嫌われないような生き方をしていました。要は主体性のない生き方をしていたことまでも確実に治っています。自分でもビックリしているくらいです。
解離を治したくて取り組んでいたものの、何かのトラブルがあると心身の状態が入院しなきゃいけないレベルまで著しく酷くなったこともありました。私にとってはみえないところからの認知行動療法を行われているようにしか感じないことに対しての〝怒り〟のようなものもありました。ただ体調不良にみまわれたことで、折に触れて神田橋先生の治療を受けることができたので、なんとか立ち直れたようなものです。本当に、危なかった時もあって、いつ死んでもいいと思っていました。(それは今も思っていますが、自暴自棄にはもうなることはないと思います。死ねない理由ができてしまったので。)その時、毒だしをしたことで、思わぬことがわかったこともありました。私は丸一日生まれず出産時に仮死状態で生まれました。それとは別に、私の母が生まれる時も難産で、赤ちゃんか母体をとるかといった出産だったのだそうです。それでも、なんとか母子ともに無事だったという話を母から聞きました。(過去ブログをご覧ください)それで初めて、解離の現象が治らない原因の根っこにも繋がってるのだろうことが判明したわけです。ということは、私自身〝胎児性の愛着障害〟でもあったと仮定はできるのではないか?とも思いましたし、母もおそらく〝胎児性の愛着障害〟はあり、それは代々受け継がれてきたのではないのだろうか?ということに辿り着きました。胎児性の場合には、言葉だけアプローチでは治らないということを学びましたが、私に場合には、胎児期から40年弱の間ずっと発達のヌケも愛着のヌケも満たされることがなく大人になった訳ですから、身体だけをケアするだけでは根治するのに長くかかってしまうだろう。と思ったので、早く治すために荒治療を行うことにしたのです。言葉以前の身体アプローチと同時に、幼いころから溜めていた両親に対する不満や疑問をぶちまけ1つ1つ誤解を解くしかなかったのです。私の場合には。

で、相当ぶちまけましたし、幼い頃からずっと疑問に感じていたことを母に尋ねたことも想定が当たってたし、母のブロックには数年前に気がついていたので、そのことも母に尋ねたらビンゴでした(苦笑)それと、別れることになりましたが元相方が介抱をしてくれたことで、それなりに解決していくことができました。だから元相方に対しては感謝することのほうが大きかったのですが、残念ながら別れることとなりました。
その頃には知人友人全員縁を切って、元相方や母に支えてもらっていました。なぜ、知人や友人との縁を切ったのかといいますと、信じられなくなったことも大きな理由にはなりますが、大きなトラブルにならないようにするためでもありました。被害妄想が大きいからこそ、裏で手を回すようなことをしてほしくなかったのです。拗ねていた時期だったから、自分が嫌われることも嫌だったけれど、相手を嫌いになってしまう自分に罪悪感を感じてしまうことも嫌だったからです。そして、毒だしを知人や友人でやろうとすることは、遠回りのように思えたのです。だから、家族だけでなんとかすることが私の望んでいたことでもあったのです。二人のお陰で、かなり毒だしはできたと思っていましたが、あと少しというところで、どうしても自分自身でブレーキをかけていることに気がつきました。気がついていたのに、どうしてもそのブレーキをかけてしまう自分がいたのですが、何故そんなことになっていたのかというと、要は死にそうになるからなのだと思うのです。未知の領域に到達することになるからか、生き残るための自己防衛でもあるのかなぁと思い、だとすれば恐怖麻痺反射の仕業なのかなぁなんて思ったことがありました。だって、せっかくいい感じで治りかけているのに、無理をすることで逆にまた解離を起こしてしまうことになるのを自分でわかっていたんじゃないかとしか思えないのです。
最終的には、元相方と理不尽なお別れすることになったことから、夜中に遠方住む両親が実家から駆けつけてくれ、母に泣きながら抱きつきました。その後、泣きながら布団にくるまり痙攣と獣が唸るような声を出す度に、母は私の背中や頭をぐるぐると円を描くようになでてくれました。母が介抱してくれましたことで、その時やっと統合できたのだと思います。母の介抱に勝るものはなかったことを思い知ることとなりました。そのことがあってから、私はようやく〝主体性〟を確実に取り戻す事ができましたし、その日を境に誰に嫌われようが何ともなくなりました(笑)ようは私は一番両親に知られたくなかった醜い自分や弱い自分を知ってもらい、そしてそれをみせることができ、それを母に介抱してもらったことが私の中に存在していたラスボス(もう一人の私)を解放してくれることになったのだと思います。あの時母に背中をさすられながら観えていた映像は、灰色の山のような壺が次々に爆発し、その壺から石の塊のようなものがたくさん出ていくといった映像がみえましたが私の中に格納されていたごみごみが全部でていったんじゃなかろうかと。そんなことを思ったのでした。(苦笑)

元相方とは腐れ縁だから別れることはないだろうと思っていましたし、きっとあきらめられないだろうし忘れるのも時間がかかるだろうなぁとそんなことを思っていたのですが、その後様々なことがあったおかげもあり、そんなに引きづることもなく、なんだか折り合いがついてしまいました。強がりに思われるかもしれませんが、強がっていません。だって、私は私がみてみたい景色があって、その景色を一緒にみれたらいいなぁと思ったけれど、そうするには元相方にとって苦しくなるだけだろうと思ったからです。だから、悲しいけど、これでよかったのだと思える私にもなれたということが、私の現時点での治ったといえる着地点になります。いやー長かった。本当に。ただ、私は良かったけれど、息子にとってはすごくしなくてもいい経験をさせてしまったのかもしれないなぁとは思っていますが…。我が息子だから、信じるほかありません。将来『あの時●●で悲しかった―』と息子にいわれる日が来た時は精一杯受け止めるつもりです。
荒治療にはなりますが、私の身の上に起きていた解離の現象は治ったといえるようには思うのですが、私の自身感じている感覚ですので、傍からみている人たちからすればまだまだ治っていないと思われるかもしれません。ただ、自分が思春期の頃から治したいと思っていた悪癖があって、独占欲が強かったことでヤキモチをやいてしまい自分でもうまくコントロールできないことを治したいと思っていました。そういった感情や感覚は確かに薄くなっているとしか説明のしようがありません。それは、意識して我慢しているわけでもなく、自分を窘めることで誤魔化すわけでもなく、悲しくなったり悔しい思いをすることもあるけれど、それなりに自分の中だけで解消できるようになっているし、折り合うことが上手くなっているように思います。それは、制限された生活をしていることで心に余裕があるのかもしれませんがそれでも、以前の私はそういったことも難しかったわけですから、この感覚が私自身の本来持っていたニュートラルな状態だということを忘れないようにしたいなぁと思っています。

 

LD体質な私の身体感覚について⑮-原始反射と愛着障害-へつづく

LD体質な私の身体感覚について⑬-原始反射と愛着障害-

8年という歳月をかけて、なんとかようやく私なりにどういった生活を行えば、心身ともに元気で毎日を過ごしていけるのかがわかってきた昨今ですが、入院した時期の急性期の状態の時の生活と全く同じことを続けてきたわけではなく、その時の生活環境に合わせて徐々に変えていきました。その件に関しましては、養生編なるものもいずれ記事にしようと思っています。過去ブログにどんなことを行っているのかはいくつか記事があったかと思いますが、この際まとめてみようと思っていますので、気になる方がいらっしゃいましたらしばらくお待ちください。

身体のことに目を向けるようになり、セルフケアを行うことが養生生活の後押しをしてくれることとなりました。そのお陰もあり一進一退はありながらもどんどん回復し、心理面でも価値観がどんどん書き換わることとなりました。原始反射のことを知ったことから得た気づきは、スピリチュアル方面への気づきにもつながることとなり、一度スピリチュアルのことで偏っていた時期から疑問をずっと持ち続けていたことが解決されることにもなった大きな気づきを得ました。スピ方面からすれば魂レベルのお話になるように思いますが、その件は私はうまく説明できませんので今回は割愛します。多分、私の言いたい事をもっとうまくそれらと合わせて発信してくださる方がいらっしゃると思いますので…。

さて、原始反射のことを知った時と同時期に〝愛着障害〟に関しても講座を受けたり著書を読んだりしていました。その中でも『胎児性の愛着障害』のことに関して一番印象深く残ることとなり、原始反射とも関連しているのだということも知りました。といいますのも、私は自分癒しのためにTCカラーというカラーセラピーの資格を持っているので、知人や友だちにカラーセラピーの練習台になってもらっていたことがあります。その中で知り合った方で親子共々心身に不調を抱えていた人たちへ神田橋先生のいる病院を紹介したことがありました。その中にお母さんではなくお子さんがもしかしたら発達障害かも?と思うこともありましたので、一般的な精神科や心療内科に受診することで逆に発達障害じゃないのに発達障害と誤診されてしまったり、発達障害なのに発達障害ではないと誤診されてしまっている自体にも見舞われているようだったので、下手すると逆に飲まなくてもいい薬を飲まないといけなくなって、逆に状態が悪化してしまうことになると抜け出せなくなる自体に陥るだろうと思い、どうせ病院に行くのであれば神田橋先生のところへ行ってみるのもいいのでは?とすすめたことがありました。身体アプローチの講座も受けてくださったのですが、一時期状態が良くなったもののまた状態が悪くなってしまったことから、受診をしようと思われたようでした。受診後に連絡があり、神田橋先生の見解を教えてくださったのですが、先生のお話では、発達障害ではなく親子共々お母さんのおなかの中にいる時の状態がよくなかったからだといったことをいわれ、その頃の状態が代々連鎖しているだけだということだったようです。その話を聞いた時に、ああ、やっぱり神田橋先生をすすめてよかったなぁと思うことになりました。この知人のことから自分のケースと照らし合わせて考えるようになりましたが、私の場合には、神田橋先生へ初めて診察を受けた時、即答で〝発達障害〟だねとハッキリいわれました。だけど、知人の場合には親子共々発達障害といったことはいわれなかったということ。ただ知人の成育歴の話を聞いたりすると、厳格なお母様に育てられていた様子で厳しいというより虐待ともいえるような扱い方で育てられていたようでした。だから、母親を恨んでいたこともあったといった話も知人から聞いたことがありました。だからって、その知人は反社会的な人でもないし、元ヤンキーでもなかったみたいですし、ごく普通の真面目に暮らしている大人の女性だったのですね。そんな知人とは違って、私は虐待を受け育ったわけではなく、他の子たちよりは厳しめでしたが、躾のために叩かれて育ったわけではありません。ある程度の躾の範囲で両親に怒られたことがあるだけです。ただ父がお酒に溺れる人だったし、父のカッコ悪い面はみたことがありました。なのでそういった面では父親はそんなに良い父親とはいえなかったかもしれません。ただ、それなりに父は父親の役割は果たしてくれていたと今なら思えます。それに両親が夜中に喧嘩していることは知っていました。でもそういうのは、どの家庭にでもよくあることだと思うし、うちの家が特殊な家庭環境だったとはいえないと思うのです。ですので、機能不全家族とまでいかない、ごくありきたりな一般家庭で私は育ったとは思われ、私の場合には、誤学習していたことが確かにありますが、環境要因だけが原因で2次的な障害になったともいえないと思うようになりました。ただ、愛着障害の著書を読んだと同時期に、仕事やプライベートの対人関係のゴタゴタで、体調が著しく悪くなったことから、それまでに自分なりに治っていたと思っていた愛着の不具合が完全に治っていなかったことにも気がつくことになりました。ようは眠った状態であったことを思い知ることになったわけです。その時期は、やっと長年困っていた人格障害を治そうと思っていた時でもありました。結果、ゴタゴタがあったことで私は統合できたようなのですが、それでも、何かが起きると解離なのか霊的なものなのか、一言では説明できないようなことは起きていたので、治っていなかったのだと思います。

その後、段階を踏んで毒出しをするたびに寝込むような日々が何度か続きました。憤慨して怒りを吐き出した後は、蛻の殻になり、酷い時は起き上がれないくらいの状態になりましたし、やっと起き上がれるようになっても、手足の関節が繋がってないような感覚が数日続くといったことになりました。誰でもいいから危害を加えたいといった気持ちにもなったことがあった時は、そんな自分をただただ抑えることで精いっぱいにもなりました。
ただ、私がなぜ事件などを起こさずにすんだのかは、それまでに私自身という人間を自分なりに認知したり自己分析したりしていたから大きな事件になることもなく、事なき得たようなものなのです。本当に。それは、私の怒りのメカニズムがどういう仕組みなのかを知っていたことが一番大きいように思います。そして、その怒りの行末をどこに向ければ一番いいのかをその時その時で行ったからだと思います。なので、安易に私に仕掛けられていただろうみえない療法は、他の人に通用すると思ったらそうはいかないと思いますので、私に試していたことが、もしあるとするのならば、他の人に試して欲しくありません。本当に大変なのです。絶対無理だと思います。本人の中で膨らんでいく怒りのエネルギーとまた別に生まれてしまう増悪のエネルギーを昇華するには、頭だけでは終わらせられない。それは体験した人にしかわからない感覚だと思います。私の場合には私自身が〝なんとしても治りたい〟といった意志があったことや友だちや家族に見捨てられることになったとしても、とにかく〝治る覚悟〟をしたから治せたのだと思うのです。

悪い事をしたら警察沙汰になり犯罪者になりうるということがわかっていても、一本の糸が切れてしまったら、本人には止められないくらいの怒りなんですね。だからこそ、その一本の糸がブチ切れないように、小さな勘違いや毒だしを日々行う必要があって、それは本人が気がついて本人が自己認知をし初めて、絡まった糸がほどけていくという感覚なのだと思うのです。そして、正義感が強ければつよいほどそれらは内側へ向かず外側へ向いてしまう行動へと化してしまうのではないのだろうか…。そんな風に思います。私の場合には、内側に向きやすいタイプなので、モロー反射が残存していたとしても、外側に向けることは暴言ぐらいで済んだのだと思います。ああ、違うや。家の中の物を投げまくったこともあったなぁ。そういえば…(苦笑)一番酷かったのは、OD(オーバードーズ)、その次は元相方を暴言を吐きながら叩く、泣き叫ぶ、家の中の物を投げまくる…etc。夜中に落ちた時は包丁を持ってみたこともありました。でも刺すことはできませんでした。だって、痛いのが苦手だし、病院に行くのもメンドクサイし、血をみるのも苦手だったからです…(苦笑)お金もなかったですし、人に迷惑をかけたくないといった気持ちがあったことも少なからずやらかす率を下げてくれたのかもしれません。とにかく、ODに関しては何度か経験がありますが、物を壊したりすることや元相方をたたいたりすることでの、後始末、部屋の片づけや叩いたことで怪我をしてしまうことでの弊害で次は思いとどまるということにもなっていたので、一度はやってみるようにしていましたが、私の場合には、負の経験をしたことで最終的に自分が後始末するのがメンドクサイとわかると、もう二度とメンドクサイことはしたくないからか、行動統制できていくこととなり、結果オーライとなりました。

ただ、私にとって身に覚えのない理不尽なことが起きた時は、誰という限定されない恨みごとが別次元で溜まっていくことになることになり、そういった自分のしたことじゃないことに対して私が後始末をしなければならないことに対する憤慨は一体全体どこにしまえばいいのかわからなかったのですが、おかげ様でただ文句をいえばいいということに気がつき、迷惑こうむった時は相手に事実を伝えることにしています。あった出来事をただ伝えるだけです。そして、それは私に対する意地悪なのですか? 過去の経験上、私は被害妄想が酷いのでこういった扱い方をされたら意地悪されているようにしか思えません。というようにしています。 そして、その時あった出来事を覚書程度にはなりますが、文字にして残すようにしました。その時に嫌だった出来事とそれに対する自分の感情を残す程度ですが、それが私自身の振り返りにもなりますので…。ああ、またずれてる。。。話しを戻します。
とにかく様々な出来事が起こることがきっかけになり、怒りのエネルギーを使って毒だしができることがわかってはいたのですが、もうですね、なんでわざわざ私の怒りがたまるようなことをするの?というような仕組まれた感覚が否めなかったことで、私の怒りは倍増することになってもいたのですが、これいらん世話なんですよね…。

ただ、この怒りのエネルギーを使うことで毒だしができるのだということに気がついたのは、2年前に行われたニキ・リンコさんと藤家寛子さんの講演会の時に、藤家さんの解離が治った時のお話を聞いたことからヒントを得ました。それなりに気をつけて制限された生活をしているのに、私の身の上に起きている解離性の人格障害だか、はたまた憑依体質だかがまた現れるようになって、治そうとしてるのになぜ治らならなかったのかがやっとわかったことで〝だから私は治らなかったんだ〟という確信を得たことから、私にとってのラスボスを対峙できると思い取組んできました。が、なんとまぁ、本当に酷かったんです。動画残っているといいんですけど。。。(ぶ)

 

LD体質な私の身体感覚について⑭-原始反射と愛着障害-へつづく