ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

私が大切にしていること②

『私が大切にしていること①』では構造化のアイデア以外に大切なことがあるよということを主にしました。自宅では一日のスケジュールはやっていませんが、デイサービス先や学校では時間割とは別に個別のスケジュールで一日を過ごしています。自宅では、スケジュールよりも夕食の時間と寝る時間は毎日大体同じ時間になるように、うちでは10時には家中の電気を消します。厳密にスケジューリングするとそれが決まり事になってしまい、『〇〇しなければならない』という罠にはまって抜け出せず、臨機応変に動けなくなることもあるからです。自宅での視覚支援はカレンダーぐらいで、場面に応じて手順書を使うくらいです。以前、固定で使っていた月間と週刊スケジュールと一日のスケジュールや手順書を使用していましたが、現在は、一般の日曜始まりのカレンダーを使って月間スケジュールを提示し、息子用の年間のスケジュール帳を用意し、自宅にある月間カレンダーと同じ内容のスケジュールを書き込み、持ち運びできるようにしています。いずれは自分で書きこむなり、誰かに記載してもらうなりすれば、それをみて『いつ、なにがあるのか』がわかるからです。うちの子は先のことがとても気になる子なので、中3の終わりごろから、年間のスケジュールがわかるノートを持ち運びできるようにしました。それが彼のお守りがわりにもなっています。それにあわせて、年間だけでなく、もっと先のことまで知りたい子だったので、息子が産まれてから今まで+数年分のタイムテーブルを表にしたものもそのスケジュール帳に張っていつでも確認できるようにしていますし、自宅にも同じものを用意しています。後は、家族の年間の予定が簡単にわかるカレンダーを利用して、自分のスケジュールと家族のスケジュールの区別がつくようにしています。それらが自他の区別をつけることにもつながるからです。と前書きが長くなりましたが、自他の区別といえば『プライベートとパブリック』だなぁーと思うので、今日はそのことを…

 

『プライベートとパブリック』

発達障害の人たちは自他の区別がついていないと良くいわれます。で、私も自他の区別がついていませんでした。最近頑張って自分に意識を向ける練習をやってます。なかなか難しいです。でも、最近私は思うのです。自他の区別って、発達障害の人の特性だとずっと思っていたけど、なんか違うよなーって思うようになったのです。原始反射のことを知ったことも一つのきっかけになりますが、発達のヌケってすごく大きいなぁと思ったりもします。

自他の区別がつきづらい人は『プライベートとパブリック(公私)』の場面で問題行動を起こしやすいと思いますが、これ、発達障害の人だけの話でしょうか? 確かに発達障害を持つ人たちは自他の区別がついてないことからのトラブルをおこしやすいと思いますが、正直申し上げますと、これ、私は発達障害の人だけに原因があるとは思えないのです。一般的には保護者や公的な場での大人から注意をうけたり、大人の動きをみたりしてパブリックな場面は自然に学べるものだと思うのです。ただ、発達障害を持つ人たちの場合にはその人の特性に応じてにはなりますが、大人からの指示や空気を読むことが不得意だったりすることから、自他の区別をつけられないまま大人になってしまっているケースが少なくありません。でも、社会を見渡してみると、実際には、周囲の大人が公私の場面での自他の区別をつけられていない人が多いと最近気がついたのです。だったら、我が子だけでなく他のお子さんたちにも教えることはできないですし、大人が自他の区別をつけていないお手本になっているわけですから、子どもたちが大人の姿をみて学べるわけがないんですよ! 

今思うと、療育機関や医療機関でのアドバイスって、家庭で行う子育てに対してのダメになったり、障害があってできないことを肯定してるだけのようなものだよなーと思うのです。それを子どもの前でやるわけですよね。実際、療育や教育って、個別指導といわれているけれども、パブリックな場面での常識をわかってもらうためだったり、様々な決められた時間内で行動統制を行うようなアプローチになっていると思います。将来に渡ってその子が困らないようなことを想定した常識をSSTなどで学ぶことになると思いますが、家庭や療育先で一貫性があるかないかがとても大切だと思います。結構グダグダだし、逆にプライベートとパブリックな場面を混乱させているのが実は保護者や支援者だよなって私は思うのです。家ではいいこと、学校ではいいこと、自分の家でも自室ではいい事、リビングではダメなこと。それを支援している大人が一貫した考えで教えられているか?っていったら、できてない支援者や保護者の方多いと私は思っていますが違いますか? 

以前受講していた講座などでは、『プライベートとパブリック』のお話をされていたように思います。環境調整された構造化された場所では、エリアごとで活動することが決まっていますので、自宅の場合、大きく分けると自分の部屋は“プライベートな場所”、それ以外の場所は“パブリックな場所”になるので、自分の部屋だったら“していい事”、自分の部屋以外では“してはいけない事”といったことで、公私の場面を意識してもらうことができます。自宅以外が“パブリックな場所”と思われがちですが、自宅といえども家族は一個人になり、共同生活をしている所です。自宅での共同生活で自他の区別ができているかいないかはとても大きいと思います。空気を読んだり他者をみて模倣で真似ることが不得意だからこそ、家庭生活でもしっかり『プライベートとパブリック』の場面を教えることが汎化が難しいといわれる自閉圏の人たちには、グループホームなどを利用する際にとても役に立つと思います。後、自他の区別がついてないお子さんの場合、自分の物と他者の物の区別がつくように“自分の名前”を記入するなどして、物を使って意識的に自他の区別をつけられる一番簡単な方法だと思います。我が家の場合には、息子の部屋にもテレビやビデオがあり、ポータブルのDVDも使っています。テレビやビデオは自分の所有物ですから、私は介入しません。テレビやビデオを見ていない時はスイッチを消すことを注意するくらいです。ポータブルのDVDはデイサービス先や外泊する場合に使っています。自宅のリビングのテレビは僕のテレビではなくみんなのテレビということになっているので、リビングのテレビを独占しないように取り組んできました。そういった取組が今とても役にたっています。自宅で一人っ子の場合すべての部屋が自分のテリトリーみたいになってしまうのをさけられたのはとてもよかったなと思います。

後、自他の区別をつけられないのは、自分自身のことは自分でみることができないからこそ起こってしまうことでもあると思いますし、まだ2者関係がやり切れてないということでもあると私は思います。お子さんだけでなく、親御さんの2者関係の発達にヌケがある場合には、お子さんをコントロールしていることになっていると思うので、思い当たる方はご自身にも発達のヌケがないかを知ることも結果的にはお子さんの発達に繋がることもあるように私は思います。身体的には固有受覚の不具合が関係しているともいわれていますので、詳細は感覚統合や原始反射などの見解を読んでみられるとより詳しいことがわかると思います。

ということで、ここまできて、自分でもワケワカめになってきた(^_^;) 簡単にいいますと

『大人ができてないことは子どもにできるわけがない』し

『大人ができていないことを子どもに教えられるはずもない』

ってことをいいたかっただけです(^_^;) 

ということで今日はこのへんで…

 

個人的見解ですので、あしからず。

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