ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

私が大切にしていること①

息子や自分のためにと思って発達障害を学んできましたが、私はTEACCHを続けられなかった落ちこぼれです(苦笑)構造化のアイデアよりも、失敗体験から大切にしていることがいくつかあります。しばらく、それらに関することを記事にしていきたいと思います。

※TEACCHの講座は10年程前に受けたきりですので最近の情報ではありませんのであしからずー。

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『構造化のアイデアよりも大切なこと』

今のTEACCHの講座がどういった講座になっているのかわからないのですが、最近はライセンスビジネス化され、講座を受講し数年単位で再受講しなければTEACCHが導入できないといったことになっているらしいのですが、私が学んだ12年前からそれは講座でいわれていたことでした。ただ、数年単位で再受講ってのはありませんでした。PECSに関しては一度受講したら一生ものだといわれてはいましたが、どうなっているのかな? はてさて、そんなことは私にはもうどーでもいいことになっていますが、TEACCHの構造化のアイデアは素晴らしいなと思っていますし、自閉圏の人たちのアセスメントの考え方や圏の人たちの行動をどう捉えたらいいのか又療育する上での考え方や在り方が私は好きだったし、そのおかげで、私は自閉症の息子に希望を感じたのです。今は全く知らないのでなんともいえませんが、12年経った今、個別支援などの制度の影響もあるのか、構造化のアイデアは現場に用いられているような気もしていますので、全く導入してもらえなかった当時からすれば、やってもらえているほうではないのでしょうか? そんなことはどーでもよかった。さて、本題です。

構造化のアイデアや手法に関しては、ネットでぐぐったり著書に紹介されているので割愛しますが、構造化のアイデアも手法も個別化されることが前提になりますので、著書やネットに落ちているアイデアは一つの見本にすぎません。

我が子の現在の認知の仕方や状態にあわせたものを取り入れることが大切だと思うので、見本をそのまま導入したものがお子さんにあっているかどうかを見極めるのは親の務めだと私は思います。最初はそのまま取りいれたとしても、反応が薄ければ、どのようにこの世界を切り取り認知しているのかは観察する手段になります。『とりあえず導入すればいい』という保護者の方が多いので、構造化された指導がうちの子には合わないという場合には、まだ、保護者の方が取りいれる段階ではないのかもしれませんし、アセスメントが不十分かもしれません。それに、お子さんの身体が“やる気のでない身体”の状態であるなら、構造化のアイデアを変える前に、生活習慣の見直しなどをし、あわせて身体づくりもすることが望ましいと思います。あまり上手に眠れていないお子さんの場合、日中活動がよりよく過ごせていないことで、良質な支援を本人が受け取りづらくなるからです。より良い療育を受け取れる土台(身体)が一番大切なのだと息子を通じて気がつきました。

幼児期の場合だけでなく、学童期だろうが、青年期だろうが、成人期だろうがです。私たち大人だって二日酔いや寝不足の状態では仕事や家事の効率が悪いことはわかると思います。例えば、二日酔いの次の日、スケジュール帳のTO DOリストがぎっしりだったら、ガックリきませんか? 朝っぱらからすごく重要な会議でしかもメモをとらないといけないそんな状態でメモとれますか? 私は無理です。ただ眺めているだけで終ってしまいます。ですから、やる気のない身体で構造化された指導をうけると、構造化されていることでダイレクトに視覚にはいってくるので、それが逆に負担になる場合もあると思うのです。脳みそのキャパが少ないタイプの場合には、一度にたくさんの情報を提示することで混乱してしまうことにもなりかねません。安定していれば本当は理解できるかもしれないのに、本人の身体の状態が悪い事でインプットしずらくなっているとするなら、とても勿体ないと思います。

構造化された手法がお子さんの負担になって“いる”のか“いない”かを見極める目が保護者や支援者に必要だと私は思います。スケジュールや手順書の導入をやみくもにやっておきさえすればいいという安易な考えならやらない方がいいと私は思います。それは、ただの親の自己満足にすぎません。構造化された指導は、お子さんの問題行動をなくすための指導ではなく、お子さんがより良く日中活動を過ごすためのお子さんが主体の指導であると私は思っています。指示に忠実に従えるようにするためでもありません。自閉圏の子なら、ハイパー律儀な人たちですので、本人にわかる形で提示されたら、律儀にきちんと動ける人たちだといってもいいと私は思っています。そこを忘れていて指示に従えないお子さんを問題にしている保護者や支援者の方がいらっしゃるのでそういう現場をみると時々ムカつきます。


『イヤイヤイヤ、違うよ。

 構造化のアイデアがわかりづらいんだよー。』

『提示の仕方が間違ってるんだよー。』

『そのカード何見て判断したらいいのか全く意味不だしー。』

『カードでかっ。』

『スケジュール細かすぎっ。カード多すぎっ。』

『手順書いらんだろっ。

 ここルーティンでどうにかしたがいいどっ。』

『声掛けわかりづらっ』

『ああ、3秒ルールがぁー』


こんな感じで私の心の声はささやきますが実際にはいいませんよ…(苦笑)おしゃべりのできる人達の場合には、本人とのやりとりの中で構造化のアイデアも変えられますが、話し言葉のないタイプのお子さんの場合には、そのお子さんの出しているサインを察してあげることが大切だと思います。それに、重度のお子さんの場合には、スケジュールに従うことよりも、本人の身体に関する“快、不快”を察してあげることや安心で安全な環境があるということを提示することが信頼関係になる近道だと思います。とくにトイレの場合、支援者も保護者も待たせることが多いと思うのです。(トイレトレーニングに関してはまた別の時にでも…)

不快な時それを察し楽にしてあげることや、楽にできなくても共感してあげたり、かまってあげることで、要求もしてくれるようになると思いますし、この人なら何かわかってくれるかもしれないといったことで信用してもらえるようになると思うのです。

後は、手を出しすぎの保護者の方、かまいすぎでそのお子さんの成長を奪っている保護者や支援者の方もいるように思うので、適度な距離感で見張るのではなく、見守ることが大切のように思います。

上記にあげていることは、ほぼ失敗体験を元に記述していて、もっと早くに気がついていたら、息子はまだ早い段階で成長できただろうなと思ったことをあげました。それでも、発達のヌケはとりもどせることも最近わかりましたので、また新たな希望を持っています。

どんな人も無意識の中で自己成長を望んでいると私は思っているので、タイミングやいろいろな条件が重なれば、自閉圏だからこそ、ぐっと成長できる人たちだと私は信じてやまないのです。成長を著しく感じない場合、お子さんの障害だけのことに着目せず、支援者又は保護者の方の療育や障害の考え方や捉え方を今一度振り返り、みつめなおしてみるといいように私は思うのです。

(偉そうだな私(^^;;)

 

※過去の自分に自戒をこめて