ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

久しぶりの作詞

去年、作詞を手伝ってくださいといわれ、私はただ少し言葉じりを変えたりすれば良いだけだと思って気がるに返事をしてしまいました。

大昔に通信で一時的に作詞の仕方などをマニュアルに沿って行っていただけで、最終的には最後まで続けることができませんでした。ただ、高3の時、学校に全国版の高校生作詞作曲コンクールのポスターがあり、ものの試しに作詞をし応募したら奨励賞をいただいたことがあったので、なんとなくできる気がしたのです。

高校生の時は勉強することの意味や学校に行くことの意味がわからなくなっていた時で国語の成績なんてギリギリ3でしたので、とりあえず大昔に作詞の経験があるということだけでしたが、なんか面白そうだったからお手伝いをすることにしました。

依頼してくださった方からいただいた添付ファイルをみると、歌詞というより長い詩でした。たくさんの言葉がありすぎて、私からしたらパラレルなストーリーが一つの歌詞にある感じがして、テーマが中島みゆきさんの『糸』ってことだけどなんか展開がわかりづらくて、自分が整えてみたら、なんだか違う歌詞になってしまいまして、とりあえずできたので依頼者に送り返しましたら、訂正がはいり、その訂正がまた意味不だったので、これはなんだか、ゲーム交流ジャマイカと思い、ぶん投げ返してしまいました。私が決めるのではなくあなたがどうしたいかだと。

で、下記の歌詞が初仕上がりくらいの歌詞ですが、いただいた詩の言葉をかなり省いてできあがったものになります。

※下手の横好きなだけで申し訳ない歌詞です

 

たくさん言葉を持っているのだなぁと思うので、単語をたくさん知っているのだなぁと思うのですが、自分にある言葉を紡いでいく時には、混在してしまい自分の本当に伝えたいことに気がつけてなかったりすると思うのです。それはその人が考えることだと思うので、あえて私は伝えませんでした。歌詞だからこそ、どういった人たちに向けての言葉なのか、ニーズによって視点が変わると思っているし、シンプルな言葉使いの方が伝わりやすいといった、傲慢な私がいたのだとも思います。あの時の私は依頼者の方の意図を汲めず、逆に意地悪なのかと思って、ぶん投げ返しました。

訂正されるのはかまわんのです。とりあえず文体や言葉の数なんか揃えたりは基本だと思っており、一拍に二言のところをBメロでは言葉数が変わるような技術は持ち合わせていませんので、才能ある方にはできても自分には自分にしかできない仕上がりってあるので、なんか、イラっとしたのです。歌詞の流れの中にそぐわない単語をいれてくださいとか言われても、なんていうか、そうすると全部変わるんだけどなぁー。的な話になってしまっていたので、私はそこで気がついたワケです。

 

なーんだ。

結局自分で作詞したかっただけじゃん。

私必要あるんかい?

と大人げなくそんな風に思ってしまいました。だから、私はそこで手を引きました。

私が決めるのではなくあなたが決めてと。

私が決めることじゃない的なことメッセージして終わったような気がします。

今なら絶対受けません 笑

大体そういう人は自分がやりたいのに

人を巻き込む癖がついているからです

自分の気持ちで内容が変わるなら、自分でやれよー。イチイチ人に聞いて確認するんじゃねー。自分に自信がないから人に決めてもらうんでしょうよーって今の私ならいうでしょう。やりたきゃ自分でやればいいさー私を巻き込むんじゃねーっと。

人を巻き込む時はもっと互いに自立した関係性が好きだし、ましてや自分の企画を丸投げってのはありえんです。だって自分が作詞したかったのでしょう? って思ったのですが、この歌詞がその後どうなって曲までできたかは定かではありません。

私はただ言葉を並べただけでおじゃる。

あー‼︎ だから某方には珍しく顔本で

『糸』の話になったわけですね 笑

あーあーやっぱり....陰謀論

((((;゚Д゚)))))))

 

現場からは以上です←意味不

 

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あなたへと続く道

 

何処にいたの? なぜ「現在」なの?
ずっと待ってた あなたのこと

 

初めてとは思えないあたたかさ
ただあなたがそばにいるだけで
なんだか心地いいし
あなたが側にいてくれれば
私、強くなれる気がする

あなたへと続く道を
ずっと照らしてた
いつもどんな時も
ただそこで、そばで
本当は私を照らしてたんだね
ありがとう…

 

今まで行ったり来たり寄り道した
自分が今何処にいるのかさえ
わからない時もあった
偶然みつけたこの道が
あなたへ続く道だったんだね

あなたへと続く道が
私を探してた
ずっと今日の日まで
ただそばで、そこで
私をずっとみてくれたんだね
ありがとう…

 

偶然や奇跡なんかじゃなくて
全ては繋がってたなんて…

 

あなたへと続く道を
ずっと照らしてた
いつもどんな時も
ただそこで、そばで
本当は私を照らしてたんだね
ありがとう…

私へと続く道が
あなたへと続いてた
ずっとこれから未来(あした)も
ただそこで、未来(あした)も
私だけをみててほしいから
約束だよ…

 

 

とりあえず、著作権は私ではありませんが

転載などはご遠慮くださいませ。

 

 

カクレミノ

キラキラと輝くあの人の影は

 

いつもとっても心地よい

 

私はこれまで誰かを隠れ蓑にして

 

借りぐらしのように

 

人と人の間を綱渡りしてきた

 

サーカスのピエロのように...

 

それが私の生き延びる戦略

 

彼女の影だと思っていた場所は

 

実は彼女の翼の下で

 

私は痛めた羽根を休めていたみたい

 

自分がまだ癒えてないことを

 

悟りたくなくて...

 

彼女の広げた心の翼に

 

ずっと守られていたから

 

私は自由になれていたんだ...

 

でもね、やっぱり私

 

今度は彼女の隣で

 

自分の翼を広げて

 

自由にこの宇宙を

 

旅して行きたい

 

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泣いていいかな

「泣いていいよ」っていわれても

心は泣いてるのに

涙は一粒もでてこないから

可愛げのない人だと

思われてるだろうな...

私が泣きたくても

人前で泣かないのは

私のタイミングを計るように

「泣かないで大丈夫だからね」

と、ヨシヨシされてきたから。

本当は、誰かにしがみついて

大声で泣きたいくらい

悲しくて辛かったけれど

いつの間にか

泣けない人になったの

自分でも

どうしようもない気持ちを

簡単に乗り越えられたのだと

思われていたのだろうけど

本当はワタシ

誰よりも弱虫で

寂しがりやで

泣き虫なこと

今まで、誰にも

悟られないようにしてきた。

泣かない選択をしたのは

ワタシだし

泣けない呪文を受け入れたのも

ワタシだし

泣けない私を選んだのも

ワタシだったのだから

そんな自分を

もう解放してあげよう

今日この日に...

 

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HANABI-私と息子の聴覚過敏編-

コードブルーの主題歌であるMr.childrenの『HANABI』のことではありません。花火からの聴覚過敏ネタを今日は記事にしてみたいと思います。(すみません。だって、タイトルに使ってみたかったんだもん。)

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私は怖がりな自分がとても嫌でした。大きな音が苦手だったので、花火大会へいっても泣いてばかりいました。大人になった今では遠くからみることくらいなら楽しめるようになりました。
元旦那とつきあって間もない頃、花火が真上にみえる場所へ連れていかれたことがありもういい加減大人になったのだから、花火の音にビックリしないだろうと思いましたが、すっごく綺麗だけれど胸はドキドキしぱなしで耳ふさぎしぱなしでした。子どもを産んで息子が1歳代の頃、八代で毎年開催される全国花火大会へ行った時、その頃は大きな音もなんとか大丈夫になっていました。ただ、一番大きい音の時はやっぱり胸はドキドキしますが、ほとんどは大丈夫になっていました。ただ、音が大きすぎて耳が痛かったですが…。その時、私はなんとか大丈夫でしたが、普段あまり泣かない息子は花火が始まってからずっと泣きっぱなしで泣きやまず、その泣き方があまりにも酷くて、可哀想だったので、その日お世話になる親戚の家に遠くに花火をみながらもどったことがあります。
私も花火は苦手で幼い頃は泣いていたのできっと遺伝したのだろうぐらいに思ってのんきに構えてましたら、その日の夜中、39度越える高熱をだしてしまいました。熱は1日で下がりましたが、「小さな子に花火を間近で見せてはいけませんよ」と病院の先生に怒られたような気がします。
息子が自閉症だとわかってから、障害を学んでいく中で感覚過敏のことなどを知り、自分や子どもには音の過敏があるのだなと知ることになりました。花火大会のことを思い出す度に、息子には可哀想なことをしたなって思いました。それからは、花火を見に行くといっても離れた場所で花火はみるようにしています。大きな音さえしなければ私も子どもも花火は好きですから。

聴覚過敏は子どもの頃の私にとって、怖がりな自分やカッコ悪い自分を認めないといけないものでした。私は音だけではなくて、他にも怖いものがありました。ですからその頃から怖がりの自分がとてもとても嫌だったし、かっこ悪いと思っていました。そんなカッコ悪い自分を克服したくて、実際に自分でやってみたことがあります。

私が小学生の頃までは運動会の時のスタートの合図はまだピストルの音がスタートの合図でした。思春期に差し掛かるころまでの運動会の徒競走などでスタートラインにたっていた時はまだ耳ふさぎしていたようです。そんな自分に気がついてなかったある時、運動会の写真の中にスタートラインで耳をふさいでいる自分をみつけ、すごくカッコ悪いなと思い恥ずかしくなったことがありました。それから、そんなカッコ悪い自分をなんとかするためには、どうしたらよいのかとずっと考えていたこともありました。そうしたら最終学年の運動会の係り決めで「ピストルの係り」がありました。その時、私は閃いたのです。

『ピストルの係りになって音に慣れたら怖くなくなるかもしれない
 そうすれば、スタートの時耳ふさぎしなくてもよくなるかも!』

そういう閃きがあって、私は運動会のピストルの係りになることができました。そして、運動会の予行練習と運動会当日が終る頃にはピストルの合図はドキッとするけれど耳ふさぎまではしなくてよくなりピストルの合図を克服できた経験があります。

40歳を越えた今も突然の大きな音はまだまだ苦手です。心臓が止まりそうなくらいビックリします。息子もまだまだ苦手です。息子は私より更に聴覚過敏が酷い状態ですし、おそらく絶対音感があるんじゃないかと思うので、更に煩く聞こえるように思うのです。そして、数年前までは蝉の鳴く声がすると外出先で車から降りれない事もありました。ですから、「今聞こえている音は蝉の声だよ」と声をかけるとすっと車から降りてくれるということもありました。要は私も息子も音源がいつどこからどんなタイミングで出るのかを知っているか知らないかは私たち親子には大切な情報だったりします。
私の体験と息子の様子を観察してみて感じているのは、どれくらいのタイミングで音が鳴るのかをおおよそ知るか知らないかでは違うなと思っています。息子にとって蝉の鳴き声の「ミーンミーン」とか「ジ――――――」といった音源がどこから聞こえているのか音の正体がわかれば音が大きくても大丈夫な時もあります。私も突然の大きな音は酷くビックリしますが、予測ができれば案外ビックリしません。それに、音の大きさとかより周波数だったり、伝わってくる振動の大きさ、骨伝導、音源の正体など、自分にとって不確かな音というものを「危険」だと感じてしまう体質も原因になるのかなと思ったりしています。
聴覚過敏は発達のヌケが大きく関わっているとのことですから、私も息子も発達すれば聴覚過敏も程よくなるのだろうと思います。ただ、私は思うのです。聴覚過敏を失くそうと考えて発達を促そうとするより、毎日自分たちがやっている「無駄な動き」を日々の生活の中で行っていければ、自然に楽になるのではないか。そう思うのです。○○をやれば、治るとかではなく、身体を少しだけ意識的に日々整えていたら、何か知らんうちに発達していた。そして、生活のクオリティがあがった。そういった無意識レベルで起きた発達はすでに“細胞レベル”なのか“神経レベル”といえばいいのかどちらかはわかりませんが、“記憶された”又は“繋がった”ということになるので、自然に発達するのだと考えています。我が家ではとにかく日々整えることと気持ちのよさを追求するようにしています。それらが、いつの間にか聴覚過敏を負担に感じなくなる日も来るのだとそう思って聴覚過敏を楽しめる日が来るといいなーと思います。

そういえば...

私の何処かから

溢れて止まない熱量を

カタチにはできても

言葉にできなくて

もどかしい。。。

目の前にヒラヒラと舞う

蝶を追いかけて

ようやく野の花に止まったから

息を潜めて

そーっと捕まえようとした瞬間

すっーと私の目の前から

またヒラリと

飛んでいってしまった

あの蝶のように

あと少しだったのに

捕まえられないのは

まるで、今、私が

自分にしっくりくる言葉を

捕まえられない切なさと

捕まえられない歯痒さを

きちんと受け入れなさいと

言われてるようで哀しい。

言葉はデジタル

私の感覚はデジタルな言葉で

現せないくらい

繊細で、ゆるやかで、優しくて

でも力強く何かを呼び覚ましてくれる

私自身にもわからない

空白がある

それらを全て丸ごと

誰かに伝えることも

言葉にすることをしなくても

いいということもわかるけど

どうしても言葉にしたいの。

でも、待って、そういえば

手に届きそうで

手に届かないような

そんなもどかしさや切なさを

もしかしたら私

幼い頃に置き忘れてるのかもしれない

 

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利き手

最近SNSのタイムラインでカマキリの画像をみかけたり、夏にはいってから草むらや花に目をやると、カマキリをみかけることが多くなり昨日もでかけた先で、花の写真を撮ろうとしたらその近くの雑草の中にカマキリをみかけたので、これは何かのメッセージなのかな?と思い色々過去のできごとを辿っていったら思い出したことがあったので今日はその事を記事にしたいと思います。


昨年の夏、相方の実家のお祭りがあったので私も一緒に実家に帰省しました。そのお祭りには相方の甥っ子と姪っ子たちも来ていました。
私が、仏様の部屋で外を眺めながらスマートフォンを触っていると、一番上の甥っ子が

「○○ちゃん、なにしとると?」

と話しながら近づいてきたので

「外を眺めながら携帯で遊んでいたよー」

と答えました。窓を全開にして涼んでいたところにまだ幼い子どもたち3人が私の近くで窓の外に足をだし座りこみ、兄姉妹で他愛ない会話をしているのを、窓の外に落ちるんではないだろうかとヒヤヒヤしながらも、甥っ子たちの話を私はスマートフォンをいじりながら聞いていました。その時甥っ子が

「ほら、みて!あそこにカマキリがいるよー!」

というので、

「どこ?」

と甥っ子が指さしする先へ目をやっても、なかなかカマキリがどこらへんにいるのか見つけられず、

「ほら!あそこたい!」

と甥っ子が一生懸命伝えてきますが、全くみつけられません。姪っ子二人はまだ小学校にもあがっていない子たちだったので、姪っ子たちも兄の指さす先に目をやってもみつけられないようで、しばらく

「どこねー!」

「あそこたい!あそこ!」

という大まかな指さしと言葉のやりとりになりかけ、私は一旦あきらめようと思いました。(だって、おばちゃんめんどくさかったのだもの。。。)それでも甥っ子もあきらめません。なので、ここで私も少し頭をひねって伝え方を変えてみました。こんな時には質問するに限ります。

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「カマキリはこの木にいるとよね。カマキリは緑色?」
「あの木におるよ。木の色」
「木の上の方にいる?真ん中の方にいる?」
「木の上の方」
「じゃあね、木が二つに分かれてるよね。右と左どっち?」
「右と左?」
「右だったらお箸を持つ方の手。左はお茶碗持つ方の手」
「じゃあ、お箸を持つ方だけん右。」
「じゃあね、今度も枝が分かれてるよね、今度はどっちかな?」

というやりとりの中で、私はカマキリをみつけることができ、甥っ子と共感できることができました。

「大きいカマキリだねー。よく見つけたねー。」

と声をかけると少しドヤ顔をして嬉しそうでした。甥っ子のすぐ下の妹は私たちのやりとりを聞きながら、一生懸命みつけるけどまだ見つけられずにいました。

「みつけられない。どこー?」

というので、甥っ子と同じ方法で彼女に教えますが、ここからは私の思い込みで彼女がみつけられない自体になっていることに、後で気がつきました。私の利き手が右手だからすっかり彼女もお箸を持つ手は右手だと思い込んでしまってて、そういえば実は彼女の利き手は左だったー!と思いだし、

「お箸を持つ手はどっち?」の問いをやりなおしたのです。すると彼女は左手をだし

「こっち」といいました。

そうなると、甥っ子にいった辿り方ではみつけられるハズがありません。それに、甥っ子でさえ、まだ右と左という言葉もよくわかっていない時期でした。甥っ子は少しお兄ちゃんでしたので、右と左という言葉とお箸を持つ手という言葉を結びつけるのは、おしえれば理解できたようでしたので、右、左と伝えれば辿ることができても、まだ下の姪っ子には自分の利き手と「右と左」を結びつけるのは難しいようでした。私が覚えているのは実はここまでで、その後姪っ子とカマキリがいる場所を共有できたかどうかは定かではないので、多分教えられなかったかもしれません。その後すぐに、甥っ子が蛇の抜け殻をみつけて私たちに伝えてきたので、場が切り替わってしまったから姪っ子はみられなかったかも。ただ、蛇の抜け殻は私もすぐみつけられたし、姪っ子にも上手く伝える事ができたのでその場を共感しあうことができました。

上記のことは、共同注視ということになるとおもうのですが、実は私はとても苦手です。幼い頃の自分のことは覚えていませんが、大人になった今でも、他者の指さしや「あそこ」とか「ここ」とかそういった言葉のやり取りでは全くわからないことが多いです。ですから自分のほうから相手と自分にも判りやすい形で「○○を正面にみて右ですか?左ですか?」「○○を正面にみて一件先ですか?」といった目印になるものを伝え、他者と注視する対象物を確定させるということを気をつけてきました。それでもやっぱり共同注視は苦手ですから、かなり頭を使います。我が子の時は空気感でわかるので、言葉を使わなくてもそんなに苦労はしないのですけど…。

甥っ子姪っ子たちとのやりとりは、自分の思い込みで相手が理解できていないうちに話しを進めてしまっていることになっている自分に気がつかせてもらいました。その時は失敗に終わりましたが、今改めて振り返ると、とても良い経験をさせてもらったなーと思います。そして「利き手」という言葉には「右手と左手」といった二つの単語が含まれており、人によって同じ利き手でも違いがあるけど同じ単語で伝えることできるので、おおまかに使う言葉の使い方や細やかなくくりの言葉の使い方は他者にとっていかようにも伝わってしまうこともあることにも気がつきました。

コミュニケーションが噛みあわなかったり、伝わっていない時ほど、自分が色眼鏡をかけていないのかを気をつける必要があるように思いました。

あー私の色眼鏡は一体全体難色あるのでしょうか。。。トホホ

今日の空

蝉の大合唱が聞こえるようになり

数日たちましたが

我が県はまだ梅雨明けに

いたってないようです。

桜の開花宣言のように

蝉が鳴き始め

大合唱が始まったら

梅雨明けといった風になるといいのに...

なんて思ったりしますが

天気図の気圧配置の様子や

いくつかの気象条件が合わさって

梅雨明けとなるだったかな?

ただそういう条件とかが揃うより

感覚的なものは動物や虫には

敵わないように思ったりします。

梅雨明け宣言されてませんが

一足先に梅雨明けを感じていたりします。

 

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昨日から子どもが夏休みとなり

一時不登校になるかと思われましたが

遅刻はしても学校に行けるようになり

なんとか1学期が終わりました。

ホッとしました。

本人からの希望と

1学期頑張ってくれたご褒美もかねて

昨日は阿蘇へ行きました

野焼き後、草木の新緑から一変し

鮮やかな緑色の草原となっており

緑の中からちらほらと

ユウスゲや野生のナデシコなどが咲いており

夏の阿蘇を感じました。

やはり涼しく過ごしやすかったです

それでも現地の人からすれば

暑いほうなのかもしれませんが...

 

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「高森行きたい」「トンネル」というので

高森にある湧水トンネルのことだと

私は思って湧水トンネル目指して行っても

これまで不発で終わってきました。

よくよく考えてみると

高森から西原村にぬけるルートに

長いトンネルがあるので

そっちのトンネルだと気がつき

俵山トンネルのルートが

好きなのだろうと思います。

それがわかっていながらも

せっかく高森に行くなら

不発で終わっていた湧水トンネルを

今日は見学しようよということで

半強制的ではありましたが

湧水トンネルを見学しました。

シブシブ見学を了承してくれた子どもも

湧水トンネルの中に入ると

大好きなイルミネーションや

七夕飾りの灯りをみて

後ろ姿が嬉しそうです。

そそくさとトンネルの奥へ進んで行きます。

 

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今は七夕飾りが展示されていました。

トンネルの中は長袖のシャツを着ていても

涼しいくらいです。

七夕飾りの展示のさらに奥には

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ウォーターパールという

湧水を使った動くアート?のようなものがあり

かなり昔に見学に来たので

すっかり記憶から抜け落ちていました。

機械の音がすごく煩いのですが

子どもは身体を硬直させながら

とっても喜びしばらく眺めていました。

喜んでくれて良かったです(^^)

興味.関心が薄いので

こちらから見学しようと誘っても

なかなか動いてくれないことが多く

ただ今は子どもの意思を尊重することに

努めてはいますが

時には私も譲らないこともしています。

経験してみて世界が広がることも

あるからです。

それさえ必要ないことなのかもしれませんが

人のいうことも聞いてみると

たまには期待以上のこともあることを

知っていることが強みになることもあり

見えていた世界が切り替わることも

あるように思います。

この世は嫌なことばかりではないし

毎日毎日ハッピーとは限りません

平凡な日常の積み重ねの中に

自分にとっての楽しみや幸せを

自分で感じられるように

なってくれたらいいなぁと

久しぶりの毎日母さん

一年目の私は思ったのでした。 

 

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高森湧水トンネル

http://www.town.takamori.kumamoto.jp/kankomap/kanko/sp/yusui.html