ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

利き手

最近SNSのタイムラインでカマキリの画像をみかけたり、夏にはいってから草むらや花に目をやると、カマキリをみかけることが多くなり昨日もでかけた先で、花の写真を撮ろうとしたらその近くの雑草の中にカマキリをみかけたので、これは何かのメッセージなのかな?と思い色々過去のできごとを辿っていったら思い出したことがあったので今日はその事を記事にしたいと思います。


昨年の夏、相方の実家のお祭りがあったので私も一緒に実家に帰省しました。そのお祭りには相方の甥っ子と姪っ子たちも来ていました。
私が、仏様の部屋で外を眺めながらスマートフォンを触っていると、一番上の甥っ子が

「○○ちゃん、なにしとると?」

と話しながら近づいてきたので

「外を眺めながら携帯で遊んでいたよー」

と答えました。窓を全開にして涼んでいたところにまだ幼い子どもたち3人が私の近くで窓の外に足をだし座りこみ、兄姉妹で他愛ない会話をしているのを、窓の外に落ちるんではないだろうかとヒヤヒヤしながらも、甥っ子たちの話を私はスマートフォンをいじりながら聞いていました。その時甥っ子が

「ほら、みて!あそこにカマキリがいるよー!」

というので、

「どこ?」

と甥っ子が指さしする先へ目をやっても、なかなかカマキリがどこらへんにいるのか見つけられず、

「ほら!あそこたい!」

と甥っ子が一生懸命伝えてきますが、全くみつけられません。姪っ子二人はまだ小学校にもあがっていない子たちだったので、姪っ子たちも兄の指さす先に目をやってもみつけられないようで、しばらく

「どこねー!」

「あそこたい!あそこ!」

という大まかな指さしと言葉のやりとりになりかけ、私は一旦あきらめようと思いました。(だって、おばちゃんめんどくさかったのだもの。。。)それでも甥っ子もあきらめません。なので、ここで私も少し頭をひねって伝え方を変えてみました。こんな時には質問するに限ります。

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「カマキリはこの木にいるとよね。カマキリは緑色?」
「あの木におるよ。木の色」
「木の上の方にいる?真ん中の方にいる?」
「木の上の方」
「じゃあね、木が二つに分かれてるよね。右と左どっち?」
「右と左?」
「右だったらお箸を持つ方の手。左はお茶碗持つ方の手」
「じゃあ、お箸を持つ方だけん右。」
「じゃあね、今度も枝が分かれてるよね、今度はどっちかな?」

というやりとりの中で、私はカマキリをみつけることができ、甥っ子と共感できることができました。

「大きいカマキリだねー。よく見つけたねー。」

と声をかけると少しドヤ顔をして嬉しそうでした。甥っ子のすぐ下の妹は私たちのやりとりを聞きながら、一生懸命みつけるけどまだ見つけられずにいました。

「みつけられない。どこー?」

というので、甥っ子と同じ方法で彼女に教えますが、ここからは私の思い込みで彼女がみつけられない自体になっていることに、後で気がつきました。私の利き手が右手だからすっかり彼女もお箸を持つ手は右手だと思い込んでしまってて、そういえば実は彼女の利き手は左だったー!と思いだし、

「お箸を持つ手はどっち?」の問いをやりなおしたのです。すると彼女は左手をだし

「こっち」といいました。

そうなると、甥っ子にいった辿り方ではみつけられるハズがありません。それに、甥っ子でさえ、まだ右と左という言葉もよくわかっていない時期でした。甥っ子は少しお兄ちゃんでしたので、右と左という言葉とお箸を持つ手という言葉を結びつけるのは、おしえれば理解できたようでしたので、右、左と伝えれば辿ることができても、まだ下の姪っ子には自分の利き手と「右と左」を結びつけるのは難しいようでした。私が覚えているのは実はここまでで、その後姪っ子とカマキリがいる場所を共有できたかどうかは定かではないので、多分教えられなかったかもしれません。その後すぐに、甥っ子が蛇の抜け殻をみつけて私たちに伝えてきたので、場が切り替わってしまったから姪っ子はみられなかったかも。ただ、蛇の抜け殻は私もすぐみつけられたし、姪っ子にも上手く伝える事ができたのでその場を共感しあうことができました。

上記のことは、共同注視ということになるとおもうのですが、実は私はとても苦手です。幼い頃の自分のことは覚えていませんが、大人になった今でも、他者の指さしや「あそこ」とか「ここ」とかそういった言葉のやり取りでは全くわからないことが多いです。ですから自分のほうから相手と自分にも判りやすい形で「○○を正面にみて右ですか?左ですか?」「○○を正面にみて一件先ですか?」といった目印になるものを伝え、他者と注視する対象物を確定させるということを気をつけてきました。それでもやっぱり共同注視は苦手ですから、かなり頭を使います。我が子の時は空気感でわかるので、言葉を使わなくてもそんなに苦労はしないのですけど…。

甥っ子姪っ子たちとのやりとりは、自分の思い込みで相手が理解できていないうちに話しを進めてしまっていることになっている自分に気がつかせてもらいました。その時は失敗に終わりましたが、今改めて振り返ると、とても良い経験をさせてもらったなーと思います。そして「利き手」という言葉には「右手と左手」といった二つの単語が含まれており、人によって同じ利き手でも違いがあるけど同じ単語で伝えることできるので、おおまかに使う言葉の使い方や細やかなくくりの言葉の使い方は他者にとっていかようにも伝わってしまうこともあることにも気がつきました。

コミュニケーションが噛みあわなかったり、伝わっていない時ほど、自分が色眼鏡をかけていないのかを気をつける必要があるように思いました。

あー私の色眼鏡は一体全体難色あるのでしょうか。。。トホホ