ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

HANABI-私と息子の聴覚過敏編-

コードブルーの主題歌であるMr.childrenの『HANABI』のことではありません。花火からの聴覚過敏ネタを今日は記事にしてみたいと思います。(すみません。だって、タイトルに使ってみたかったんだもん。)

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私は怖がりな自分がとても嫌でした。大きな音が苦手だったので、花火大会へいっても泣いてばかりいました。大人になった今では遠くからみることくらいなら楽しめるようになりました。
元旦那とつきあって間もない頃、花火が真上にみえる場所へ連れていかれたことがありもういい加減大人になったのだから、花火の音にビックリしないだろうと思いましたが、すっごく綺麗だけれど胸はドキドキしぱなしで耳ふさぎしぱなしでした。子どもを産んで息子が1歳代の頃、八代で毎年開催される全国花火大会へ行った時、その頃は大きな音もなんとか大丈夫になっていました。ただ、一番大きい音の時はやっぱり胸はドキドキしますが、ほとんどは大丈夫になっていました。ただ、音が大きすぎて耳が痛かったですが…。その時、私はなんとか大丈夫でしたが、普段あまり泣かない息子は花火が始まってからずっと泣きっぱなしで泣きやまず、その泣き方があまりにも酷くて、可哀想だったので、その日お世話になる親戚の家に遠くに花火をみながらもどったことがあります。
私も花火は苦手で幼い頃は泣いていたのできっと遺伝したのだろうぐらいに思ってのんきに構えてましたら、その日の夜中、39度越える高熱をだしてしまいました。熱は1日で下がりましたが、「小さな子に花火を間近で見せてはいけませんよ」と病院の先生に怒られたような気がします。
息子が自閉症だとわかってから、障害を学んでいく中で感覚過敏のことなどを知り、自分や子どもには音の過敏があるのだなと知ることになりました。花火大会のことを思い出す度に、息子には可哀想なことをしたなって思いました。それからは、花火を見に行くといっても離れた場所で花火はみるようにしています。大きな音さえしなければ私も子どもも花火は好きですから。

聴覚過敏は子どもの頃の私にとって、怖がりな自分やカッコ悪い自分を認めないといけないものでした。私は音だけではなくて、他にも怖いものがありました。ですからその頃から怖がりの自分がとてもとても嫌だったし、かっこ悪いと思っていました。そんなカッコ悪い自分を克服したくて、実際に自分でやってみたことがあります。

私が小学生の頃までは運動会の時のスタートの合図はまだピストルの音がスタートの合図でした。思春期に差し掛かるころまでの運動会の徒競走などでスタートラインにたっていた時はまだ耳ふさぎしていたようです。そんな自分に気がついてなかったある時、運動会の写真の中にスタートラインで耳をふさいでいる自分をみつけ、すごくカッコ悪いなと思い恥ずかしくなったことがありました。それから、そんなカッコ悪い自分をなんとかするためには、どうしたらよいのかとずっと考えていたこともありました。そうしたら最終学年の運動会の係り決めで「ピストルの係り」がありました。その時、私は閃いたのです。

『ピストルの係りになって音に慣れたら怖くなくなるかもしれない
 そうすれば、スタートの時耳ふさぎしなくてもよくなるかも!』

そういう閃きがあって、私は運動会のピストルの係りになることができました。そして、運動会の予行練習と運動会当日が終る頃にはピストルの合図はドキッとするけれど耳ふさぎまではしなくてよくなりピストルの合図を克服できた経験があります。

40歳を越えた今も突然の大きな音はまだまだ苦手です。心臓が止まりそうなくらいビックリします。息子もまだまだ苦手です。息子は私より更に聴覚過敏が酷い状態ですし、おそらく絶対音感があるんじゃないかと思うので、更に煩く聞こえるように思うのです。そして、数年前までは蝉の鳴く声がすると外出先で車から降りれない事もありました。ですから、「今聞こえている音は蝉の声だよ」と声をかけるとすっと車から降りてくれるということもありました。要は私も息子も音源がいつどこからどんなタイミングで出るのかを知っているか知らないかは私たち親子には大切な情報だったりします。
私の体験と息子の様子を観察してみて感じているのは、どれくらいのタイミングで音が鳴るのかをおおよそ知るか知らないかでは違うなと思っています。息子にとって蝉の鳴き声の「ミーンミーン」とか「ジ――――――」といった音源がどこから聞こえているのか音の正体がわかれば音が大きくても大丈夫な時もあります。私も突然の大きな音は酷くビックリしますが、予測ができれば案外ビックリしません。それに、音の大きさとかより周波数だったり、伝わってくる振動の大きさ、骨伝導、音源の正体など、自分にとって不確かな音というものを「危険」だと感じてしまう体質も原因になるのかなと思ったりしています。
聴覚過敏は発達のヌケが大きく関わっているとのことですから、私も息子も発達すれば聴覚過敏も程よくなるのだろうと思います。ただ、私は思うのです。聴覚過敏を失くそうと考えて発達を促そうとするより、毎日自分たちがやっている「無駄な動き」を日々の生活の中で行っていければ、自然に楽になるのではないか。そう思うのです。○○をやれば、治るとかではなく、身体を少しだけ意識的に日々整えていたら、何か知らんうちに発達していた。そして、生活のクオリティがあがった。そういった無意識レベルで起きた発達はすでに“細胞レベル”なのか“神経レベル”といえばいいのかどちらかはわかりませんが、“記憶された”又は“繋がった”ということになるので、自然に発達するのだと考えています。我が家ではとにかく日々整えることと気持ちのよさを追求するようにしています。それらが、いつの間にか聴覚過敏を負担に感じなくなる日も来るのだとそう思って聴覚過敏を楽しめる日が来るといいなーと思います。