ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

今日の空

さぶーーーーーーーいですね!

そして、私は鼻と喉がカピカピに乾いてて

不快指数が跳ね上がっています。

こういう時が一番危険ですが

熱がでてくれたほうがいいのになぁ。。。

温泉に行きたい。。。

 

▼見上げたら紅葉がいっぱい

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息子は確実に重度域の子ですが

私はその息子に毎日助けられていて

忘れん坊将軍の私のサポートをしてくれるのが

実は息子です。

リハビリパンツや調味料などの

在庫確認については任命してないのに

教えてくれます(笑)

それに、私はメンタルが弱ると

食事が一切食べられなくなることもあって

そういう時は、ご飯をよそって

おかずも取り分けてくれて

お茶もついでくれて

果物やお菓子が在る時は

それも一緒に食卓に並べてくれます(笑)

食べられない時は食べないようにしてるので

実は迷惑ですが、

そういう気持ちが嬉しくて

食べたくない気持ちでも

少しだけ口にする時もあります。

これだけは食べるよといって

他はラップをしてなおしたりします。

いろんなことが重なって

悔しかったり悲しかったりして

私が泣いている時は慰めてくれます。

去年は不登校気味だった学校も

今年は嫌だ嫌だっていいながら

遅刻ばかりでしたけど

なんとか通学できています。

我慢しなきゃいけないときもあるし

踏ん張らなきゃいけないこともあるけど

でも、それらができるのは

一時しのぎの安らぎではなく

日々弛み整えることで

我慢できたり、踏ん張れたりもします。

そして、〝弛める〟ことは

〝頑張る〟ことよりも実は難しいのです。

真面目な人や律儀な人の場合には特に…。

 

きょうはこのへんで

 

 

 

 

支援の海に泳ぎ疲れても…

福祉の制度や支援体制は言語化すると一見たくさんあるように思われますが、実際〝うまく機能できてないよなぁ〟と自分が支援を受けている今感じています。確かにいろんな制度があります。でも実際には制度が制度の邪魔をして使いたい制度が使えないことが多く更に弱者になってしまうこととなっています。

弱者支援は弱者になって初めてわかることばかりです。それに、精神障害があることや発達障害があり言語体力が乏しいなら自分が本当は何に困っていてどういった支援を受けたいのかさえ支援者によってはいつの間にか摩り替えられてしまうことになり、そのことが原因で支援を受けたくても頼れなくなってしまう人もいるのだろうなぁと思ったりします。

私の場合には、制度があることを知り実際、行政などの窓口に相談へいって一旦解決することにはなっていますが、実はあきらめるほかないということで解決していることが多くて、相談にいって先が絶たれてしまうことばかりで実際前に進めないことばかりでした。

それと、前年度の所得によっては使えない制度もあって、本当は、〝今現在〟必要な制度なのに使えない制度もあるのでジレンマなことも…。

 

何かが起こる度に何かの制度が生まれて、消えていったり名前が変わったり…それでも、一般的な生活ができている時には知らなかった制度が実はたくさんあることもしりました。

そして、

制度は〝有る〟けど使え〝無い〟

ことからも〝ある〟けど〝ない〟といった心の世界でいわれることを知ることにもなっており、現実は、どん底から見上げるような景色をみています。それとは別に、私の内側の世界に見えている景色は、高い山の上から見下ろしてるくらい俯瞰せざるを得ない日々だったり、たくさんの人の支えの海の中を泳いでいる気持ちでいっぱいです。本当の海だったら、私はただ全身の力を抜いて仰向けになって浮かべばいいだけなのですが、今の現状はそうもいってられません。それでも、これまで浮き輪がわりにしていたお薬は時々漢方薬に頼ればよいだけなのですから、そんな時の対処の仕方も上手くなってきたなーと思う今日この頃です。

※もういいかげん泳ぐのも嫌だし、岸につかないなら船に乗りたい。

今日の空

昨日は晴れたのに今日は朝から雨

しかもなんだか生暖かい。

そして、水星逆行のせいなのか

昨日は車のCDがぶっこわれたようで

ラジオしか聞けなくなりました(涙)

 

イチョウの木の下から見上げた景色

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昨日、念願のボヘミアン・ラプソディ

観に行って来ました。

イヤー観に行っておいてよかったです。

自分も詩をかきますが

詩の内容はあくまで

私の内面から溢れてくる言葉ですが

私が五感で感じている全てを

表現できているわけではありませんし

全部を詩にしているわけでもありません。

なので、言葉で表現したことを

そのまま受け取るだけだと

からっぽのように感じる人も

中にはいらっしゃるかもしれませんね。

多くの言葉で語らなくても

私という人間を知っている人は

何をいわんとするのかを

わかってくださる人もいらっしゃるでしょうし

私が感じていることとは別な意味で

受け取っていらっしゃる人もいると思います。

私が詩を書くのは

自分が過去を振り返った時に

懐古する時のきっかけや

入口みたいなものとして

綴っているようなものなので

全部は言葉にしてない時が多いです。

 

昨日、映画をみてて

改めて自分の人生も振り返りながら

肯定してもらえたように思いました。

間違っても本人が気がつけば

立ち直ることはできる。

それと、QUEENが音楽を通し

伝えたかったことは

その当時理解をされなかったことも

たくさんあっただろうと思うけれど

こうして時を越えて

映画を観た人それぞれの制限を

外してくれるような気がしました。

タイミングって本当に大事ですね。

そして、フレーディマーキュリーが

今現在の私と同じ年で

亡くなっていたことも驚きました。

観に行ってない方は

できれば映画館で観ることをおススメします。

なぜなら、映画館だから獲られる臨場感は

DVDでは味わえないからです。

 

きょうはこのへんで

今日の空

今日は晴れるかなぁと思ったら

途中で雨が降ったりやんだり

12月とは思えないくらい

暖かかったです。

明日、息子たちは外出があるので

晴れますように。。。

 

山茶花

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幼い頃から生きづらくて

辛くて苦しかったのですが

その時、生活に困窮していたわけでもなく

困っていた時もあったけれど

仕事はそれなりにすぐみつかっていました。

私は決して真面目ではありません。

もし真面目なら、もっとどん詰まりになります。

真面目じゃなくて律儀なだけです。

みんなが普通にできる姑息なことを

私はどうしてもできないだけです。

自分だけならいいけれど

私に纏わる人たちまでも

共謀するということになると思うと

自分はどうしてもできません。

そこまで、みんな考えてないから

いざ、何かがあった時に

小さな綻びを隠すための

嘘を重ねるほかなくなることを

私は幼い頃から

みていたからかもしれません。

そして、それが良かれといった風潮が

一般的な作法のようなものとなっているだけ。

でも、自分はできれば

姑息なことはしたくないだけ。

多様性といわれるようになったからこそ

自分の思いを周囲に合わせる必要もない

私は私でいいのだと思う。

だから、私は自分なりに進むだけです。

誰に理解されなくてもいい。

私はもがいてるんじゃない。

目の前にある雑草の茂みをかき分けて

前に進んでいるだけです。

私は強いけれど弱いです。

いろんなことが悔しくて泣いていたら

息子が『ヨシヨシ』っていって

なぐさめてくれました。

だからこそ、現状をなんとか

突破したいです。

 

きょうはこのへんで

今日の空

今日は朝から雨です。

しとしとしとしとしとしと…と

雨粒が天から落ちてきています。

 

▼今日の写真は息子が撮った
 イルミネーション

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障害があることで

言語の発達が遅れてしまうのは

その人が元々もつ器質だけの問題ではなく

環境に大きく左右されてしまうことを

今、心底実感しています。

障害を持って生まれたのは

確かに親のせいだけではない。

でも、その人を囲む環境や

周囲の関わり方次第では

障害の軽重に関係なく

重くもできるし軽くもできるのだと

10年以上前に聞いた講座で

支援者の方が声高にお話されていました。

その時はぼんやりと『そうなんだぁ』と思って

それなりに取り組んできました。

あれから10年以上が経って

先生の予言通り(苦笑)だったなと

思うにいたっています。

私がズレていた当時は

お金をかけて学んでいたのに

当時の息子にはほとんど響いていませんでした。

なので、当時の友達に

 

「はるさんは療育のスキルがあるのに勿体ないね。

 でも、Sくんは重度だけど育て方では

 絶対伸びると思う」

 

といわれたことがありました。

私もそう思っていたので

嬉しかったことを覚えています。

 

シングルマザーになったことで

息子や自己成長のために

お金をかけていた時期から一転し

最低限のお金しか使えなくなったけど

私の価値観が変わり力が抜けたからか

息子があれよあれよという間に

成長をしていく姿を目にした時は

正直いって信じられませんでした。

頑張らなきゃいけない場面を間違っていて

やってなかったことをやればよかっただけだったし

しかも、お金をかけなくてもできることが

沢山あったことも知りました。

 

〝障害や病気〟というラべリングをすることで

治療ができ、保険が使えたり

制度が使える。

それはとても有り難いことですが

どんどん、何かがすり替わっていくのを

感じられないのはある意味

危険だなぁと思います。

それが問題じゃないことまでも

問題視するような子育てとなってしまって

しかも、その問題の解き方まで

自分以外の誰かに委ねている子育てや

療育が持てはやされてしまい

負の連鎖となっているのではないか?

気がついてないのは

実は私たち親ではなく

諸行無常〟という概念は知っていても

それを受けとめられていない

一部の医療関係者や教育関係者や支援者だと

私は思ったりします。

障害に限らず理解をしてもらうには

自分も理解をするほかありません。

だからこそ、切磋琢磨するのでしょう?

頑張ってもダメなら

違うことやってみるっていうのも

〝アリ〟だと思えば

自ずと力が抜けたりするものだと

私は思い知りました。

思い知らせてくださった方たちには

とても感謝しています。

 

今、言葉を覚えようとしている息子が

youtubeを検索するけど

観たい動画がでてこず

私に聞いてきます。

 

「お母さん〝シーズン トゥー ライン〟」

 

Youtube で検索しても

   出てこないけん、お母さん探してー〟

と心の声がしたので

聞こえているままの単語で

入力しても出てきません。

なので予想される英単語を

カタカナで入力してみますが

今度はそれをみていた息子に消されます。

どうやら違うっぽい。

ない頭を巡らせどんな言葉かを

口に出したり

ネットでググったりしても

ヒットしない。。。ごめんよ息子くん

ふと、あきらめた瞬間に

閃き

 

「シーズン到来!」

 

と息子に伝えると〝ビンゴ〟だったようで

それで検索し無事観たい動画を

見つけたようです(笑)

3歳の頃ネイティブの英語の先生に

授業をしてもらってたからでしょうか?

イントネーションが諸外国の人のようです。

耳の聞こえ方が良すぎるのもあって

聞こえ方も〝先着一名様〟なようです(笑)

ニキさんがおっしゃる通りだー!と思う

今日この頃です。

 

きょうはこのへんで。

 

※〝先着一名様〟という言葉は、ニキ・リンコさんの著書『スル―できない脳ー自閉は情報の便秘ですー』にあるようです。私は読んだことはありませんが、この言葉だけは知っていたので、使わせていただきました。

※言葉の聞こえ方に関する記事をそのうちアップするつもりです。しばらくおまちください。

今日の空

今日はどんよりどよよーんな感じの

曇り空のままで

こちらは雨に降られることなく

一日が終わったと思いきや

少しだけ雨に降られたようです。

皆さまのお住まいの地域は

いかがでしたでしたか?

 

▼ある日の紅葉

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昔の私は自分でいうのもなんなのですが

本当にだめんず人間でした。

こんな私でも母親になれてしまった。

子どもが欲しかったわけじゃないのに

なぜ子作りを許してしまったのだろう…

なぜ、その時『子どもは欲しくない』と

いえなかったんだろう…

なぜ、あの時別れられなかったんだろう…と

そんなことを思いながら

今の自分を真正面から受け止められず

過去と未来の自分へ

思いを寄せてばかりいました。

あの頃の自分は

自分の気持ちなのに

ちっともわからなかったけれど

今の自分ならわかるようになった。

ただ怖かっただけだった。

子どもを産むのも

元旦那とお別れして

1人になるのも…

強制終了が来る前の私は

自分でも限界がきていることは

わかっていたけれど

何もかも中途半端な自分のままのほうが

居心地がよかったし楽だった。

都合がよかった。

障害を持つ息子が思い通りにならず

息子を怒鳴りながら

息子の首に手をもっていきそうになり

そのまま泣き崩れ

園長先生に電話をしたことまでの記憶が

うっすら残っている。

実際に首をしめてはいない。

だけれども私の頭の中では

両手で首をしめていた。

ショックだった。

そんな自分を許せなかった。

全部自分が悪いのに。

息子はなんにも悪くない。

全部できない自分が悪いって

責めて責めて責め続けた。

このことを誰にもいわなければ

誰にも知られることもないのに

当時お世話になっていた

幼稚園の園長先生へ電話をした。

今当時を振り返ってみると

それは多分、私のどこか奥底にあった

『助けてください』という意味での

行動だったのだと思う。

その頃はお金に困っていたわけじゃない

ただ、私が弱すぎて

自分で自分を

大切にできてなかっただけだった。

こんな私だからこそ

息子とまた生活させるのは

皆さん心配なのだろうと思う。

だから信じてもらえないのだろうとも思う。

だから、私は自分で自分を

犯罪者扱いして生きているし。

自分なりに養生しながら

日々をたんたんと過ごしている。

何もない退屈な日々が

すごく嫌でたまらなかったのに

今は何もない退屈な日々のでも

些細な幸せを感じられるようになった。

人は変わろうと思えば

ちゃんと変わることができる

人はなかなか変われないと

思っているうちは変われない。

変わらないことが都合がいいともいえる。

確かにそうだった…。

あの頃の屑でダメダメな私も丸ごと

ここ数年で成仏させた

何度も生まれ変わった気持ちになった

誰も信じてくれないかもしれないけど

私がワタシを信じているから大丈夫。

 

きょうはこのへんで

今日の空

昨日からお天気に恵まれましたが

今日は黄砂なのかなんなのか

霧とはちがって白く霞んでいました。

明日からお天気崩れるとのこと

今日は少し暖かいので

また雨になるのかしら…。

 

世界遺産の中でジェラートをほおばる16歳

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今日は12月1日。師走です。

あと一か月で今年が終わってしまいますね。

一年があっという間に感じました。

本当に時間がすぎるのが早く感じられたので

精神的にとても助かっていたなぁと

そんな風に思います。

1年半ぐらい前に自分の中だけで

〝断固たる決意〟をしたので

その信念は最後まで貫こう

そう思って今日の日まできました。

いつ死んでもいいと思っているのだからと

一つ一つ自分に必要ないと思うものは

手放してきました。

小さな頃から私の中に芽生えている

モヤモヤっとした気持ちを

誰かに相談しても

〝気のせいだよ〟とごまかされたり

刷りかえられたり、言い訳されたり

窘められることでしか

対応してもらえてなかったことが

私の場合には気持ちが悪く

それが〝嫌〟だったのだと気がつきました。

だから〝自分責め〟しかできなかったんだと

思うにいたりました。

それは、私の周りの人たちが

己を大切にしていない人ばかりだったからだと

そんなことに気がつきました。

自分自身を自分で守れなかったり

命の危機を感じるくらい

精神的に追い詰められた時に

逃げることをタブー視している人たちは

自分のことだけじゃなく

他者も大切にできないのだと

今日改めて思いました。

私が幼い頃から感じていた

〝不足感〟や〝満たされない思い〟は

誰かに埋めてもらったり

共感してもらえることで

補えることもありますが

自分が自分の一番の味方になることでも

自己防衛できるのだと気がついてから

本当にとても楽になりました。

自分にも他者にも嘘をつかず

ごまかさないようになりかった。

自分以外の誰かに嘘をついたり

誤魔化したりすることも嫌だけど

誰よりも何よりも

自分自身に嘘をついたり

誤魔化していたことが一番嫌だった。

だから、今、私

今の自分がとっても大好きで

気にいっています。

それと、やっぱり

自分のことを大切に出来ない人たちは

他者を大切にできないのだと

確信しました。

 

きょうはこのへんで