ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

今日の空

桜が満開となりました。

昨日は息子に付き合ってもらい

人が少なそうな公園へ

少しだけお花見に行きました

本当に今年の桜は綺麗ですねー

 

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息子も春休みに入りました

一学期、二学期は

私自身もいろんなことがあり

不安定だったこともあったからか

息子も影響が出ていたと思います

それだけではなくて

理不尽なことがたくさんありました。

そんな中でも試行錯誤して

なんとか最後には

学校に行けるようになったりし

また、不登校気味になったり

そんな状況でした。

冬休み前に5針縫う怪我をしたことで

人より早く冬休みとなり

「一休み」したかった本人の願いは

叶うこととなり長い冬休みとなりました 苦笑

冬休みゆっくり休めたことや

3学期には様々な配慮をしてくださり

息子の特性を理解し対応してもらえたことで

重度の息子でも先生方との

信頼関係を築くことができたようで

3学期は遅刻はしていましたが

休むことなくなんとか

学校生活を過ごすことができました

息子なりに自分で考えた行動が

できるようにもなっていて

最後の最後には学校の体育の授業で

〝神ってる〟と言ってもいい

奇跡を起したんだそうです 笑

明日は退任式。

1年間お世話になった先生へ

最後の最後に

素敵な思い出をプレゼントできた息子は

さすが〝もってる人〟だなぁと思いました。

親バカ丸出しですね

えへへ(≧∀≦)

今日の空

今日も朝から桜の花を見ました。

しばらく桜の木の下で

ぼーっとすごしていると

近くの木に鶯が止まっていて

上手に鳴いていて

長い冬が終わったような

そんな気持ちになりました。

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10年以上前のスピブームに乗っかり

私も軽く七つのチャクラの話とか

天然石のこととか、瞑想とか、ヨガとか

それなりにちょびっとかじりました。

天然石に関しては中学の頃

学校の部活とは別で行われていた

クラブ活動で『自然科学クラブ』にはいってたくらい

鉱物や地層や化石が好きだったので

ダイヤモンドとかサファイヤ等高級な石より

庶民のワタシにも手にはいりやすい石のほうが

愛着もありますし

普通の石でも好きなカタチなら

自宅に持って帰りたいくらいなので

天然石に関してははまったほうかもしれません。

ブレスレットにかなりお金使ってました。

現在は身につけることはほぼなくなりました。

瞑想が一番苦手で今まで視ていただいた

霊媒師やチャネラーの方たちには

『あなたは瞑想できない』

って、いわれてきました。

ええ、確かにできませんでした。

というか、瞑想の意味を勘違いしてました。

で、今できるようになっています。

しかも、2種類な感じです。

本当に頭が空っぽな状態と

頭の中はぐるぐるしているけど

それを流せている状態と2種類です。

なんていうか、思考が止まった状態が

瞑想だとおもってたけど

どうやそうでもなさそう

眺めるってことでもいいんだなーって

そんな風に思って型にはまらない

瞑想ができるようになったら

なんだー、私にも出来るじゃーん♪と

気がついたら

普通にぽかんと口があいてしまうくらい

ぼーっとできるようになりました。

それがまた〝気持ちいい〟のです。

こんな些細なことも喜べる

そんな自分になれたことが嬉しい春です。

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今日の空

桜がだいぶ咲いているので

今日は桜の木がたーくさんある

立岡自然公園へ

散歩がてら行ってみました(๑>◡<๑)

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人が少ないうちにゆっくりしたくて

平日だしまだ早めだったので

お花見に来ている人は

ほとんどいらっしゃらなくてラッキーでした

大先輩のご夫婦がお二人で

ブルーシートを広げて

お花見されてました。

そんな姿をみて良いなぁと

思っていると

まだ人が少ないうちに花見に来たと

言ってらっしゃいました

池の周辺は桜並木道なので

その並木道を歩いていると

ジョギングしてる方と

すれ違いながら挨拶したり

桜の花の匂いをうっすら感じながら

散歩をしました。

日差しは眩しかったのですが

まだ肌寒いくらいでした。

今年の桜はすごく綺麗に感じます

去年はあまり楽しめてなかったかも。

見上げると口がポカンと開いちゃうくらい

綺麗だなぁと思いました。

また見に行きたいなぁ。。

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つくしんぼも発見!

発達障害の話はしばらくお休みします

あまりにも振り返りすぎて

お腹がぺこぺこになりすぎるので

しばらく脳を休めます。

気がむいたらまた始めます。

ではでは。皆さま良い週末を…

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宇宙元年2018

今日は春分の日

で、宇宙元年の日

大好きなドリカムの

デビュー29周年の日らしい。

今日だと知りませんでした。。。

おめでとうございます

いつも素敵な歌の贈り物

ありがとうございます(๑>◡<๑)

 

はてさて数年前から

私にとって今日からが

一年のはじまりな日です

去年の今日には

予想もつかない事態になっており

我ながらビックリしてます。

今年一年また毎日を楽しめる

私でいられますように…

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心の声

成人当事者の体験談は

糞面白くないという話が

SNS上で持ち上がっていた時

正直私は当事者の人たちの中でも

稀な存在だと自覚があったし

よりどりみどりのネタはあるので

企画次第で面白いだろうと思ってました。

息子とのこともありますし。

なので自叙伝みたいなものでも

書いてみようかと思いましたが

地震であきらめ

しばらくはブログで満足していました。

私の書く記事に対して

面白くないといわれたこともありましたが

そりゃそうですよね。

その方は私を知りたいわけでなく

自分自身の仕事のネタになりそうな話が

読みたかっただけなのだから

その時、自分の内面のことを

書かなくなったことは

私が間違ってたなぁと思います。

後、まぁ、自分の体験は

一般的な人たちにはよくある話だし

わざわざ世間に公表することでもないのかも

私だけの問題ではないことを

赤裸々に綴ることは

私が救われることがあっても

誰も幸せにはならないよなぁーと思い

自分の黒歴史

そのまま墓場に持っていこうと

そう思っていたのですが

私に近づいてきた人たちが

私を理解したかった人もいたり

私の黒歴史を知る人たちが

あの人は◯◯だから気をつけてー

みたいな話を聞いてたんでしょう

私たちはあなたがどこのどの人か

どんな人なのか知ってますよー

といったことを匂わせるエアリプや

ブログネタ、コメントなどで

散々やられました。

ま、それはネットやめろってことだったり

私を試していらっしゃったのでしょう

盗聴盗撮されてることを

匂わせるようなことを

あの当時、ネット上で

お話させていただいた花風社クラスタ

皆さまからもされていました。

ま、それは証明できるものがありませんが

私はそう受け取りました。

それに、私が言っていることが

嘘かどうかさえ

証明もできませんので

何か証拠が見つかったら

裁判でも起こしてみればいいのかしら?

と思ってここまできましたが

なんせ、私一人に対して敵のような人たちが

ほぼ全員なので

みんなみんな仕掛け人だと思い

毎日過ごしていますが

多分それで、無意識を疲れさせる

作戦なんだなと思う今日この頃です。

こういった事情で

ほとんどの人と縁を切りました。

顔本上で労わるようなコメントしながら

表では、愛甲さんや神田橋先生や

栗本さんからのアドバイスのようなことで

嗜めるような内容のブログに

正直、それさえ認知行動療法なんだとしか

思えないくらい顔本の中で

いろいろあったのですが

今思うと、私が主体性がなかっただけで

たとえお試しだとわかっても

怖がることなく正々堂々と

言いたいことは言えばよかっただけだと

今なら思います。

 

私は昔から自分の内面で起きていることや

本心を言ったことはありません。

なので多分、私がどんなことに悩み

どんなふうに感じてるのか

理解したかったのかもしれません。

でも、正直いうと

私は自分の中で解決できれば

それで満足できる人でした。

それらを誰かに聞いてもらうことで

確かに楽になることはあります。

ただですね、私の経験したことだけならまだしも

内面で起きていたことを話すことで

人によっては無意識の領域がぶっこわれたり

その人自身が壊れてしまう場合もあるのです。

こちらとしては、そういう人の場合には

なるだけ心は開かないスタンスできました。

だって、開いたところで

こちらが全部開こうとすると

おそらく恐怖麻痺が働くのでしょうね。

そういう人たちは無意識にシャッター閉めるのです。

まぁ、理解できないからじゃなくて

根底を覆されることにもなりますし

自分自身では考え付かないような話は

人によって負担になるんだと思います。

だから、いえなかったのではなく

いわなかったんですけども…。

だから私は私を治したいと思ったり

私を癒したいと思って

関わるような人たちは信用してません。

なぜなら、治そうとすることは

変えようとすることだからです。

本人が治したいと思い治療を行う上で

不具合が起きるのは二次障害ですが

それは、治るための毒だしのような期間です。

そして、その毒だしの期間を抑えようとしたり

本人の治る主体性を無視したそういった行為が

三次障害になるのだと思います。

治療のために身体にアプローチをした時

瞬時でよくなる場合もありますが

それは、ある意味対処療法と同じです。

本当の意味で治っていくには

ある程度の時間を要するし

大きく変わる時は状態が悪くなるのが

当たり前なのです。

そして、治ったと自覚できる時は

なんか知らないけど治っていた。

なんか知らないけど身体が楽になってた。

という身体感覚のほうが後戻りしづらいのです。

あくまで私の感覚としては

そういう時の方が治ったと思えます。

大抵の人たちはその瞬間で

よくなってるみたいなので

みなさんの身体はすごくよくできてるなーと

日々関心していますが

修行僧みたいな治し方は

私には向かないみたいなので

マイクロズボラな治し方で楽しみつつ

気がついたら治ってたー!

という日を楽しみに待とうと思います!

 

はースッキリした。

 

今日の空

昨日熊本も桜の開花宣言がありましたが

土曜日に桜をみたときは

まだ蕾が膨らんでいただけだったのに

今日みたらかなり桜が咲いて

ビックリしました。

ソメイヨシノは同一遺伝子がなことから

開花するときは一斉なのだそう。

満開をすぎ桜吹雪がみられる

散り際が私は好きなので

お天気に恵まれるといいな…。

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新月を過ぎたばかりだし

寒さも和らいでいるので

コーヒーをすすりながら

久しぶりに夜空を見上げたら

流れ星をみることができました(喜)

小学校高学年になった時だったか

理科で天体の授業の時

一人ひとり星座盤が配られて

すごく嬉しくて

その星座盤をみながら

2階の窓から夜空を見上げたり

外へでて星座を探したことを

ふと思い出しました。

自宅の真正面が南側だったので

夏はさそり座が真正面にみえ

冬はオリオン座がみえました。

動機は不純にはなりますが

その当時ジャンプ黄金期でしたので

北斗の拳がテレビ放送されており

北の空をみあげ北斗七星を

探したり胸をときめかせたこともありました(笑)

星座盤上にはある南十字星

私たち日本は北半球だから

南半球の国に行かないと

見れないことを知った時

本物の南十字星をみてみたいなーと

思ったことがありました。

そんな些細なことも

私にとっては大切な思い出の1つです。

まだ小さな子どもたちが

大人からすれば大したことではないことも

目をキラキラ輝かせながら

チャレンジしている姿をみると

その時芽生えているだろう感性を

つぶしてきたのは

一体だれだったのだろう…

そんなことを思いながら

私自身が子どもの頃に思い描いていた

様々な好奇心の種は

大人や周囲の人たちに

踏みつぶされたり

せっかく出た芽を刈り取られたり

していたと思っていましたが

実は、自分自身でそれらを

勝手にあきらめたり

せっかく蒔いた種を埋めたまま

忘れてしまっていたことを

思い出すこととなっている今日この頃です。

感覚過敏とお薬⑤-過敏と鈍磨が併存することでの失敗談-

幼少期から過敏があったことで不具合を感じてはいたが、成長と共に多少は緩和され、大人になってからは我慢することがあたりまえになっていた。ただ、体調次第では感覚過敏は顕著に現れ、体調が戻るとそれらはまた我慢できる程度に治まるという感覚は未だに続いている。昔から当たり前のように感じていたこれらの感覚が、ASDを含む発達障害の人たちが持つ『感覚過敏』という特性があると知った時は、ただただ嬉しかった。そして、私以外にもそういった感覚がある人たちが存在するということがわかったことも嬉しくて、その当時は、成人当事者の方たちの過敏や身体の不具合の話を著書や講座などで知ることも楽しみの1つだった。

幼い頃は味覚や臭覚の過敏があったことで、幼い頃から時々母の代わりに味見をすることがあった。私が椎茸が大好きだったのに対し、母は椎茸嫌いで、椎茸がはいっていると味がわからなくなるということで、椎茸をいれる料理の時は私が味見を担当していた(笑)それに、少しでも味が違うと文句をいうような子どもだったこともあったことから、母は私に味見をさせるようになったのだとも思う。大人になった現在でも、稲荷寿司の皮が冷凍されていたのか、その日に炊いたものなのかどうかがわかってしまう。母はそれなりにこだわりのある人なので、昔からなるだけ同じ材料や調味料を使う人だということもあり、私はどうしても気がついてしまう。最近の母の稲荷寿司の味が変わってしまったような気がしていた。母に尋ねてみると、いつも買っていた稲荷ずし用の揚げの製造所は同じだが造っている人が変わったらしいことがわかった。それくらい敏感だったりする(苦笑)

そういえば中学の頃、給食ででる温い牛乳が苦手で飲むのことが苦痛だった。でも牛乳が嫌いだったわけではない。温い牛乳を飲むことがすごく苦痛だった。そんなある日、その牛乳の味が温いから不味いだけではなく、いつもと違う味で更に不味く感じた。私のほかにも数名いつもと牛乳の味が違うと思った子たちがいたことで、その日は途中で牛乳を飲みやめることとなり、翌日から調査することになりしばらく牛乳を飲まなくて済んだことがある。調査の結果、当時、チェルノブイリ電子力発電所の爆発の後の影響を受けたことから牧草を食べた牛が内部被ばくをし、微量だが牛乳にもでてしまったのだろうということだった。この時、世界は広いけれども空は繋がっているのだなぁと思う事となった。他にも面白いエピソードはあるのだが今回は割愛することにする。

私の場合はどちらかといえば、過敏である。ただそれらはある一定の限界を越えると、今度は鈍麻が働き感覚がわからなくなることもある。そうなると本人が気がつかないうちに危険な状態まで気がつけないこともあったりすることが厄介だったりする。例えば、私は息子を帝王切開で出産したのだが、手術前には、約12時間ほど陣痛を経験した。陣痛が酷く痛かったこともあったことや、帝王切開後の痛み止めを3日間身体にぶらさげていたこともあったからか、毎日うけていた点滴が漏れているのを気がつけず、看護師さんに怒られてしまったことがあった。確かに痛みはあったのだが、あの陣痛の痛みに比べると痛いのは痛かったのだが、我慢できたからいわなかったのだ。気がついた時には点滴が漏れてしまい青痣となってしまった。そういったことを経験してから、点滴をする時は痛みよりも点滴の液の落ち方の速度と減り方をみて、痛みがある時には看護師さんへ伝えるようにしている。

後、私はよくつまづくことで、昔痛めてたことのある古傷が痛むことから、パテルテープやモーラステープなど貼り薬を使うことがあった。それらの使い方や注意を良く読んでおらず、テープをむき出しのままお日様の下で作業をしてしまった。その後、それらがやけどのように爛れてしまい、身体の状態が著しく悪くなったことで皮膚科にいったところ、それが原発となり日光アレルギーを起こしてしまうこととなった。その時にわかったことは、向精神薬の副作用で日光アレルギーを起こしてしまうこともあるということで、私の場合にはパキシルを止めることと、お日様の下ですごすことは基本タブーであること。どうしても過ごす場合には、全身日焼け止めを塗った上で完全防備することが望ましいといわれた。その後、そのことは頭の片隅にはあったものの、出掛けた先で無防備に釣りをし夢中になってしまい日焼けをしてしまったことから、翌日体調不良になり、アナフェラキシーショックを起こしかけてしまったこともあった。元々アレルギー体質だったのだが、まさか、そんな些細なことを気がついておらず、日光アレルギーとなったことは正直悲しく思っている。時に知らないことは幸せでもあるのだが、生身の人間だからこそ、お人形のようには取り換えがきかないといったことも思い知ることとなった。

体温調整が苦手だということに気がついたのは実は数年前だ。室内で暖かかったり、寒い状態だと、その時に感じていた体温の状態が続くことで、外気や室内の温度を体感するまでに時差があることがわかった。そういったことで体調不良を起こす事態にもなってしまうこともあり、洋服の脱ぎ着で調整しやすいよう工夫をするようにもなった。

感覚過敏との付き合いは生まれた頃からになるので付き合いが長い。今現在はそれらの付き合い方がわかってきたし、感覚過敏の出方が不調のバロメーターとして役にたっているので、私にとっては不便でもある機能ではあるが、我が身を援けてくれる便利な機能でもある。過敏だったことで他者との感覚の違いに悩んだこともあったし、治したいと思った時期もあったのだが、私の場合には、この資質が息子への発達援助やアセスメントにかなり役立つことになっている。そして、最近、感覚過敏が治ったという人たちが増えているようで、なんとなく私には腑に落ちていなかった。どうしても『治った』といっていらっしゃる人たちの感覚と私の感覚にはズレがあるように感じていたのだ。1昨年から現在までの2年間の経験を踏まえ、私の治ったという感覚とズレがあることをハッキリと感じることがあり、私自身の『治ったという感覚』は肯定も否定もしなくていいのだと思うにいたっている。それは何故かというと、私はどうやら他者と言葉の捉え方や汲み取り方がかなり違うようなのだ。そして、その感覚の違いから生まれる喪失感を感じていたことが私の孤独感にも繋がっていたのだろうと気がつけた。そして、私からすれば『感覚過敏も使いよう』だと思えるようになれたので、これからは、それらの資質が活かせるように日々精進したいと思っている。

 

感覚過敏とお薬⑥-共感覚とかエンパスとか-につづく…