ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

今日の空

三連休は雨に降られることもなく

自宅でゆったり過ごしました。

母がくれたみかんがしわがれてきたので

100%のみかんジュースにしました。

めちゃめちゃ美味しかったので

また今日も残りのみかんを

ジュースにしました。

おいしゅうございました。

 

三連休中はAbemaTVで放送されていた

『72時間ホンネテレビ』をみていました。

ずっとはみていません。

なぜなら、

大好きなエヴァンゲリオンの再放送が

一挙放送されていたので

数時間は浮気をしました。

至福の時となりました。

ありがとうございますAbemaTVさん。

いやー、以前購入した

盗聴器がどうやら偽物だと思って

信じられなかったので返却しました。

返却したらポイントが返ってきたので

そのポイントでFireTVのUSBタイプを

購入しました。

届いたその日から早速使用してみたら

めんどくさがりで忘れん坊番長の私には

画期的で便利な道具でした。

Back to the future

がフラバしてものすごく感動しました。

本当にすごい世の中になったものです。

イヤー本当に。

これでレンタル屋さんにいかずとも

気になる映画やアニメなどを観る事はできるし

『映画館にいかなくなるだろうか?』

と思いましたが、逆に映画館で観るよさも

感じることにもなりました。

ネット動画がみれたりもするし

Youtubeもみれるので

息子がリビングのテレビを占拠するかと思いきや

私の予測に反してそんなことにはならず

家族みんなそれぞれで楽しんでいます。

そんなおかげ様で『72時間ホンネテレビ』を

観ることにしたのは元スマップの

稲垣五郎さん、草彅剛さん、香取慎吾さん

御三方が司会だったからです。

(以下勝手にくんとかちゃんづけに変更いたしますか

といいましても、私はスマップのファンでもないし

御三方のファンでもないのですがご了承くださいませ。)

中学生時代になんとなく光GENJIのファンになり

後に男闘呼組のファンに移行しましたが

POTATOや明星などを買ってたので

目的のアイドルだけじゃなくて

同じ事務所のまだ正式なデビューはしていないけど

いくつかのグループがあり

その当時からすでにSMAPTOKIOのことは

知っていたし、太一君がSMAPだったけど

後にTOKIOのメンバーになったりといったことも

何故か覚えていたりします。

ファンじゃないのですけども。。。

雑誌でだけになるけど、そこから知ってるからか

なんとなく勝手に一方通行になるけれど

従兄弟や友だちみたいな感覚だったから

なんとなく知ってる感じだったし

SMAPは国民的なアイドルになって

ずっと先頭を歩いてきた人たちだし

テレビでみかけないことなんてなかったから

なんだか残念な解散になってしまってて

ファンじゃない私でも心痛くなりました。

だって、慎吾ちゃんなんて小4ですごく小さかったのに

いつの間にかメンバーの中で一番大きくなっちゃって

なんだか可愛らしかったのがカッコいいお兄さんになったし

ゴロちゃんも当時からクールだったのはかわらないけど

実は面白い個性的な人だったのだなーって思ったし

つよポンも、冴えない人だなーって思ってたけど

なぜか憎めない、自分だけの世界観を持った人だったし

中居君のことは当時はあまり好きじゃなかったけど

(ごめんなさい。悪気はないのです)

本当は本当に熱い人だったんだなーって思ったりしました。

木村君なんて、当時はカッコつけてカッコよくしてたけど

いつの間にかすっごいカッコよくなって人気者になって

おにゃんこの中で私が好きで良く歌を聞いてた

工藤静香さんの旦那さんになっちゃったりしたし

もうですね、ファンじゃなかったんですけど

最初のころから知ってたからか

「人気者になってよかったねぇー」なんて

親戚の子みたいな心境でいました。

ずっと走り続けてきたからこそ

考える暇もなくただ目の前にあることを

やっつけていくしかなかっただろう時期も

あっただろうなーと思ったりもしたから

解散するってなった時は

『お疲れ様』という言葉だけしかなかったです。

私の30年とSMAP5人+森くんの30年は

全然交わることがない30年だし

なんていえばいいのか言葉がみつからないのですが

彼らは私のことは知らないけれども

私は知っていて、でもファンじゃないけど

なんだかスマスマもヒット曲も知ってたりして

なんか、全くの他人に思えなくって

キラキラみえたけれども

みえない苦労とかもあっただろうなーって

思うのですね

TOKIOの方たちや関ジャニ村上信五くんや昴くんあたりもなんか覚えています)

だってね、あきらかに自由ではないですもん。

ずっと誰かにみられていて

ほっといてももらえなくて

仕事以外でヘマしたら全人格否定されたり

そんな人とは思わなかったとか

手のひら返したような扱いされたりして

酷いなーって思うこともありました。

何が真実なのかは何が本当のことかも

わからないのに

単なる上辺だけの噂話を真に受けて

人格否定されたり勝手な想像されるのに対し

本人たちは何にもできないわけです。

何かがあっても普通なら噂にもならないことが

ニュースとなったりするわけですしね。

本当に『おつかれさまでした』ってしか

思わなかったのですよね。

あーこれも私の勝手な想像になりますが…。

※また話が長くなったな。。。まっいっか。

そんなこんなで、御三方の再出発ということで

せめてもの応援になればと思って観てました。

グダグダなシーンもありましたし

なんだか眠いのか疲れてるのかわからないとこもあったし

なんてったって、森君を久しぶりにみたし

まだ一線で頑張っている姿みれて感動しました。

以前とは違った立場で同じ景色をみてみることも

新たな気づきがあるかもしれないし

新しい地図にはまだ描かれていない

未知なる世界を目指して

これからもファンの方たちを

楽しませて欲しいなーと思いました。

 

あ! あと、直接言えないからここで

震災の時に何度も

被災地にきてご支援くださり

ありがとうございました!

本当にありがとう(*^ω^*)

自閉脳と一般脳①

スピリチュアルとか自己啓発とか占いとか私は大大大好き♡人間ですが、いたって現実的な日常に落とし込むことに日々費やしているような気もする昨今です。

3年あたり前からは、精神世界と物質世界をどう自分に落とし込んでいくのかを模索してきた日々だったように思います。といいましても大したことはやってませんし、大それた気づきにいたってはいません。『自分探し』のステージが変わり『己の生』を見つめなおす作業になったことで、世の中で有名な方たちからそんなに有名ではないけど、この世の仕組みやあの世の仕組みを面白おかしく説いてくださる方たちがブログの中に落っことしてくださっていることを、自分がこれまで体験したことなどと照らし合わせるなどして、感じていたことを仮説をたて、自分の腑に落ちるように言語化をしてきました。

最近私の脳内の片隅の大半を占領しているのが『男性性と女性性』です。近年の研究の結果、男性脳と女性脳があるといわれてきたことがひっくり返ったようで、男性脳と女性脳はなかったのだそうです。これも、今現在のことですから、もしかしたら将来またひっくり返ることもあるかもしれませんが、男性脳と女性脳っていうものは『なかった』というほうが、今現在の私にはしっくりくるというだけなんですが…。

男性脳と女性脳が『ある』と思い過ごしてきた年月がひっくり返っても差ほどビックリしてない感が否めないのは、大抵の人がそんなことどーでもいいと思っているからでしょうか? それとも、そんなに違和感がないということなのでしょうか? どちらかはわからないけれども、私にとっては俄然面白くなってきたっていうのが正直な感想です。

我が子が自閉症スペクトラムとわかり、私は診断を受けてはいませんが、私の周囲の人からは、『えー絶対アスペさんでしょーっていわれてきました。』自分でも疑いたくなることがあるのはいうまでもありません。人との価値観が違いすぎて、想像力も違いすぎるし、コミュニケーションも頑張らないとできません。ただ、私が気をつければ、社会の中で普通に生きていけるので、自助努力や診断されない域まで発達したということなんだと自分では思っています。

以前受講したことのある、某有名支援者の方の講座でよく話してらっしゃったのが、『自閉脳と一般脳』2通りの脳みそのタイプがあるという話をされていました。それとは別に、一般脳と自閉脳は連続しているという考え方もあり、白黒ハッキリしない境界域(グレーゾーン)もあり、10人いれば10通りタイプが違っていることから、自閉症スペクトラムという言い方をされるようになったりしたと習ったのですが(私の受け取り方が間違ってたらすみません)実はその時から素朴な疑問を感じていました。

だってですね、一般脳と自閉脳が連続しているのであれば、自閉脳と一般脳という二通りのタイプの脳みそに分けることはできないんじゃないかって思ったのですね。ある意味、連続体ってとらえることもできるといわれているのに、自閉脳と一般脳という二元論的な説が私にはどうも腑におちなかったし、理解に苦しみました。私が誤解をして受け取っているのであれば、それらをどなたかこんな私にうまく説明してくださると嬉しいのですが…。

それはさておきまして…。自閉症スペクトラムは発達の遅れがある障害になるので、発達すれば障害が薄れていき健常域になってしまうことになるので、そこに到達したということは、診断するに値しないということになるなら、一般脳っていうことになるんだと思うのですが違うのでしょうか? 発達障害なのですよね。発達が遅れているだけなのですよね。ということは発達すれば、健常域になるということは治ったということになんないの?ってことにいたるわけです。だとしたら、脳みそのタイプは二つにわけることができなくなってしまうんじゃないかと私は思うのですが、どうなんでしょうか? だから自閉脳と一般脳とわけることはできないのではないか? と思うにいたりました。ただ、何が違うかっていえば遺伝子レベルでの違いがあるなら、遺伝子に異常がありそれらを治すことができないのであれば、医療の立場からすれば異常になり、障害は残存したままであるということになるのだろうとは思います。

ただ、脳みそって病気や怪我などで不具合が起きた場合、それらを賄うように本来の場所とは違う所が発達したりして、援助してくれるような能力が発達することもあって、私たちは時折、人体の不思議という“奇跡”といえるようなことを目の当たりにすることとなることもありますよね。それで、よく心理学などでも触れられている、潜在意識と顕在意識なのですが、脳内のその比率は潜在意識(無意識領域)約95~97%、顕在意識(実際に意識して使っている領域)は3~5%といわれているのですよね。これらをふまえて考えてみた時に、人体って本当によくできているなーと感心するばかりです。だってですね、もし、脳の潜在意識と顕在意識の領域のパーセンテージがひっくり返ったとしたら、何かしらの病や怪我で脳に不具合が起きた時、相当大変なことになるんじゃないのだろうか?ということを想像してしまったことがあって、ガクガクブルブルと怖くなった時があります。が、その怖れはすぐ解決することにはなりましたが。。。

私は意識的にする動作も無意識にしている動作もどちらもどうやら健常域の人たちと比べると下手っぴなんですね。で、無意識領域っていうのは、意識しなくてもオートマで身体が自然に行っている動きなわけです。例えば、心臓が動くことや呼吸や体温調整などで、他にもたくさん無意識の領域が頑張ってくれて私たちは生きていられるわけです。で、私たち母子の身体は、不具合のない人達からすると、無意識領域で行っている身体の調整などが何かしらのきっかけで、うまく機能しないことになることもあるのですね。だから、私たち親子は日々整えることが望ましい身体ということがわかったので、特に睡眠は気をつけているし、顕在意識(大脳新皮質)に働きかけることよりも、無意識領域へのアプローチの優先順位が高いし、それを土台だと思い、三年前から身体を整えてきました。なんでかというと、意識して無意識に繋がるより、無意識の領域がよりよく機能するようになれば、意識をせずとも身体は勝手に動いたり、逆に少し意識することで、無意識の動きを補ってくれると考えたからです。

 

 

あちゃーなんだか長くなりそうなので

その②へ続く

右巻きと左巻き

自分の過去を遡って思い出したことを今日は記事に残しておこうと思います。

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タイトルが『右巻きと左巻き』にしたのは、ちょっとした理由があって、私は僻地(へきちという言葉は差別用語だそうですが、ここでは使用します。)で生まれ育ち、地元の小中高9年間教育を受けました。他の学校の先生がどのようなタイプの先生がいらっしゃるのかは知りませんが、その9年の中で巡り会った担任や副担任がちょっと変わった先生だったけれども、当時の私は『先生』という存在を人格者だと思って勘違いしていたこともあったりして、大人のいうことは絶対とか大人がいうことが正しいと思い込んでいたことで、当時から個性的な自分とうまくつきあえなかった思春期の頃の私にとって、思春期で一番もがきトラウマとなった3年間の担任は、私にとっては最悪な担任でした。ただ、その後に出会った担任や副担任の先生で、私は救われたことも多々あったりもしました。その当時までは、かなり鈍感で不思議に思ったことを徹底的に追求するようなことはしなかったことが、中学時代の担任・副担任へ偏見をもたずに大人になれたことと、母が防波堤になってくれて、母はその先生たちが世間一般でいわれる『右翼だか左翼』だかいわれる思想を持った人たちであったことを私には一切話さなかったので、その先生たちが実は『右翼だか左翼』な思想を持った人たちだったということを話しをしてくれたのは、実は最近です。

うちは昔食堂をしていたので、単身赴任や独身の先生たちが月の契約していて、食事を賄っていました。その当時、その二人のうちの一人の先生が契約をしていました。ある日、先生一人だった時、母に

「僕の思想の話を生徒たちへ話すことはどう思いますか?」

といったことを聞かれたことがあったそうです。で、私の母は

「絶対やめてください。」

ということに加えて何故やめてほしいのか思っていることを伝えたのだそうです。だからでしょうか、学校生活の行事の時に国歌斉唱しない姿をみてはいましたが、当時の私は本当に鈍感だったのか、ただ気にならなかったのか不思議に感じても、先生に聞いたこともなければ、母には聞いたかもしれないけど、まーあんまり深追いしないほうがよさそうだなーということもあったのか、ただ記憶にないだけなのか。私にとってそういうことはどーでもいい記憶で終っていたようです。その後大人になってから先生が『右翼だか左翼』だかの思想をお持ちだったのだと気がついたくらいでしたので。だからといって、先生を軽蔑したり嫌だなーと思うことはありませんでした。

その当時の2人の先生がそういった思想を持っていたおかげなのか、先生方お2人の元々の資質なのかそれは定かではありませんが、その当時の私は、その先生方に救われたことが沢山あったのです。小5から中1にかけての担任によかれと思った対応をされたことが、私の主体性の芽をつぶされそうになってて苦しかったし、中1の時に乖離した出来事がなんだったのかは今だに自分でも不明で思い出せずにいますが、その当時には副担任の先生がその2人の先生のうちの1人だったことで、私は保たれていたような気もするのですね。

その先生は保健・体育の先生だったので、今から30年くらい前にあの当時は画期的だっただろう性教育をしてくださったことや、体育がただ運動をするだけではなく、分析してレポートをまとめるといった体育だったので、ノートにまとめることが大好きだったから先生の授業が好きでした。私は運動に関しては凸凹があって、器械体操や鉄棒に関してだけは人並み以下の身体能力でした。マット運動や跳び箱も苦手で跳び箱3段が飛べなくて悔しいのと、何度でもチャレンジさせる先生にホトホト参って、自分でも何故飛べないのかわからなくて、泣いていたくらいでした。

私の両親は2人とも身体能力が人並み以上だったらしく、父は短距離で国体の選手に選ばれるくらいで、母は全日本のバスケットの監督にスカウトされたけれど、身長が1cmたりなくて全日本にはいれなかった人たちだったりして、なんだか周囲の人はそんな両親だから、私は身体能力高いと思ってる人もいたりして

「父ちゃんは足が速かったとにねー。なんで似らんやったとかねー」

なんてことも言われて育ちました。子ども心にそれは悲しかったことを今でも覚えています。容姿のことでもいろいろいわれたから結構自己肯定感低くかったこともあって、とあることがきっかけになって自分勝手に自分で大きな悩みにしちゃったこともありました。あっまた話がずれてる…。

話しを戻します。発達障害の身体のことを著書や講座で学んだことで、今の私は、自分がLD体質なのだと気がつくことになって腑におちていますが、その当時はそういった知識は全くありませんでしたし、逆に先生たちも、私が他の運動は人並みにできるのに、器械体操や鉄棒、跳び箱などは人並みにもいたらないのが、不思議でしかたなかっただろうなぁーと思います。だから、私にできるようになってもらいたくって、小学校時代の担任は余計に指導してくださってたのだと思います。イヤハヤメッチャ迷惑でしたけど。。。そんな私にとって、中学時代の副担任の授業のスタイルはとてもあっていたし(他の学校の体育の授業がどんなだったか知らないので、先生のスタイルが特別かどうかは定かではないです)マラソンなどの長距離走などは、ラップタイムを計ったりして、セカンドウインドを感じることを実体験したりしたこともありました。身体レベルで感じることができたことが、今になってみればすごくいい体験だったなぁーと思いました。それはなぜなら、ある一定のリズムで走っていると必ず酷く辛くなる時がきます。辛くなったからといってそこでスピードを遅くしたり止まったりするのではなく、一定のリズムのまま走り臨界点を超えると、風が気持ちよく感じて身体が軽くなる時があるんです。それが『セカンドウィンド』だったと記憶しているのですが、間違っていたらすみません。それらを体験したからでしょうか。他のブログの記事にもある『気持ちいい』という感覚を思い出すことができたのはその経験は大きいのかもしれません。少々辛くてもちょっとだけ我慢した先に楽になる地点があるということに気がつけることにもなりましたし…。ただ、私の場合には真面目というか律儀だったり、真に受ける体質が加算され、我慢や抑制を重ねすぎて自分を殺す生き方を選ぶことになってしまいました。ただ、これらは良くも悪くも今の私にとって『頑張る』ことに対しての何かしら土台になっているように思います。長距離走の他にも、大っ嫌いだったマット運動も跳び箱も鉄棒も先生のおかげで、大嫌いではなく苦手だけど、苦手な私でも楽しめるのだという喜びを感じられたのは、先生のおかげだったなぁと思っています。

今思うと、先生は一般的には少数派だったけれども、その一味違う価値観のおかげなのかどうかはわからないのですが、私は間違いなく救われていたのかもしれないよなぁということがあるので、どんな思想を持っていようが自分の思想を私へ押し付けられなかったことが、実は母が防波堤になってくれたということもありますが、先生は先生なりに教育の在り方を考えていらっしゃっていたのかもしれないなーと思ったりします。

私が神社参拝に興味を持ったのはここ10年くらいですが、実は中学3年間は体育祭で女子は神楽を舞っていました。センスと鈴みたいな物を持って。そのことでもいろいろありましたが、あの当時から変わっていないことは、私の中で起きていることと、周囲が私のためにとか、私のことを勘違いして様々なことで周りが騒いでいるってことは何ら変わってないじゃないかーってことに最後になって気がつきました(汗)他にも変わった先生がいましたが、それはまた別の時にでも…。

それにしても私って…トホホ、あとは天におまかせしよう。。。

今日の空

朝窓を開けると肌寒さを通り越して

「さむっ」と思わず身震いするような

冬の始まりを今日は感じました。

三連休西日本のほうは

晴れ間が続くといいですね。

 

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先日三十日詣でに行きました。

ブログの読者登録をしていると

毎月1日や30日は私が忘れていても

どなたかのブログを読むことで

気がつくことになっており

忘れる事が得意な私の

仮想記憶メモリとかクリップボード

なってくださっていて

誰かが情報発信し

その情報を受け取っていることが

人がAI化してるんじゃないの?

感じることとなっています(笑)

本当にありがたいです。

感謝しています。

昨日はAIに関する講座が

ラジオで放送されていたので

たまたま聞く事ができました。

その放送を聞いていて

私が感じたのはAI化することで

今まで起こっていただろう

人災が少なくなることにはなる

ただ、使いようによっては

思考停止の人を生み出してしまう怖れはあるけど

それは、その人次第になってしまうので

結局『主体性』が大切なのかもと

改めて気がつくこととなりました。

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それはさておきまして…

神社に行くのはその時の気分で

日取はあまり気にせずに

最近は参拝するようになりました。

皆さんがネットで発信してくださる情報の

おかげ様で神社参拝して来ました。

気が向いたので御神籤をひいたら

「大吉」だったのですが

それよりも御神籤の裏側にある

『神の教』にはっとさせられました。

<その内容は ↓ 下記をご覧ください>

_______________

 

“神野心に叶えば嬉し

  暗いこころも 晴れてくる”

金をためたら、慈善をするという人は、

ためるお金に限度がないから

なかなか慈善が出来がたい。

物がなければ力で

力がなければ言葉ででも

人を慰め、人の力になってやれ。

情は人のためならず

慈善をすれば心が明るくなって

まず自分が救われる。

 

_______________

 

慈善という言葉の意味の中に

“情けや哀れみをかけること”という

意味もありますが

この場合の『慈善』の意味の捉え方が

ちょっと難しいなーと私は思いました。

この場合には『情けや哀れみをかける慈善』

とは違うよという意味で私は捉えていますが

受け取る人によっては

混乱したりするかもしれませんね。

過去の自分の場合には

いわれたこと全てを真に受けて

受け取ってきた時には

こういう場合保留事項となっていました。

今の自分の立場でこの教を解釈するなら

『托鉢』に似てるなーと思ったのですが

私は自分の身を削ったり

自分の身体を崩してまですることじゃ

ないのではないかと思っているのですね。

そして、お金をくださいってことでもなく

 

今あなたの立場で何ができますか?

どんなことならあなたにできますか?

あなたにはどんな強みがありますか?

 

といったことを問われているような

そんな気がするんですね。

そして、上記のような言葉は

時折人を戸惑わせます。

たとえ『与える』ことができる立場でも

『与えた』後の自分を

案外問われることになってる人多いと思うのです。

自分の持っているものを

他者に『与える』ということは

『手放す』ということです。

『手放す』ということは

もう自分の物事では無くなってしまいます。

もう自分の物事でなくなってしまったら

渡した人に

どのような使われ方をしようが

どのような受け取り方をされようが

そのまま捨てられてしまおうが

与えた人自身には

口出しできないことになるよなって

思うんですよね。私は。

それは、お金だろうが力だろうが

言葉だろうが

自分の手元から離れた物事に対し

他者の反応が自分の想定とは違う時

案外人ってネガティブな

反応をしていることあると思うんですよね。

私は『与えた』人によって

ムカつく人と何にも感じない人と

与えて嬉しかったと思える人と

いるんだということを

実感しています。

なので、想定外の反応をされた時に

ネガティブな気持ちになる自分を知ると

とても簡単なことに

気がつくこととなりました。

私の場合にはその人のことが

無条件で

『好き』か『嫌い』か『どーでもいい』

その三択にわけられることが

わかりました。

ネガティブになったその要因が

自分にとって何なのかということに

気がつけたことを

今こうして文章化して気がつきました。

それに合わせて私の場合には

また別件で人によってムカつく場合に

他者に甘えているのとは別にして

行動制限されることが自分にとって

とても不快なんだということを

感じる出来事もありました。

イヤハヤ、自己中と自分中心の違いって

自分中心の人の行動を『我儘』という人が

実は自己中の人なんじゃないかっても

気がつくキッカケにもなったのですよね

他者のこと考えて行動しているという人ほど

自己中だなってことにも。。。

で、自己中を昇華すれば

自分中心になれるんじゃないかということにも…

 

はー。スッキリした―。

 

 

<慈善の意味>

情けや哀れみをかけること。

特に、恵まれない人々や被害にあった人々に

経済的な援助をすること。「慈善を施す」「慈善家」

※goo辞書より

岩戸を開くということ

自分を越えることができるのは

 

自分でしかない。

 

その越え方にお手本はない

 

道なき道を歩いていくときは

 

新しい道を自らの力で

 

切り開いていくしかない。

 

それは、私たち人にとって

 

『己を開く』ということなんだと思う

 

それは、『岩戸開き』みたいなもので

 

本来の自分へ還る

 

扉を開くということでもある

 

そんなことをふと、そう思った

 

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飾りじゃないのよ技術は

リアルな友だちもネット内にも友だちがいない今日この頃なので、SNSやテレビ、ブログなどを読み参考にさせていただいていますが、最近しびれた言葉がいくつかありました。例えば、元彼と今彼の間がかぶっている場合にそれらを『のりしろ』ってつぶやかれていたのは作家さんだったと思います。イヤー語彙力というか、その4文字に全てが集約されている感が否めず、それを理解できる私も私ですが、経験したことがあるので、至極腑に落ちました。

後は、フィギアスケート選手の本田真凛選手の末っ子の妹さんがお姉さんに言った一言にしびれました。

「ジャンプが楽しなかったらただの飾りや」

これですね、本当にその通りだなーっておもって関心しました。フィギアのジャンプって何種類もあるし、ただ回転したり飛ぶだけじゃなくて、ジャンプする時に踏み出す前とか着氷する時とかにエッジの向きとかもあったりして、なんか素人の私には何がなんだかわからない規則の中で演技をしているみたいなんですね。ただ、回転しているわけでも、ただジャンプしているわけでもない、ただ滑っているわけでもなくて、自分の持つ技術や練習で積み重ねてきたことをあの数分間の中で出し切るワケです。でも、その時の自分自身のコンディションなどやタイミングなどでは、練習の時に上手く飛べたり上手くできたことができない場合もあったり、逆に練習で苦手だったけれど、なんだか本番でできちゃったりとかもすることもあると思うんですね。

アスリートの選手の方の精神面はわからないのですが、気持ちがブレテたらあのつるつるのリンクにたって演技するって大変なんじゃないかなーって私は思うことが多々あるのですがどうなんでしょう。メンタルの面は関係なく、プライベートと切り分けて演技をしたりできるのかな? なんだか私は無理そうな気がしてなりません。でも、人によってはスケートで演技することがストレス発散になっている方もいらっしゃるかもしれませんよね。

私がフィギアスケートをよくみていた時は、真央さんがシニアにデビューした頃から数年です。いつのを見たのかは定かではないのですが、Cyber Swan(白鳥の湖のヒップホップVer.)の高橋選手の演技は今見ても鳥肌ものですし(思い出せないのでググりました。)真央さんがシニアデビューした時の演技も氷上の妖精といわれたりするのがわかるくらい可愛らしかったですよね。というか、スケート靴履いてんの? なんでそんなに身体軽ろやかなの?ってまだまだおねぇさんだった当時の私は思って、真央さんの演技も楽しみにしていました。鈴木明子選手のカルメンとかも情緒があってすごく好きだったなぁー。羽生選手なんて年々技術というかどんどん洗練されていくし、彼をみていると『自分を自分で越えていくこと』を楽しんでいるのではないかな?苦しい場面もあっただろうけど、苦しいことを超えるだけではなかなか続けられないものではないのかなーと思ったりします。なんていうか、世界レベルになっちゃうわけですし、自分の『好き』の世界から飛び出して、夢に見ていた日本や世界レベルの舞台で点数がついて、更に上位にくいこむことが目標になるわけですから。『いやー本当にすごいことやってのけてるなー』と庶民でLD体質の私は毎回関心しながら魅せられているわけです。宇野選手もなんだかあのパトリック・チャン選手を越しちゃったりして、ただただスゲーーって、感動しました。

スケートだけではないのですが、自分も仕事をする上で技術向上のために、著書を読んだり、人の作品をみたり、わからないことは詳しい人に聞いたりなどして試行錯誤してきたのですが、前述の弱冠10歳の少女が姉に言った『ジャンプが楽しなかったら飾りや』という言葉が、私のうっすらふくよかな胸にすごく響いたのは、技術って努力の先にあるもので、その努力することも含めての技術だと思うのですね。で、獲得するまでの間に失敗したりして自分なりに出来る方法を模索する時間って、私にとっては苦労よりも楽しかったし、時間を忘れ、寝るのも惜しむくらいだったなーって思うのです。だから、ただ苦しいだけの苦行のような技術獲得なら、彼女がいうように『飾り』でしかないよなーって思ったわけです。それでも、その『飾り』が役に立つこともあるのですが、それは結局その『飾り』を持った自分次第になるわけですね。もうね、本当に

「楽し無かったらただの飾りやーーーーー!」

って、海にむかって叫びたい今日この頃です。

 

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そして、写真は全く意味はありません

ただの飾りです

 

今日の空

いい天気に恵まれましたが

結構乾燥しているような気もします。

寒くなったので

水分をとりづらくなってるようなので

こまめに温かい飲み物や

スープなど汁物をとったりなどして

身体の渇きに気をつけようと思います。

 

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秋まっただ中の10月ですが

先日、熊本市嘉島町にある

『ひまわり畑』に行ってきました。

毎年この時期に6万本にのぼるヒマワリが

太陽に向かって咲いています。

そろそろ見学に行こうと思っていたら

地元の放送局で紹介されていたので

見学に行きたいと相方に行ったら

連れて行ってくれました。

有り難いですね。

ただ、絶対興味なさそうなのに

本当に付き合ってくれるのかしらーと思って

そんなに期待せずにいましたら、

ひまわり畑にトコトコ1人歩いていて

振返ってみたら、なんだか場に似合わない

任侠系おっさんが歩いてきていました。

で、近寄っていくと

「ねー、俺車でまっとってよかー?」

と期待通りの言葉が飛んできたので

「よかよー」

笑いながら1人ひまわり畑を見学しました。

お日様に向かって咲くひまわりに

蝶々やミツバチが蜜を吸っていたり

私以外にも見学している人たちが

かわるがわる、ひまわりをバックに

写真を撮っていらっしゃっる時

自然に笑顔がこぼれているのがみれて

みている私までなんだか笑顔になれて

心がほんわかとなりました。

毎年、こんな景色をみせてくださって

ありがとうございます!

 

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