ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

飾りじゃないのよ技術は

リアルな友だちもネット内にも友だちがいない今日この頃なので、SNSやテレビ、ブログなどを読み参考にさせていただいていますが、最近しびれた言葉がいくつかありました。例えば、元彼と今彼の間がかぶっている場合にそれらを『のりしろ』ってつぶやかれていたのは作家さんだったと思います。イヤー語彙力というか、その4文字に全てが集約されている感が否めず、それを理解できる私も私ですが、経験したことがあるので、至極腑に落ちました。

後は、フィギアスケート選手の本田真凛選手の末っ子の妹さんがお姉さんに言った一言にしびれました。

「ジャンプが楽しなかったらただの飾りや」

これですね、本当にその通りだなーっておもって関心しました。フィギアのジャンプって何種類もあるし、ただ回転したり飛ぶだけじゃなくて、ジャンプする時に踏み出す前とか着氷する時とかにエッジの向きとかもあったりして、なんか素人の私には何がなんだかわからない規則の中で演技をしているみたいなんですね。ただ、回転しているわけでも、ただジャンプしているわけでもない、ただ滑っているわけでもなくて、自分の持つ技術や練習で積み重ねてきたことをあの数分間の中で出し切るワケです。でも、その時の自分自身のコンディションなどやタイミングなどでは、練習の時に上手く飛べたり上手くできたことができない場合もあったり、逆に練習で苦手だったけれど、なんだか本番でできちゃったりとかもすることもあると思うんですね。

アスリートの選手の方の精神面はわからないのですが、気持ちがブレテたらあのつるつるのリンクにたって演技するって大変なんじゃないかなーって私は思うことが多々あるのですがどうなんでしょう。メンタルの面は関係なく、プライベートと切り分けて演技をしたりできるのかな? なんだか私は無理そうな気がしてなりません。でも、人によってはスケートで演技することがストレス発散になっている方もいらっしゃるかもしれませんよね。

私がフィギアスケートをよくみていた時は、真央さんがシニアにデビューした頃から数年です。いつのを見たのかは定かではないのですが、Cyber Swan(白鳥の湖のヒップホップVer.)の高橋選手の演技は今見ても鳥肌ものですし(思い出せないのでググりました。)真央さんがシニアデビューした時の演技も氷上の妖精といわれたりするのがわかるくらい可愛らしかったですよね。というか、スケート靴履いてんの? なんでそんなに身体軽ろやかなの?ってまだまだおねぇさんだった当時の私は思って、真央さんの演技も楽しみにしていました。鈴木明子選手のカルメンとかも情緒があってすごく好きだったなぁー。羽生選手なんて年々技術というかどんどん洗練されていくし、彼をみていると『自分を自分で越えていくこと』を楽しんでいるのではないかな?苦しい場面もあっただろうけど、苦しいことを超えるだけではなかなか続けられないものではないのかなーと思ったりします。なんていうか、世界レベルになっちゃうわけですし、自分の『好き』の世界から飛び出して、夢に見ていた日本や世界レベルの舞台で点数がついて、更に上位にくいこむことが目標になるわけですから。『いやー本当にすごいことやってのけてるなー』と庶民でLD体質の私は毎回関心しながら魅せられているわけです。宇野選手もなんだかあのパトリック・チャン選手を越しちゃったりして、ただただスゲーーって、感動しました。

スケートだけではないのですが、自分も仕事をする上で技術向上のために、著書を読んだり、人の作品をみたり、わからないことは詳しい人に聞いたりなどして試行錯誤してきたのですが、前述の弱冠10歳の少女が姉に言った『ジャンプが楽しなかったら飾りや』という言葉が、私のうっすらふくよかな胸にすごく響いたのは、技術って努力の先にあるもので、その努力することも含めての技術だと思うのですね。で、獲得するまでの間に失敗したりして自分なりに出来る方法を模索する時間って、私にとっては苦労よりも楽しかったし、時間を忘れ、寝るのも惜しむくらいだったなーって思うのです。だから、ただ苦しいだけの苦行のような技術獲得なら、彼女がいうように『飾り』でしかないよなーって思ったわけです。それでも、その『飾り』が役に立つこともあるのですが、それは結局その『飾り』を持った自分次第になるわけですね。もうね、本当に

「楽し無かったらただの飾りやーーーーー!」

って、海にむかって叫びたい今日この頃です。

 

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そして、写真は全く意味はありません

ただの飾りです