ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

私の終われなかった時代の話

一昨日のブログで息子がやっと『おわり』という意味が腑に落ちたようだという内容の記事をあげましたが、実は私も『おわり』とわかっていても終われなかったことがたくさんありました。大人になってもなかなか難しかった時があって、どうしようもなくて、人に迷惑をかけてしまったことがありました。その当時を振り返ると、本当に私という人間はどうしようもない人間だったなーと思うし、過去に戻れるなら、タイムトラベル中のルール違反だとしても、その場で自分で自分をひっぱたいてでも静止したり、言い聞かせたいです。ただ、それくらいやらかさないと、誰も止めてくれないから自分で自分を抑制する術をもたなかったという言い訳めいたものがたくさんでてきます(苦笑)やらかしてしまったことは仕方がないことですが、何か問題を起こしそうな時は、これをやってしまったら…。どんなことになってしまうのか?といった想定をできる力ができるかできないかで、やらかす率は少しはマシになる気がしますが、キレちゃうと制御できない人もいますしね。。。そんなことはさておきまして、今回の記事は残念ながら私の黒歴史のことではありません。まだ私が3歳に満たないくらいの保育園時代のことです。

私は1歳半にも満たない頃から保育園へ通園をはじめた。下に弟が産まれて間もなく祖母が亡くなってしまったのと、私はひとみしりもあまりしない子だったので、保育園に預けることにしたそうだ。まだ一歳半にも満たない子を保育園へ預けることを地域の人たちから『まだ小さいのに可哀想』だといわれていたらしい。それでも、預けないと仕方がなかったからそうしたまでのことだったのだそう。だから、その当時、地域で1歳代で保育園に預けられた第1号が私だったと母が教えてくれた。その時は、散々母は悪口を言われたらしかったが、それ以後1歳代でも保育園へ預ける人たちが増えてきたらしい。私の母はファーストペンギンであり、小さな革命を起こしたともいえる(笑)

地域の人たちに可哀想がられていた当の本人は、多分楽しんで通園していたのだと思う。覚えてはいないが、嫌な記憶はあまり覚えていない。あぁー、節分の豆まき後に教室の床に落ちていた豆を鼻につめて遊んでいたら、とれなくなって往生した記憶ぐらいかなぁー。あれで、保育園の豆まきの豆がピーナツになってしまったらしいことを知ったのは親戚の子が保育園に行ったことで発覚した(笑)

話しを戻そう…1歳台で入園したのはいいけれど、その時クラスに一人だったから、3つ年上のクラスのお兄さんお姉さんたちと同じクラスで私は過ごしていたのだそうだ。まだ赤ちゃんみたいなものだったから、先生たちだけでなくお兄さんお姉さんたちに可愛がってもらっていた気はする。(覚えてないけど…)うちの地域はかなり田舎だが、保育園を卒園後は幼稚園という流れだった。クラスのお兄さんお姉さんたちが卒園を迎え、幼稚園へ行くことになった。私はまだまだ年少さんなので、保育園へ残るはずだが、私はどうやら勘違いをしていたらしく、自分も幼稚園へ行くといい、母を困らせたのだそう。私の母は言っても聞かない私をおんぶして、幼稚園へ連れていったのだそうだ。母は幼稚園の先生に事情を話し、幼稚園の先生が承諾してくれ、一日幼稚園で過ごすことになった。(私は全く覚えていない。)一日過ごして帰ってきた私は納得したのか、次の日からは幼稚園へ行かず、何事もなく保育園へ行ったらしい。何が私の中で腑に落ちたんだろうか。覚えてないから全くわからない。ただ、幼稚園は保育園と全くカリキュラムが違うから、自分がついていけなかったのかもしれないと思う。

この当時の私の気持ちは、覚えていないのでわからないけれども、多分自分が1歳だと思ってなかった気がしてならない。なぜなら、私だから。同じクラスだったから自分も幼稚園へ行かなければならないと思っていたのかもしれないし、お兄さんやお姉さんたちと離れたくなかったのかもしれない。どっちがどっちかはわからないが、行ってみたら、自分はどうやらここにいるべきではないのだということは察したのだろう。幼稚園の先生がお話してくださったのだろうか? 2歳にもまだ満たないころだったのに、私はしっかり自己主張できていたのだ。それに、納得すれば終れたのだ。なのに、何故、大人になって『おわる』時になんだかオカシナ事態にみまわれるようになってしまったのだろう。きっとそれは、私のことを傷つけまいと思ったり、自分が悪者になりたくないと思う人が保身で私をたしなめるような言い方しかされてこなかったからのように思ったりもする。言葉の言い回しは確かに必要だったりするのはわかる。ただ、時にハッキリ断ることが相手にとっての優しさでもあると思う。自分の責任を問われたくないからとか、ヒトデナシだと他者に思われたくないからの逃げ口上が『おわれない』事態を招いているということもあると思う。

今私は、息子を通してもだし、自分なりの『おわり』をあらためて昇華しようとしている。今まで苦しかったことも、受け入れられるようになっている自分に自分で驚いている。一番苦しかった時の生きているのに死んでいるかのような私ではない。ちゃんと、息をしている自分で苦しさや悲しみを受け止められている。気が狂うことにもなっていない穏やかな消失感。こんなふうにいつも終われていたのなら、私は人を傷つけることもなく自分のことも傷つけることはなかっただろうと思うけど、失う悲しみや苦しさだけではなく、こういった気持ちを感じられるようになったことを喜びたいと思う。散々迷惑かけた人たちには悪いけど…(苦笑)

 

今日はこのへんで