ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

伏線から結びついた『おわりの概念』

去年の暮あたり頃に、どうやら息子の中で『おわり』の概念がうまく繋がったように感じられた出来事があった。

3歳に満たない頃から始めたスケージュールや手順書など、活動が終わるごとにカードを『おわり』のポケットに何度もいれただろうけれど、『おわり』という概念はまだちゃんとはわかってないだろうと想定はしていたものの、どうやら腑には落ちてなかったらしい(汗)とりあえず、ぼんやりとした『おわり』だけで終わっていたようだ。なんというか、知ってるけどわかっていないっていう典型的なパターンだなぁーと思い、思わず苦笑いしてしまった。

文字の読み書きができなかった息子は、今ではIpadを操作し、自らでYoutubeやネットで文字入力をし検索できるまでになった。始めた当初はひらがなだけだったのが、今では漢字やローマ字入力もしている。ローマ字は学校などのALTの授業などでは学んでいると思うが、自宅ではあえて教えたことはない。入力するキーボードをいれかえられることくらいだ。息子は記憶力が良いようなので、目でみて単語を記憶し、それをただ入力しているようだ。(この件に関しては、改めて記事にしたいと思う。)

息子の記憶力は正直大人の私たちでも忘れているだろうことを鮮明に覚えていることがある。小さな頃から一度通った道を覚えている予感はしていたが、Google Earthでバーチャルお散歩をする姿がみられるようになったことで発覚した。

ある日、昔住んでいた借家2件の場所を、Google Earthの中で、自分が知っている場所から道路を辿って行着いた場所を指さし、

「おふとん、帰りたい」

と要求してきた。画面をのぞきこんでみると、昔住んでいた借家をみつけたようで、その家に帰りたいという。今住んでいる所がアパートだから、自宅だと思えないのかもしれない。ソーシャルも読んだり、引っ越しの経験もしたけれど、彼にとってはぼんやりとしか終われてなかったのだと、この時わかった。今のアパートに引っ越すまで3回引っ越したのだが、生まれた頃から数年住んだアパートのことは覚えていても、何もいってこない。その後引っ越した2件の借家(一軒家)が本当の自宅だと勘違いしているようだった。それから、何度か「帰りたい」といった要求をするので、アパートと一軒家の違いの説明をしたり、祖父母の自宅と借家の違いなどの説明をしたりなど、今住んでいるアパートが自宅なのだと、何度か説明をした。

その後、出かける度に昔住んでいた家の場所へ行きたいといったので、気が済めば…と思い、車で近くまで連れて行った。もう別の人が住んでいることがわかれば、理解できるだろうと思ったからだった。その家に行った後くらいだっただろうか、昔住んでいた自宅のことは口にださなくなった。その後、テレビのハードに残したままにしている2011年に放送されていた男子ごはんを毎日繰り返し何度もみるようになった。放送されたメニューを作って欲しいとの要求もあったのでその望みも叶えてあげたり、ケンタロウさんが事故にあって、自宅療養中なことを説明し、ケンタロウさんと太一くんの男子ごはんは終わったことを伝えたりもした。

毎日繰り返しみるようになってしばらくした頃だっただろうか、番組の最後に『END』という文字をみつけると、画面を指さし、何と読むのか確認するようになった。その度に“「エンド」って読むんだよ、「おわり」ってことだよ”と何度か説明したりもした。それからは『END』という文字をみかける度に指さしし、私に確認をするようになった。

昨年の暮れ、私の実家に帰省した時、実家でも『男子ごはん』をみていた。息子が成長した時に思い出し『男子ごはん』をみたがるだろうと予測して、うちの実家にも2011年当時の『男子ごはん』の番組をまだハードに残してある。それくらいお気に入りの番組だった。実家のテレビのハードに残っている『男子ごはん』は、たまたま、ケンタロウさんが自宅療養中ということから、栗原さんへバトンタッチされた初回だった。番組の初めに、太一君がケンタロウさんのご様子と番組を一旦卒業するといったお話があり、栗原さんが登場され番組が始まるといった流れだったので、彼の中でしっかり『ケンタロウさんの「おわり」』が腑に落ちたようだった。

そのことがあったからか、終わりたくはないけれども『おわり』という言葉を自分で自分にいいきかせるような場面がみられるようになったし、以前住んでいた自宅のことは一切いわなくなった。

何度スケジュールや手順書のカードを『おわり』のポケットにいれたのだろうか? 無駄ではなかったとは思えるけれど、『おわり』ということは知っていても、彼の腑に落ち方は私にはわからない。ただ、重度判定の息子でも内側の部分で腑に落ちた感覚はおそらく混沌としているだろう内面へ何か働きかけたことになっただろうと思う。

『おわり』もいろんな『おわり』がある。もう一生永遠にめぐってこない『永遠のおわり』と一旦おわるけれど、又、次に新しく始まるための『おわり』と…。

それでは、今日はこのへんで。