ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

三度目の正直

息子が通所していた療育センターで、卒園式後だったか謝恩会のようなものがあり、普段お世話になっていたセンターのスタッフの方1人1人から挨拶があった時のことです。

スタッフの中には、発達障害を持つお子さんのお母さんもスタッフとして働いていらっしゃっいました。その時一人のスタッフの方の体験談を交えて私たちにお話をしてくださいました。障害は違うけれども障害のある息子さんが原付の免許に3度目でやっと合格したお話を感極まって泣きながらお話してくださったのです。
泣きながらお話されていらっしゃるのをみていて、私は正直、頭が真っ白になりました。

「え?泣く事なの?」

って。何故なら私が高校の頃通学のために取得した原付免許は3度目の正直で取得できたからです(汗)自宅から高校に通うのに15キロ以上はあるので、高2から原付バイクで通学の許可をされていました。私は知的な遅れは伴っていない発達障害ですし、ディスレクシアという診断はうけていませんでしたが、3度目で取得した経験を私はあまり気にしていませんでした。ですから、『泣く事なのかー(驚)』ととてもびっくりしたことがありました。高校の卒業と同時に取得した普通自動車免許は、バイクの免許のことがあったので、必死に勉強し、仮免の学科も本免の学科も一発で合格できましたが…。その話を聞いた時に軽いショックを受け、その当時の友だちに笑いながら話したことがありました。自分にも発達障害があるとわかった時に、なぜ私が原付の免許を何度も落ちたのかということが紐解けたことはいうまでもありません。

その当時はただ私の勉強不足だったのだと思い込んでいましたし、一番苦労したのは、試験の問題がとにかくわかりづらくてなんのこっちゃ?とういう文章にしか感じれず、点数をとることができませんでした。だから、答えはマーク式でも、文章の意図していることを読み取れなくて合格できなかったのです。なので、交通標識などを覚えたりするだけではなく、道路交通法を元に文章から状況を推測し判断することを汲み取れなかったことが当時一番苦労したことでした。なので、言葉尻のパターンを覚えるのに相当苦労しました。ですから、普通自動車免許の学科は違った意味で独自の勉強もして一度で免許取得することができました。
そのスタッフの方が泣くくらいだったので、子育てでご苦労なさったからの涙だったのだろうとは思いますが、正直、他人事なのにちょっとショックを受けました。『泣くほど嬉しいことになるのか…』と頭が真っ白になり遠い目になりました。あの当時の私は、多分、母にお金が勿体ないとあきれられただけだったように思います。なんというか複雑な失敗体験の思い出です。