ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

早期診断タラれば

私の場合、早期にわかったわけではなく、成人期になり息子の障害のことを調べ学ぶ中で、自分も発達障害を疑ったことで診断を受けました。早期発見・早期診断が叫ばれ始め10年以上経ちますが、もし仮に私のようなタイプの人が、それらに乗っかれたとして、あの時代に何ができただろう。そんなことしか浮かんできません。

確かに感覚過敏は10代まで実際酷かったのですが、我慢できるくらいでしたし、身体のバランスは決して良くはありませんでしたが、運動全てができなかったわけではなく、私の場合限られた運動が苦手でした。跳び箱、鉄棒、器械体操です。後はよく転んで怪我をしたり捻挫を良くしていましたが、周囲の大人からみて身体感覚がすごくおかしいといった印象はもたれていなかったと思いますし、運動面においては一部は人並み以上にできていることもありました。

正直学生時代は実家暮らしなので、困ることは自分のことぐらいでしたので、自覚はあまりなかったように思います。自分はバカで人との違いは感じていましたが、それらもなんとなく自分の中で大人になれば解るだろうそう思っていました。

ただ、母は学校の先生に時々相談というか話があったようです。でも母は、先生たちの教え方なども問題があると思う所もあったようで、学校でわからないことは母が勉強に関しては教えてくれていました。小学校までは自分自身の特性に関して悩んでいたことは自分でできることは工夫をしてきました。それに心のことはその当時はまだ漠然とした悩みにすぎませんでした。心のことは大人に話しても理解してもらえないとも思っていたので、いわずに大人になりました。

高校を卒業し一人暮らしをしながら働くようになった時、私の特性は顕著になったというほかに言葉はみつかりません。1人暮らしになると衣食住、生活すべて自分1人で行わないといけませんし、それプラス仕事や友だちづきあいなど、学生時代に比べると自分でやらなければならないことが増えるわけですから、できなくて当然だったなーと今思うと思います。かといって、うちは幼稚園の頃からお手伝いはあたりまえでしたので自分の身の回りのことは一通りはできていました。実際一人暮らしを始めたら、ほとんどできてないに等しい状態でした。というよりできないのが、自分でもずっと不思議でたまりませんでした。今思うと独り暮らしって、自分1人でやること多すぎるんですね。ですから、自分ができないことを認めて独り暮らしせずに、親元で暮らしながら働いていたほうが、良かったのかもしれません。私の場合実家暮らしが嫌だったので、なんとかごまかして生活していました。そのおかげで仕事に関してはPCが使えるようになったことは私にとってとてもラッキーだったと思ったりします。

タラればになりますが、早期診断されることで、適した療育が受けられたとしていたら、私はもっとガッチガチの正しい人になっていたような気もします。きっともっと自分を責め他者も責めガッチガチな人になっていたのかもしれません。その変わり、失敗は少なかったのかもしれません。ただ、私の資質は好奇心旺盛な人なので、ガッチガチな枠にはめられることでもっともっと別の意味で苦しみ続けたかもしれません。

ですから、あくまでこれは想像ですが、結局、早期発見早期診断をされたとしても、保護者だったり、当事者である私次第で変わるのだと思うのです。早かろうが遅かろうが、診断された時期よりも何が大切かというのは、診断された当事者の意識次第になんじゃないかと思ったりしています。