ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

ブルームーンの夜明けに…

〝会いたい〟と願っても

私の何かが赦さないから

そんな現実が起きているだけ

「目醒めればすぐわかるはずだよ」と

暗闇の中で立ち止まった私に

闇の世界の門番はそういって

目の前から立ち去った。

光を求め彷徨い続けても

どこにも見当たらない

別世界への扉は

だだ1つだけだといった

私の身勝手な先入観が

更に闇の奥深い場所へと誘い

魔のループの輪を描きながら

繰り返し湧き上がり続ける感情を

払拭できないジレンマに

掻き乱されては取り乱していた。

またいつものように

光を求めあてもなく

一歩踏み出した私は

今まで見たこともない

景色があることに気がついた

見上げてばかりいた顔を下げ

今までみようともしてこなかった

足元に広がる世界に視線を逸らすと

水面にキラキラと反射する

光の存在があることに気がついた

「ああ、なんで今まで私

この世界をみようともしなかったんだろう」

光は天から降り注ぎ影しか創らない

そう思っていたけれど

水面に写るこの光がもし私であるなら

闇しかみえないのは

当たりまえじゃないか…

暗闇の水面に写る光の正体が私で

ずっと還りたかった

『月』だと気がつき

天にも昇るような気持ちが溢れだすと

私の両手からパラパラと

こぼれ落ちた光の欠片が

闇の世界を彩る星座となり

どこまでも続く光の柱となり

新たな未知なる世界へ委ねてくれる

道標となっていく

そんなギフトが届いた

ブルームーンの夜明け

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世界自閉症啓発デーサービス週間

4月2日から始まった年に一度の青いお祭り

『世界自閉症啓発デー』な今日ですが

みなさまいかがお過ごしでしょうか?

またもやFacebook過去記事の

引用記事になりますが

ほぼほぼ、この当時から

私の考えは変わっていません。

変わった事といえば

友だちも知り合いもほぼおらず

復活したのは1人だけでございます。

これは、人生のステージが変わる前らしいですが

そんな風に軽く感じられるのも

それなりのお勉強をし

それなりの体験をしたことで

友だちがいなくなっても

へっちゃらな自分になれたので

良い子の皆さんは決してマネしないように。

お願いしますねっ(ー_ー)!!

で、下記の文章に補足をしておきます。

 

/////////

私は自分では
アスペルガーADHDの混合型だと思ってたけどね
鬱の薬を飲み始めたら
どうやらADHDだけではなさそうだなぁって
自分で感じたんですよね

 

↓↓↓ 上記を訂正してます

 

私はまだ確定診断を受ける前の自己診断では

アスペルガーADHDの混合型だと思っていました。

でも、検査を受けてみたらADHDだったのです。

で、鬱の薬を飲み始めたら

どうやらADHDだけではなさそうだなぁと

改めて自分で感じたんですよね。。。

 

/////////

ということをかくつもりが言葉足らずでした

すみません。

ということで下記が3年前の記事です。

___________

2015年4月4日 20:12

そういえば…
4月2日は自閉症の啓発デイでした(⌒-⌒; )
お仕事お休みだったのに
全く何にも参加もしなかった
熊本市内ではイロイロ催し物があったらしいですが
もうね、私、社会の人に
自閉症の啓発をわざわざしなくても
いいって思ってるんですよ。
だってですよ、興味のある人にしか
その字の奥を知りたいと思う人はいないって
思ったからです。
もう、わざわざ知らしめる必要ないんですよ。
だって自閉症っていっても
狭い意味での自閉症と広い意味での自閉症
その場しのぎで知ってもらうには
あまりにも虹色すぎて
みんなわけわかんないし理解できないですから

感がいい人は
ああ、そういえば、昔そういう人が
クラスにいたよとかいう人がいますし
私たち世代の人はもうすでに
発達障害を知ってる場合もあります
知的には問題ないけど問題児がいたりする
この世の中ですからね。

私はもう、発達障害系の講座には
何年もいってないけど
そんなには多分変わっないと思う。
結局ですね、自閉症に関わらず
その当事者の抱えている困ってる根っこに
気がつけるかだけなんですよね
それって、障害があるかどうかではなくて
健常の人でも同じなんですよね。
ただ違うのは医学的に認められたか
医学的な範囲に達してないかだけですよ。
私は自分では
アスペルガーADHDの混合型だと思ってたけどね
鬱の薬を飲み始めたら
どうやらADHDだけではなさそうだなぁって
自分で感じたんですよね
で、ここ数年元気になってきたら
ああ、自分、発達障害卒業したかも。
とりあえず健常レベルに達したけど
変態って思ってるんですよね(*^。^*)
私と付き合いが長いとか短いと関係なく
私という人間に触れて理解して
付き合ってくださる人がいるし
今もなお付き合ってくださる人がいる
きっと息子は息子で
そういう人脈みたいなのができていて
可愛がってくださる人がいる
そして、私や息子がいろいろあったとしても
それなりに笑顔でいられる毎日が増える事が
本当の意味での啓発なんだと思っています
わかってくださいの時代から
私たち障害も持った家族でも
それなりに幸せです。
皆さんが納めてくださってる税金で
私たち障害を抱えた家族は支えられています。
感謝します。
ありがとうございます。

そう考えられるようになった自分が
愛おしいです。

 

____________

 

この記事を書いた後

知人の方にお会いした時

税金が役だっているのだと

知ることができたといって

『税金をちゃんと納めていてよかった』と

ちゃんと言葉で伝えてくださった方がいて

そんなことを伝えていただいたことは

ちょっと照れくさかったけど

嬉しかったことを思いだしました。

だからこそ、少しでも治療していくことが

ご恩返しでもあると思うし

社会生活の中でお金を使うことも

トレーニングとなっていると思っています。

それに、今は働くことができない私や

障害がある息子にとってできる

唯一の社会貢献だとも思っているし

この社会の中で正々堂々と

〝生きている〟だけでもないのだと

私は思っています。

だから、社会貢献も啓発も

実は毎日できるしやっているんだと

1人1人が気がついたらいいのになぁと

そんなことを思ったりします。

発し啓く前に内側をみつめる週間に…

今日から自閉症啓発週間が始まりましたが、うちはいつも通りの春休みを過ごしています。西洋星占術などで木星逆行からの水星逆行中らしいということで、最近は自分や息子のことを含め、発達障害の支援を振り返り考えをめぐらせていました。

発達障害者支援法が施工され今年で14年になりますね。某支援者が当時の講座中、話された事の中で一番印象深かったことは

『カナータイプなどの重度の人たちより予後が悪いのは軽度の人たち』

ということでした。皮肉にもそれは見事に当たってしまい、予言となってしまったように思います(苦笑)だからこそ、軽度の人たちの予後をより良いものにし、1人でも社会の中で働く大人になることを前提とした制度なのだと思いその当時は胸を躍らせながら講座を聞いていました。それに当時の私は、障害は治らないものだからこそ〝ゆりかごから墓場まで切れ目のない支援を受けられる〟ということが素晴らしいことだと勘違いをしていましたし、それが〝当たり前なこと〟だと思っていました。私は保護者でもあり、自分自身も発達障害を持っていたことでサバイバルスキルを積みすぎ、二次障害も抱えることとなっていたとも思っていましたので、軽度の人たちの場合、墓場までとはいわなくても、社会生活をしながら、悩みや迷いがある時には、病院受診とは別のカタチで相談やケアを受けることができる場所があるなら嬉しいなぁとそう思っていました。早期発見・早期療育についても、当初はおそらく上手くいっていたように思います。でもいつの間にか何かがズレはじめているなぁといった感覚は感じていました。それは、私自身が成長したこともありますが、それだけではなく、社会全体の問題となってしまったとしか思えません。先日、支援の現場で働く人から少しだけ現状を聞き、なんとなく想定していたことが起きていたので、悲しくなってしまいました。
あの当時でさえ、地方は最先端の地域からすれば制度だけでなく発達障害に関する内容が20年から30年は遅れているといわれていました。同じ日本に住んでいるのに、自治体毎でより良い支援が受けられないのは何故なのだろうと思っていたし、それは〝社会の理解が足らない〟そう思い込んでいました。首都圏に比べると地方はどうしても遅れてしまうと思っていたのですが、それらは地域性だけともいえないと思い始めたのが数年たった時でした。うちの場合には、年々その当時におこなっていた療育から遠ざかるを得ないようなことが続き、東日本大震災を期に考え方を切替えたことで同じ状況の保護者や当事者との療育や支援の考え方にズレが生じていきました。そして、昨年から久しぶりに息子を手元に引き取り、生活をしながら改めて感じることとなりました。それらはどういったことかといいますと、発達障害者支援法ができたり、個別支援や合理的配慮なども制定されても、その制度が支援する側の都合よく扱われてしまうこととなっていたり、保護者や支援者の都合の悪いことだけを取り除くための支援となっているんじゃないか? そんなことを思うことが度々ありました。というより、教育現場の先生や支援者又は保護者さえもその子の持つ特性をどこか誤解していたり、実は何もわかってないんじゃないか。あの当時から、発達障害の人たちの身体感覚の不具合や特性に関して情報として知ってはいるけれど、それらの身体的な不具合や特性がどういった時にどういった状況で本人の困難となってしまうのか? 身体的な不具合や特性があることから起こる問題がどのようなことなのか? そういったことに気がついてもらえてないというか、こちらからどういったことかを話さないと理解し、様子を見続けるだけで現場でどういった支援をすればいいのかに繋げてもらえてないのだなぁと思いました。その時思ったのです。何のために個別支援計画書があり、何のために学校入学時に個人の成育歴を記入したものを渡し、引き継ぎをするのだろう…。そして、保護者に対しても、同じ療育を受けているはずなのに、それらがどいった意味を持ち、子どもへの配慮や支援となるのかさえ、学校や施設へ伝えることができてないという現状に正直ビックリしました。そして、
『ああ、学校や社会のせいだけじゃない。保護者である親が子どものニーズに対して勘違いをしている。そして、親はそのズレたニーズを元に学校や社会を問題視し、問いかけていたんだ。そして、一部の業界支援者や医療関係者は、そのズレたニーズを肯定し、失敗はなかったことにし失敗を肯定するための窘め方を考えるだけで、次に活かす糧にしてこなかったんじゃないか?』
そんなふうに思うようになりました。
啓発も同じように、当事者の人たちのニーズよりも、保護者や支援者又は当事者にとって理想のニーズをうったえ続けていただけで、社会が何故理解してくれないのかを内省することもなく、その失敗を嗜めつづけ何十年も変わることなく啓発を続けていただけだとするなら、社会の人たちに届くはずがないんじゃないのでしょうか? 何故って、知ってもらうだけは〝祈り〟と同じように思うのです。知ってもらうだけなら、ブログやSNSでもできます。何十年と啓発の種を蒔き続けたのに、本当に何も芽がでなかったのでしょうか? 実は芽はでたのに支援者や保護者が刈り取っていないでしょうか?芽が出てないとするなら、じゃあ、その蒔いただろう種は土壌が硬すぎて芽が出なかったのかもしれない。大切にしすぎたあまりお水や肥料を与えすぎて折角蒔いた種が腐ってしまったのかもしれない。せっかく出た芽も根腐れしたのかもしれない。その種はある程度の土壌なら、自分でスクスク育つ種だったのかもしれない。その種の成長を促すこともできるし奪うこともできます。その成長を促すのではなく、奪っていた存在は一体誰なのでしょうか? 地球レベルで変化をしている今だからこそ、社会に訴える前に当事者、保護者、支援者が三位一体となり、改めて内側をみつめなおす期間にできたらいいのになぁとそんなことを思いました。

今日はこのへんで…

 

感覚過敏とお薬⑥-共感覚とかエンパスとかー

少し間が空いてしまいすみません。しばらくネットが使えない状態になることを思い出したので、感覚過敏とお薬のことを終わらせておこうと思います。

共感覚に関しては、私はないに等しいと思っている。文字をみても色は感じないし色がみえたりはしたことはほぼないに等しい。ただ時と場合に応じて色を感じることは稀にある。ただそれが毎日ではないという感じだ。音だと共感覚の現象といってもいいようなことは身に覚えがある。例えば、生の弦楽器の音を聞いた時、ステレオなどの音の周波数の画像がみえることがある。そして、無意識に涙がでてしまう。それも特定の楽器に限るのだが、弦楽器でもバイオリンや二胡、チェロになる。不思議とギターだと画像がみえたことがない。あとは、オカリナやケーナなど民族楽器の時は自然に鳥肌がたってしまうことがある。それらは共感覚といっていいのだろうか?
私はどちらかというと『共感覚』よりも日常的に感じていたことは『エンパス』だったのだと思うにいたっている。身体的な特性に関しては、今現在それらが役にたつことになっているので便利だなーと思えるようになった。それらが人よりも強かったことが私自身の生きづらさではなくそれらを助けてくれていたんだと思うようになれたことや、私という人間がもって生まれた身体の働きだったのだと思うにいたっている。

感情面に関しては、長年悩みの種だったことがここ数年で解決されることとなったのだが、思春期の頃、喜怒哀楽どんなことも感じすぎる体質になってしまったことから、人の中でうまくたちまわれない自分を気がつくことにもなり、集団の中でどんな自分でいればいいのか自問自答していた頃は、みんなのようになれない自分がとってもカッコ悪いと思っていた。そして、それが〝普通〟だと誤解していたことで、そんな自分を治さないといけないと思い抑制していた。そういった抑制がかえって、自己コントロールを困難にし、生きづらさに繋がっていったのだと思う。今思えば、気にしないで開き直ればよかっただけだと思えるようになり、本当に楽になった。やっと折り合いがつくようになったことで、『エンパス』はあるようだけれども、その状態に呑み込まれて自己を見失ってしまうということはなくなった。

精神的なケアも他者に手伝ってもらうことはあったが、最終的には自己解決できるようになりたいと思いケアにあたっていたので、よほどのこと以外は自己解決できるまでになれた。というか、気にならなくなったというほうがいいのかもしれない。それだけ、人のいうことにイチイチ捉われていたのだろうそう思う。感じなくなったわけではなく、眺められるようになったことが自分ではとても嬉しい。

『感覚過敏やお薬』が『共感覚やエンパス』と、どのような因果関係があるのかに関しては、正直私もよくわからない。ただ、これらの感覚は、向精神薬を服用しようがしまいが私にとっては増減したことはなかった。それだけはハッキリいえる。神田橋先生への受診が頻回になった時には、向精神薬を服用することで私の資質がつぶれてしまうから〝勿体ない〟といわれたことはある。その資質というのが『共感覚やエンパス』又はスピリチュアル界隈でいわれる『霊能力』みたいなものになると思われるが、『霊能力』っていうより『直感力が鋭い』と言い換えたい。

妄想力がすこぶる酷いことは悪いことだと思い長年苦しんでいた。現にその妄想力を扱い切れず自滅していたからだ。ただ、その妄想力が私の資質でもあったと気がついたことで、それらをどう活かせばいいのかはまだまだ課題だとも思っている。ただこれまでは、中々折り合うこともなく受け入れられずここまできた。それに、そんな資質を勘違いもしたくなかったのだ。逆にそんな自分を疑い続け戒めてきた。そして、その妄想が案外当たっていることに気がつき、それらの扱い方についてもこれからの課題だと思っている。苦行は嫌なので、楽な方法で折り合いをつけ課題をクリアしたい。

私の身の上に起きていた様々な怪現象がどうやら医学的な名称があり『共感覚やエンパス』だいうことを知ったのは、ここ数年のことだ。もし大昔の私なら、飛びついていただろうラべリングになるなぁと思う。昔一度スピリチュアルのことを勘違いし、のめり込んでしまった失敗体験があったことで、自分なりに色々と取り組んできたことで、それらを勘違いすることなく私の身の上に起きていることを医学的な単語に置き換えるとするなら『共感覚やエンパス』又は『直感力が鋭い』というんだなぁー。それくらい軽く受け止められるようになった。そして、それらの一般的には特殊だろう思われることを日常生活の中で使える楽しみも知り、〝使えないカード〟だと思っていたら、実は〝使えるカード〟だったという喜びを知ることになれた。
それに、発達障害の有無に関わらず、感覚過敏がある人たちは鈍磨な人もいれば過敏がある場合も全くない場合もある。その表出のスタイルがまたそれぞれなので、私に表出している特性はあくまで単なる一例にすぎないということは心に留めておいてもらいたい。勘違いしてもらいたくないのは、同じ障害があるからといって、感じている感覚や感情が金太郎飴みたいに同じではないということ。それと、発達障害の有無にかかわらず、五感のどれか1つに過敏がある人は案外いると思うのだが、どうなんだろう? 

私の感覚としては、大半の人たちがおそらくそれらの感覚は閉じてしまっているだけなようにも思う。それは何故かというと、私がまだ、自閉症スペクトラムのことを学びはじめたばかりの頃、支援者か研究者だったかどなたかは忘れたが、自閉症スペクトラムの人たちの持つ身体に表出している特性は私たち人間が本来持っていた本質を持って生まれただけで退化しているのではない。進化をしていないのだといったようなことをネットか何かの記事で読んだことを覚えている。そういった内容の記事を読み、とても共感したことを思い出した。まだその当時の私は、どんなことも自己否定の材料にしている時期で、自分を欠陥人間だと勘違いしていた。だから、私も進化したほうがいいと思い、付け足すような自助努力や感覚過敏を治すことばかりに囚われてきた数年を過ごしていた。ただ、ここ数年行っていた治療のお陰で、自己成長を促してくれるような行為そのものが、自分自身を卑下していることでもあることに気がつくこととなった。そして、過敏が鈍磨になることで、自分自身の体調の不具合がわかりづらくなったり、体調が悪くなってしまうということに見舞われることがわかってからは、一見不具合にみえる特性に対し、付け足すことや失くすことよりも日々の体調管理を気をつけることに変えることにした。感覚過敏は身体症状になるからこそ、風邪のように体調次第で出たりひっこんだり、波があることが当たり前。それらがあっても生活に支障がない状態であれば、その人にとって〝ある〟けど〝ない〟といった『治った』という状態でいいのではないか? 私は『それでいい!』と思えるようになったことで、私は更に楽になった。それ以外にも折り合えるようになったことで、私の場合、ひとまず〝クリア〟できたとも思っている。ここまでになれたのだから、体調次第で過敏が酷くなり生活がたちゆかなくなってしまうことがないよう、日頃から季節に応じたゆるっとセルフケアを行い整えることが私には必要不可欠だ思って、日々のケアをこれからも続けていきたいと思っている。

最後に…私がここまでくるのは、様々な事情が重なり40を越えた今頃になってしったことは悔やまれる。それでも、私はこれまでの経験で、私なりに得ていたものが多く、例えるとするならパズルであればピース、組紐であれば糸、文章だったら単語のように、バラバラと得ていた物事はそれぞれのヒントであり、その時の答えでもあり、そして、その1つ1つが繋がったことで、本来の私をとり戻すことができたのだから、結果オーライだと思っている。悔しいことも悲しい事も怒り狂うような日々が沢山ありすぎて、もうあんなことは二度と味わいたくない。もし、また大きな壁が立ちはだかるようなことがあった時に、今度は揺らぐことない私で、それらがクリアできるようになるための苦行だったのだろうと自分を嗜める祝辞にしようと思う(苦笑)。終わったからこそ言えることだが、もう嫌だ。二度とごめんだ! 金輪際嫌だ! お釈迦様が苦行が無駄だと思って苦行をやめた気持ちが1ミリくらいわかる気がする〝春〟を迎えることなったが、幾度となく訪れた希視念慮の中でも最上級といってもいいあの時、死なずによかったと思える日が来たことは喜びたいとおもっている


※最後まで読んでくださりありがとうございます。

今日の空

朝まだ10時にも満たないのに

まだ春のはじまりなのに

汗ばむ陽気。

青くて高い空と

満開の桜に降り注ぐ陽の光

時折そよ風に揺られ

桜の花びらが

舞い落ちていく様子は

なんとも言えない瞬間です

 

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また立岡自然公園へ行きました。

今日は春というより夏を感じました。

こんなに寒暖の差が激しく

しかもいつもより早いので

体調管理に気をつけたいです。

去年と食べたいものが

変わってきているので

食養生も改めてみたいなぁと思う

今日この頃です。

本日の桜のある風景の写真は

インスタにもアップしてますが

こちらにも落としときます

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 ホントに綺麗

すごく綺麗で

今までで

一番悲しい…

 

ドリカムの『めまい』を

脳内再生しながら

桜の並木道の下を歩くと

自然に涙が

こみ上げてきそうになるので

ヤバいのですが

イヤハヤ、今の私には

この歌の心境そのものでございます

(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)

春はまた来るのに…

新しい明日を迎えるための

儀式なんてないのだから

終わりがくるこの一瞬を

ずっと留めておきたくて

また同じ今日は永遠に続かないし

またあなたとこうして

同じ景色を味わえるのかさえ

あなたの隣で笑っているのかも

わからないのに…

約束されていない未来を

埋めるかのように

今の私を満たしておけば

あなたを思い出した時

泣き笑いしながら

またこの景色を眺められるかな?

そうやって私は私を

いつもたしなめているの

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SUNSET

久しぶりに夕陽をみに行きました。

いつもみえる島原半島

白く霞んでみえませんでしたが

いつもどおり綺麗でした。

桜の木があったので

桜と夕陽を一緒にぱちり。

飛行機雲がすーっと

青空を通り過ぎながら

白線を引いていく様をみていて

何かが吹っ切れるようでした。

 

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