ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

今日の空

今年は梅雨が早く訪れ

長雨になるかなぁ…と思っていたら

ここ数日、心地よい天気に恵まれています。

っていうか、なんで皆既月食の時

雨だったのよぉおおおお( ;∀;) 無念

 

▼君の名はみたいな空でござる

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さて、本日で5月も終わり。明日から6月ですYO!!! Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン。

そんなこんなで、我が家の最近の近況を少しだけでも…。

 

福岡に移住して早5カ月。支援されながらも結果的に、支援者に伝えなければいけない事態が多すぎ、追い込まれることになっておりますが、私が追い込まれるということは、支援者側の落ち度でもあるということに気がついてないっていうことをここ数日で思い知らされました。ええ。

 

人は完璧じゃありません。そんなことはよーーーく知っています。

なので、誰かに注意されたり、指示されたりしなければいけない人材もいることも重々承知の上で、私は支援を受けることに決めました。が、しかし…。

 

長い間、業界で囁かれていた〝自閉症スペクトラムの三つ組み〟を、今、改めて、考えさせられる日々を過ごしています。

 

福祉に携わる人、教育関係者、医療従事者の方たち全員とはいいません。ただ、医療や国の制度を使用し支援に携わる人達の〝精神性〟や〝倫理観〟の認識の違いによって、産み出されてしまう新たな弊害をシミジミ感じています。

 

一から十までの答えを学び覚えたところで、解答用紙に記入することはできて百点満点がとれても、日常生活をする上で、その〝答え〟の〝意味〟は支援される当事者によって〝意味〟が全く異なることがあるのが支援だと思います。

解答用紙では【答え】を書くことが点数をとるために大切で優先されますが、実質支援をする際には与えられた【答え】を元に支援するのではなく、その【答え】の意味がどういった〝意図〟を持ち支援する必要があるのかがとても大切だと私は思っています。

 

上司からの指示や申し送られた物事をただシナリオ通りにやるようなやっつけ仕事(支援)ではなく、あくまでその【答え】は【手掛かり※情報】であると思ってもらい、学校や講座などで学んだ望ましい【答え】と現実の生活に営まれる中で出る【結果】と刷り合わせるかどうかを〝大切〟にしてもらいながら支援してほしいなぁと思うんですが、それは、たとえ経験をしていたからといっても理解してもらえないこともあります。っていうか、わからない人材な人は命を扱う現場に携わってほしくないと思うのは私だけでしょうか?

 

このようなことって、ほぼ全部が【コミュニケーション】なんですよね。他者との交渉や交流、いわゆる〝やりとり〟。そして、それらは、育ってきた環境や経験値で随分変わりますよね? 生活習慣や環境で左右されてしまうのが【人としての発達=成長】だと思うんですけど、健常者の人と自閉症スペクトラムの人のコミュニケーションエラーの違いを誰か教えてください。私には、全く同じことが起きていると思っています。

 

【想像力の欠如】も同じです。何が健常者の人と自閉症スペクトラムを含む発達障害の人たちと違うのでしょうか? 私は、カナータイプの息子を含め、一体なにが違うんだろう?と、再確認させてみらっているフェーズに来ています。

そして、人が発達する時に必要なことの大半が【コミュニケーション】が必要だと思うんですけど違うんでしょうか? しかも【想像力の欠如】で仕事が教科書通りにしかできない健常者もいるっていう毎日を感じている次第なんですが、健常者といわれる方も発達障害といわれたり、コミュ障と思っている人たちはもう一度、本当に自分が【コミュニケーション】を正しくできているのかどうかを問うてもらいたいところです。

 

そして【社会性】。社会性は健常者だろうが障害者だろうが、コミュニケーションや環境次第で引き起ってしまうんですけど、違いますか? 人類学とか人間を研究してる人たちに聞いてみたいです。

 

それと、ここ最近大きな気づきを投下しておきます。

実は、変えようとしても目の前の人が変わらない場合、あなたを含む周囲がの価値観が変わる必要がある。

そして、目の前の人の問題は、実は関わっている人たちの【三つ組みのエラー】が目の前の人を問題児にしているのだとすれば、ほら、あなたなりの答えが浮かんでくるはずです。

 

『犯人はお前だ!!!』

 

ってやつDEATH('◇')ゞ

 

きょうはこのへんで…