ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

今日の空

今年も残すところ後43日だそう。

そして、初冬を迎えたはずなのに

なんだこの暖かさ…っていうくらい

この良き日ってくらいの小春日和な本日

皆々様いかがお過ごしでしょうか。

私はなんとか元気ですが

11月の中旬を越えているじゃマイカー( ゚Д゚)

 

▼はてさて、噂の煉獄さんを観てきましたYO。何億万円の男になるでありましょうか?

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キャッチーなコピーが秀逸です!

 

「キメハラ」って言葉が生まれたくらいな、噂の「鬼滅の刃ー無限列車編ー」観ました。いやー、劇場版はもう観に行きません。なぜなら、映画館で、爆笑できないからです。ええ。善逸氏の、かの場面で私は肩が揺れるくらい声を抑えながら爆笑しました。そして〝号泣〟はしませんでした。〝号泣〟するより〝怒り〟の感情のほうが沸々とわかいあがる思いのほうが強かったです。

 そして、〝号泣〟している姿をみられたくないことより、大声だして〝爆笑〟できなかったことが私にとっては〝拷問〟に近かった…。

  ですので「鬼滅の刃」に関しては〝劇場版〟は私には向かないことが判明しただけです。はい。ファンの方をはじめ関係者各位こんなこといって申し訳ございません。

あくまで、

【個人感想です‼


 すみません。今後はどうなるか存じませんが〝劇場版〟で継続され、現状のような状況での放映スタイルになるなら、次回は「声だしてもOK」なルームもあると劇場でも気兼ねなく観ることはできそうですが、大人しく観なければならないならばレンタルでの動画配信になるまで待ちます。

 

ただ、画像の美しさやアクションシーンのリアルさなどは素晴らしいなと思いましたし、完全に3D化してないところがよかったですね。

 映画「マトリックス」のようなワイヤーフレームを使ったアクションシーンに特殊な撮影方法のカメラワークも用いられてたし、だからといって完全フル3Dアニメでもなく、デジタルが活かされているからこそ、2次元と3次元を組み合わせたRPG的な世界も感じることができたし、ゲームが好きな人たちはすごく好きだろうなぁと思いました。とにかく画像が鮮明で綺麗でした。

 

 ただ、原作から映画としてアニメ化されたものやアニメ映画として制作されたものとの【違い】は大きいなとは感じました。

 何故かというと【鬼滅の刃】が社会問題となるくらい人気があるのに対し、一本の劇場版の作品としては〝弱さ〟を感じたのです。あくまで、劇場版までの土台(原作の漫画やアニメ)があるから〝劇場版〟が見栄えしているように思いました。

 なので、今後はどうなっていくかは動向が楽しみではあります。煉獄さんのキャラがこれまた良すぎたので、ここで、奥の手出すかーみたいなそんな印象も感じながら観ていました。イチイチ、セリフが沁みますね。こういう状況でもあるから尚更だと思います。

 

 比較させてもらって申し訳ないのですが、逆に、エヴァンゲリオンの場合は

アニメ放送版より『劇場版』のほうがわかりやすいし好きなんですよね。画像や画質も綺麗だし…。〝劇場版〟のほうが、エヴァは更に良くなったように感じました。結構込み入った難しいお話をエンタメ化してあるし、そこに〝秘密結社〟や〝西洋占星術的〟や〝神話〟なども絡んでいるので、それらに詳しい人たちからすれば、突っ込みどころもあるかとは思いますが、それらについての上辺だけの知識をなんとなく知っている私からするとよくできてるなぁーと思うのは【エヴァンゲリオン】なんですね。

 そして、今年になり、30年前に話題作だった『AKIRA』の4K版も映画館で観たのですが。【AKIRA】は、更に、凄い作品だなーと思った次第です。

 

 他にも似たような枠組みで企画された、アニメ作品はあるかと思いますが、私は、この3作品しか観てないけれど(AKIRAエヴァンゲリオン鬼滅の刃)にこれらに大きく共通するものを感じたのであくまで、こうしてブログで取り上げてるまでです。

 

AKIRA】は今から30年前の作品

エヴァンゲリオン】は今から20年前の作品

鬼滅の刃】は、今現在

この3作品よりも以前の漫画やアニメなどの作品を知っているか、知らないかで現状の作品の良さの感じ方が格段に変わってしまいますし、その作品全てがオリジナリティを感じるのか、様々な作品からインスパイアされたものを盛り込みオリジナルのようにみせるのか、これらの表現方法や受け取る側の価値観で大きく左右されてしまうのが『新作』になるワケで…。これは、アニメに関わらずすべてのことに言えることでもあるのですけれど…。

  とするならば、【鬼滅の刃】のみしか、知らない人たちにとっては、全てがオリジナルの作品だと思われることになるワケです。それでも、多方面の漫画やファンタジーな映画又は小説などを観たり読んだりしていた世代の人たちからすれば、モヤモヤすることを感じる人もいるだろうし何が面白いのかわからない人もいて当前だよなと思うにいっております。

 私は【鬼滅】をアニメ放送から見てる段階で、すでに、たくさんの漫画に限らず映画や小説などに触れ、しかも、五行説や東洋の占い又は月などに関しても作者さんはご存じな方なんだなーと思いました。

としましても、盛ればいいだけじゃないので、よくもまぁ、盛ってはあるにしても

新しい作品として成立させたなーと思い関心はしました。

で、劇場版を観にいったのは、シリーズ1の続きだったからですが前述にもあるように、善逸氏の場面で大爆笑できないので、レンタル動画配信を待とうと思った次第です。褒めてるのか貶しているのわからない記事になってますが、扱うものが大きければ大きいほど作者の器が大きくなければ問われることになるんだなぁーと思った次第です。

それと「倫理観と精神性」の思想が偏ってしまうと問題視されても仕方ないしあくまで、フィクションなんだということを心に留めておくことも必要なんだということを

示してくれている作品でもあるとは思いました。

 劇場版はある意味、〝フィクション〟と〝ノンフィクション〟が地続きになっていることから〝目覚めなさい〟といわれているように思ったのでした。

 

これは、あくまで

【個人感想です‼

あっこんなことを綴るつもりじゃなかった。

 

 私が鬼滅を知ることになったのは、アニメの主題歌になった『紅蓮華』からです。ちょうど、Amazonプライム会員だったのでシリーズ1をぶっ続けで観ました。

※というか、観た報告をこのブログにも一回綴ったような気が…

  3話目まで見ながら号泣しました。何故かというと、自身の体験が重なったからです。息子の行動障害が一番酷かった時期に息子と夜な夜な戦い取っ組み合いの状況になっていました。

 行動障害が起き始めたのは小学校3年生の後半からになりますが、噛みつかれるようになり人を噛むくらいなら物を噛んだほうがまだ良いと思いハンカチを噛んで良いことにしていました。

 コーピンググッズがぬいぐるみだったので、それらに鼻をすりすりするだけに留まらず、噛んだりもしていたのでボロボロになるたびに縫っていました。初代はニャッキ、2代目はメロンパンナちゃんとアンパンマンでした。

そして、初代〝ニャッキ〟は50㎝大だったのに最終的には顔だけになり、その顔もボロボロになったこともあって、ハンカチとは別にコーピンググッズとして持ち運びができ、洗い替えができるようにと裁縫が上手な母(息子にとって祖母)にタオル地で『ニャッキの顔』だけを制作してもらい、人を噛むくらいなら、ハンカチやお手製『ニャッキ』を噛んだほうがまだマシだと思ったことや少しでも他害に発展しないように、イライラする時は、それなら〝噛んでもいい〟よということで、持たせていました。そして、それは、学校でも使用許可をもらいコーピンググッズの意味もかねて、家だけではなく学校やデイサービス先でも持たせていました。

 中学の頃には、学校では必要なくなっていたようですが、帰省時に自宅に帰ってくると『鬼滅の刃』の禰豆子が竹の猿ぐつわを噛んでいるような状況でした。外出時でも私はあまり注意することはなかったし、時と場合に応じて、それらを常時噛んでいてもいいことにしていました。それは服薬を始める高校3年生まで続きました。

 『鬼滅の刃』という作品が〝週刊ジャンプ〟に掲載されはじめたのが、2016年の11月から。アニメ放送となったのは、昨年の2019年。私が『鬼滅の刃』を知ったのは、アニメ主題歌の『紅蓮華』を知り、Amazonプライムで観たのが今年。

 初めて観た時、1話目から3話目は、劇場版の悲しさより〝号泣〟したくらいでした。それは、なぜかというと、もしかしたら、息子が『鬼滅の刃』の禰豆子ちゃんみたいだというようなことで、陰口をいわれていたりもしたからじゃないかと思ったからです。別な意味で、「赤ちゃんみたい」だとか、常時口に入れていたことで〝匂い〟がしていたことから、臭いと思われていたりもしただろうし…。
 発達障害の子たちだからこそ、息子がずっとそれらを噛みしめているワケはわからなかっただろうし…。息子のことを庇って説明できる大人もいなかっただろうなぁといったことは気がついていましたが、『鬼滅の刃』を知ったことで、自分の至らなさを更に思い知ることになったことにあわせ、主役の丹次郎が半分鬼にかした妹の禰豆子に対し、発するセリフ一つ一つが、一番行動障害が酷く夜な夜な戦っていた時に伝えていた言葉が重なったからです。「禰津子負けるな。ごめんな」といって泣きながら、妹の両手を掴んで禰津子と戦わないあのシーンは何度見ても、胸が痛いし涙が流れますから。

 今思うと、笑い話のように語ることもできますが、正直ワラエナイです。過去の自分だけじゃなく、息子に悪いです。
 だから『鬼滅の刃』を、私はどこか冷めた目で俯瞰した観方や捉え方しかできないのかもしれません。例え〝フィクション〟だとしても…。

 

きょうはこのへんで…

 

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息子にとっての祖母に作ってもらった顔だけニャッキ