ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

今日の空

今日は朝から晴れていたので

洗濯物を干しておりましたらば

すっかりとりこむのを忘れていて

思い出した時には

薄暗くなっている時間でした。

洗濯物をとりこんだ後

しばらくしたら大きな雷が鳴り

稲光がぴかって光って

その後風がビュービュー吹き始め雷雨に。

『春雷』ってやつなのかしら…

なんて思っていたら

そのうち外は静かになりました。

明日は冷えるとのことなので

まだまだ体調管理気をつけなきゃですね。

 

▼れんげも咲いてました

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言葉の受け取り方にが下手っぴだからこそ

受け取り方に気をつけなきゃって

気をつけるようになりましたが

数年前までは、自分の受け取り方だけが

悪いと思っていました。

そして、相手の人の伝え方も悪いって

自分のことも相手のことも

責めてばかりいました。

 

〝自分の一番の味方になってあげるのは

 自分自身〟

 

だと気がついた時には目から鱗でしたし

思いっきり泣きました。

それ以来〝自分のことを守る〟ことに

徹していたらば

他者のことも考えられるようになってきて

自分だけが受け取り方が

下手だったわけでもなければ

相手の人も受け取り方が下手だし

それなりに答えてくださってたのだと

そんな風に思えるようになってきました。

そのうち、以前の私なら

イチイチ罪悪感を感じていたことも

全く感じなくなりました。

なんでそう思えるようになれたのかは

以前のブログにも何度か綴ってますが

大抵の人が他者との会話で

『前提』は相手が知っているものと思って

その部分は、はしょって話していると思われ

だからこそ、話しがかみ合わず

チグハグな会話になってしまって

噛みあってない中で

互いに相手を責めてしまうことに

なってしまうのに気がついてからは

多少話が長くなって

相手の人がめんどくさがっても

その普段は話されない部分も

話すことにしました。

そして、様々なことにいえるのが

『前提の違い』から生まれてしまう

コミュニケーションは

障害の有無に限らないのだと

強く思うようになりました。

自分が知ってることを

相手が知っているという

幻想は捨てたほうがいいと

思った次第です。はい。

そして、最近よく感じるのは

『受け取り方の違い』です。

受け取り方の違いも

互いを誤解しあう要因に

なりがちなのだと気がつけたのは

よかったなって思います。

 

『前提の違い』

『受け取り方の違い』

 

この二つが腑に落ちてから

他の人と話をするのが

そんなに辛く感じなくなりました。

誤解をされる場面も

まだまだありますが

10年前からすると随分楽になりました。

それは、無意識領域だけを整えるだけでは

自分の場合には上手くいかないことを

思い知ったからでした。

おかげさまで

話し言葉が苦手な息子との対話にも

役にたっています。

息子の言語の発達は

私自身の成長と平行しています。

息子を変えようとしなくても

息子への関わり方に対する

意識の方向性を変えただけで

なんかしらんうちに

息子は成長してくれました。

本当に不思議なことがあるものですね。

 

きょうはこのへんで