ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

先着1名様問題③ー本題後篇ー

せっかくシリーズ化にしたので、我が家のケースの『先着1名様』エピソードをいくつか紹介し、本題を終わらせたいと思います。

 

 前篇の記事にあるように息子がオウム返しで繰り返していた『ブリジストン』。カタカナやロゴマークと息子自身で発語した発音やCMなどで聴いた発音又は自分以外の人が発語した発音が同じかどうかを確認しているんじゃないのだろうか?と最初は半信半疑でした。でも、youtubeやネット検索などで自分の気になる言葉とロゴマークや文字をマッチングするような場面が増えてきたのと同時に、それらの言葉の違いについても、私に尋ねてくるようになりました。尋ねてくるといっても、おそらく一般的にはわかりずらい要求なので、私だからわかる要求でもあると思います。そこはやはり、自閉っ子だからこそ上手く伝えられてはいないので、そういった部分についてはコミュニケーションの障害ではあると思います。とりあえず、私は察することが人よりはできるようなので、彼が何をいわんとするのかを完全にはわかりませんが、なんとなくはわかってあげられているようです。それと、私があきらめの悪い女だからか息子もそれを引き継いだようで、自分の腑に落ちるまで何度もしつこく毎日伝えてくるので察するほかなかったりもします…。なので毎日が一休さん頓智比べのようなものでもあります。ただ、これを私が楽しんでいられるのでよかったのかもしれません。(自画自賛 苦笑)

 そうした日々を過ごしているうちに、ある日『かぜ』という言葉を発した後、「風邪にカコナール」とか「西の風」だとか…。同じように聞こえる『かぜ』という言葉の違いを息子なりに獲得していたこともわかりました。ああ、同じように聞こえる言葉に意味があることに気がついたんだなぁーと思ったのですが、これまた確信にはいたらなかったのですが…。ある日、竹がさわさわと揺れているのをみた息子は

 

息子:「かぜ、西の風」といったので、

私 :「風だねー風がふいとるねぇー」と伝えると

 

にこっと笑顔になりました。それに続けて、

 

息子:「風邪にカコナール」というので

私 :「その風邪は病気の風邪だよ。」

 

といったことを伝えたことが何度かあったことから、言葉の違いと意味の違いも獲得しているのだということに気がつくことができました。口頭で伝わる時は笑顔になるし、繰り返し伝えてこなくなるのを目安にしています。それに加え、口頭だけでは伝わらない時は筆記やネット検索などで言葉と発語をマッチングさせたりして教えていましたら、そのうち息子自ら知りたい言葉は、私に尋ねてくるようになりました。ただ、それらが、かなり聞き間違っているというか、息子に聞こえている発音がとんでもなく頓珍漢なので、そういった耳の持ち主なのかーと思ったのですが、それは私自身も身に覚えのあることでもありますが、息子ほどではありません。息子の場合には顕著に現れているので、話し言葉だけで言葉の獲得が難しいんだから、コミュニケーションが上手く噛みあわなくて当然だなぁと思うことになりました。私も幼い頃からよく聞き間違いをして勘違いをして覚えていて笑われたこともありますし…。なので、事務の仕事の場合には電話応対は相当気をつかっていたくらいなのでとても共感をしました。※実は先日も聞き間違って仕事先の職員の方のお名前を間違って覚えていました(苦笑)

 息子の場合には、私よりも相当聞き間違いというか聞こえ方が特殊なようなのです。英語の発音の場合には、聞こえ方の違いは確かに感じることが多いのですが、『Happy Birthday』は大抵の人は『ハッピーバースディ』と発音すると思うのですが、うちの息子はなぜだか『ハッピーブースディ』と発語します。〝市川〟という文字が『いいちこ』と聞こえていたり、〝フランダースの犬〟が『フラダンスの犬』、〝シーズン到来〟が『シーズン オブ ライフ』など…。こういった聞こえ方をしていて、しかも、人によって発音の仕方が違って聞こえてしまうといった『先着1名様問題』も併せ持っているなら、言葉を息子自身で獲得するのは相当困難だろうなぁと思うのです。合わせて、言葉を伝える人がその言葉を間違って覚えているとしたら、それこそ標準的な言葉の獲得は難しくなって当然ではないでしょうか? なので、自閉圏特有の『先着1名様問題』を心にとどめておいてもらっていたら、もっと違ったアプローチを考えてもらえるように思ったのです。いわゆる視点をかえることで、アプローチの方法は変わってしまうといってもいいと思ったからです。

 それと、我が家は言語療法などに通っているわけでもありませんし、自宅でワザワザ特別に言葉を教えたりしているわけでもありません。日常生活の会話の中で、ちょっと気をつけているだけで言葉が発達しています。それは、息子自身が言葉の意味がわかることで何か得られたことがあったからなのだろうと思います。まだまだ、自分の好きなイントネーションや、興味・関心がある単語のみの獲得にはなりますが、それでも私には十分ですし、ひらがなやカタカナといった50音を書けるようになれなくても、自分の名前だけでも書けるようになったら…といった取組が50音も読めて書けるようになっていたことが、今全部繋がっています。 ヘレンケラーが「WATER」という言葉の意味がわかった時と同じように、息子も〝物や人には名前があるのだ〟ということがわかったからこそでもあるように思ったりします。

 

先着1名様問題④-さいごにーへ続く