ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

2つの式で問題を解いてみたら…なんの問題もなかった件④

息子の場合には、卵アレルギーがあり極度の偏食でしたが、後々障害の診断を受けたことから、その当時食に関するアドバイスでは、『偏食指導はしない』といったことを私は有り難く思い、片手で数え切れるくらいの品しか食べられなかった時期を数年すごしました。年齢があがるにつれて、食べられるものが増えていくといった感じでした。

アレルギーの食事指導を半年程は受けていたこともあったし、元々私はアレルギー体質で、息子を産む前に一度体調を崩したことなどから、アトピーや蕁麻疹などがなかなか治らなかったりしたことで皮膚科で詳しい検査などをしたこともありました。そのおかげで食物アレルギーを含むアレルギー全般のことはそれなりに知ってはいました。それと、アレルギー体質だけでなく幼い頃から感覚過敏を持っていたことから、偏食でもあったので〝食育〟に関して、私はずっと懐疑的に感じていました。なんでもよく食べられる人が羨ましかった反面、少しの味の違いで不味く感じて食べられなかったり、そのもの本来の匂いとは違うことから起こる食べられないといった偏食は、私には痛いほどわかったからです。

(※過去ブログに感覚過敏の記事がありますので、よろしければあわせてご覧ください)

熊本地震までは、私は水道水をほとんど飲めませんでした。が、被災生活をしたことで、水道水も貴重に感じ飲めるようになったほうが良いと思うにいたり、現在は少しだけですが飲めるようになりました。ただ、水道水を沸かしたものは、お茶やお味噌汁などによっては味が変な味に感じてしまうので使い分けています。

息子は数年離れて暮らしていた時に、水道水の味や匂いには慣れてしまったのか、私とは違って大丈夫のようです。むしろ、水道水を飲みたがることもありますので、本人の飲みたいものを飲ませています。それでも、カルキの匂いが酷い時は飲みません。親子共々五感すべてに過敏がありますが、私のほうが臭覚や味覚に関しては過敏のような気もしています。

上記のようなことから、私自信が旅先で困るのはいつも飲料水になります。現在は手軽に自販機ででも手に入るようになりましたので、困ることが少なくなりました。ありがたいです。で、お水って全国どこへいっても同じ味や匂いと思われがちですが結構違うこと皆さん気がついていらっしゃいますか? それとは別に、どなたかのブログでお子さんがお家の食事を食べない問題に対してほとほと困っているといった話を目にしたことがありました。その方は、問題にはしてない方だったので、ご自身なりの落としどころで解決なさっていらしたようで、我家の場合も幼児期は、自宅のご飯は食べないのに、外出先や保育園の給食は食べられることもありましたので、自分の作る食事が美味しくないのだろうか???と自分責めしたこともありました。なので、その当時の友だちで保育園の給食の先生をしていた子に相談したこともありました。その子の話では、水道水だけが原因じゃなくて、ダシなんじゃないかなぁといったことをアドバイスしてくれました。なので、それなりに気をつけていたわけですが、それでも、息子の偏食が治ることはなかったのです。で、今振り返ってみて気がついたのは、保育園や学校などの給食と一般家庭で作る量ってかなり量が違いますよね。で、料理ってそれなりの量をつくったほうが美味しかったりするんじゃないかと思ったのです。だから、同じ料理でも味の違いがでてしまうんだろうなぁと思ったんですね。だとすれば、大量につくる給食と一般家庭でつくる少量の場合では、絶対的に給食のほうが味が良くなるだろうと思うわけです。ええ、つまり、自分がつくっている料理が実は不味いから食べてくれなかったわけではなかったんじゃないかと気がついたのです。まぁ、幼児食って基本薄味にしなさいっていわれますが、少量で薄味にしたら不味くなるのは仕方なかったことだよなぁあああと思うことにいたりました。

そして、〝子どもが食べてくれない問題〟の方は沖縄の方でした。で、私、昔沖縄へは何度か行ったことがあるのです。もう随分昔のことなので、今現在とは違うかもしれませんが、沖縄の水道水ってものすごく不味かったように思うのですね。で、塩素だけじゃなくてカルシウムだかなんだかが多いことでお風呂場が白くなっちゃうみたいなことも聞いたことがありました。私の記憶では、お水が不味かったように記憶しています。となるとですね、食事の時に使っているお水が水道水を使ってる場合には、かなり味が変わると思うのです。汁物は特に。それと、普段使っている味噌や醤油なども味が違えば、材料が同じ量でも味は変わってしまうので、味に敏感な人たちは、食べられなくなってしまうこともあるわけです。つまり不味くて食べられないわけじゃなくて、好きな味が給食の味でそちらが本物の味と認識されてしまう場合もあるわけです。ええ。なので、そんなに落ち込むこともないのかもしれません。そこで、もし、お子さんが食べなくて困っていると思っていらっしゃる方で、食が細いのをなんとかしたいと思っていらっしゃるのであるなら、試していただきたいのです。

まず、麦茶やお茶などを水道水で沸かしたものと浄水されたお水を使ってお茶にしたものと違いがわかるかどうか。お茶と汁物の場合にはお水の違いがわかりやすいのです。なので、どちらのほうが好んで飲むのかといった実験をやってみるのも偏食がどのようなことが起因しているのかの糸口にはなるんじゃないかと思います。そして、他には、同じ材料と同じ量の料理を調味料を変えて料理し、それらを食べてくれるのかどうかも探ってみられてはと思います。そういった工夫をしても食べられないのであれば、偏食ではなく、別の原因があることになるのだと思われます。ただ、アレルギーがあることから、自ら好んで食べないということもあるようなのですね。で、身体の成長や発達をすると、不思議と食べられるものが増えていくものなのだということも経験しました。

我家の場合には、基本的に本人が食べないものは食べさせません。学校で食育指導が行われていた時に行動障害も起きていた時期が重なっていたこともありましたので、その頃には、学校の先生やお世話になっていた施設のほうには、食育の指導を行わないでくださいとお願いもしました。ただ、それまでに、食育指導が行われていたことで、障害の特性もあったからか、出されたものは全部食べなければならないといったことが刷り込まれていました。出されたものは残さず食べるといったことは、世間一般的にはお行儀が良いと思われがちです。でも、うちの子のような場合には、たとえお腹がいっぱいでも、食べなければならないといったこととなり、無理して全部食べるといったことにもなっていました。そういった習慣は、一見良い習慣のように思われますが、自己調整ができないというよりも、律義さが起因となり無理して全部食べるという負の習慣にすり替わってしまうことになっていたので、学校の食育指導に対しては、我が家の場合には止めて欲しいとお願いをしてきました。ですから、自宅や外食先でも嫌いなものや食べられないものは、無理して食べず、残していいといっていましたし、息子以外の家族も、わざと食事を残すようにしたり、食べる前から量を減らすといったことを教えていました。なぜ、わざわざ残すことを教えたかというと、自他の区別がついてないことから、自分以外の人にも出されたものは残さず全部たべなければならないというルールを他者にも求めていたからです。なので、わざわざ残したりするなどして、他者に自分のルールを求めないということを間接的に教えていました。お陰様で、今現在は、自宅や外食先でも残せるようになっており、『全部食べなければならない』といった呪縛は少しとけたようになっていますし、私にも全部食べろと言った要求はしないようにはなってきています。

で、我家の場合には、食に関することは、かなり常識をはずれたことを行ってきました。朝ごはんは食べたほうが良いとわかっていますが、食べられない時には朝ごはんは食べなくていいことにしています。食べられる時は食べさせる。本人の主体性を大切にしています。季節や日中活動の内容によって、朝から何か食べた方がよさそうな時は、一応声掛けしたり、これだけは食べてといったようなことをするくらいです。とりたてた工夫もしていません。咀嚼が下手だからきざみ食にしたり、すりおろしたり…といったことをやっているくらいです。以前はわざわざ食べられるような工夫をすることもやってはいましたがそういったことも今現在はやめました。そのかわり、本人が食べられそうもないものも食卓に並べるようにしました。いつごろからか、今まで食卓にならんでいても息子自身から欲しがることがなかったのが、自分の分も小皿に取り分けて欲しいと要求するようになり、今現在は自分で小皿にとりわけるまでになりました。そして、まだまだ好んで食べられる野菜は少ないのですが、食べられるものが増えており、自分の好きな料理に関しては、食材の指定があるくらいになりました(笑)それも、ある日を境に食べられるようになっていってます。食べられるものが増えると同時に、今までは好んで食べたり飲んだりしていなかった、お菓子やジュースを自ら好んで飲んだり食べたりするようになっています。雑味がうけいれられるようになったのかなぁと思っています。と同時に言葉や認知も発達していくので、心身が発達すれば食に関して神経質にならなくてもいいように思う今日この頃です。

で、ですね、赤ちゃんや乳児期に一食抜くことは危険かもしれませんが、食べないってことは、お腹が空いてないのかもしれないし、他に何か原因があって食べられないってこともあるように思うのです。で、我家の場合には、食べられないのではなく、断固として食べないこともあったし、お腹が空けば自ら勝手に食べるのだなぁといったことも経験しましたので『食べない問題』もその原因となっているのは、実は大人の固定観念が問題にすり替えているだけなのかもと思ったりもします。なので、昨今の食に関することも問題ばかり積み上げて実際には子ども本人不在で大人が勝手論議してるだけなのだと思うのです。で、我家の場合には世間一般の常識を捨てたのに、何かしらんうちに偏食も少しずつ改善されているということとなっています。

 

2つの式で問題を解いてみたら…なんの問題もなかった件⑤へつづく