ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

2つの式で問題を解いてみたら…なんの問題もなかった件①

 人様が何々が問題だと思う風なブログを読んで、今日閃いたことがあったので、2つの式を使って、とある人々には問題だと思われることを紐解いてみました。その式は数式ではありません。心屋式と灰谷式でございます。数学関係かと思われて、このブログに辿り着いた方は残念ながら、全く違いますので、数字のことかと思ってこちらを覗いてくださった方には申し訳ございません。

 心屋式は心理カウンセラーの心屋仁之助氏とこの式で、灰谷式っていうのは、発達支援コーチの産みの親である灰谷孝氏の式のことです。で、心屋式でいわれている『問題はない』と灰谷式でいわれている『無駄な動き』、この2つの式を使って紐解いてみたら、心屋さんがおっしゃるように何も問題がなくなるということに気がついちゃいました。凄いぜ私!(ドヤ顔)ということで本題です。

 どうもこの記事を書いてたら長くなりそうなので、結果を先に綴って、後はなんでそうなったのかを記していきたいと思われます。毎度毎度長ったらしいですが、覚書程度に残しておくようなものですので、おつきあいくださいましたら幸いです。

 

 今日朝から、支援に関するブログを読んでいて、なんか私の中でざわつきました。で、考えてみたら、何にも問題がないことに気がついてしまいました。ええ。実に簡単に解けました。時に支援者は当事者への愛が強すぎるあまり、『よかれ支援』を行ってしまうことが多々あるなぁと思うのです。私もいろんなことを問題にしていました。なので、最近は問題にすることは少なくなりました。いやー楽ちんですね。ホント。

 で、今日の朝みた支援に関するブログを、心屋式の『問題はない』ということを前提に考えつつ、灰谷式の『無駄な動き』を使って紐解くと、子どもたちの無駄と思われる動きや問題行動は子どもたちにとっては本来は必要な動きであって、それに対してのアプローチ方法はその無駄な動きをやり切ることが望ましいということでした。ということはですね、例えば、自閉っ子の場合、変化に弱いことから変化に対応できるような支援が行われるのですね。で、変化に弱いってことを問題にしてしまうから、変化に対応できるような支援を支援者側は行うワケです。ええ。ただ、その変化に弱いということさえ、『無駄な動き』になるんじゃないの?って私は思ったわけです。はい。なので、だとするなら、『無駄な支援』ってことになりませんか? でその『無駄な支援』を行っている支援者の『無駄な動き』ってことになるように思うのですが違いますか?ってことは、どちらも『無駄な動き』を『無駄な動き』で対峙させようとしていることになるわけです。で、灰谷氏いわく『無駄な動き』はやり切るにかぎるわけですから、支援者がやり切るというより気がつかない限り、その無駄と思われる支援はずっと行われてしまうということになるわけですが、その支援がうまくいくまでは、支援者は満たされないわけでございましょうから、その支援者の無駄な動きは人を変えて続いていくことになるのだろうなぁと思ったりします。で、支援者がその変化に弱いということを問題にせず、当事者の無駄な動きに寄り添った支援を行ってもらうと、問題が問題じゃなくなるように思うのですよねぇええええ。それに、子どもたちというより、どんな人にも『無駄な動き』はあるので、それらを問題にしなければ、問題はなくなるはずなんですよねぇええええ。じゃあなんで、問題にしてしまうんでしょうね。それは、ご自身たちで紐解いてください。

ということで、心屋式と灰谷式で紐解くといとも簡単に問題が問題でなくなってしまいました。ええ。で、このことに纏わることも記事に残しておこうと思います。

…あっ長くなりそうなので、ひとまずここまで。

 

2つの式で問題を解いてみたら…なんの問題もなかった件②へ続く